2008年10月17日金曜日

世界同時、経済不況

最近のアメリカ経済の狼狽、困惑、苦痛ぶりが短い文章でまとめられている記事を転載させていただいた。世界経済が同時にこれほどまでになった情況は、私にとっても初めての経験だ。後日のために、何かのためになるのではと思いついたので、この記事を転載させていただいた。転載にモタモタしているうちに、世界経済の実態はますます、すさまじく転落しつつある。その動乱振りを後ろの方に書き足した。

その後の世界経済の動きを書き加えています。

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(081010)

朝日朝刊・経済

経済気象台

ウォール街の徒労と絶望

(山人)

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9月下旬から10月初旬まで、金融危機に揺れるニューヨークとワシントンに滞在した。ちょうど、経済不振に陥っていた金融機関の接収・譲渡、7千億ドルの政府資金導入を含む金融救済法の当初案の否決、株価の暴落、金融市場の機能まひなど、米国の金融システムが大きく変転している時期だった。

エコノミストや当局関係者の多くが、徒労感を強くにじませていた。金融機関の脆弱性に対する相互不信の高まり、連銀の大量の流動性供給にもかかわらずしつこく残る信用収縮圧力、公的資金投入に対する国民の強い批判など、さまざまな手立てを迅速に講じてきたにもかかわらず、期待したような事態の改善がみられないことに対する疲労感、不安感を、彼等との議論の中で強く感じた。

しかし、バブル崩壊後の日本の金融危機を経験した人間からみると、米国人の感覚はまだ甘い。

皆の目が金融市場に釘付けにされている間も、経済は着実に悪化している。住宅市場の縮小、住宅価額の下落は続いており、下げ止まるとしても、それはまだ先の話だ。雇用者数は9ヶ月連続で減少し、個人消費も冷え込みが顕著だ。家計の過大債務の削減が加速すれば、米国経済はさらに悪化するだろう。頼みの輸出にも、世界経済減速の影響が及びつつある。

そこに信用収縮の悪影響が加われば、経済はさらに悪化するだろう。そして、景気後退は新たな不良債権を生み、金融システムは一段と脆弱化してゆく。つまり10年前の日本で起きたような金融危機と経済危機の悪循環が深まる可能性がある。

米国経済の低迷は、深く長いものになるだろう。それは日本経済にとっても、停滞が予想以上に長引くことを意味する。

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*9月15日、米証券大手リーマン・ブラザーズ倒産。

*15日、メリルリンチが米銀大手バンク・オブ・アメリカに身売り。

*経営難で米政府当局の管理下に入ったAIGはアリコを売却する方針を明らかにした。

*米証券1位のゴールドマン・サックスと同2位のモルガン・スタンレーが銀行に衣替え。

*米銀行大手6位ノワコビアと同7位のウェルズ・ファーゴは合併することで合意した。

*9日のニューヨーク株式市場は、ダウ工業株平均の終値が前日比678,91ドル安の8579,19ドルになり過去3番目の下げ幅を記録した。終値では03年6月末以来の9000ドル割れで、同年5月以来約5年6ヶ月ぶりの安値をつけた。

*10日、ニューヨーク株式市場は、ダウ工業株平均が、一時8000ドルを割った。

*世界の株式市場の時価総額は、9月からの1ヶ月余りで1400兆円が吹き飛んだことになる。

*東証に上場する不動産投資信託(リート)「ニューシティ・レジデンス投資法人」が9日、民事再生法の適用を東京地裁に申請した。

*10日、中堅生保の大和(やまと)生命が自力再建を断念して更生特例法の申請を東京地裁に申請した。

*10日午前の東京株式市場で日経平均株価が一時100円超暴落し、8000円割れ寸前に迫った。

*10日、ワシントンで開かれる主要七カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)で、世界的に動揺を続ける金融システムを安定化するには、公的資金による金融機関への資本注入が欠かせないとの認識で合意した。協調利下げ。

*アイスランドは財政が悪化して主要国内銀行を国有化、ロシアに約5400億円の支援を要請した。

*金融危機がスポーツ界にも大悪影響。ロンドン五輪選手村建設、F1、イングランド・サッカー界、米プロバスケットボール協会、米フットボールロー グ、米大リーグ

*政府与党は10日、地方銀行など地域金融機関に公的資金を予防的に資本注入する為の法律を検討し始めた。

*米国。金融機関への資本注入や住宅ローン資産の購入に使える最大7千億ドル(約70兆円)買取制度が本格的始動。

*公的資金の注入は、米国に始まって英、アイルランド、ドイツ。

*欧州連合(ユーロ圏)は、公的資金注入と、政府保証の付与を通じた銀行間取引市場の活性化対策を練る。

*英国、アイルランド、ドイツ、スペイン、ギリシャ、ニュージーランド・オーストラリアで銀行救済基金、個人預金全額保護。

*15日のニューヨーク株式市場では、ダウ工業株平均は一時、前日終値より391,39ドル安の8919,60ドルまで下げ、取引途中では2日ぶりに9000ドルを割り込んだ。

