2008年5月20日火曜日

難民の苦境に終止符を

パレスチナ60年 
 20080515 朝日新聞 社説
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60年前の1948年5月14日『注=私が生まれた、昭和23年のことです』、英国の委任統治領だったパレスチナにイスラエルが建国された。ユダヤ人にとって、流浪と迫害の歴史に終止符をうつ「歓喜の日」である。
翌15日、独立を認めないアラブ諸国がイスラエルに攻め込んだ。その中で70万人が故郷を追われ、難民となった。パレスチナ人はこの日を「ナクバ(大破局)」と呼ぶ。
それ以後の60年間、両者だけでなく世界にとっても波乱の歴史が続いた。
数次にわたる中東戦争、占領、世界各地でのテロ、虐殺、難民ーーーー。アラブ産油国の禁輸戦略により、多くの国がオイルショックに見舞われた。日本も無縁ではなかった。
ハリネズミのように武装を固めるイスラエルは、事実上の核保有国と見られ、世界の核不拡散体制に大きな穴を開けている。イラクやシリア、イランなどが原子力開発に手をのばそうとするのもそれを意識してのことだろう。
米国は巨額の軍事援助などでイスラエル寄りの政策を続け、中東そしてイスラム世界全体に反米意識を呼び起こしている。米国を標的にした国際テロも、根っこではイスラエル・パレスチナ紛争につながっている。
そうした派手な政治、経済の動きが世界の注目を集める一方で、忘れがちなのが難民問題だ。いまや国連に登録されるパレスチナ難民は450万人にまで膨らんだ。
多くの難民は、イスラエル占領地内やヨルダン、レバノンなどの劣悪な環境の難民キャンプに暮らしている。キャンプで生まれ育った世代も増えた。
祖父母や親から故郷の家の鍵や権利証書を受け継ぎ、帰還の日を待ち続ける。絶望と怒りが深まり、過激主義にひかれる人々も出てきている。
難民の帰還促進や権利補償は48年12月の国連総会で決議され、それ以降、何度も同じような決議が採択されているが、まったく進展しない。
ブッシュ大統領は、来年1月の任期切れまでに中東和平の合意をつくろうと外交努力を強めているが、難民問題を避けて和平はありえない。
イスラエルの存立が危うくなりかねないような急激な難民帰還は現実的ではない。しかし、難民の存在と権利を認め、互いに共生を考えるところから正常化への第一歩が始まる。米国は仲介者として、もっと公平で積極的な役割を果たしてもらいたい。
難民の苦境を早く終わらせなければならない。どの程度の帰還なら受け入れ可能なのか、戻れない難民の受け入れ先や経済補償などを考えるには、国際社会も知恵を出す必要がある。
この60周年を機に、そのための枠組みを国連につくる。パレスチナ支援に実績を持つ日本はそんな声を上げたらどうか。