2008年10月2日木曜日

河野氏と小泉氏

(080929)

朝日朝刊

hata-koizumi

風考計=河野氏と小泉氏

幕を引く「異端児」の因縁

若宮啓文(本社コラムニスト)

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今年8月15日、東京の日本武道館。天皇ご夫妻も出席した全国戦没者追悼式で、河野洋平衆院議長が「追悼の辞」に思い切った中身を盛り込んだ。

「特定の宗教によらない、全ての人が思いを一にして追悼できる追悼施設の設置について、真剣に検討を進めること」を政府に求めたのだ。つまりは靖国神社とは別の追悼施設をつくろう、という意味である。

例年、追悼の辞には思い入れをを込めてきた河野氏だ。少なからぬ人が共感する案だとはいえ、真っ向から反対する人も会場に多いことは百も承知だろうに、ここまで言うとはーーー。議長として最後の機会になると思えばこそと想像はできたが、それにとどまらぬ思いもあったのか。今度の総選挙には立候補しないと明かにしたのは、ひと月後のことだった。

同じ終戦記念日の朝、小泉純一郎氏はモーニング姿で靖国神社を参拝した。首相退陣を控えた2年前、念願だったこの日の参拝を果たした感慨がよみがえったに違いない。小泉氏も河野氏のあとを追うように引退表明に至る。

河野氏71歳。小泉氏66歳。いささか早すぎるふたりの退場は、時代の大きな区切りを思わせる。

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「自民党が時代的役割を果たし終えたとの認敷に立ち、新たな保守政治を創造する悲願を込めて、離党を決意した」

誰あろう、河野洋平氏が読み上げた32年前の声明である。39歳で自民党を飛び出し、新自由クラブを作った時のことだ。

ロッキード事件を機にこの新党が生まれのをドキドキしながら取材した若き日を思い出す。政界再編の走りだったからだが、まだまだ自民党の岩盤は厚く、もがき続けた河野氏は10年後に党を解散して自民党に戻った。

宮沢内閣を官房長官で支え、野党自民党の総裁になると、「自社さ」政権を作って社会党の村山首相をかかついだ。これがハト派の全盛期だったが、自身は首相になれずに終わった。

小泉氏が存在感を示したは、河野氏が党内力学から再選を断念した95年秋の総裁選だった。橋本龍太郎氏に完敗したが、やがて01年に3度目の挑戦を実らせる。旧来の自民党政治に切り込んで「自民党をぶっ壊す」と勇ましかったが、総裁選前に会ったとき、「負けた方が面白くなる」と党を飛び出す覚悟を語っていた。その度胸が勝利の決め手だった。

このとき、河野氏の離党からすでに四半世紀。政治も社会もすっかり変わっていた。小泉氏は5年半、党内の「抵抗勢力」を敵にして首相を続けることになる。

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同じ神奈川県選出で、どちらも「保守の異端児」だった。両氏を水と油の因縁に染めたのはイラクと靖国神社、そして憲法だった。

イラク戦争が迫っていた03年3月、小泉首相が歴代の総裁経験者を招いて「開戦支持」へ理解を求めたとき、河野氏は「憲法の精神」を強調して強く反対。やはり護憲派の宮沢喜一元首相が「はっきり言いましたなあ」と感心したほどだ。巡り合わせの妙か、その秋、河野氏は衆院議長になり、以来5年近くに及ぶ。

中国では反日デモが吹き荒れた後の05年6月、河野氏の呼びかけで5人の首相経験者が議長公邸に集まった。靖国参拝を控えるように意見をまとめて、河野氏が小泉氏に伝えたのだ。しかし、小泉氏はその秋も参拝を繰り返した。

同じ年、結党50年を迎えた自民党は憲法改正案をつくり、党是とされてきた「自主憲法の制定」を形に表す。自衛隊を「自衛軍」にする9条改正も盛り込んだ。

その10年前、結党40年を機に河野総裁の下でつくられた自民党の新宣言は「すでに定着している平和主義」をふまえ、党の改憲方針を棚上げしていた。これを覆してのことである。

小泉氏が日本人の高揚感を背景に人気を保ったとすれば、河野氏は日本人の節度を大事にしようとしてパワーが不足した。宮沢内閣で従軍慰安婦問題の「河野談話」を出し、村山内閣で戦後50年の「村山談話」を支えたが、これらを攻撃してきた安倍晋三氏が政権をとったころ「やっぱり自民党は右の政党だね。僕なんか、よく総裁になれたもんだ」と、ハト派の悲哀を漏らしたものだ。

一方、郵政総選挙の圧勝などであれだけ権勢を誇った小泉氏も、麻生新首相らが「小泉改革」の功より罪に光を当てるなか、悲哀を味わいながらの引き際である。麻生氏が長く河野氏を支えた側近だったのは皮肉な縁ではないか。

しかし、その麻生氏も河野氏の思想を引き継ぐ政治家ではない。外交路線では河野氏よりむしろ小泉氏や安倍氏に近いタカ派とされるのだから、この党は本当にわかりにくい。

麻生氏を首相に指名した衆院本会議で、議長の胸に去来したものは何だったか。自分が届かなかった座を、弟分がついに手にした。しかし、それは自分が理想とする首相像とは遠いーーー。

ひょっとすると、河野氏の引退へ背中を押したのは、この複雑な感慨だったのかも知れない。