*16日、東証また暴落1089円台。日経平均の終値は、8458円45銭。

*08年度の上場企業倒産は16日までに23社に達した。戦後最多のペースで進んでいる。

*米自動車大手ゼネラル・モーターズの経営不安が表面化。

*16日、シンガポールとマレーシアの政府・中央銀行は国内のすべての預金を保護すると発表した。

*国際通貨基金は、金融危機で財政難に陥った中小国や新興国への緊急融資制度の貸付上限を撤廃した。

*アイスランドに国際通貨基金を中心にした約6千億円の緊急融資を受け入れた。

*スウェーデン政府は、約21兆円規模の国内金融安定化策を発表した。

*中国の7~9月の国内総生産・実質成長率は前年同期比9,0%だった。

*10月23日の東京外国為替市場の円相場は大幅続伸した。1ユーロ=123円 1ドル=96円

*23日の東京株式市場は、日経平均株価の下げ幅は一時600円台を超え、年初来安値を更新した。8000円台割れ寸前まできた。終値は8195円74銭。

*24日の東京株式市場の日経平均株価が、03年5月以来約5年5ヶ月ぶりに8000円台を割り込んだ。終値は7649円だった。

*24日のニューヨーク株式市場の終値は、03年4月以来の約5年半ぶりの安値をつけた。ダウ工業株平均の終値は8378,95ドル。前日比312,30ドル安だった。

*27日の東京株式市場は、世界的な景気減速と急激な円高による企業業績の悪化に対する懸念が高まり、日経平均株価は急落。03年4月末につけたバブル後最安値〈7607円〉を大幅に下回った。終値は7162円90銭。

*28日、東京株式市場の日経平均株価は、1982年10月以来、約26年ぶりに7000円台を割り込んだ。午後の取引では買い戻された。終値は、前日終値より459円02銭高の7621円92銭。

*31日、日本銀行は金融政策決定会合で政策金利の誘導目標(無担保コール翌日物)を現在の年0,5%から0,2%幅引き下げ、0,3%前後とすることを決めた。

 

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(081011)

朝日朝刊

株価暴落/不安の連鎖を断ち切れ

社説

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株価暴落の世界的な連鎖が止まらない。きのうの東京では日経平均株価が一時1000円以上も安くなり、バブル後の最安値7607円まであと500円ほどに迫った。7日間の取引で3000円以上も下落した。

主要国のなかでも、日本株の落ち込みが激しい。6年余りの景気回復を支えた日本経済の強みと、陰で温存された弱みが同時に売られている。

強みは輸出だった。しかし、一時1ドル=97円台に突入する円高と世界不況による業績悪化の予想で、自動車や電機など主力株が売り込まれた。

弱みは、証券市場が海外からの投資に頼りすぎていたことだ。欧米の投資家は金融危機を受け、海外での資金運用を縮小し引き揚げている。そのあおりを東京がもろに受けた。

株と同時に外資依存で膨張してきた不動産市場でも収縮が止まらず、上場されている不動産投資信託(Jリート)が初めて破綻した。さらに、このリートや米国のハイリスク金融商品での資産運用が多かった中堅生保の大和生命が破綻に追い込まれた。高利回りの保険で資金を集め、高リスクで運用する無理な経営が、金融危機に直撃された。

日本の金融機関は傷が浅いから大丈夫。日本は金融危機の経験者として、対応策を外国へ伝授する役だ。これまでそう思いがちだったが、足元から火が噴出した。不意を突かれた株式市場は不安感が頂点に達している。

政府・金融機関は、まず不安の連鎖と増幅に歯止めをかけるよう、全力をあげなければならない。

大和生命の破綻は特殊なケースではあるが、株安がさらに進めば、苦境に陥る金融機関がでるかもしれない。当局は金融機関の経営内容を、いまいちど総点検をしてほしい。

同時に、破綻に備えて安全網を整備し直さないといけない。中小金融機関へ公的資金を注入するための「金融機関強化法」は、今年3月に期限が切れ失効している。生保への公的支援制度も来春で切れる。

これらの復活・延長などを盛り込んだ対応策を、自民、民主両党が検討している。地方経済の不振もあって、経営が苦しくなってきた中小金融機関もある。取るべき対策を総まとめにして早急に実現させるべきだ。

主要七カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)が開かれる。金融機関に対する主要国首脳会議(G8サミット)の開催も検討されている。日本はサミットの議長国として国際協調を主導しなければならない。

また、日本の主要企業にも注文したい。たしかに世界不況は逆風だが、これまでの好況でため込んだ蓄積も各企業にはある。逆境のときこそ、それを次の成長のために使ってほしい。

2008年10月11日土曜日

金木犀

今の季節。朝の犬の散歩や、仕事で各地各所の住宅を見て歩くなかで、どこからともなく金木犀の香りがしてくる。甘い香りに、しばし、歩を止めてうっとりすることがあります。でも、この金木犀の香りが子供の頃は嫌だった。胸糞悪い気分になって、その場から急いで遠ざかったものです。化粧厚めの女性の臭いのように感じたり、爛(ただ)れた臭い、退廃した臭い、不健康で不衛生な臭い、だらしない臭いのように感じて嫌悪した。

匂い=良いにおい

臭い=悪いにおい

私が30歳の時、中古住宅を手に入れて、大工さんに増改築してもらうのに、庭の金木犀の大きな木をどうしても切らなくてはならなかったのです。大工さんや工務店の社長さんは、切るのはモッタイナイので、なんとか切らないで、希望のスペースを確保できないものかと、思案してくれたのですが、私は何の躊躇いもなく伐採抜根してもらった。最後の最後まで、大工さんは金木犀の木を切ることに抵抗した。私が30歳の時ですから、もう30年も前のことです。その時は、まだあの強い臭いが嫌いだった。

それから、30年経った。そんな私だったのに、どうしたことだろう。今は、金木犀の香りにうっとりするなんて。何がどのように変わったのでしょうか。

こんな話を友人たちに話すと、やっぱり私と同じように、子供の頃は嫌いだったが大人になるにしたがって、気づかないうちに好きになった、という人が意外と多いことが解った。

でも、春に咲く沈丁花(じんちょうげ)の臭いは未だに好きになれない。また、この花の臭いも、いつかは好きになるのでしょうか?

