今年夏、中国で行われる北京五輪の聖火が五大陸の国々をめぐり終えて、5月2日から中国の国内ルート(中国では「紅色旅行」というそうです)をめぐるとのニュースがあった。
2004年に開催された28回アテネ大会は、初回の開催都市であったアテネが2回目という記念すべき大会になったことで、聖火リレーを初めて五大陸をめぐった。
スポーツの祭典であるのは言うまでもないのだが、平和の祭典でもあるのだということを、ここらで一発、オリンピック委員会が「純粋」にアピールしたかったのだろう。
ところが、このことを「純粋」だと私は勝手に思い込んでいただけで、どうも違うんだな。
五大陸をめぐる聖火リレーには、スポンサーがついているのだ。スポンサーがついている以上、どんな道筋をたどっていくかは、自明だ。商業主義的になる。
そこで、なぜか、今回の北京大会でも五大陸をめぐることになった。そこへチベット問題が勃発。漢民族によるチベット民族に対する人権抑圧問題が火を噴いて、ヨーロッパ、アメリカの各地で人権派といわれる人々から、聖火リレーの妨害がおこった。
ここで、聖なる火が悪態を晒(さら)すことになってしまったのだ。
中国の狙いである国威発揚と、オリンピック委員会の商業主義が合体して、可笑しいことになってしまった。そんなことを考えていたところに、朝日新聞に「ヒットラーと、中国の聖火」の記事が出たので、我が意を得たり状態で、この文章を綴った。
ある人が言っていたそうですが、五大陸をめぐるのではなく、アテネからトルコを経て、シルクロードを通って万里の長城から北京に着く。そんな聖火リレーだったら、壮大なロマンにあふれていて、世界の人々に違った感動を与えたのではないだろうか。
東京オリンピックでは、日本の国内で聖火リレーが行われたらしい。私の妻の友人たちが、小学生か中学生だったころ、あっちこっちで走った者たちがいる。いい思い出になっています、だって。
中国の国内ルートは、香港、マカオのほか、本土の31の省、自治区、直轄市全てをめぐるそうです。民族調和をアピール、チベット、新疆ウイグル両自治区も通過する。国内での聖火リレーは共産党政権の正当性を誇示する、政治色の極めて濃いものになる、と新聞では報道されていた。
中国政府の高級官僚はチベット問題は、内政問題だと言っていた。
昨日のニュースでは、ダライ・ラマの特使と話し合いに入るとのことだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
080501 朝日夕刊より。
脇坂紀行
ヒットラーと聖火リレーが近代五輪に登場したのは、1936年開催のベルリン大会だった。その8年前のアムステルダム大会で「聖火」が初めて使われ、ベルリン大会で「リレー」が加わった。
なぜ、聖火リレーになったのか。
国威発揚を狙ったということは容易に想像がつく。33年1月に政権を握ったヒットラーは、オリンピックを国家プロジェクトと考えていた。国民の結束を強め、ドイツの発展を誇示する。聖火リレーはそのために不可欠な仕掛けだった。
驚かされるのは、ギリシャが特別な意味をもっていたことだ。
ヒットラーは「ドイツ人は古代ギリシャ人の直系子孫である」と唱えていた。ギリシャとドイツを結びつける聖火リレーは、この妄想を真実と思い込ませるための手段でもあった。
暗黒の時代はすでに始まっていた。ユダヤ人への迫害が始まり、ドイツ選手団からユダヤ人を排除しょうとした。
36年7月20日、オリンピアの丘で採火された聖火を掲げた走者が北方へと走り出した。伴走するラジオ記者の中継に、ドイツ国民は熱狂した。
13日目、スタジアムで最後の走者を迎えた観衆は「ハイル・ヒトラー」と独裁者をたたえた。(ダフ・ハート・デイビス著「ヒトラーへの聖火」)
なにも、北京五輪の聖火リレーに異議を唱えようというのではない。ただ、聖火リレー誕生の秘話を知っておくことも無駄ではなかろう。