2008年5月11日日曜日

いい話、かき集め①

朝日新聞などから、気になった部分だけ拾い書きした。一部には、私の日常の雑感も。
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気弱になった集団の多数意見は、往々にして誤る」この鋭い洞察は、南極観測隊を何度か率いた村山雅美(まさよし)さんだ。(小学館『千年語録』)。追い詰められてからの「数の論理」は危険で、局地では全滅を招くことさえある。

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5歳ころからピアノを始め、13歳でジャズピアノの巨匠ハンク・ジョーンズに絶賛され



た松永貴志は、20歳を過ぎた。新作はバリバリとやんちゃに弾きまくっていた過去の作品とは色合いが違って、のっけから哀愁ただようバラード。
今回のコンサートツアーのタイトルは
「地球は愛で浮かんでる」
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080430 23:00 NHK総合
水谷豊 22年ぶりの歌声」を視た。こんな時間帯にテレビを視るのは1年に5回はない。仕事上のことなんだが、昼間に思いついたことが気になって、酒を飲んでも眠気がしなくて、ついテレビのスウィッチをオンにした。
俳優であり、歌手である水谷が何曲か歌った。カリフォルニア・コネクション、この歌も知らないし、他に歌った歌も私は聴いたことがなかった。お世辞にも歌唱力があるとは、思えなかった。極端な音痴の私の感想だからこの批評は当てになりません。
ここで話題にしたいのは、そんなことではなくて、水谷が中学校の国語の先生に会いに行ったときの会話から書き残しておきたいセリフがあったのです。
先生は、先生を辞められて諏訪神社の神官になっておられて、久しぶりに会った恩師に水谷が言ったのです。
「先生は、国語には100点はないんだよ」と、当時言われていましたよね。恩師は水谷にそうだ、と優しい笑顔でうなずかれていた。
心和(なご)むシーンだった。
やっと、寝る気になって布団に入った。
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埼玉県長瀞町立長瀞中の教壇に、中途失明の国語教師、新井淑則さん(46)が立った。念願の普通学級復帰に「見えないからこそできることもある。優しさや思いやりを伝えること。障害者と健常者がともに生きてこそ社会なんだから」
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「できないことはたくさんあるけれども、できることを見ていきたい。もっと輝いてくれると思うから」と、宮崎県延岡市の堀之内タミさん(34)。新入学のダウン症の長女、天音(あまね)さん(6)が図画コンクールで入選した。
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JR宝塚線事故で妻を亡くした山田富士雄さん(58)が、学生時代の落語仲間と出前寄席。病気などで家族を失った人たちを笑わせた。今度は僕が癒す番。心の中で生きている妻は、自分が好きなことをして光ることで光る」
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昨秋、咽頭ガンで声を失った大阪芸術大学の牧泉さん(59)。手術前の肉声をパソコンで再現する仕組みを使い講義に臨んだ。感想もキーをたたいて「授業中はイケてると思い、グットきました」と懐かしい声で。
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カンボジアで選挙監視員をしていた息子を凶弾に奪われた中田武仁さん(70)。15年間のボランティア名誉大使を辞して多くの息子を持てたのが大きな誇り。生きている限り活動を続けます」
