2008年10月31日金曜日

まさか、この俺が救急車のお世話にーー

10月28日、朝からハードな打ち合わせを行った後、私は昼飯用のラーメンを作っていた時です。何かちょっとおかしな気分に襲われ、天井が回り出したのです。眩暈(めまい)が、始まったのです。この5~6年、軽い症状なのですが頻繁に眩暈に襲われてきた。今までは、しばらく、じっとしていれば、波が引くように正常に戻るので、余り気にはしていなかった。

ところが、今回は頭のどこかで激震がおこったようです。天井がクルクル回りだしたのです。ガス台のガス栓は何とか閉めた。そして壁の方に視線を向けたた時、壁の模様がグラグラ揺れて、抽象画のように見えた。立っていられなくなって、うずくまった。そのまま、床にゴロンと仰向けに転がった。嫌な予感がした。私が、かって友人が脳梗塞で倒れた時に立ち会った経験から、これは、お医者さんのお世話にならないといけないと思い、会社の仲間に即救急車の要請をお願いした。

天井に顔を向けて、横たわっていたのですが、怖くて目が開けられない。皆の声が鮮明に聞こえる。手足を動かしてみた、言葉を発してみた、意志通りに手足は動き、言葉も正確に喋れていたので、これは友人のように脳梗塞ではないぞ、と確信した。

保土ヶ谷消防署の救急車が10分も経たないうちに来てくれた。台所の狭い所から引っぱリ出され、移動するために体の位置を変えられるだけでも怖かった。担架に乗せられて2階から運び出された。ラーメンをオミさんに食ってもらってくれ、と言うのを忘れなかった。それほど意識はしっかりしていたのです。目は閉じているものの、私が建物の何処を運ばれいるのかは、よく解っていた。

救急車の中に収められ、隊員から質問を受けた。何をしていたのですか?「台所でインスタントラーメンを作っていました」。単純に麺とスープだけでは楽しくないので、タマネギとネギと人参と薩摩芋を細かく切って、一緒に煮ていた。そこで、家から持ってきた煮込んだカレーをその上にのせて温めていました。

手を右、左と動かしてみてください。次に、足を動かしてみてください。私は指示通りに、キッチリと応えられた。

眩暈は、どのような眩暈でしたか? 前の方で書いたようなことを返答しました。隊員にとって、この質問が重要だったようです。私が後で調べたことなのですが、眩暈の表れ方によって、どこが原因なのかが推測できるのです。もう一度繰り返しますが、私の今回の眩暈は、自分の体や、その周辺のものがあたかも回転しているかのような感覚になったものでした。嘔気はなかった。この場合は、三半規管の乱調によることが多くて、大抵は耳の障害によるものと、決めてかかってもいいそうです。この時の私の血圧は、上が180だった。私の通常時の血圧は、上が120、下が90なので、上が180というのは初体験だ。

ついでに調べたことを書かせてもらう。よろめくような、非回転性のふらつく感覚の場合は、大抵は中枢神経や高血圧によるものらしい。もう一つ、立ちくらみ、血の気が引き、気が遠くなるような感覚に陥る場合は、実際には失神するらしいのですが、これは、低血圧によるらしい。脳梗塞の場合は、嘔気があって嘔吐することが多い。また手足が自由に動かすことができなくなったり、言語をはっきり話せなくなることがある。

隊員は、搬送先の病院を探した。希望する病院はありますか、との質問に、任せますと強い意志を示した。隊員は私との問診というか質問のやり取りから、この患者は三半規管が原因ではないかと判断したようだ。自宅にも比較的近い聖隷横浜病院の耳鼻咽喉科に電話したが、生憎(あいにく)医師が空いていなかった。東戸塚記念病院の内科なら、オッケーなのですが、どうですかと聞かれ、任せますと答えた。

救急車に付き添いで乗ったことはあったが、まさか私が患者の身になって、搬送されるなんて、考えられなかった。でも、現実にベッドに括り付けられ、助けを求めていたのです。付き添いで乗った時に感じたたのは、献身的な救急隊員の働きぶりだった。時々刻々と血圧を測り、脈拍を測り、顔の表情をチェックしながら、患者を励まし、何かと気を配る。その時の患者は先に書いた私の長い付き合いの友人だった。重症だった。脳梗塞だった。隊員は、彼の手をしっかり握っていてくれた。公務員のなかでもこんなに頑張っていてくれる人がいるのだと、すごく嬉しく感じたことだった。