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キンモキセイ〈金木犀〉

ギンモクセイの変種、中国南部が原産で江戸時代に渡来した。秋になると小さいオレンジ色の花を無数に咲かせ、芳香を放つ。芳香はギンモクセイよりも強い。雌雄異株であるが、日本では雄株しか入っていないので結実しない。中国では丹桂と呼び、花を白ワインに漬けたり〈桂花陳酒〉、茶に混ぜ花茶にしたりする。(ウィキペディア)より

2008年10月10日金曜日

犯人はセラチア菌でした

我が社の分譲した住宅を買って頂いたお客さまから、水廻りりが赤くなるのは何でしょうか、という問い合わせを受けた。

早速、お客様のお家にお邪魔した。水道管から赤い水が出るということだったので、横浜市の水道局の維持課の職員にも立ち会っていただいた。維持課は、このお家までの水道管の経路や、敷設されている水道管の状態を管理するのが主たる業務らしい。我が社の担当者は、先ずは水道管に異常が発生したのかと思ったらしい。でも、簡単にその場でできる塩素濃度のチェックはしてくれたが、異常なしです、とのことでした。水道局の職員はこの赤いのは、きっと赤カビですよ、と言ったが、詳しい説明がなかった。それでは、その赤カビはどこからくるのか、水道水に含まれているのか、疑問を残した。

その「赤カビ」のことが、立ち会ってくれた母親から、住宅の購入者である息子さんに伝えられた。その際、お客様には不安が伴っていたからだろうか。報告を受けた息子さんは、誤解されたのか、疑問が増幅したのか、身体に及ぼす影響を心配されたのか、納得できないので水質検査をして貰いたいと要望された。そして、昨日(081009)、検査を行ってきたのです。検査結果は約1週間後に出るということでした。

私は赤くなっている部分を指先で擦(こす)った。そしたら、赤い部分は取れたので、これは何も深刻に悩むことはないと確信した。拭けばとれるなら、拭いて下さいと購入者にお願いすればいいのだ。でも、この正体はわからない。

昨日水道局からこられたのは、水質課の職員二人でした。お二人が声を揃えて仰るには、これは「赤カビで、セラチア菌です」と断定された。

以下は、ネット情報と横浜市水道局から教えていただいた内容をまとめたものです。

浴室のタイルや便器の内側などがピンク色になることがあります。この原因は、水道水ではなく、空気中に存在するセラチア菌がタイルなどの上で繁殖したためです。付着物は、市販の消毒用アルコール溶液で拭き取ると除去できる。ピンク色で、目に見える状態で存在しているときの状態のことを、バイオフィルムを形成しているというそうです。バイオフィルムとは、固い物の表面に細菌が層を成して堆積した微生物共同体のことです。流しのぬるぬるなどがその代表的なものです。

セラチア菌は普通土の中にいて、空気中に浮遊しているそうです。一般家庭の水廻りにはふつうに存在していて、特に新しい住宅には多いらしい。一般の健康な人には無害で、口に入っても病気などを引き起こすことはないが、輸血の時とか注射剤において血中に入り込まれると厄介なことになる。

セラチア菌はキリストの故事に因んで霊菌と呼ばれているのです。

2008年10月8日水曜日

田沢投手の勇気に、カンパイ!

朝一番(081008)の新聞記事に、唖然とした。その記事の内容は新聞記事をそのまま転載させていただいたので、確認してください。

その記事の内容に、瞬間ピーンときて、これは可笑しいぞと思いながら、批判的な記事や、批判的なコメントが、聞こえてこないのが、不思議だった。プロ野球を支えていくには興業が成り立たせなくてはならないのは、百も承知だ。古典的経営者のボスの横顔が浮かぶ。巨人、ナベツネとその申し子の滝鼻オーナーの真剣な表情が目に浮かぶ。日本の野球が興隆を極めて、そのお陰で新聞が沢山売れて、テレビの視聴率が上がって、広告収入が増えること、これが経営者の狙いだ。とりわけ、読売新聞は自前の球団巨人の戦果が、発刊数に露骨に影響する。球団経営にモロに影響をくらう。

今回は、ドラフトの目玉になりそうだった新日本石油の田沢純一投手が、ドラフトを拒否して海外のプロ球団と契約したいと宣言したことから、日本の球団は彼が先鞭となって、学校を終えて、社会人野球を経て日本のプロ野球を経験しないまま、海外でのプロ野球を目指そうとする者にケチをつけたのだ。プロに新しく入った優秀な人材を話題にして、自分勝手に、日本でこってり商材にしたっかたのだ。このようにして海外へ渡った選手が、海外でのプロ球団を退団した後に、日本でのプレーを目指しても、一定の期間は、契約することはできません、という規定だ。嫌がらせだ。一旦海外のプロ球団に入団しても、止むを得ない事情で帰国しなくてはならない場合だって発生しかねない。そんな時には、日本のプロ球団は雇ってあげませんよ、だって。数年たったら、雇ってあげますよ。なんじゃ? この根性が気に食わん。日本のプロ野球界は焦っているようだ。こんな焦りが今回の決定につながったようだが、私にはそこまでなりふり構わずヨウやるね、と思った。

スポーツはスポーツとして進化しない限り、興味が惹かない。アスリートは、自分の進化に全身全霊を賭けて、最善を尽くす。時間の経過も大きい問題だ。環境と機会も。進化していく姿に人は感動を受けるのだ。北京五輪の日本野球のダラシナサに、うんざりした人も多かっただろう。イチローや松坂、両松井、黒田、岩村、その他の大リーグで活躍している選手達のなんと!!格好のエエことよ。オジサンは、零細企業の経営者の端くれだ。我々の業界、経済の世界、何もかもが重苦しくて堪らん環境の中で、仕事の束の間、大リーグで頑張っている選手のことが話題になった時は、しばし爽やかな気分になる。挑戦したいという田沢を応援したい。オジサンは、仕事のうえで突破口を開けずに苦悩している。田沢には、夢が、若さが、才能が、勇気がある。ワールドカップFIFAをめざす岡田ジャパンの、アジア予選のこれからの戦いも、楽しみの一つだ。