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「算数を勉強をして千まで数えられるようになりたい」と、札幌市の三角山小に入学した壇上怜乃(れの)君(6)。この向上心、千まで数えたことのない身には、まぶしく、うらやましい。
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相模原市に住む詩人で英文学者の郡山直(なおし)は、イラク戦争に影響を受けて反戦詩を書き始めたそうだ。自らの詩作の一方で、戦争詩、原爆詩の翻訳にもとりかかった。郡山さんが訳した中に、被爆詩人として知られる故・栗原貞子さんの作品がある。「一度目は あやまちでも/二度目は 裏切りだ/死者たちへの/誓いを忘れまい」
最後の2行は
「 We"ll not forget / the promise we`ve made to the dead. 」
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井上ひさし 著
子どもにつたえる
日本国憲法」
二十世紀の中ごろ、大きな戦争で嘆き悲しみ傷ついた世界中の人たちが、
血と涙のまじった溜息をついた。
この溜息が固まって一個の宝石が生まれた。
これが日本国憲法だった。
この宝石の輝きを二十一世紀に大人になる子どもたちにどうにかしてつたえたい。
この一冊はこのための試みの一つです。
          井上ひさし
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080506 
本日は久しぶりの快晴だ。
今年最初の五月晴れか。
昨日は端午の節句で、菖蒲湯に入った。
ゴールデンウイークの終わり。私も早くに仕事を繰り上げ帰宅した。女房は早い帰宅に驚いていた。会社を出る時、専務が今日は八百屋さんに寄って菖蒲を買わなくちゃ、と言って帰っていった。我が家の家人はきっちりされた御仁だから、ぬかりなく菖蒲湯の用意はしていてくれた。
ビールを飲み、焼酎を飲み、熱燗を飲んで、十分酔ったので寝ようとしたら、女房が「今日は、菖蒲湯ですからね」と風呂をすすめてくれた。酔っ払って風呂に入るのは危険だから湯に入るのを止めて、2階の寝室に向かった。
子供は4人いるが、2人は我が家を出て家庭をもっている。同居している長男の方は、彼女と私の生家を訪ねているらしい。私には、まだ内緒にしておきたいようだ。もう一人の三女は仕事に行っている。
子供は我が家にはもういない。
寝室に向かう階段の途中で、何を思ったか、ここの主(あるじ)は口走った。
「我が家には子供はいないのだから、君と子供の頃に戻って、一緒に入るか?」
妻は聞き取れなかったようで、反応がなかった。私は酔っていたので発声中枢がやられていたようです。きちんと発音できていなかったようだ。それとも、最初から聞き取られないように用心して、喋ったのかもしれない。恥ずかしいセリフですから。
聞こえなくってよかった。
何事もなくてよかった。
安心して、寝よう。
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080506 
中国の国家主席である胡錦濤(フーチンタオ)(こきんとう)が来日中です。
6日夜、日比谷公園の松本楼で福田首相らと会食をした。日中国交回復を成し遂げたときの首相だった田中角栄の娘、娘と言ってもりっぱな国会議員だが、田中真紀子さんも招待を受けて臨席した。
主席は田中真紀子さんに、亡き父にかっての労をねぎらった。真紀子さんも今後の日中の平和的な付き合いが進展することを願っている、と答えた。
そこで、主席は「中国では、水を飲んだときに井戸を掘った人のことは忘れません」という諺(ことわざ)があるのです、と言われたそうだ。
