2009年2月23日月曜日

村上春樹さん、ガザ攻撃批判

村上春樹氏がエルサレム賞を受賞した。この受賞した内容を下の方に朝日新聞の夕刊記事から転載させていただいた。

私には、何故エルサレムという都市が、「社会における個人の自由」に貢献した作家に贈る賞などを創設したのか不思議でならない。創設されたきっかけが、何だったのだろう。イスラエルに何か政策的意図や目論見があったのだろう。国家は勿論、個人も各人各様に濃淡はあれども、政治的なものからは逃げられない。イスラエルは今、戦争真っ盛りだ。「個人の自由」と「村上春樹作品」、これはいいとしても、殺戮は、究極の個人の自由の抹殺なのに、なんで、「個人の自由」とイスラエルの「エルサレム」なんだ。他人(ひと)は、こねくり回す私の方がおかしいとでも言うのだろう、か。

イスラム過激派のハマスのイスラエルへのロッケット弾攻撃に、正当防衛だといって、圧倒的に軍事力がまさるイスラエルが、ガザの街を破壊した。このパレスチナ自治区のガザ地区攻撃で、1300人の死者が出た。一般市民、子供や婦人が多かったと聞いている。こんな国の首都が創設した文学賞って、本当にアリか?そしてこの都市が、「社会における個人の自由」に貢献した作家に贈るって? この都市にこんな賞を創設したり、授賞する資格なんてあるの? あまりにも似つかわしくない。

授賞式における村上氏の「スピーチの内容が曖昧だった」と一部に報道されたようだ。

村上氏の作品では、読書中、私はいつも平易で親しみやすい文章に慣らされてきたな、と思いきや、突然、非現実な世界に誘い込まれ、私は不安のどん底に落とされ続けてきた。初期の作品では、内向的な作風で社会に無関心な青年を描いた物語が多かった。そして私もまた、読むたびに作中の人物と同じように精神的に不安な状態に陥るのです。このアイマイな不安さが、村上作品の真骨頂で、多くの村上ファンをとりこにしてきたのだと思う。最近では、オウムのサリン事件など社会問題を正面からとらえた作品も増えてきたようです、が私は少しご無沙汰している。

講演では、明解にイスラエルのガザ攻撃を批判したのに、16日付有力紙ハアレツは、講演を「詩的」と表現し、村上さんが「ガザで多くの無実の人が殺された」と述べた、と客観的に伝えた。講演では、自分のことを卵に例えて、自分は卵の側に立つ、と述べた。講演の一部(本当は全文読まなければならない)は下の新聞記事を読んでもらえれば、この卵の意味は理解して貰えるだろうが。本当に、村上さん、あなたは卵側ですか? 壁の上に立っているとは言わないけれど、私には、解らない。

ここで、エルサレムという都市の生い立ちのおさらいをしておきましょう。

今のエルサレムとは=1947年の国連総会でエルサレムを国際管理下に置く決議をしたが、翌年の1948年の第一次中東戦争でイスラエル領の西エルサレムとヨルダン支配下の東エルサレムに分割された。そして1967年の第三次中東戦争で東エルサレムを占領し併合した。そこでできた統一エルサレムを首都と規定した。これは、国際的には承認されていない。

村上氏は出席した理由について、「作家は自分の目で見たことしか信じない。私は非関与やだんまりを決め込むより、ここに来て、見て、語ることを選んだ」と述べた。

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20090216

朝日夕刊

エルサレム賞 授賞式

『個人は壊れやすい卵、私はその側に立つ』

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イスラエル最高の文学賞、エルサレム賞が15日、作家の村上春樹さん(60)に贈られた。エルサレムで開かれた授賞式の記念講演で、村上さんはイスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃に触れ、人間を壊れやすい卵に例えたうえで「私は卵の側に立つ」と述べ、軍事力に訴えるやり方を批判した。

ガザ攻撃では1300人以上が死亡し、大半が一般市民で、子供や女性も多かった。このため日本国内で市民団体などが「イスラエルの政策を擁護することになる」として賞の返上を求めた。

村上さんは、授賞式の出席について迷ったと述べ、エルサレムに来たのは「メッセージを伝えるためだ」と説明。体制を壁に、個人を卵に例えて、「高い壁に挟まれ、壁にぶつかって壊れる卵」を思い浮かべた時、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」と強調した。

また「壁は私たちを守ってくれると思われるが、私たちを殺し、また他人を冷淡に効率よく殺す理由にもなる」と述べた。イスラエルが進めるパレスチナとの分離壁の建設を意識した発言とみられる。

村上さんの「海辺のカフカ」「ノルウェイの森」など複数の作品はヘブライ語に翻訳され、イスラエルでもベストセラーになった。

エルサレム賞は03年に始まり、「社会における個人の自由」に貢献した文学者に隔年で贈られる。受賞者には、英国の哲学者バートランド・ラッセル、アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘス、チェコの作家ミラン・クンデラ各氏ら、著名な名前が並ぶ。欧米言語以外の作家の受賞は初めて。

ただ中東紛争のただ中にある国の文学賞だけに、政治的論争と無縁ではない。01年には記念講演でスーダン・ソンタク氏が、03年の受賞者アーサー・ミラー氏は授賞式に出席する代わりにビデオスピーチで、それぞれイスラエルのパレスチナ政策を批判した。

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2009年2月12日木曜日

サバイバル登山って、人生の主役になった感覚!!