チャレンジ、可能性を信じてどこまでも努力を続けようとするアスリートを応援したい。アスリートが目指そうとする世界が、今の日本のプロでなくて米大リーグなら、それも大いに結構ではないか。それを嫌がらせのようにする、あなたたちは何者ですか。野球を真に愛する者たちは、今回のプロ野球実行役員会の規約を決めたことに、誰も喜んではいない。役員さん、あなた達は偏狭ですぞ。

私はサッカーを愛しています。サッカーに育てられた者です。日本では、野球に遅れてプロ化したサッカーですが、中学生のことは知らないが、高校生でも海外でプロとして頑張っている選手がいるのです。そして、日本代表の歴代の監督は誰もが、日本選手が海外でのプロチームに所属してプレーすることを勧奨している。

現在の日本のプロ野球の球団関係者、とくに経営者さん、そろそろ、お目覚めが必要なのではないですか。

そして、今朝(081008)、やっぱり、朝日新聞が怒った。吼えた。その記事は昨日の記事の後に転載させていただいた。

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(081007)

朝日朝刊・スポーツ (ダイジェスト)

ドラフト拒み外国球団入り

帰国後2~3年 契約せず/NPB新規約

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プロ野球の実行役員会が6日あり、ドラフト指名を拒否して外国のプロ球団と契約した選手についての規約を決めた。外国球界でプレーした後日本でのプレーを希望した場合でも、高校出の選手は帰国後3年、大学出・社会人からの選手は2年、日本の球団は契約しないことにした。

今ドラフトでの1巡目指名が確実まがらメジャー希望を公表した新日本石油ENEOSの田沢純一投手にも、メジャー入りした場合には適用されるとしている。ドラフト指名に漏れて外国へ行った場合にはこの規約は適用されないが、田沢は事前に12球団に「指名しないで欲しい」と伝えているため、今回指名されずにメジャーに行っても、帰国した場合は2年間、日本のプロではプレーできなくなる。

田沢の一件を受けて、日本プロ野球組織(NPB)が「自衛策をとらざるを得ない」(巨人・清武代表)と有力選手の流出防止策を練っていた。

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(081008)

朝日朝刊・スポーツ

自由自在/「ケチなルール」

〈志方浩文〉

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「海外流出の抑止という意味だから、NPBはケチなルールを作ったとか書かないで欲しい」

プロ野球のドラフトを拒否して海外プロ球団へ行った選手への規約が作られた6日の実行委員会後に、ある球団幹部が話した。規則を作った側も、「ケチなルール」と自覚しているということだ。

海外へ行ってから一定期間は契約しない、という規定なら理解できる。

今回のものは違う。日本に戻ってくる場合、海外球団を退団してから2~3年、契約しないということだ。それは、選手にとってプロではプレーできない空白の期間を作るといううことだ。メジャーで一旗揚げて最後は日本球界での輝きを目指す選手を拒絶することにつながる。

しかも、田沢がメジャー希望を表明してから話し合いを始めて作った規定なのに、田沢にも適用するという。これでは「後だしジャンケン」だ。

今後も、メジャー志望の有望選手は後を絶たないだろう。日本球界が考えるべきは、「向こうに行かせない」ことではなく、そういう選手にいつ日本で活躍して貰うか、ではないか。

今年のドラフトで入る大学・社会人選手は、フリーエージェント(FA)権を取得するのに国内移籍なら7年なのに海外なら9年かかる。22歳の選手なら最短で31歳だ。

「それなら直接メジャーへ」と考えても仕方がない。これが、5,6年で行けるとなれば、日本のプロに入ろうとする選手も増えるだろう。

国外FAの年数を短縮するには、大リーグ球団から今はもらっていないFAに伴う移籍金を取ることも必要だ。そういう交渉を、加藤コミッショナーに託すのはどうだろう。

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田沢「渡米の決意揺るぐな」

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日本プロ野球組織(NPB)がドラフトを拒否して海外のプロ球団と契約したアマチュア選手に対し、海外球団を退団後、日本のプロ入りに一定の凍結期間を設けたことに関し、大リーグへの挑戦を表明している社会人野球・新日本石油ENEOSの田沢純一投手は7日、「決意が揺らぐことはない」と改めて渡米の意志を示した。

田沢は、「内容を詳しく知っているわけではないが、まずアメリカ。日本に帰ってくるまで考えていない」と話した。ただ、「後に続く人に対し、申し訳ないという気持ちはある」と複雑な心境を明らかにした。大久保監督は「早い段階で渡米の意思を公表したのは、ドラフト指名を検討する日本のプロに迷惑をかけないためだったのに、突然ルールを決められるなんて」とプロ側の対応に疑問を呈した。

2008年10月6日月曜日

新聞拾い読み5話

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roger

(080922)

朝日朝刊

その①宮沢賢治賞を受賞した作家・東工大世界文明センター長

ロジャー・パルバースさん(64)

文・写真/大野拓司

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宮沢賢治の名作「雨ニモマケズ」を英語にどう訳するか。すでに出ている英訳本は、どれも「負けず」を否定形に訳している。ところが、この人は「Strong in the rain」と初めて肯定語で表現した。

「賢治は『負けず』に、頑健な肉体と精神への願いと祈りを込めた。それを際立たせたかった」

賢治作品の英訳や、独自分析を加えた日英対訳を多数出版。賢治没後75年の22日、ふるさと岩手県花巻市から第18回宮沢賢治賞を贈られる。

「さらさら、ぽしゃぽしゃ、おろおろ、感性豊かな擬声語や光と風の鋭い描写。動植物も人も星も石ころも、宇宙の存在すべてに温かいまなざしを注いだ賢治のコスモポリタンな寓話ワールドに魅せられた」

米国出身、ハーバード大大学院で政治学を学び、東欧に留学したがスパイと間違われ国外追放。恋にも破れて帰国するとベトナム戦争のさなか。「徴兵なんてまっぴら」と逃避した先が、たまたま日本だった。23歳。最初の晩に立ち寄った東京下町の屋台で初めて覚えた言葉が、ちくわ、こんにゃく、。「注文の多い料理店」ではなかったらしい。

大学で英語を教えながら、独学で日本語を習得。小説や戯曲、翻訳、舞台演出など、活動の幅を広げてきた。32年前に国籍をオーストラリアに移し、以来、日豪を行き来する。

「銀河鉄道に乗って、どこまでも旅を続けたい。「ソウイウモノニ ワタシハナリタイ」

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(0809??)