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米マイクロソフトのびつ・ゲイツ会長が、080507、朝日新聞のインタービューに答えた。情報技術(IT)社会の「予見者」は、今後10年で主に三つの変化が起こる、としてきする。
第一は、「どこでもハイビジョン体験」だという。現在のハイビジョンの液晶やプラズマディスプレーだけでなく、プロジェクターの発達でどんな壁にもハイビジョン映像を映しだせるようになると」同氏はみる。立体映像技術も進展し、ネット上でお店の中を歩き回ったり、ネット上でさまざまな人たちに立体画像で会ったりすることも可能になるという。
第二は、パソコンなどのIT機器のより自然な使い方が可能になる」点だ。現在は、パソコンを使うにはキーボードやマウスを使いこなさないといけないが、今後、画面にタッチしたり、言葉や、身振り手振りで操作したりする動きが大きく広がるとみる。
第三は、カメラ、ビデオカーオーディオ、携帯電話など様々な機器が、「相互に簡単につながるようになる」ことだという。
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産卵の浜支えた熱意      (中村明子)
「初めてウミガメの産卵に出くわしたとき、命の誕生する神秘さがカッと胸にきました」宮崎野生動物研究会会長の竹下完(ひろし)さん(74)は、約30年前をこう振り返る。宮崎県日向灘海岸で、産卵のためにやってくるアカウミガメの調査・保護活動を30年以上続ける同会は、日本のウミガメ保護運動の草分け的存在だ。先月、「明日への環境賞」(朝日新聞社主催)を受賞した。
会の発足当時、砂浜に産みつけられた卵の85%は盗掘」されていた。さまざまな対策を試み、10年後には被害はほぼゼロに。
夜の砂浜を見回っていたら、海岸で寝泊りしている若者に誤解され、「何しているんだ。ここはカメを大事にするところだ」と言われたこともあった。「ものすごくうれしかった。それだけ宮崎の人に伝わっているのかな、と」
熱意と喜びをもって続けること。人間の営みで損なわれた自然の再生に取り組む全国の人々に、竹下さんのメッセージを伝えたい。
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ワタヤ社長 渡辺美樹さん母は長く腎臓を患い、人工透析を受けていた。亡くなった当時は36歳。
ある日曜の午後、父に公園に連れ出された。父はベンチに座らせて言った。「本当ならお前は生まれてこなかったかもしれないんだ」
最初の子は女の子、渡辺さんは父母が授かった2人目の子だった。妊娠4ヶ月、医師は父に「体力的に出産は厳しい。奥さんを説得してください」と迫った。しかし、母は首を横に振った。
「せっかく授かった命よ。命が縮んでも、あなたが欲しがっていた男の子を生みます」「また女の子だったら?」「3人目のとき頑張ります」
息子の目を見て、父は語気を強めた。「お前がいつまでもめそめそしていたら、お母さんの立つ瀬がないだろう」
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戦争の放棄をうたう憲法9条に、世界で平和運動に取り組む人たちがエールを送っている。千葉市の幕張メッセで6日まで開かれた初の「9条世界会議」は
約2万2千人が訪れた。なぜ、9条なのか。海外から来たゲストは「支持するのは、あなたたちだけではない」と日本の参加者を勇気付けた。
「9条を広めるために来た。日本はひとりぼっちではない。世界から支持されているのです」
「軍は国民を守ると教えられたが、そうではなかった。非暴力こそ人々を守る最善の方法だ」
「9条は国際的な問題だ。同じ道を歩いていこうと決意した」
「もし日本が9条を放棄すれば、周辺に悪いシグナルを送ることになる」
「アジアのなかの9条」
「9条は日本だけのものではない」