下の記事を読んで、こんな山登りもあったのか、と驚いた。私も山登りをちょこちょこするのですが、大した山でもないのに、ハイキング程度なのに、あのモノモノしい装備が気にくわない。確かに高価で精度のいい装備は、そりゃイイにこしたことはないが、山育ちの私には、仰々し過ぎると思う。必要以上の装備は、滑稽だ。決して貧乏人の僻(ひが)みじゃないぞ。

私も、もう少し若ければ服部氏程激しくはできないけれど、少しだけはサバイバル風に、山岳や野原、見知らぬ荒野を彷徨(さまよ)ってみたい思う。服部さん、あなたは私の憧憬の的だ。

子供の頃、毎秋、父母と私たち兄弟3人で、茸(きのこ)狩りに山に出かけた。山の入り口に到着するや、籠(かご)を手に、一目散に山中に散って行くのです。でも末っ子の私と母は、そんなに奥までは進入しない所で、茸や山菜採りをするのです。父や兄たちは、毎年のことだから、各々が自分の秘密の場所をもっている。朝早く山に入って、各自昼は弁当で済ませ、夕方、母と私が待って居るところに、籠の中を雑茸をいっぱいにして戻ってくるのです。立派な松茸もたくさんあった。雑茸は、農家である我が家の一番の繁忙期、茶摘の頃の、食事を簡便にすますための重要な副食(オカズ)なのですから、趣味や好みで山に入っているわけではないのです。蕗(ふき)とゼンマイ、蕨(わらび)、それに雑茸と昆布を混ぜて、保存がきくように塩をいっぱい入れて煮るのです。朝食にはそれだけをご飯にのせて、茶摘の期間中、食べ続けるのです。だから、茸狩りは生活に関わる、重要な仕事なのです。だからこそ真剣勝負なのです。松茸は、親類にもお裾分けしました。兄2人と父らが、茸がいっぱい入っている籠を前にくつろぎながら、遠く指を差しながらあの山のあの峰のあの尾根の、と自分が這いずり回ってきた山の斜面の位置を話していた。6~7時間を、位置を確認しながら広い山域を駆け巡っていたことになるのだ。地図は勿論、道も標識もないところを、どうして行動できるのか、不思議だった。

私は、このように幼少を過ごしているものだから、インストラクターに引率されての山登りは、我が身が軟弱者に感じられて、恥じ入りたく思うことがあります。本当は、そんな山登りなんか参加したくないのだが、たまたま、徳のある先輩たちが、この私を誘ってくれるものですから、このグループとだけは気持ちよく山行をさせてもらっていますが。

楽しい、愉快な山登りの話なのに、私の今の経済状態、経済全般が100年に一度の世界同時不況?では、心に余裕がなく、ここでは、これ以上は盛り上がらない。それが悔しい。後の文章で、服部氏がズルさを感じたと言っている、私も同感だ。そして生と死を真剣に考えることをサボッていたと思う。

今回は服部氏の文章を読んで、机の前で、「サバイバル登山」のイメージトレーニングにしておきましょう。

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20090207

朝日朝刊 (声・主張)

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生+死=命 だから面白い    

服部文祥(ぶんしょう)

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私は「サバイバル登山」をしている。ラジオや時計、ヘッドランプなど、電池で動くものは一切携帯しない。テントも、燃料もコンロもなし。食料は米、みそ、基本調味料のみ。道のない大きな山塊を長時間歩く。イワナや山菜、時にはカエルやヘビまで食べながら、南北の日本アルプスや日高など大きな山脈を一人で縦断する。サバイバル登山とは、私が名付けた。第2次ベビーブームに生を受け、生きることに関しては、何一つ足りないものなく育ってきた。いま思えば、そんなこぎれいで暖かく食べ物があふれた生活に、どこかでやましさを感じていたのだと思う。幼いながら自分がズルをしているような気がしたのだ。

現代文明の防御機能が及ばない環境にあこがれ、登山に傾倒していった理由の一つがそこにある。生きていることをもっと体感したかったのだ。そうして到達したヒマラヤの高峰は、死の香り漂う空間だった。そこにいるだけで、自分が生きていることを強く感じることができた。

