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「気弱になった集団の多数意見は、往々にして誤る」。この鋭い洞察は、南極観測隊を何度か率いた村山雅美(まさよし)さんだ。(小学館『千年語録』)。追い詰められてからの「数の論理」は危険で、局地では全滅を招くことさえある。
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5歳ころからピアノを始め、13歳でジャズピアノの巨匠ハンク・ジョーンズに絶賛され
た松永貴志は、20歳を過ぎた。新作はバリバリとやんちゃに弾きまくっていた過去の作品とは色合いが違って、のっけから哀愁ただようバラード。
今回のコンサートツアーのタイトルは「地球は愛で浮かんでる」
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080430 23:00 NHK総合
水谷豊 22年ぶりの歌声」を視た。こんな時間帯にテレビを視るのは1年に5回はない。仕事上のことなんだが、昼間に思いついたことが気になって、酒を飲んでも眠気がしなくて、ついテレビのスウィッチをオンにした。
俳優であり、歌手である水谷が何曲か歌った。カリフォルニア・コネクション、この歌も知らないし、他に歌った歌も私は聴いたことがなかった。お世辞にも歌唱力があるとは、思えなかった。極端な音痴の私の感想だからこの批評は当てになりません。
ここで話題にしたいのは、そんなことではなくて、水谷が中学校の国語の先生に会いに行ったときの会話から書き残しておきたいセリフがあったのです。
先生は、先生を辞められて諏訪神社の神官になっておられて、久しぶりに会った恩師に水谷が言ったのです。
「先生は、国語には100点はないんだよ」と、当時言われていましたよね。恩師は水谷にそうだ、と優しい笑顔でうなずかれていた。
心和(なご)むシーンだった。
やっと、寝る気になって布団に入った。
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埼玉県長瀞町立長瀞中の教壇に、中途失明の国語教師、新井淑則さん(46)が立った。念願の普通学級復帰に「見えないからこそできることもある。優しさや思いやりを伝えること。障害者と健常者がともに生きてこそ社会なんだから」
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「できないことはたくさんあるけれども、できることを見ていきたい。もっと輝いてくれると思うから」と、宮崎県延岡市の堀之内タミさん(34)。新入学のダウン症の長女、天音(あまね)さん(6)が図画コンクールで入選した。
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JR宝塚線事故で妻を亡くした山田富士雄さん(58)が、学生時代の落語仲間と出前寄席。病気などで家族を失った人たちを笑わせた。「今度は僕が癒す番。心の中で生きている妻は、自分が好きなことをして光ることで光る」
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昨秋、咽頭ガンで声を失った大阪芸術大学の牧泉さん(59)。手術前の肉声をパソコンで再現する仕組みを使い講義に臨んだ。感想もキーをたたいて「授業中はイケてると思い、グットきました」と懐かしい声で。
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カンボジアで選挙監視員をしていた息子を凶弾に奪われた中田武仁さん(70)。15年間のボランティア名誉大使を辞して、「多くの息子を持てたのが大きな誇り。生きている限り活動を続けます」
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「算数を勉強をして千まで数えられるようになりたい」と、札幌市の三角山小に入学した壇上怜乃(れの)君(6)。この向上心、千まで数えたことのない身には、まぶしく、うらやましい。
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相模原市に住む詩人で英文学者の郡山直(なおし)は、イラク戦争に影響を受けて反戦詩を書き始めたそうだ。自らの詩作の一方で、戦争詩、原爆詩の翻訳にもとりかかった。郡山さんが訳した中に、被爆詩人として知られる故・栗原貞子さんの作品がある。「一度目は あやまちでも/二度目は 裏切りだ/死者たちへの/誓いを忘れまい」
最後の2行は
「 We"ll not forget / the promise we`ve made to the dead. 」
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井上ひさし 著
子どもにつたえる
日本国憲法」
二十世紀の中ごろ、大きな戦争で嘆き悲しみ傷ついた世界中の人たちが、
血と涙のまじった溜息をついた。
この溜息が固まって一個の宝石が生まれた。
これが日本国憲法だった。
この宝石の輝きを二十一世紀に大人になる子どもたちにどうにかしてつたえたい。
この一冊はこのための試みの一つです。
井上ひさし
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080506
本日は久しぶりの快晴だ。
今年最初の五月晴れか。
昨日は端午の節句で、菖蒲湯に入った。ゴールデンウイークの終わり。私も早くに仕事を繰り上げ帰宅した。女房は早い帰宅に驚いていた。会社を出る時、専務が今日は八百屋さんに寄って菖蒲を買わなくちゃ、と言って帰っていった。我が家の家人はきっちりされた御仁だから、ぬかりなく菖蒲湯の用意はしていてくれた。