2008年5月7日水曜日

日本国憲法 現実を変える手段として

080503 朝日 朝刊 
社説
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たった1年での、この変わりようはどうだろう。61回目の誕生日を迎えた日本国憲法をめぐる景色である。
昨年の憲法記念日のころを思い出してみる。安倍首相は、夏の参院選に向けて憲法改正を争点に掲げ、そのための手続き法である国民投票法を成立させた。集団的自衛権の政府解釈を見直す方向で、諮問機関も発足させた。
ところがいま、そうした前のめりとでも言うべき改憲気分は、すっかり鳴りを潜めている。福田首相は安倍時代の改憲路線とは一線を画し、集団的自衛権の見直しも棚上げにした。
世論も冷えている。改憲の旗振り役をつとめてきた読売新聞の調査では今年、93年以降の構図が逆転し、改憲反対が賛成を上回った。朝日新聞の調査でも、9条については改正賛成が23%に対して、反対派3倍近い66%だった。
90年代から政治やメディアが主導する形で盛り上がった。だが、そもそも政治が取り組むべき課題を世論調査で聞くと、景気や年金など暮らしに直結する問題が上位に並び、改憲の優先順位は高くはなかった。イラクでの米国の失敗なども背景に、政治の熱が冷めれば、自然と関心も下がるということなのだろう。
むろん、政界再編などを通じて、9条改憲が再浮上する可能性は否定できない。ただ、今の世の中の流れを見る限りでは、一本調子の改憲論、とりわけ自衛隊を軍にすべきだといった主張が訴求力を失うのはあたり前なのかもしれない。
9条をめぐってかまびすしい議論が交わされる陰で、実は憲法をめぐってもっと深刻な事態が進行していたことは見過ごされがちだった。
すさまじい勢いで進む経済のグローバル化や、インターネット、携帯電話の広がりは、日本の社会を大きく変容させた。従来の憲法論議が想像もしなった新しい現実が、挑戦状を突きつけているのだ。
たとえば、「ワーキングプア(働く貧困層)」という言葉に象徴される、新しい貧困の問題。
国境を越えた競争の激化で、企業は人件費の削減に走る。パートや派遣の非正規労働者が飛躍的に増え、いまや働く人の3分の1を占める。仕事があったりなかったりの不安定さと低賃金で、生活保護の対象になるような水準の収入しかない人たちが出てきた。
本人に問題があるケースもあろう。だが、人と人とのつながりが希薄になった現代社会では、個人は砂粒のようにバラバラになり、ふとしたはずみで貧困にすべり落ちる、はい上がるすべがない。
戦後の日本人は、豊かな社会をめざして懸命に働いてきた。ようやくその目標を達したかに思えたところで、実は袋の底に新しい穴が開いていた。そんな状況ではあるまいか。
東京でこの春、「反貧困フェスタ」という催しがあり、そこで貧困の実態を伝えるミュージカルが上演された、
狭苦しいインターネットカフェの場面から物語りは始まる。カフェを寝場所にする若者たちが、かたかたとキーボードをたたきながらネットを通じて不安や体験を語り合う。
長時間労働で倒れた人、勤め先の倒産で給料未払いのまま職がなくなってしまった若者、日雇い派遣の暮らしからは抜け出せない青年ーーー。
最後に出演者たちが朗唱する。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。生存権をうたった憲法25条の条文だ。
憲法と現実との間にできてしまった深い溝を、彼らは体で感じているように見えた。
    「自由」は実現したか民主主義の社会では、だれもが自分の思うことを言えなければならない。
憲法はその自由を保障している。軍国主義の過去をもつ国として、ここはゆるがせにできないと、だれもが思っていることだろう。だが、この袋にも実は穴が開いているのではないか。そう感じさせる事件が続く。
名門ホテルが右翼団体からの妨害を恐れ、教職員組合への会場貸し出しをキャンセルした。それを違法とする裁判所の命令にも従わない。
中国人監督によるドキュメンタリー映画「靖国」は、政府が関与する団体が助成金を出したのを疑問視する国会議員の動きなどもあって、上映を取りやめる映画館が相次いだ。
インターネット社会が持つ匿名性は「両刃の剣」だ。多数の人々に個人が自由に発信できる世界を広げる一方で、無責任な書き込みによる中傷やいじめ、プライバシーの暴露が、逆に個人の自由と人権を抑圧する。
こうした新しい現実の中で、私たちは自由と権利を守る知恵や手段をまだ見出していない。
憲法で「全体の奉仕者」と位置づけられている公務員が、その通り仕事をしているか。社会保険庁や防衛省で起きたことは何なのか。憲法の精神への裏切りではないのか。
憲法は国民の権利を定めた基本法だ。その重みをいま一度かみしめたい。人々の暮らしをどう守るか。みんなが縮こまらない社会にするにはどうしたらいいか。現実と憲法の溝の深さにたじろいではいけない。
憲法は現実を改革し、すみよい社会をつくる手段なのだ。その視点があってこそ、本物の憲法論議が生まれる。