だが、私はそんな先鋭的登山から、猟師やマタギのように山々を巡るサバイバル登山へ惹かれていった。いわば日本土着の登山である。山に棲んでいるものや生えているものを取って、自分でさばく、焚き火をおこして獲物を調理し、落ち葉を集めてその上に眠る。私は自分が間違いなく地球の生き物の一種類だと感じて嬉しくなる。

つらいこともある。沢や谷の登下降には、滑落や増水の危険が伴う。いつも空腹なのは当たり前。暑い夜はヤブ蚊に悩まされ、寒い夜は震えて朝を待つ。摂取カロリーが足りないので、濡れて体を冷やすのは命取りだ。雨に降りこめられれば天幕の下でじっとしている。自分を環境に合わせることはできても、環境を自分に合わせることはできない。自然の中に入ることで身に付ける徳があるとすれば、それは「我慢」だと私は思う。

「死の予感」の中で生を実感するのではなく、「手作りの生活」に生きている自分を体験し、生命体としてタフになる。そんなことを私は登山に求めている。

食べるために生き物の命を奪う行為は、少し前まではだれもがやっていたことだ。しかし、現代都市生活ではほとんど経験できなくなってしまった。

「殺す」のは気持ちがいいものではない。専門の場所でまとめてやった方が効率もいいだろう。しかし、体験を手放すと、それにともなう感情まで手放すことになる。効率と快適を追い求めることで、私たちは生きるための根源的な体験と感情を失ってしまったのではないだろうか。

現代文明は時に、死を全面否定しているかのように私の目にはみえる。食べるためや人の生活を支えるために殺している動物の死を隠している。人間の死も隠す。だが、死を否定すると命そのものの存在がなくなってしまう。死ぬ可能性があるから命である。

生+死=命。この法則は絶対であり、死ぬかも知れない中で生きるからこそ、生きているのは面白い。

幼い頃、自分の生活のどこにズルさを感じていたのか。今では少しわかる気がする。頭や体を使わなくても生きていける生活そのものに疑問があったのだ。受験戦争盛んな頃に思春期を迎え、それなりに頭を使っているつもりだった。だが、自分が生きるための判断は、ほとんどしていなかった。自分の人生においてすら、私は「ゲスト」だったのだ。

生きるために考え、生きるために動く。じつはこれが何よりも楽しい頭と体の使い方である。一つの生き物として山に向き合うと、素直に頭と体を使える。そんな生きるための生活そのものが「生きている実感」につながっている。

山に入っているのは私の人生のほんのひとときだが、そのとき私は自分が自分の生において「ホスト」になった感覚を得ている。

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服部文祥

69年生まれ。96年にヒマラヤ・K2登頂。フリーソロでの岩登り、冬の黒部横断など幅広く活動。「岳人」編集部所属。

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2009年2月4日水曜日

オバマアメリカ大統領就任演説全文

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バラク・オバマ第44代米国大統領が20日、ワシントンの連邦議会議事堂前で就任演説を行った。私は、この新大統領の口から、どんな言葉が発せられるのか楽しみにしていた。テレビに映し出された演説風景は相変わらず、盛り上がってはいたが、日本語に訳された演説文に、多少がっかりした。言葉は散文的で、乾いていた。期待し過ぎたせいでもあったのだろう。新しい言葉を期待していたのです。会社に出社した際に、友人のKさんからも、大したことなかったな、と言われた。オバマ大統領のトーンが下がっていたのだ。派手な、決めゼリフがなかった。高校時代の英語の授業で、ケネディの演説を辞書片手に読んで、さすがにアメリカの大統領ハンは偉いことを言うもンやなあと感心した。その後のどの大統領の就任演説にも関心なかったのに、今回こんなに期待したのはやはり、空前のオバマ人気がアメリカ大陸を席巻している様子の報道のせいだろう。

その演説全文を私の備忘録の心算で、朝日新聞の夕刊(20090202)に載ったものを吟味しながら、転載した。圧倒的に国民から支持されている新大統領にはオーラーがあるがゆえに、この場は徹底的に抑制した言葉を選んで、これからやり遂げなければならない「仕事」の内容を語った。国民はその「仕事」の、その一語一句に声援や拍手で応えた。これからの試練に立ち向かう国民に、自覚と責任を求めた。そして、アメリカの歴史の誇りのもと、国民と連帯して行動を起こそう、と述べていた。転載を進めていくうちに、最初のガッカリ感は薄れ、内容の豊富さとその濃さ、大統領の気合に感動するようになった。やる気充分だった。

仕事とは、資本主義の再生、地球温暖化対策、アフガニスタン・パキスタンの戦争とテロ、イスラムとの共存、世界の貧困の克服、中国の台頭、イランや北朝鮮の核開発阻止、同盟国との関係保持、だ。