今、そんな救急隊員に私は体を預けているのだ。救急車は環状2号線を走って、東戸塚記念病院に着いた。担架から下ろされ、病院で用意してくれたベッドに移る際にも、体を移動することや、少し体の向きをかえることさえ、怖かった。

担当してくれた内科の医者は、私の症状や救急隊員からの報告で、緊急を要しない症状であることを私に告げて、時間が経てば治まりますが、検査はどうしましょ、と聞かれてCT検査や血液検査、思い当たる検査はしてくださいとお願いした。

血液検査のために採血してくれた看護婦さんから、どこのラーメン屋さんですか、と聞かれた。ええっ?。その時は何故、そんなことを聞かれたのか解らなかったのですが、看護婦さんは私が昼飯用のラーメンを作っている時に倒れたことを誰かから聞いて、私の職業をラーメン屋さんだと誤解したようだった。面白かった。

それらの検査を終えてベッドに寝かされた。付き添ってくれたミズイさんとオミさんには、大丈夫だから会社に戻ってください、と言ってから、私は2時間ほど熟睡をしたようだ。検査結果をもって医者が枕元に来てくれた時には、フラフラ感や、足を地面に下ろす怖さは、もうすっかりなくなっていた。医者は自分は内科なので、正確には診断できていないが、脳や血液等では異常は見られません、ということでした。

自分で血圧を測ったら、14:59で最高が144で最低が84、15:26で最高が130で最低が80だった。ゆっくり元の状態に戻っているようでした。

三女が迎えに来てくれた。早速、ビールを飲んで、焼酎の薄いのを飲んだ。健康が何よりも、ありがたい。犬の散歩の朝5時まで、9時間ほど熟睡した。

翌日の29日、会社に向かう車の中で、聖隷横浜病院の耳鼻咽喉科に寄ってみようと決心した。東戸塚記念病院の内科の医者は、予防と対策はない、と言った言葉が気に入らなかった。そんな筈はない、原因があって結果があるのだ。この病院は、会社までの道を少しだけ遠回りさえすればいいのです。たまたま、今日は水曜日で、営業のスタッフは休みだ。ならば、午前中、診断してもらおう。財布にはいつものようにお金が入ってないことに気がついて、都合よく自宅に顔を出していた次女に、お金を持って来てもらった。地獄も天国も金次第じゃ。

聴力は、小さい音までよく聴こえています、と太鼓判。円盤のようなものの上に足を揃えて立って体の揺れを測定する検査などを行った。1分間目を開けて測定して、もう1分間目を閉じて測定した。どちらも、揺れが異常だと言われた。来週は、MRIの検査だ。

会社の仲間に、それは「メニエール病」だと言う者がいる。このことについては、今度の診察の際に確かめなくなくてはならないと考えている。それと、初めて体験した最高血圧180のことだ。血圧が原因でこういう症状が発生したのか、起因するものは兎も角、その結果、血圧が上がったのか、どちらなのだろうか。そのこともよく聞かなくっちゃならんな。

会社に着いた。昨日の午後は夢のように過ぎた気がする。台所に近づきたくなかったが、コーヒーを作りに行くうちに慣れた。昼飯時になって、昨日皆(みんな)に心配かけたから、そのお礼に飯でもご馳走しましょうと言って、皆で揃って、大はしゃぎで会社の玄関を出た。そうしたら、どういうこっちゃ、頭がフラフラしだしたのです。これは昨日の最初に感じたグラグラに似ているではないか、どうしよう、頭を両手で挟んでしばらくじっとしていた。グラグラは引いたが、まだ風景はゆっくり揺れていた。怖くなった。静かに会社に戻って、自分の椅子に座った。

落ち着いてから、処方箋をもって調剤薬局に行って、薬をもらった。薬を飲んだら、体がシャキッとなった。この薬の効きめは、まさしく私の体のどこかが狂っている証左ではないか。

会社を取り巻く経済環境が大変な時期にある。息子の結婚式が迫ってきた。孫が、ドンドン大きくなって可愛くなってきた。

早く直さなくてはならん、と決意した。

後日、精密検査の結果、何も悪いところはありません、でした。三半規管の一時的な発作でしょう。疲れないようにすること、ストレスをかけないことですね。予防と対策はこれしかありません。薬が残っているでしょ、持ち歩いて、眩暈がしたら、それを使ってください。クソッ!!、お医者さんはいい加減なもんだ。

三半規管の私に対する反乱か?