こどもの日に

080505 朝日 社説
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白鳥も君も同じ命なのに
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細く長い首が優雅なハクチョウやコクチョウを、どうして力まかせに殴ってしまったのだろう。
連休のさなかに流れたニュースに、なんともやりきれない思いがする。
ことの起こりは1週間ほど前だ。水戸市にある湖で、頭や首などに傷を負った7羽が無残な姿で死んでいるのが見つかった。
「いったいだれが?」。地元の怒りが膨らむなか、市内に住む男子中学生たちが警察の調べに、「棒で殴った」と認めたという。警察は動物愛護法違反などの疑いで話を聴いている。
中学生といえば、まだきちんとした判断力が備わっているとはいえない。
面白半分だったかもしれない。仲間でふざけているうちに、いたずらが過ぎたのかもしれない。
しかし、それにしても、と暗い気持ちにならざるをえない。かれらが生きているものへのいとおしさを肌で感じられなくなっていたのではないか。と、思うからだ。
少年たちも幼い頃、生きた動物や昆虫に興味を抱き、飽きずに眺めた時期があったはずだ。生きるものの不思議さ、愛らしさに、目を輝かせもしただろう。そんな思いをいつしか忘れてしまったとすれば、なぜなのか。
まるでゲームをするかのような感覚だったのだろうか。
だが、あと少しの想像力があれば、こうはならなかったと思いたい。ハクチョウにも命があり、懸命に生きていることに思いを至らせる。殴られた時の鳥の痛みに、ほんの一瞬でも想像を及ぼしてみる。そうすれば、棒を振り下ろしたりはしなかったろう。
生きるものを大切にできなくなっている。それは少年たちだけの問題ではあるまい。
池のカモに矢が刺さり、学校で飼っているウサギが殺される。そんな動物たちの受難は、これまでも繰り返されてきた。いい年をした大人が残虐な行動に走るケースも目に付く。
大人や年かさの少年たちが生き物の命を粗末に扱うことが、同じようなことをしてもいいのだ、と年少の子供たちにも思わせてはいないか。
心ない被害に泣かされているのは、動物だけではない。この春、鮮やかな花をつけたチューリップやパンジーが、根元から折られたり、引き抜かれたりする被害が全国で相次いだ。
動物にも植物にも、自分と同じように命がある。そんなあたり前のことをあたり前に受け止める感性を、今の社会が失わせつつあるのではないか。
きょうは「こどもの日」だ。家族で、あるいは友達同士で命の大切さを考えて、生きるものへのいとおしさを感じてみたらどうだろう。動物や植物に同じ生きものとして共感できれば、人も生きやすい社会になるだろう。
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おじさん、おばさんの出番
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続編も含めてヒットした映画「ALWAYS 三丁目の夕日」には昭和30年代の風景画ふんだんに出てくる。そこに欠かせないのが近所のおじさん、おばさんの存在だ。つかず離れずの関係を保ちつつ、よその子でも悪いことをすればしかり、良いことをすればほめた。
だが、向こう三軒両隣の近所づきあいは希薄になり、隣人の孤独死にも気づかない世の中になってしまった。
そんな時代だからこそだろう。家庭や学校だけにまかせず、地域で子供たちの面倒をみようというさまざまな取り組みが各地で進んでいる。
そのなかで1対1で見守る先駆的な例が、広島市教育委員会が実施する青少年メンター制度だ。
メンターとは、「優れた助言者」の意味で、ギリシャ神話に語源を持つ。1人の大人が1人の青少年の成長を支える活動は100年ほど前に米国で始まった。
広島市の制度では、子供への支援を希望する保護者からの申し込みを受けて、メンターとして登録した市民との組み合わせを決める。メンターは週に1,2回家庭を訪問して、2時間ほど過ごす。期間は原則として1年間。
メンターは1回につき600円の活動費が出るだけの無償ボランティアで、特別な資格はいらない。市民から募集し、審査を経て登録されると、研修を受ける。
小学5年生から不登校だった保田光一郎さん(18)は、中学3年生でメンターに出会った。その60代の「おじさん」は絵手紙が趣味だった。絵手紙の描き方を習ったのをきっかけに、話が弾んだ。他の人とも話せるようになり、学校に通えるようになった。いま大学進学をめざし、東京で浪人中だ。
母の一代さん(51)は「2人でいるのを見ると、本当に穏やかでゆったりとした時間が流れていた。親は忙しくて、つい目先のことにとらわれてしまう」とメンターの効用を語った。
メンターに登録する市民は60代の主婦が多い。西田志都枝さん(61)は地域活動の経験が豊富だが、マニュアルがないので、初めは戸惑った。そのうち、無理に話さなくても、「用事があったら声をかけてね」と待っていればいい、と学んだ。「やってみんさい」と知り合いに勧めている。
この精度は、全国に先駆けて3年前から本格的に始まった。昨年度は約60組が活動した。日本でもかって、「取り上げ親」「名付け親」「仲人親」など実の親以上の大人が子供を見守ってきた。
そんな先祖の暮らし方を思えば、現代でも「メンター」の要素はだれもが持っているだろう。
人生経験豊かなおじさん、おばさん、さ出番ですよ。