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朝日新聞・夕刊

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☆難題解決できる

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市民のみなさん。

きょう私は、私たちの前にある職務に謙虚な心を持ち、あなた方から与えられた信頼に感謝し、先人が払ってきた犠牲に心を留めながら、ここに立っている。ブッシュ大統領の我が国に対する貢献と、政権移行期に見せた寛大さと協力に感謝したい。

これで(私を含め)44人の米国人が大統領の宣誓をしたことになる。宣誓は、繁栄の高まりや平和な時にも行われてきた。だが、多くは、雲が集まり、嵐が吹き荒れる中で行われた。そのような時を米国が耐え抜いてきたのは、指導者の技量や洞察力だけによってではなく、「我ら合衆国の人民」が先人の理想に誠実で、(独立宣言など)建国の文書に忠実だったからだ。

私たちが危機のさなかにあるということは、いまやよくわかっている。我が国は暴力と憎悪の大規模なネットワークに対する戦争状態にある。経済はひどく疲弊している。それは一部の者の強欲と無責任の結果だが、私たちが全体として、困難な選択を行って新しい時代に備えることができなかった結果でもある。

家が失われ、雇用は減らされ、企業はつぶれた。医療費は高すぎ、学校は、あまりに多くの人の期待を裏切っている。(石油などを大量消費する)私たちのエネルギーの使用方法が敵を強大にし地球を脅かしていることが、日に日に明らかになっている。

これらは、データーと統計で示される、危機の指標だ。測定はより困難だが同様に深刻なのは、米全土に広がる自信の喪失だ。それは、米国の衰退が不可避で、次の世代は目標を下げなければいけないという、つきまとう恐怖だ。

これらの難問は現実のものだ。深刻で数も多い。短期間で簡単には対処できない。しかし、アメリカよ、それは解決できる。

今日、私たちは恐怖より希望を、対立と不和より目的を共有することを選び、ここに集まった。今日、私たちは、長らく我が国の政治の首を絞めてきた。狭量な不満や口約束、非難や古びた教義を終わらせると宣言する。

米国はなお若い国だ。しかし、聖書の言葉を借りれば、子供じみたことはやめる時が来た。不朽の魂を再確認し、よりよい歴史を選び、世代から世代へ受け継がれてきた貴い贈り物と気高い理念を前進させる時が来たのだ。それは、すべての人は平等かつ自由で幸福を最大限に追求する機会に値するという、神から与えられた約束だ。

米国の偉大さを再確認する上で、私たちはその偉大さは所与のものではと理解している。それは、自ら獲得しなければならないものだ。私たちの旅に近道はなく、途中で妥協することは決してなかった。仕事より娯楽を好み、富と名声の快楽だけを求めるような、小心者たちの道ではなかった。

むしろ、(米国の旅を担ってきたのは)リスクを恐れぬ者、実行する者、生産する者たちだ。有名になった者もいたが、多くは、日々の労働の中で目立たない存在だった。彼らが、長く険しい道を、繁栄と自由に向かって私たちを運んでくれたのだ。

私たちのために、彼らはわずかな財産を荷物にまとめ、新しい生活を求めて海を越えた。

私たちのために、彼らは汗を流して懸命に働き、西部を開拓した。むちうちに耐え、硬い土を耕した。

私たちのために、彼らは(独立戦争の)コンコードや(南北戦争の)ゲティズバーグ、(第2次世界大戦の)ノルマンディーや(ベトナム戦争の)ケサンで戦い、命を落とした。

彼らは、私たちがより良い生活を送れるように、何度も何度も奮闘し、犠牲を払い、手がひび割れるまで働いた。彼らは、米国を個人の野心の集まりより大きなもの、出自の違いや貧富の差、党派の違いよりも偉大なものだとみていたのだ。

 

☆米国再生へ行動

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これが、私たちが今日も続けている旅だ。私たちは地球上で最も繁栄した、強力な国であり続けている。私たちの労働者は、この(経済)危機が始まったときと比べ、生産性が落ちたわけではない。先週、先月、昨年と比べ、私たちの創造性が低くなったのでもなければ、私たちの商品がサービスが必要とされなくなったのではない。私たちの能力は衰えていない。ただ、同じところに立ち止り、狭い利益を守り、不快な決断を先延ばしする時代は明らかに過ぎ去った。私たちは今日から、自らを奮い立たせ、ほこりを払い落として、アメリカを再生する仕事を、もう一度始めなくてはならない。