朝日朝刊(ダイジェスト)

その②ポリティカにっぽん/東京政治から逃げておいで

早野透(本社コラムニスト)

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私は鳥取県で開いた「スローライフ学会フォーラム」にでかけた。鳥取市と周辺の町に会場が分かれた催しの一つ、鳥取県智頭(ちづ)町のシンポジウムを聞く。ここで寺谷誠一郎64歳という異色の町長に出会った。鳥取市との合併に反対して2期の途中で辞職、町長の座を譲り、また今年6月、住民の署名運動で担ぎ出され、返り咲きの3期目というヘンな経験の持ち主である。その話し。

「みどりの風が吹く、疎開の町をめざして」というのが町のスローガンです。町の93%は森、50年杉を伐っても大根1本の値段ですよ。でもね、こんど森を生かして町立病院で「森林セラピー」を始めたい。都会で病んだ人に疎開に来て貰って、野菜をつくったり、森の空気で癒したりしてもらうんですよ。

テーマは森。シンポのパネリスト西村早栄子さんの話。ここにきて2年3ヶ月、「森のほいくえん」をつくりたいと思っているんです。ドイツにはもう400もあるんですよ。園舎はない、こどもたちは雨でも雪でも森で過ごすんです。元気でたくましくなる。いまは、森のお散歩会をしているんですけど、10人、15人ででかけてお弁当を食べて、絵本の読み聞かせをすると、子供たちの目がきらきらする。

緑陰読書のリーダー岸本真澄さん、13戸の集落の農産物加工「知恵工房」で栃ようかんをつくる谷口貴美恵さん。パネリストは人口8千の町で、いきいきと生きるすてきな女性たち。

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unagi

(080923)

朝日朝刊

その③ウナギの故郷、親もいた。

マリアナ諸島の産卵域で捕獲/卵からの養殖へ期待

山本智之

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「ニホンウナギ」の親魚が太平洋マリアナ諸島沖の産卵海域の深海で、初めて捕獲された。水産庁と水産総合研究センターが22日、発表した。この海域ではこれまで誕生直後の幼生しか見つかっていなかった。謎に包まれたウナギの回遊ルートや産卵条件の解明につながると期待される。

ニホンウナギは日本、韓国、中国などに住む。成長すると産卵のため川を下り、海に入る。どこで産卵するのかが長年の謎だったが、東京大海洋研究所の塚本勝巳教授らが05年、同諸島沖のスルガ海山周辺で幼生を見つけ、ここが産卵海域だと突き止めた。しかし、親ウナギが捕まらず、どのくらいの深さで産卵するのかなど詳しい生態はまだわかっていない。

水産庁などのチームは今回、スルガ海山を含む広い海域でトロール網を引き、6、8月に親ウナギ計4匹を捕まえた。捕獲した深さは200~350メートルだった。親ウナギの捕獲は、産卵場所を詳しく知る重要な手がかりになる。

現在のウナギ養殖は、沿岸でとった天然の稚魚(シラスウナギ)を育てて出荷している。近年、稚魚が激減しているため、卵から育てる養殖法の開発への期待が高いが、幼生を稚魚に育てるのが技術的に難しく、普及していない。

東京大海洋研究所の青山潤・特任准教授によると、ウナギは世界に18種・亜種いるが、産卵海域で親魚が捕獲されたのは初めてで、「捕獲場所の水深や水温などは、卵から育てる養殖法を実用化する上で貴重なデータになる」という。

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kiyihara

(081002)

朝日朝刊

その④清原23年、花も涙も

万感の花道に桑田、イチローら/岸和田のヤンチャから、オッサンへ〈ヤマオカ〉

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プロ野球オッリックスの清原和博内野手(41)が1日、23年の現役生活にピリオドを打った。京セラドーム大阪でのソフトバンク戦に、4番・指名打者としてで先発出場。左ひざの手術などで先発は約2年ぶりだった。第3打席に右中間に適時二塁打を放つなど4打数1安打1打点、最後の打席は豪快な空振り三振だった。引退後は未定だという。

試合前、ソフトバンクの王貞治監督(68)から花束を受取った清原の目は、すでに潤んでいた。不思議な縁だ。85年秋。PL学園高(大阪)の清原は、王監督の巨人へ入ることを願った。しかし、巨人がドラフトで指名したのは、この日も姿を見せた同級生の桑田真澄さん(40)。若い頃のわだかまりは、時が解決。そして、同じシ-ズンで2人はユニホームを脱ぐ。

試合後の引退セレモニー。マウンド上の清原に、阪神の金本知憲外野手(40)らから花束が贈られた。巨人移籍後に清原のテーマ曲ともなった歌手の長渕剛さん(52)が作詞・作曲した「とんぼ」を、長渕さん自身が熱唱。満員の観客も一体となった大合唱を、清原はタオルで何度も涙をぬぐいながら聴き入った。

「清原和博のために、そしてオリックスのために来てくださって、本当にありがとうございます」と始まったあいさつ。11年間在籍した西武、9年間在籍した巨人のファンへの感謝の言葉が続く。感極まったのか、しばらく間が空き、「花道を作ってやる」とオリックスに誘ってくれ3年前に他界した故仰木彬元監督やわざわざ駆けつけたマリナーズ・イチロー外野手(34)へのお礼の言葉を語った。