2008年5月4日日曜日

アーバンビルドは護憲、9条改正反対。

3日の憲法記念日に、あわせておこなった朝日新聞の全国世論調査(電話)の結果が紙上にでていた。
憲法を
変えないほうがいいとの回答が、66%。
変えるほうがいいが、23%。
憲法改正が必要とする人が56%いるが、その中で、9条改正を
支持する人の割合は37%にとどまり、
54%の人が9条は変えないほうがいいと答えた。
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私は小学校の5年生から護憲派だ。伊藤先生の影響を強く受けた。
陰では先生のことを、いと(伊藤)にチンチン、ぷらぷらと、と呼んでいたのですが。先生の憲法にかける情熱は半端ではなかった。お兄さんを戦争で亡くしたと仰っていた。右手が不自由だったけれど、左手でチョークを力いっぱい押し付けて黒板に字を書くものだから、チョークの欠片(かけら)と粉で、ホワイトボード下の床は真っ白になった。
こと、憲法に関しては、護憲を問答無用で支持し、児童に対しては強圧的でした。ぐちゃぐちゃ、議論するまでもない、そんな態度だったように思う。
中学校は宇治田原町立維孝館中学です。江戸時代の藩校だった。
中学生の時は、森本先生(世界史)、吉岡先生(体育)も護憲には熱心だった。
森本先生も、吉岡先生も二人ともスケベーで、男子生徒には人気があったが、女の生徒には嫌われていた。
森本先生は教職員組合では、エライんだと自慢していた。吉岡先生は、職員室で赤旗(共産党の広報紙)新聞を読んでいた。「たもっちゃんも、読んでみ」、と薦められた。労働者、組合,賃金とかそんな文字が、紙面のあっちこっちで躍る。イヤな気がしなかった。なにか、先生を励ましているような内容だったように思った。
吉岡先生は、後に宇治の中学校の校長先生になられた。私は、他人には漏らすわけにはいかないエッチな秘技を教えてもらった。この仔細は二人の名誉のために、絶対口外は許されません。悪い先生で、大学受験のための浪人中に、酒を教えられた。
高校時代の岡田先生(政治経済)は、過激だった。高校は京都府立城南高校です。スポーツも勉強もしない、覇気のない高校だった。立ち食い弁当だけが、伝統だった。弁当を食いながら、あっちこっちの教室や廊下をウロチョロするのです。
5月1日のメーデーの日には、岡田先生は学校内で一番輝いていて、格好よかった。大将だった。赤旗を振りながら、同僚の先生と肩を組んだり、私たち生徒にもスクラムを組ませた。学校の行事の際、国旗や校旗を揚げるポールに赤旗を揚げた。
当時、京都は社共が支援する蜷川虎三知事だったので、中小企業や農家に対していろんな対策が講じられていた。実家が貧しい農家だったので、助成金を用意してくれる知事のことを、父から教わった私は子供心に感謝していた。蜷川知事は反帝、反米、労働者の味方だった。
そして、憲法記念日の日の岡田先生の「政治経済」は、生徒を誰一人となく飽きさせなかった。自由民権運動のさなか、板垣退助もかくもこれほど熱っぽくはなかったのではないか、と感心させられた。
このようにして、私は護憲派になった。

2008年5月3日土曜日

ヒットラーと、中国の聖火

今年夏、中国で行われる北京五輪の聖火が五大陸の国々をめぐり終えて、5月2日から中国の国内ルート(中国では「紅色旅行」というそうです)をめぐるとのニュースがあった。
2004年に開催された28回アテネ大会は、初回の開催都市であったアテネが2回目という記念すべき大会になったことで、聖火リレーを初めて五大陸をめぐった。
スポーツの祭典であるのは言うまでもないのだが、平和の祭典でもあるのだということを、ここらで一発、オリンピック委員会が「純粋」にアピールしたかったのだろう。
ところが、このことを「純粋」だと私は勝手に思い込んでいただけで、どうも違うんだな。
五大陸をめぐる聖火リレーには、スポンサーがついているのだ。スポンサーがついている以上、どんな道筋をたどっていくかは、自明だ。商業主義的になる。
そこで、なぜか、今回の北京大会でも五大陸をめぐることになった。そこへチベット問題が勃発。漢民族によるチベット民族に対する人権抑圧問題が火を噴いて、ヨーロッパ、アメリカの各地で人権派といわれる人々から、聖火リレーの妨害がおこった。
ここで、聖なる火が悪態を晒(さら)すことになってしまったのだ。
中国の狙いである国威発揚と、オリンピック委員会の商業主義が合体して、可笑しいことになってしまった。そんなことを考えていたところに、朝日新聞に「ヒットラーと、中国の聖火」の記事が出たので、我が意を得たり状態で、この文章を綴った。
ある人が言っていたそうですが、五大陸をめぐるのではなく、アテネからトルコを経て、シルクロードを通って万里の長城から北京に着く。そんな聖火リレーだったら、壮大なロマンにあふれていて、世界の人々に違った感動を与えたのではないだろうか。
東京オリンピックでは、日本の国内で聖火リレーが行われたらしい。私の妻の友人たちが、小学生か中学生だったころ、あっちこっちで走った者たちがいる。いい思い出になっています、だって。
中国の国内ルートは、香港、マカオのほか、本土の31の省、自治区、直轄市全てをめぐるそうです。民族調和をアピール、チベット、新疆ウイグル両自治区も通過する。国内での聖火リレーは共産党政権の正当性を誇示する、政治色の極めて濃いものになる、と新聞では報道されていた。
中国政府の高級官僚はチベット問題は、内政問題だと言っていた。
昨日のニュースでは、ダライ・ラマの特使と話し合いに入るとのことだ。


