080505 朝日 社説
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白鳥も君も同じ命なのに
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細く長い首が優雅なハクチョウやコクチョウを、どうして力まかせに殴ってしまったのだろう。
連休のさなかに流れたニュースに、なんともやりきれない思いがする。
ことの起こりは1週間ほど前だ。水戸市にある湖で、頭や首などに傷を負った7羽が無残な姿で死んでいるのが見つかった。
「いったいだれが?」。地元の怒りが膨らむなか、市内に住む男子中学生たちが警察の調べに、「棒で殴った」と認めたという。警察は動物愛護法違反などの疑いで話を聴いている。
中学生といえば、まだきちんとした判断力が備わっているとはいえない。
面白半分だったかもしれない。仲間でふざけているうちに、いたずらが過ぎたのかもしれない。
しかし、それにしても、と暗い気持ちにならざるをえない。かれらが生きているものへのいとおしさを肌で感じられなくなっていたのではないか。と、思うからだ。
少年たちも幼い頃、生きた動物や昆虫に興味を抱き、飽きずに眺めた時期があったはずだ。生きるものの不思議さ、愛らしさに、目を輝かせもしただろう。そんな思いをいつしか忘れてしまったとすれば、なぜなのか。
まるでゲームをするかのような感覚だったのだろうか。
だが、あと少しの想像力があれば、こうはならなかったと思いたい。ハクチョウにも命があり、懸命に生きていることに思いを至らせる。殴られた時の鳥の痛みに、ほんの一瞬でも想像を及ぼしてみる。そうすれば、棒を振り下ろしたりはしなかったろう。
生きるものを大切にできなくなっている。それは少年たちだけの問題ではあるまい。
池のカモに矢が刺さり、学校で飼っているウサギが殺される。そんな動物たちの受難は、これまでも繰り返されてきた。いい年をした大人が残虐な行動に走るケースも目に付く。
大人や年かさの少年たちが生き物の命を粗末に扱うことが、同じようなことをしてもいいのだ、と年少の子供たちにも思わせてはいないか。
心ない被害に泣かされているのは、動物だけではない。この春、鮮やかな花をつけたチューリップやパンジーが、根元から折られたり、引き抜かれたりする被害が全国で相次いだ。
動物にも植物にも、自分と同じように命がある。そんなあたり前のことをあたり前に受け止める感性を、今の社会が失わせつつあるのではないか。
きょうは「こどもの日」だ。家族で、あるいは友達同士で命の大切さを考えて、生きるものへのいとおしさを感じてみたらどうだろう。動物や植物に同じ生きものとして共感できれば、人も生きやすい社会になるだろう。
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おじさん、おばさんの出番
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続編も含めてヒットした映画「ALWAYS 三丁目の夕日」には昭和30年代の風景画ふんだんに出てくる。そこに欠かせないのが近所のおじさん、おばさんの存在だ。つかず離れずの関係を保ちつつ、よその子でも悪いことをすればしかり、良いことをすればほめた。
だが、向こう三軒両隣の近所づきあいは希薄になり、隣人の孤独死にも気づかない世の中になってしまった。
そんな時代だからこそだろう。家庭や学校だけにまかせず、地域で子供たちの面倒をみようというさまざまな取り組みが各地で進んでいる。
そのなかで1対1で見守る先駆的な例が、広島市教育委員会が実施する青少年メンター制度だ。
メンターとは、「優れた助言者」の意味で、ギリシャ神話に語源を持つ。1人の大人が1人の青少年の成長を支える活動は100年ほど前に米国で始まった。
広島市の制度では、子供への支援を希望する保護者からの申し込みを受けて、メンターとして登録した市民との組み合わせを決める。メンターは週に1,2回家庭を訪問して、2時間ほど過ごす。期間は原則として1年間。
メンターは1回につき600円の活動費が出るだけの無償ボランティアで、特別な資格はいらない。市民から募集し、審査を経て登録されると、研修を受ける。
小学5年生から不登校だった保田光一郎さん(18)は、中学3年生でメンターに出会った。その60代の「おじさん」は絵手紙が趣味だった。絵手紙の描き方を習ったのをきっかけに、話が弾んだ。他の人とも話せるようになり、学校に通えるようになった。いま大学進学をめざし、東京で浪人中だ。
母の一代さん(51)は「2人でいるのを見ると、本当に穏やかでゆったりとした時間が流れていた。親は忙しくて、つい目先のことにとらわれてしまう」とメンターの効用を語った。
メンターに登録する市民は60代の主婦が多い。西田志都枝さん(61)は地域活動の経験が豊富だが、マニュアルがないので、初めは戸惑った。そのうち、無理に話さなくても、「用事があったら声をかけてね」と待っていればいい、と学んだ。「やってみんさい」と知り合いに勧めている。
この精度は、全国に先駆けて3年前から本格的に始まった。昨年度は約60組が活動した。日本でもかって、「取り上げ親」「名付け親」「仲人親」など実の親以上の大人が子供を見守ってきた。
そんな先祖の暮らし方を思えば、現代でも「メンター」の要素はだれもが持っているだろう。
人生経験豊かなおじさん、おばさん、さ出番ですよ。