2008年10月22日水曜日

林洋子シタール弾き語り、「雁の童子」

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先日、新聞のスクラップを整理していたら、賢治の童話をシタールの弾き語りで活躍されている林洋子さんの記事を見つけた。私には、宮沢賢治のことなら、なんでもファイルして貯めこむ性癖があるようです。読みもしないで、ただ、しまっておいたのです。そして1ヶ月前、初めて文章を読んだことになるのです。いったいシタールという楽器はどんなものだろうか、ネット情報で調べてみよう、とは思っていたのですが、なかなか本気で調べることはなかった。音大卒の友人に聞いても、インドの楽器かもね、ぐらいにしか教えてもらえなかった。

先日、瀬戸内寂聴さんの源氏物語の現代口語訳を、上原まりさんが筑前琵琶の音にのせて演じる弾き語りを、聴いた。誰が誰を好きになったり、誰が誰に嫌われたり、嫉妬に狂ったり、男女が織り成す恋愛の相は私にはチンプンカンプンだったのですが、調べにのった語りはなかなか、楽しかった。

その後のある日、宮沢賢治祭りのことをネットで読んでいたら、林洋子さんの賢治の童話の弾き語りの案内が、目に入った。長いことファイルされたまま机の中に眠っていて、少し前に整理して見つけた新聞記事の内容そのものだったのです。

10月19日に開催される。もうすぐだ。私の心は、さだ波から荒波に変わった。聴きに行きたいな、と思ったら、その日は日曜日だった。日曜日は、我が社では、私が一番忙しい曜日なのです。スタッフは皆出かけて、私は貴重な留守番なのです。偶然、当日は以前から大崎で大学時代の友人の娘さんの結婚披露宴の三次会に出てくれと言われていたのです。披露宴三次会は大崎で、林洋子さんの弾き語りは、目黒だった。これは二度とないチャンスとばかりに、三次会と宮沢賢治を無理矢理セットした。当日の朝、社員の皆にお願いして、午後は休みにしてくれ、とお願いした。この日は、宅建の試験日でもあったので、人のやり繰りで、皆に負担をかけることになった。

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朝日新聞

ひとり、賢治を語る

いつの記事かは不詳です

論説委員・川名紀美

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林洋子さん(77)は賢治の作品をシタールなどの楽器に乗せて語る出前公演をつづけている。京都の小さなお寺で初めて語りを聞いたのは20年も前だ。

3日、文化の日は林さんの喜寿の誕生日、お祝いを兼ねた1465回の公演に、250人が詰めかけた。

演目は「いちょうの実」と「雪渡り」。「いちょうの実」は母なるイチョウの大木から飛び立って行く千個の実。つまり千人の子供たちの物語である。いったい、どこへ運ばれるのか。子供たち一人ひとりの不安と期待をそれぞれの音色で語る。

林さんはマイクを使わない。生の声の力で賢治の世界へと運んでくれる。じっと耳を傾けていると、丘のイチョウの大木や、雪の原をキックキック、トントンとはねる子供たちの姿が見えてくる。

かっては舞台女優だった。水俣病に題材をとった芝居で、突然、演技ができなくなった。演じる意味を自問しながらインドの農村を歩き、出会った宗教的な大道芸が転身のきっかけになった。50歳のときだ。

政治の世界で「自立と共生」がおおはやりだが、賢治の童話に貫かれているのは本物の自立と共生だ。

「雪渡り」は人間の子供とキツネが信頼で結ばれるまでを描く。植物も動物もひとも、全ての命はみんなつながり、支えあっているのだと語りかけてくる。

そんな賢治の思想を手渡すのに大がかりな照明や音響は似合わない。ひとり演じるのが誠にふさわしい。

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そして、10月19日〈日)

開演・午後2時から

東京都庭園美術館新館ホール

シタール弾き語り・林洋子

雁の童子(かりのどうじ)

作・宮沢賢治

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宮沢賢治の童話と、林洋子さんとシタールが三位一体になった、ひとときだった。いくらもある賢治の童話のなかで、「雁の童子」には、楽器で音を添えるとしたら、他でもない、やっぱりシタールなんでしょうね。賢治の作品には、音や光の世界の無限の広がりがある。風の音や砂の流れる音、月や星の光、明るい太陽。そして雁、父、子供。林洋子さんの朗読が流れていく。シタールの調べが宇宙の彼方にうねりだし、また還(かえ)ってくる。広大な砂漠の、静かに砂の流れる音が、聞こえる。