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080501 朝日夕刊より。
脇坂紀行
ヒットラーと聖火リレーが近代五輪に登場したのは、1936年開催のベルリン大会だった。その8年前のアムステルダム大会で「聖火」が初めて使われ、ベルリン大会で「リレー」が加わった。
なぜ、聖火リレーになったのか。
国威発揚を狙ったということは容易に想像がつく。33年1月に政権を握ったヒットラーは、オリンピックを国家プロジェクトと考えていた。国民の結束を強め、ドイツの発展を誇示する。聖火リレーはそのために不可欠な仕掛けだった。
驚かされるのは、ギリシャが特別な意味をもっていたことだ。
ヒットラーは「ドイツ人は古代ギリシャ人の直系子孫である」と唱えていた。ギリシャとドイツを結びつける聖火リレーは、この妄想を真実と思い込ませるための手段でもあった。
暗黒の時代はすでに始まっていた。ユダヤ人への迫害が始まり、ドイツ選手団からユダヤ人を排除しょうとした。
36年7月20日、オリンピアの丘で採火された聖火を掲げた走者が北方へと走り出した。伴走するラジオ記者の中継に、ドイツ国民は熱狂した。
13日目、スタジアムで最後の走者を迎えた観衆は「ハイル・ヒトラー」と独裁者をたたえた。(ダフ・ハート・デイビス著「ヒトラーへの聖火」)
なにも、北京五輪の聖火リレーに異議を唱えようというのではない。ただ、聖火リレー誕生の秘話を知っておくことも無駄ではなかろう。

2008年5月2日金曜日

国会にも、みなし否決ってあったの?

国会にも「みなし」否決とやらがあるのに、驚いた。

みなし法人というのは聞いたことがある。個人で事業を行っていても、あたかも法人と同じように経営を行っているものだから、法人格ではなくても税法等は法人と同じように扱われる。
我々の業界では建築基準法42条3項に該当する道路のことを、通称但し書き道路と呼んでいる。これを人によってはみなし道路と呼ぶ人もいる。認定道路ではないが、要件が整えば道路と認めましょうということだ。
私が極端に元気だった頃。破れかぶれのジーパンを穿(は)いて、下駄を鳴らしていた頃のことだ。渋谷駅ハチ公前で、右翼が街宣車の上から、意味もないセリフを蛾鳴り立てていた。有名な赤尾敏だ、大日本愛国党の総裁を名乗っていた。その街宣車が10分に3メートル程移動するのを見ていて、駐停車禁止ゾーンにおいてうまいこと脱法行為を考え出したものだと感心していた。
それから、12,3年後、私はマチバの不動産屋の部長さんになっていた。年齢は30半ばになっていたが、生意気な青二才からは卒業できていなかった。場所は同じ渋谷駅はハチ公前でのことだった。どこかの労働組合かそれを支援する団体だったようだが、詳しいことは憶えていない。その団体の演説が行われていた。演説は助手席に乗っている者がやっていて、運転手と警察官は何やら問答し合っていた。友人との待ち合わせ時間には余裕があった。私は、無意識のうちにその運転手と警察官の会話の一部を漏れ聞いてしまった。ここは駐停車禁止区域だ、道路使用の許可をとっているのか、と。
私は、出っ張って運転手に話しかけた。いいんだよ、止まらなければいいんだよ。10分で3メートル動けば駐停車禁止区域でもOKだ、心配するな。昔 大日本愛国党の赤尾総裁がそのようにやっていて、警察は手も足も出さなかったよ、と激励した。
そこで、警察官が反論して吐いた言葉が、『「みなし駐車」として駐車違反だ』。キップをきるよ、喧嘩ごしだった。
そこで、みなし駐車という言葉を知った。警察は右翼に優しくて、左翼には厳しいとは聞いていたが、案の定だった。
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以下は、080501 朝日朝刊1面記事より。
衆院本会議は30日、憲法59条の規定に基づき、衆院可決後、参院が60日以内に議決しなかった税制改正関連法など5法案を参院が否決したとみなす動議を与党の賛成多数で可決。その後、5法案は参院から衆院に返付され、衆院本会議で再可決、成立した。民主、社民、国民新各党は採決を欠席し、共産党は反対。暫定税率の復活は賛成337票、反対12票だった。
衆院の3分の2による再可決は1月の補給支援特別措置法以来だが、この時は参院否決を受けたもの。みなし否決を踏まえた再可決は、1952年の「国立病院特別会計所属の資産譲渡に関する特措法」以来、56年ぶり2度目。
政府は30日夕、臨時閣議を開き、関連法の施行日を1日と決定。
よって、ガソリン税の暫定税率(1リットルあたり25.1円が1ヶ月ぶりに復活した。