「オリックスのユニホームを着たことを誇りに思い、きょう、引退させていただきます。全国のプロ野球ファンの皆さん、23年間、応援どうもありがとうございました」。場内を一周しファンに別れを告げた。最後は胴上げされ、5度、宙を舞った。

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まれな個性だった

二宮清純さんの話

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挫折と栄光の双方に彩られた、人間臭さ満点の「民衆のヒーロー」だった。これほど起伏ある野球人生を歩んだ選手は少ない。甲子園の大スターとしてプロ入りしたときは、長嶋・王のように正統的ヒーロー像を最後まで貫くと思われた。新人王に輝き、西武の黄金時代の主軸を担った。

ところが、FA移籍した巨人で結果を出せない。「俺は殺人でも起したんか」とぼやいたことがある。そして今の姿に変わる。無精ひげ、日焼け、ピアス。感情の起伏が素直に格好に出て、打席でも若い投手をにらみつける。好青年からこわもてアウトローへ。両極端のシンボルになった、極めてまれな個性だった。

95年に渡米した野茂にイチローが続き巨人を頂点とする野球選手の王道路線は崩れた。それでも清原は巨人にあこがれ、「花の都で一旗揚げたい」と言った。最後の古典的ヒーローだ。これらが幅広い層から支持された理由だろう。

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(081003)

朝日朝刊

俺は、岸和田のダンジリ野郎や(やまおか)

天声人語

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長渕剛さんの名曲「とんぼ」は都会への憧れと挫折を歌う。〈死にたいくらいにあこがれた東京のバカヤローが/知らん顔して黙ったまま突っ立っている〉。花の都に寄せる片思いは多くは裏切られ、意のままにならぬことばかり。でも無様に、無骨に生きてゆく。

長渕さんと、スタンドを埋めた3万人の大合唱に送られ、オリックスの清原和博選手が引退した。華あり、涙あり。23年の現役生活を、「東京のバカヤロー」ではなく、故郷大阪で終えた。

最終戦の相手、ソフトバンクの王監督がかけた言葉は「生まれ変わったら、同じチームでホームラン競争をしよう」。85年のドラフト。王さんが指揮する巨人軍の指名を信じて裏切られた男を、言葉で抱きしめた。同じシーズンにユニホームを脱ぐのも何かの縁だろう。

525本の本塁打を重ねながら「無冠」に終わった。最後の打席は、自身の歴代最多を更新する1955個目の三振。直球を投げ続けた杉内投手に頭を下げた。タイトルより大切なものがあると教える。美しい空振りだった。

「憧れの球団」に移ってからは故障に泣いた。投手がしつこく内角をえぐると、仁王立ちでにらみ返した。だが、そうした人間味や勇気に引かれるファンもまた多かった。インタビューの請け応えにも、飾らない人柄がにじんでいた。

日本のプロ野球は、大リーグへの人材流出で危機にある。清原選手のヒーロー伝説、あるいは反骨の物語を、ここで終わらせるのは惜しい気がする。どうにもならない不運を力にする生き方の、続きを見てみたい。

 

清原は、最後のボールを空振して終わった。その最後のボールを杉内投手に贈ったと聞く。清原の一面を見せられた。

テレビのある番組で、清原のヒザの手術の内容を見て、これは、現役復帰が難しいと直感した。最後の試合の第3打席目で放った二塁打も走るのが精一杯で、やっとのことで二塁ベースにたどり着いたように見えた。あんなヒザで、よく走ったものだ。

5度宙に舞った胴上げも、着地したときに見せた顔の表情は、安らぎの表情でも、歓喜の表情でもなかった。ただ痛みに耐えているだけだった。ヒザの痛みに耐える表情が、私には余りにも痛々しく感じられて、辛かった。

清原のファンでもなかったのに、ここにきて、遅ればせながらのファンの仲間入り宣言をしました。

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その後も清原の記事は続く

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(081009)

朝日朝刊・スポーツ

EYE 祭りのさなか 去った男

編集委員・西村欣也

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この寂寥感は何なのだろう、と思う。セ・リーグの優勝争いが大詰めを迎え、巨人と阪神の優勝争いは最高潮だ。祭りの中で、時代が過ぎていくのを感じている。

清原和博が引退した。彼は、プロ野球の何かを象徴していた。それは昭和の香りではなかったか。村山実が長嶋茂雄をライバルとし、江夏豊は王貞治を宿敵とした。江川卓と掛布雅之の直球だけの勝負も記憶から消えることはない。

清原はその流れをくむ男だった。野茂英雄や伊良部秀輝との勝負。桑田真澄との「Kk対決」。チームの勝敗だけでなく、個人と個人の勝負が観客を引き込んだ。

そんな男が球界から去る。王監督の退任とともに、時代の歯車が大きく動いた。

「無冠の帝王」だと呼ばれた。しかし、通算サヨナラ本塁打12本、サヨナラ安打20本はともにプロ野球記録だ。ファンの心のスクリーンに刻印を残した証明だ。

通算1955三振、196死球もプロ野球最多記録だ。たたえる記録ではないかもしれない。が、打席を投手との決闘の場に選んだ男の勲章でもあるだろう。

よく泣いた。巨人に指名されなかったあの日、87年、巨人を下して日本一になる時は、試合が終わる前から涙があふれた。引退試合では王監督に「来世、生まれ変わったら同じチームで本塁打競争しよう」と言われた。祭りが最高潮であるほど、寂しさがつのっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

eye

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2008年10月4日土曜日

「ええ、意味はありません」

kagawa

(081001)

朝日朝刊

俳優・香川照之

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この俳優さん、香川照之の演技は、映画「ゆれる」で知った。私のこのブログでも、この映画を観た感想を書いたことがある。女性監督の繊細な感性を、俳優として微妙な演技でこなしていた。監督さんの思いには充分応えていたように感じた。