あらゆるところに、なすべき仕事がある。経済状況は、力強く迅速な行動を求めている。私たちは行動する。新たな雇用を創出するだけではなく、成長への新たな基盤を築くためにだ。商業の糧となり、人々を結びつけるように、道路や橋、配電網やデジタル回線を築く。科学を本来の姿に再建し、技術の驚異的な力を使って、医療の質を高め、コストを下げる。そして太陽や風、大地のエネルギーを利用し、車や工場の稼動に用いる。新しい時代の要請に応えるように学校や大学を変革する。これら全ては可能だ。そしてこれら全てを、私たちは実行する。

私たちの志の大きさに疑念を抱く人がいる。我々のシステムではそんなに多くの大きな計画は無理だ。だが、そうした人たちは忘れるのが早い。これまで我が国が成し遂げてきたこと、そして、共通の目的や勇気の必要性に想像力が及んだとき、自由な人々がどんなことを成し遂げられるかを、忘れているのだ。

皮肉屋たちは、彼らの足元の地面が動いていることを知らない。つまり、これまで私たちを消耗させてきた陳腐な政争はもはや当てはまらない。私たちが今日問わなくてはならないことは、政府が大きすぎるか小さすぎるか、ではなく、それが機能するかどうかだ。まっとうな賃金の仕事や、支払い可能な医療・福祉、尊厳をもった隠遁生活を各家庭が見つけられるよう政府が支援するのかどうかだ。答えがイエスならば、私たちは前に進もう。答えがノーならば、政策はそこで終わりだ。私たち公金を扱う者は、賢明に支出し、悪弊を改め、外から見える形で仕事をするという、説明責任を求められる。それによってようやく、政府と国民との不可欠な信頼関係を再建することができる。市場が良い力なのか悪い力なのかも、問われていることではない。富を生み出し、自由を広めるという市場の力は、比類なきものだ。しかし、今回の(経済)危機は、市場は注意深く見ていないと、制御不能になるおそれがあることを、私たちに思い起こさせた。また、富者を引き立てるだけでは、国は長く繁栄できない、と言うことも。私たちの経済的な成功は、国内総生産(GDP)の規模だけではなく、繁栄がどこまで到達するかに常に依存してきた。つまり、意欲のある人にどれだけ機会を広げられたかだ。慈善心からではなく、それが、私たち共通の利益への最も確実な道筋であるからだ。

国防について、私たちは、安全と理想の二者択一を拒絶する。米国の建国の父たちは、私たちが想像できないような危険に直面し、法の支配と人権を保障する憲章を起草した。これは、何世代もが血を流す犠牲を払って発展してきた。この理想は今も世界を照らしているし、私たちは便宜のために、それを捨て去ることはない。大国の首都から、私の父が生まれた小さな村まで、今日、(式典を)見ている他国の人々や外国政府のみなさんに知ってほしい。米国は、将来の平和と尊厳を求めるすべての国家、男性、女性、子供の友人であり、再び主導する役割を果たす用意があることを。

 

☆信頼と決意に依存

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(リンカーン大統領が宣誓に用いた聖書。ミッシェル夫人が持った)

先人たちがファシズムと共産主義を屈服させたのは、ミサイルや戦車によってだけではなく、頼もしい同盟国と強固な信念によてでもあることを思い起こしてほしい。彼らは自らの力だけが自分たちを守ったのではないことも、その力が、自分たちが好きなように振舞う資格を与えたのでもないことを理解していた。

その代わりに先人たちは、自らの力は慎重に使うことで増大し、自らの安全は、大義の正しさ、模範を示す力、謙虚さと自制心から生まれると知っていた。

私たちはその遺産の継承者だ。いま一度こうした原理に導かれることにより、私たちはより厳しい努力、つまり、より強固な国際的協力と理解を必要とする新たな脅威にも立ち向かうことができる。

私たちは、責任ある形でイラクをその国民の手に委ねる過程を開始し、アフガニスタンの平和構築を始める。また古くからの友好国とかっての敵対国とともに、核の脅威を減らし、地球温暖化の恐れを巻き戻す不断の努力を行う。

私たちは、私たちの生き方を曲げることはなく、それを守ることに迷いもしない。自分たちの目的を進めるためにテロを引き起こし、罪のない人々を虐殺しようとする者に対し、私たちは言おう。いま私たちの精神は一層強固であり、くじけることはない。先に倒れるのは君たちだ。私たちは君たちを打ち負かす。

なぜなら、私たちの多様性という遺産は、強みであり、弱点ではないからだ。私たちの国はキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒、そして無宗教者からなる国家だ。世界のあらゆる所から集められたすべての言語と文化に形作られたのが私たちだ。

私たちは、南北戦争と人種隔離という苦い経験をし、その暗い歴史の一章から、より強く、より結束した形で抜け出した。それがゆえに、我々は信じる。古い憎悪はいつか過ぎ去ることを。種族的な境界は間もなく消え去ることを。世界がより小さくなるにつれて、共通の人間性が姿を現すことを。そして、アメリカは、新たな平和の時代を導く役割を果たさなければならないことを。