公演の後、長野から来たと仰っていた男の人は、賢治の世界を文字だけで味わうのではなく、このような味わい方もあるのですね、と林さんに感謝されていた。確かにシタールの奏でる音は、果てしなく広がるシルクロードの世界には、ピッタリとは思ったが、弾き語りでなくても、私には十分だった。それにしても、シタールという楽器の音色は、不思議だった。体に染み入るように感じた。そして体を通して、遠い宇宙に消えていく。

最後に、童子が育ててくれたお父さんに投げかける言葉に、私はまたもや「銀河鉄道の夜」でも味わった三次元の世界から四次元の世界へと誘(いざな)われた不思議な感覚に陥った。人間の人間が、お父さんのお父さんが、私の私が、---そして愛の愛が、三次元の世界から四次元の世界に、思索と問答を伴って、渦(うず)となって私の心に沁みる。

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パンフレットより引用させていただきました。

「雁の童子」のストーリーは~

シルクロードの彼方。タクラマカン砂漠。流沙の南の泉で、一人の巡礼の老人が、小さな祠の由緒を語ります。

沙車の街に須利耶圭(すりやけい)という人が住んでいました。

ある朝、須利耶さまは、殺生を慰みとするいとこの方と野原を歩いていたところ、その方は空を飛ぶ雁の群れを鉄砲で撃ちます。

すると、弾丸の当たった6羽の雁は次つぎに人になって落ちてきたのです。

五人は天に戻りましたが、最後の一人、小さな子供だけは戻ることができませんでした。

その子が雁の童子でした。

須利耶さまは童子を引き取り、自分の子としてお育てになりました。

童子はとても賢い子でした。

そして、命の奥にある悲しみを感じとっているようでした。

歳月はめぐり、やがて須利耶さまと童子が別れる時がやってきましたーー。

ーーー私はお父さまとはなれて、どこへも行きたくありません ーーー

ーーー誰もね、ひとりで離れてどこへも行かないで、いいのでしょうかーーー。

林洋子さんと、「クラムボン」のことをネットで紹介されていたので、その文章をダイジェスト版にしてここに転載させていただいた。

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1980年、林洋子さんが50歳の時だった。宮沢賢治を一人語りで演じる会「クラムボン」は誕生した。

劇団俳優座から劇団三期会で数々のブレヒト劇に主演。その後フリーとなってからは水俣病の実態に触れ、石牟礼道子原作「苦海浄土」の巡礼公演を経、以来、林洋子は沈黙せざるを得ない年月を経験する。

73年に訪印、コルカタの民家に滞在。帰国後ベンガル語を学ぶ。78~79年インド再訪。ベンガルの農村を一人歩き宗教的大道芸バウルに出会い、表現の原点を発見する。

「芝居ができなくなった自分、約十年近く沈黙した自分の命が、開かれ、動き出すのをまざまざと自覚したインドでの生活」『(合い言葉はクラムボン)より』を経て、帰国した林は、ある雨の日、偶然見かけた母子の柔らかな素直な仕草にハッとする。

バスの中から見かけた、いわばどこにでもありそうな母子の手をつないで話をしている何気ない情景なのだが、まるで打たれたかのような瞬間だった。「あれは、命の仕草だ。生きているもの全てが、一つずつ持っている柔らかな命の仕草だ」『同』

「その時、ピカッと、賢治が私の中に飛び込んできた」『同』という。

「私は何者か。私の持ち場が俳優なら、本音でその持ち場につこう。命のために。命どうしが支えあうために、つながるためにー---」『同』

1994年、「幼児も涙してその世界に没入するほどの感動を人々に与えた」と宮沢賢治学会及び花巻市より第4回イーハトーブ賞受賞。

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 シタールは~

インドの代表的な弦楽器である。胴体は乾燥した巨大なカボチャだ。1メートルに及ぶネック(棹)に金属弦が二重に張ってある。下側に共鳴弦11本、上側に上弦7本。