心が微妙に揺れる、吊り橋が文字通り揺れる、考えが静かにそれから激しく揺れる。揺れることの表現を、顔の表情、目、眉、頬、額、アゴ、特に真正面を向ける表情に、後姿の演技に魅入った。

私の心も揺れた。映画を観終わって、駐車場に向かっているときに、映画通の三女から、いい映画だったね、と言われて、私は我に戻った。それまで、アイツ、香川という奴にウツツを抜かされていたようだった。不思議な俳優だ、と頭の中はそのことで一杯だった。

その後、映画のよく知っている友人らにあの香川照之という俳優さんって、知ってる?と聞きまくった。それゃ、知っているよ、と言う人ばかりだったので、私は驚いた。彼の出生までも説明してくれた奴までいた。

そうして今回、香川氏が自分の出演した映画の紹介と、初期の頃影響を受けた黒澤清監督とのことを自ら筆をとった記事を見つけた。なんとまあ、よくもこんなに濃く、影響を受けた監督さんのことやら、自分が出演した映画のことを、述べられるもんだ、と感心した。記事を読んだ私まで、熱くなった。その文章を確保した。

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一九九七年の九月は、私にとって不思議な転換期となった。

「蛇(へび)の道」という小さな映画で、私は黒沢清という男が監督する映画への出演を受けた。黒澤明の親族だと勝手に思った外国人記者も当時何人かいたようだが、残念ながら何の縁故関係もない。

男は同年、「CURE」というホラー作品のヒットで一躍時の人になる。しかし当時の私は、俳優がある演技をする時に「意味」などを監督にいちいち尋ねて「俺は考えているぞ」的姿勢を過度に示す、若者の誰もが迷い込む落とし穴に深く陥っていて、脂がのり、映画の手法を知り尽くしていた黒沢清にとってはひどく厄介な存在に映ったに違いない。

黒沢清はそんな私に実に具体的に指示を出した。いや、出さざるを得なかったと言った方が妥当だろう。

「ええと、ここで三秒経ったらあのドアまで歩いて、そこでしばらくじっとして下さい。で、おもむろにですね、こちらに歩いてきて下さいますか。あ、こっちに来る意味は全然ありません」

この、「意味は全然ない」という言葉を、そのとき私は何度聞いたことか。俳優の動きは「意味」を伴って初めて存在すると信じていたささやかな私の孤塁を、男はものの見事に破壊した。私は言葉を失った。

しかし、である。一つの意味を理屈で懇々と説明されるよりも、「意味はない」と先手を打って言われた方が、俳優という生き物は、非常事態発生とばかりに自分自身の中に自らの行動原理のようなものを急いで探し出し、理屈では到達し得ない直感的動きに瞬時にシフトする場合があることに次第に私は気づき出した。目から鱗(うろこ)だった。私は、今度こそ本当に言葉を失った。

この作品以来、私は、事前に計算した「意味」を、あるいは計算そのものを演技の中に求めることを辞める決心をした。少なくともそう努めようとした。それが、私が黒沢清から貰った宝だ。

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あれから十一年が経つ。私はその間、どうしても黒沢監督に恩返しがしたいと思っていた。この十一年で私が培(つちか)ったものがあるとすれば、すなわち俳優として、下らない「意味」を頭から少しでも追い出した自分を確立し得ていたならば、それを黒沢に不断に示し、広げ、その雄姿をぜひ確認してもらいたいと思っていた。

九月二十七日に封切られた「トウキョウソナタ」という映画は、そんな私が、実に十一年ぶりに黒沢清の演出を受けた作品である。

ああ、この十一年を私はどれだけ待ったことか。現場の私はまるで子供だった。黒沢清という先生に、自分の全てを見ていて欲しいと願う幼稚園児のようだった。感情が、直感が、無意識に横溢した。

「トウキョウソナタ」は、ホラーの名手としてその後揺ぎ無い地位を築いた黒沢清が、初めて普通の家族の物語を描いた意欲作品だ。

黒沢清は、これまでもそのホラー作品の中に、日本の社会性や政治性を陰画(ネガ)のようにひたひたと染み込ませてきた。今回、より分かりやすい「家族」というテーマに、東京の、日本の、いや世界の抱える社会問題を強烈なメッセージとして織り込んだ「トウキョウソナタ」は、その意味では、これまでの黒沢作品の集大成とも言えるだろう。

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果たして、私は黒沢清に恩返しが出来たのだろうか?

十一年を経ても男の「ええ、意味はありません」は健在だった。それを聞いて、私の心は嬉しさのあまり千里の丘を駆け抜けた。今作で家族の父親を演じた私がラストシーンで溢れさせるある感情は、黒沢清という男がこれまで作品の中で貫いてきた映画人としての姿勢に私が心から捧げたオマージュである。あるいはこの男と出会い、再会し、今の私がある十一年という歳月に対する全霊の感謝である。一人でも多くの人に、それを見届けて頂ければ幸いである。

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余談ですが

先日、日曜日の朝、香川照之、本木雅広、小泉今日子さんの三人が対談している番組を観た。そこでの一場面のことだった。俳優さんは、自分の演技に自分流の工夫をこらすことに努力を惜しまない。その努力は、各人個性的なようだ。香川氏は自分の演技についてのこだわりを、ひと通り話し終えた後で、無名塾の仲代達矢さんのことを話したのが面白かったので、ここに追記した。