イスラム世界に対して、私たちは、共通の利益と相互の尊敬に基づき、新たな道を模索する。紛争の種を蒔き、自分の社会の問題を西洋のせいにする国々の指導者に対しては、国民は、破壊するものでななく、築き上げるものであなたたちを判断することを知るべきだと言いたい。

腐敗と謀略、反対者の抑圧によって権力にしがみついている者たちは、歴史の誤った側にいることに気づくべきだ。そして、握りしめたその拳を開くのなら、私たちが手をさしのべることを知るべきだ。

貧しい国の人々に対しては、農場を豊かにし、清潔な水が流れるようにし、飢えた体と心をいやすためにあなた方とともに働くことを約束する。

そして、米国同様に比較的豊かな国には、私たちはもはや国外の苦難に無関心でいることは許されないし、また影響を考えずに世界の資源を消費することも許されない、と言わなければならない。世界が変わったのだから、それに伴って私たちも変わらなければならない。

私たちの目の前に伸びる道を考えるとき、つつましい感謝の気持ちとともに、いまこの瞬間にもはるかな砂漠や山々をパトロールしている勇敢な米軍人たちのことを思い起こす。

アーリントン国立墓地に眠る戦死した英雄たちの、時代を超えたささやきと同じように、彼らは、私たちに語りたいことがあるはずだ。私たちが彼らに敬意を表するのは、彼らが私たちの自由の守護者だからというだけでなく、彼らが奉仕の精神の体現者、つまり自分自身より大切なものに意味を見出そうとしているからだ。そして今、一つの時代が形作られようとしている今、私たちすべてが抱かなければならないのがこの精神だ。

なぜなら、政府ができること、しなければならないことをするにせよ、この国が依存するのは、究極的には米国人の信頼と決意であるからだ。最も難しい局面を乗り切るのは、堤防が決壊したときに見知らぬ人を招きいれる親切心であり、友人が仕事を失うのを傍観するよりは自分の就業時間を削減する労働者の無私の心だ。煙が充満した階段に突っ込んでいく消防士の勇気、子供を育てる親の献身の気持ちが、私たちの運命を最終的に決める。

 

☆新たな責任の時代

私たちの挑戦は新しいものかもしれない。立ち向かう手段も新しいものかもしれない。だが、成否を左右する価値観は、勤労と誠実さ、勇気と公平さ、寛容と好奇心、忠誠と愛国心、といったものだ。これらは古くから変わらない。そしてこれらは審理だ。私たちの歴史を通じて、これらは前に進む静かな力となってきた。必要なのは、こうした真理に立ち返ることだ。今私たちに求められているのは、新たな責任の時代だ。それは、一人ひとりの米国人が、私たち自身や我が国、世界の人々対する責務があると認識することだ。その責務は嫌々ではなく、むしろ困難な任務に 全てをなげうつことほど心を満たし、私たち米国人を特徴づけるものはないという確信のもとに、喜んで引き受けるべきものだ。

これが市民であることの代償と約束である。これが、不確かな行き先をはっきりさせることを神が私たちに求めているという私たちの自信の源でもある。これが、私たちの自由と信念の意味だ。なぜあらゆる人種と信仰の男性と女性、子供がこの広大な広場に集い、共に祝えるのか。そしてなぜ、60年足らず前だったら地元のレストランで食事をさせてもらえなかったかもしれない父を持つ男が、(大統領就任の)神聖な宣誓のためにあなたたちの前に立つことができるのか、ということだ。

さあ、この日を胸に刻もう。私たちが何者で、どれだけ遠く旅をしてきたかを、建国の年、最も寒い季節に、いてついた川の岸辺で消えそうなたき火をしながら、愛国者の小さな集団が身を寄せ合っていた。首都は放棄された。敵が進軍していた。雪は血で染まっていた。独立革命の行く末が最も疑問視されていたとき、建国の父は広く人々に次の言葉が読み聞かせるよう命じた。

「将来の世界に語らせよう。厳寒のなか、希望と美徳だけしか生き残れないとき、共通の危機にさらされて米全土がたちあがったと」

アメリカよ。共通の危機に直面したこの苦難の冬のなかで、時代を超えたこの言葉を思い出そう。希望と美徳をもって、いてついた流れに再び立ち向かい、どんな嵐がこようと耐えよう。私たちの子どもたちのまた子どもたちに私たちは試練のときに、この旅が終わってしまうことを許さなかった、と語られるようにしよう。私たちは後戻りも、たじろぎもしなかったと語られるようにしよう。そして、地平線と神の恵みをしっかり見据えて、自由という偉大な贈り物を受け継ぎ、未来の世代にそれを確実に引き継いだ、と語れるようにしよう。

ありがとう。みなさんに神のご加護がありますように。そして、神のご加護がアメリカ合衆国にありますように。

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2009年1月30日金曜日

朝青龍が優勝して泣いた。でも品格ゼロだって?