ビールを飲み、焼酎を飲み、熱燗を飲んで、十分酔ったので寝ようとしたら、女房が「今日は、菖蒲湯ですからね」と風呂をすすめてくれた。酔っ払って風呂に入るのは危険だから湯に入るのを止めて、2階の寝室に向かった。
子供は4人いるが、2人は我が家を出て家庭をもっている。同居している長男の方は、彼女と私の生家を訪ねているらしい。私には、まだ内緒にしておきたいようだ。もう一人の三女は仕事に行っている。
子供は我が家にはもういない。
寝室に向かう階段の途中で、何を思ったか、ここの主(あるじ)は口走った。
「我が家には子供はいないのだから、君と子供の頃に戻って、一緒に入るか?」
妻は聞き取れなかったようで、反応がなかった。私は酔っていたので発声中枢がやられていたようです。きちんと発音できていなかったようだ。それとも、最初から聞き取られないように用心して、喋ったのかもしれない。恥ずかしいセリフですから。
聞こえなくってよかった。
何事もなくてよかった。
安心して、寝よう。
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080506
中国の国家主席である胡錦濤(フーチンタオ)(こきんとう)が来日中です。
6日夜、日比谷公園の松本楼で福田首相らと会食をした。日中国交回復を成し遂げたときの首相だった田中角栄の娘、娘と言ってもりっぱな国会議員だが、田中真紀子さんも招待を受けて臨席した。
主席は田中真紀子さんに、亡き父にかっての労をねぎらった。真紀子さんも今後の日中の平和的な付き合いが進展することを願っている、と答えた。
そこで、主席は「中国では、水を飲んだときに井戸を掘った人のことは忘れません」という諺(ことわざ)があるのです、と言われたそうだ。
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米マイクロソフトのびつ・ゲイツ会長が、080507、朝日新聞のインタービューに答えた。情報技術(IT)社会の「予見者」は、今後10年で主に三つの変化が起こる、としてきする。
第一は、「どこでもハイビジョン体験」だという。現在のハイビジョンの液晶やプラズマディスプレーだけでなく、プロジェクターの発達でどんな壁にもハイビジョン映像を映しだせるようになると」同氏はみる。立体映像技術も進展し、ネット上でお店の中を歩き回ったり、ネット上でさまざまな人たちに立体画像で会ったりすることも可能になるという。
第二は、「パソコンなどのIT機器のより自然な使い方が可能になる」点だ。現在は、パソコンを使うにはキーボードやマウスを使いこなさないといけないが、今後、画面にタッチしたり、言葉や、身振り手振りで操作したりする動きが大きく広がるとみる。
第三は、カメラ、ビデオカーオーディオ、携帯電話など様々な機器が、「相互に簡単につながるようになる」ことだという。
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産卵の浜支えた熱意 (中村明子)
「初めてウミガメの産卵に出くわしたとき、命の誕生する神秘さがカッと胸にきました」宮崎野生動物研究会会長の竹下完(ひろし)さん(74)は、約30年前をこう振り返る。宮崎県日向灘海岸で、産卵のためにやってくるアカウミガメの調査・保護活動を30年以上続ける同会は、日本のウミガメ保護運動の草分け的存在だ。先月、「明日への環境賞」(朝日新聞社主催)を受賞した。
会の発足当時、砂浜に産みつけられた卵の85%は盗掘」されていた。さまざまな対策を試み、10年後には被害はほぼゼロに。
夜の砂浜を見回っていたら、海岸で寝泊りしている若者に誤解され、「何しているんだ。ここはカメを大事にするところだ」と言われたこともあった。「ものすごくうれしかった。それだけ宮崎の人に伝わっているのかな、と」
熱意と喜びをもって続けること。人間の営みで損なわれた自然の再生に取り組む全国の人々に、竹下さんのメッセージを伝えたい。
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ワタヤ社長 渡辺美樹さん母は長く腎臓を患い、人工透析を受けていた。亡くなった当時は36歳。
ある日曜の午後、父に公園に連れ出された。父はベンチに座らせて言った。「本当ならお前は生まれてこなかったかもしれないんだ」
最初の子は女の子、渡辺さんは父母が授かった2人目の子だった。妊娠4ヶ月、医師は父に「体力的に出産は厳しい。奥さんを説得してください」と迫った。しかし、母は首を横に振った。
「せっかく授かった命よ。命が縮んでも、あなたが欲しがっていた男の子を生みます」「また女の子だったら?」「3人目のとき頑張ります」
息子の目を見て、父は語気を強めた。「お前がいつまでもめそめそしていたら、お母さんの立つ瀬がないだろう」
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戦争の放棄をうたう憲法9条に、世界で平和運動に取り組む人たちがエールを送っている。千葉市の幕張メッセで6日まで開かれた初の「9条世界会議」は
約2万2千人が訪れた。なぜ、9条なのか。海外から来たゲストは「支持するのは、あなたたちだけではない」と日本の参加者を勇気付けた。
「9条を広めるために来た。日本はひとりぼっちではない。世界から支持されているのです」
「軍は国民を守ると教えられたが、そうではなかった。非暴力こそ人々を守る最善の方法だ」
「9条は国際的な問題だ。同じ道を歩いていこうと決意した」
「もし日本が9条を放棄すれば、周辺に悪いシグナルを送ることになる」
「アジアのなかの9条」
「9条は日本だけのものではない」