30人ほどが真っ裸での入浴シーンだった。身につけているのは一本のタオルだけ。陰部?を隠す人もいれば頭に巻きつけて下半身は丸出しの人もいた。演技の最中で、仲代氏が演技論か、何かを話し出したそうだ。ここは、こうなって、あれは、ああなって、と話すこと20分。当の仲代氏は話に夢中になって、自分の下半身が晒(さら)されていることに全然意に介することなく、講釈は続いたそうです。その間、カメラは仲代氏のチンチンを撮り続けていた。演技にこだわる香川氏も、このチン大将には参った、と話していた。香川氏は面白可笑しく話されていたのだが、私の表現ではその面白さが半減したかな。やはり、無名塾を主宰してこられ人だけあって、仲代氏もスゴイ人のようだ。今後も活躍の場を大いに拡げていただきたい。

2008年10月2日木曜日

河野氏と小泉氏

(080929)

朝日朝刊

hata-koizumi

風考計=河野氏と小泉氏

幕を引く「異端児」の因縁

若宮啓文(本社コラムニスト)

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今年8月15日、東京の日本武道館。天皇ご夫妻も出席した全国戦没者追悼式で、河野洋平衆院議長が「追悼の辞」に思い切った中身を盛り込んだ。

「特定の宗教によらない、全ての人が思いを一にして追悼できる追悼施設の設置について、真剣に検討を進めること」を政府に求めたのだ。つまりは靖国神社とは別の追悼施設をつくろう、という意味である。

例年、追悼の辞には思い入れをを込めてきた河野氏だ。少なからぬ人が共感する案だとはいえ、真っ向から反対する人も会場に多いことは百も承知だろうに、ここまで言うとはーーー。議長として最後の機会になると思えばこそと想像はできたが、それにとどまらぬ思いもあったのか。今度の総選挙には立候補しないと明かにしたのは、ひと月後のことだった。

同じ終戦記念日の朝、小泉純一郎氏はモーニング姿で靖国神社を参拝した。首相退陣を控えた2年前、念願だったこの日の参拝を果たした感慨がよみがえったに違いない。小泉氏も河野氏のあとを追うように引退表明に至る。

河野氏71歳。小泉氏66歳。いささか早すぎるふたりの退場は、時代の大きな区切りを思わせる。

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「自民党が時代的役割を果たし終えたとの認敷に立ち、新たな保守政治を創造する悲願を込めて、離党を決意した」

誰あろう、河野洋平氏が読み上げた32年前の声明である。39歳で自民党を飛び出し、新自由クラブを作った時のことだ。

ロッキード事件を機にこの新党が生まれのをドキドキしながら取材した若き日を思い出す。政界再編の走りだったからだが、まだまだ自民党の岩盤は厚く、もがき続けた河野氏は10年後に党を解散して自民党に戻った。

宮沢内閣を官房長官で支え、野党自民党の総裁になると、「自社さ」政権を作って社会党の村山首相をかかついだ。これがハト派の全盛期だったが、自身は首相になれずに終わった。

小泉氏が存在感を示したは、河野氏が党内力学から再選を断念した95年秋の総裁選だった。橋本龍太郎氏に完敗したが、やがて01年に3度目の挑戦を実らせる。旧来の自民党政治に切り込んで「自民党をぶっ壊す」と勇ましかったが、総裁選前に会ったとき、「負けた方が面白くなる」と党を飛び出す覚悟を語っていた。その度胸が勝利の決め手だった。

このとき、河野氏の離党からすでに四半世紀。政治も社会もすっかり変わっていた。小泉氏は5年半、党内の「抵抗勢力」を敵にして首相を続けることになる。

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同じ神奈川県選出で、どちらも「保守の異端児」だった。両氏を水と油の因縁に染めたのはイラクと靖国神社、そして憲法だった。

イラク戦争が迫っていた03年3月、小泉首相が歴代の総裁経験者を招いて「開戦支持」へ理解を求めたとき、河野氏は「憲法の精神」を強調して強く反対。やはり護憲派の宮沢喜一元首相が「はっきり言いましたなあ」と感心したほどだ。巡り合わせの妙か、その秋、河野氏は衆院議長になり、以来5年近くに及ぶ。

中国では反日デモが吹き荒れた後の05年6月、河野氏の呼びかけで5人の首相経験者が議長公邸に集まった。靖国参拝を控えるように意見をまとめて、河野氏が小泉氏に伝えたのだ。しかし、小泉氏はその秋も参拝を繰り返した。

同じ年、結党50年を迎えた自民党は憲法改正案をつくり、党是とされてきた「自主憲法の制定」を形に表す。自衛隊を「自衛軍」にする9条改正も盛り込んだ。

その10年前、結党40年を機に河野総裁の下でつくられた自民党の新宣言は「すでに定着している平和主義」をふまえ、党の改憲方針を棚上げしていた。これを覆してのことである。

小泉氏が日本人の高揚感を背景に人気を保ったとすれば、河野氏は日本人の節度を大事にしようとしてパワーが不足した。宮沢内閣で従軍慰安婦問題の「河野談話」を出し、村山内閣で戦後50年の「村山談話」を支えたが、これらを攻撃してきた安倍晋三氏が政権をとったころ「やっぱり自民党は右の政党だね。僕なんか、よく総裁になれたもんだ」と、ハト派の悲哀を漏らしたものだ。

一方、郵政総選挙の圧勝などであれだけ権勢を誇った小泉氏も、麻生新首相らが「小泉改革」の功より罪に光を当てるなか、悲哀を味わいながらの引き際である。麻生氏が長く河野氏を支えた側近だったのは皮肉な縁ではないか。

しかし、その麻生氏も河野氏の思想を引き継ぐ政治家ではない。外交路線では河野氏よりむしろ小泉氏や安倍氏に近いタカ派とされるのだから、この党は本当にわかりにくい。

麻生氏を首相に指名した衆院本会議で、議長の胸に去来したものは何だったか。自分が届かなかった座を、弟分がついに手にした。しかし、それは自分が理想とする首相像とは遠いーーー。

ひょっとすると、河野氏の引退へ背中を押したのは、この複雑な感慨だったのかも知れない。