大相撲初場所は25日、東京国技館で千秋楽が行われた。3場所連続休場から復帰した西横綱の朝青龍(28)が14勝0敗、東横綱の白鵬が13勝1敗で戦った本割で、朝青龍が負けた。両横綱は8ヶ月前、取り組み後、不要なにらみ合いで、協会から注意を受けた。遺恨の一番だった。本割の結果、両横綱は、14勝1敗で同じ星に並んで、優勝を決める決定戦に持ち込まれた。館内は否応なしに盛り上がった。しかし、か、さすが、か、でも、か、やっぱり、か決定戦では朝青龍が、両差しから一気に攻めて勝った。土俵下で直後に行われた優勝インタービューでは「朝青龍、また帰ってきました。優勝したのでまだまだ思い切り頑張りたい」と答えて、館内を沸かした。

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土俵から下りて、両手を高らかに挙げて、観衆に喜びをアピールした。全ての観衆に応えるべく、体をぐるっと1回転させた。どうじゃ文句あるか、俺が優勝したのだ、と言わんばかりに。この時、私はアレっと思ったのです。何かが可笑しいぞ、と思ったのは、今までに優勝したシーンで両手を挙げて、ガッツポーズをした関取がいなかったからだ。見慣れない光景だった。これ、ちょっとまずいことになるかも、と予感した。

案の定、翌日の横綱審議委員会で、朝青龍に対して、取り組みには目をはるものがあったとして各委員が復活を讃えたが、でも、ガッツポーズには苦言が寄せられた。あの「寅さん」や「浜ちゃん」を世に出し、その主人公を国民的アイドルまでにした、これまた国民的映画監督の山田洋次委員さえもが、委員会には欠席したものの、ガッツポーズは品格においてはゼロだった、と述べていたそうだ。「サクラ、山田監督も以外に厳しいことを言うもんだね。品格、そんなもん、横綱でなくても誰にだって必要だよ。寅にだって、寅流の立派な品格ってモンがあるだろう、なあサクラ」

場所前、引退か否かと話題になったが、まさかの優勝決定戦だった。私にとっても、不思議な15日間だった。取り組みそのものは、ハラハラさせられながら、私を痺(しび)れさせてくれた。面白かった、というのが正直な実感だ。

私には、ガッツポーズぐらい認められていいのではないかと思うが、諸氏は如何(いかが)お考えになりますか。両手を挙げてのガッツポーズは、日本人には馴染みの万歳(バンザイ)でもあるのですから。

柔道でもレスリングでも、勝者は畳の上を、リングの上をピョンピョン飛び上がって喜びます。その姿は美しい。女性だって、監督に肩車をされることだってあります。その師弟の姿は美しく品格がある。ハンマー投げの室伏選手が投擲後、ウオーと吼えるのも、私には美しい品格に値すると思うのですが。

相撲は国技だから、横綱だから、ガッツポーズは相撲道には相応(ふさわ)しくないのでしょうか。下位の相撲取りなら、許されるのですか。

優勝のインタービューの前、満面破顔の小さな三角の目から、涙が光って零れた。あの朝青龍が泣いたのを、私は見逃さなかった。私は、ドキットした。

表彰式を終えて支度部屋に戻ると、待っていたのは元床山「床寿(とこじゅ)」こと日向端隆寿(ひなはたたかじゅ)(65)さんだった。二人はがっちりと抱き合って、周囲にはばかることなく号泣した、とラジオのニュースで聞いた。車を運転中の私も、流れる涙を何度もハンケチで拭いた。今度の優勝には、朝青龍には格別の感慨が沸いたのは当然だろう、またがっぷり巨体を抱きしめた日向さんにも、ただならぬ深い思い入れがあったのだろう。

こんなに泣く朝青龍を初めて知らされた。

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翌日の新聞には、優勝パレードの朝青龍がオープンカーに乗っている写真が載っていた。朝青龍の横に日向さんがくっついて乗っていた。狭っ苦しいそうだ。この床寿=日向さんは、現役時代、床山でも最高位の役割を担っていて、昨年定年退職していた。日向さんには、どの力士の銀杏も結えることができる資格が与えられていたようだ。昨年11月の九州場所を前に、朝青龍から「絶対優勝してオープンカーに乗せるからね」と声を掛けられた。だが、全休。髪を結うことなく定年を迎えた。そして今場所直前に食事に誘われた際、「千秋楽、オープンカーで待っているよ」と言われた。そのあたりから、朝青龍は酒を控えて、相撲に精進していた。日向さんは、取り組みが終わる度に「おめでとう」の一言の電話を掛け続けて喜びを分かち合った。