2008年4月29日火曜日

最貧国の銀行が、アメリカの金融機関と人々を救う

サブプライムローン問題解決に向けて、バングラデシュの銀行が米国で融資ビジネスを立ち上げた。
世界の最貧国が世界一裕福な国の金融機関と人々を救済する?
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こんな、タイトルで国際政治学者・浜田和幸氏の小文を雑誌で見つけた。その文章を引用させていただいた。一部、私なりに加筆した。
アジアで、最も貧困国と位置づけられるバングラデシュの銀行がアメリカの住宅ローン危機を救うべく立ち上がった。その名はグラミン銀行。貧しい農民への金融支援で世界的にも注目を集めてきた銀行である。
1976年にこの銀行が始まった時点では元手はたったの27ドル。この少額を42人の女性に貸し付けることで、バングラデシュの未来に夢を与えることに成功。この銀行の創設者であるムハンマド・ユヌス氏はその功績が認められ、2006年、ノーベル平和賞を受賞した。
ムハンマド・ユヌス氏は経済学者だが、研究と現実の落差の大きさに経済理論が役に立たないことを大飢饉を前に悟った。農村では、特に家計を切り盛りする女性に無担保小額融資を生み出した。初めは身銭を出して基金にしたそうだ。
今では、バングラデシュ国内で700万人もの人々に65億ドルを超える融資を行っている。

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ムハンマド・ユヌス氏は、このノーベル平和賞の記念受賞演説でーーー
「貧困は平和への脅威だ。世界の指導者の関心が貧困との闘いからテロとの闘いへと移行した」と指摘し、また「貧しい人々の生活改善に資金を投入するほうが、銃に使うよりも賢明な戦略だ」と論じ、イラク戦争に巨額を投ずるアメリカなどの姿勢を批判した。もちろん日本も含まれていた。
                

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日本の為政者などとは、基点(視点)が違う。力点と方向が違うことに敬服する。
皮肉なことに、ムハンマド・ユヌス氏から批判された世界最強国アメリカが、その最貧国から救済を受ける羽目になろうとは、ブッシュは露ほども想像していなかったことだろう。
アメリカにはバングラデシュをはじめ、アジア出身者が数多くいる。そこで、グラミン銀行では初めての試みとして、アメリカにおいて融資ビジネスを立ち上げることを決めたようだ。まさに、世界で貧しい国の銀行が最も豊かな国を救済しようと立ち上がったわけである。今後5年間にわたり、ニューヨーク近郊を中心に、1億7600万ドルの住宅ローンのつなぎ資金を提供するという。そして、徐々に対象地域を全米に広げていこうともくろんでいる。現在、アメリカでは2800万人もの人々が銀行に口座を開設できない状況におかれている。また4470万人の人々は過去にローンの支払いが滞ったことが原因で、銀行の利用に制限が課されている。問題をかかえている場合もあるが、きちんとした返済計画さえ立てられれば十分に返済能力があると考えられる。だが、アメリカの金融機関やローン会社は十把ひとからげにして融資の打ち切りに走っている。そこでグラミン銀行では、個別の案件を精査し、貧しくとも真面目に働く意欲のある人々を積極的に支援する、という方針を打ち出したのである。

世界のマネーが流れ込むアメリカでありながら、真に援助を必要としている人々に支援の手を差し伸べられない金権体質は、接戦が続く大統領選挙の行方にも大きく影響するものと思われる。黒人初の大統領を目指すバラク・オバマ氏への支持が拡大している背景には、既存の富裕層あるいはエリート層から、この面での変革が期待できないとの失望感が広がっているからにちがいない。