ここまでの記述は、日向さんと朝青龍の熱い交流のこと。私も仲間に入れてよ、と言いたいところだ。このパレードの様子をテレビで観ていて、また嫌な予感がしたのです。それは、オープンカーに二人は笑顔で乗り込んでいて、そこで朝青龍が手にして振った旗は、モンゴルの国旗だったことです。日本相撲協会が主催する相撲・場所だ。いくら自分がモンゴル出身だからといって、祝賀パレードにモンゴル国旗はいただけない。朝青龍はやはり日本の文化を理解していない。モンゴル国旗を掲げたいならば、主催国の日本の国旗のことも考慮に入れなくてはいかんのではないのか。このことについては、今のところ、世間も協会も物議を醸してはいない。

朝青龍ご本人に、そんな配慮をすることが無理ならば、朝潮・元大関=長岡末弘さん、高砂親方さん、しっかり管理監督、指導してよ。子飼いの力士が、暗雲を払いのけて頑張ったのだ。シコ名の通り、たなびく青雲と立ち昇る龍を見せ付けてくれたのだ。高砂親方さん、朝青龍が優勝パレードで日章旗とモンゴルの国旗を両方掲げたならば、日本の国民はどれほど喜んだことだろう。そんな気配りをやって見せてくださいな。悪評がいつも付きまとう朝青龍を、親方こそ、真剣に考えるべきですよ。それができないようなら、ますます親方のメッキが剥(は)がれますよ。

追記

朝青龍のガッツポーズについて、横綱審議会では問題視する意見が出たのを受けて、武蔵川理事長は、29日品格に欠ける行動を取ったとして横綱朝青龍に対し、師匠の高砂親方を通じて注意を与えた。同日開催された協会の理事会では横綱の品格問題は出なかった、と聞くと武蔵川理事長の理事長としての「注意」なのか、個人的に思いついての「注意」なのだろうか。はっきりせい、と私は真実を求める。

高砂親方のコメントも、私ががっかりするほどしっかりしていない。「ガッツポーズはテレビで見たが、深く考えていなかった。朝青龍には自覚を持たせないといけないし、私も師匠として自覚しないといけない」。このようなコメントでは、果たして高砂親方自身がどれだけ「自覚」したのか、定かではない。本当は、品格ということについてもよく理解はしていないし、この注意にも納得していなのではないか。きっと不満なのだと思う。腹の底ではあの程度のガッツポーズなら、いいんじゃないの、と考えているのではないか。それなら、それで、理事長に自分の意見を述べるべきだ。

私は、個人的にはあの程度のガッツポーズは決して横綱の品格を損なったとはどうしても思えない。私の身中には、昔から判官贔屓(ほうがんびいき、はんがんびいき)の虫が棲んでいるのです。今回この贔屓の的は、皆に何かといじめられてはいるものの、けっして弱くはなかった。世の大半の期待に反して優勝してしまった。贔屓になどする必要はなかったのでした。

本来の日本の文化の中心には、自分の感情を律するということ。勝者も敗者も互いへの賛辞をつつましやかに表現し、感情を律するのが本来の姿だ、と主張される御方(おんかた)もいらっしゃることは、私も理解はしています。

朝青龍は、日本でのアレコレなんか、屁のカッパ。場所終了後、即、愛するモンゴルに休養のために帰ったらしい。朝青龍は、ますます意気軒昂、意気天を衝’(つ)く勢いだ。

そんな横綱が、私は好きです。

今後もこの品格について、考えていきたい。

(朝日新聞の26,27,30日の記事を参考にさせていただいた)

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朝日朝刊

天声人語

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存在より不在が気になるのが看板役者というものだろう。不在のツケを倍にして返されては大看板と認めるほかない。初場所に進退をかけた朝青龍が賜杯をさらった。3場所の空白や引退説がうそのような復活だ。

白鳳との優勝決定戦。左から崩して頭をつけ、一気に寄る。最盛期の、運動神経の塊がそこにあった。「朝青龍が帰ってきました」の言葉にうそはない。勝ち名乗りを座布団が直撃したが、構わず両手を突き上げた。

日を追って、ふてぶさしさが戻ってきた。目を三角にとがらせ、締め込みをポンとはたいて気合を入れる。だめ押しの悪癖、感情丸出しの形相が、久々に観衆の心を波立たせた。やんちゃな存在感は、安定感がまわしを締めたような白鳳と対をなし、両雄で一双の屏風絵が完成すると改めて思った。

敵役が強いほど物語りは盛り上がる。ところがこの適役、最後には倒されるというお約束や、もろもろの批判まで寄りきり、主役に帰り咲いた。強くて客を呼べて、国技だ品格だと言わねば理想のプロの格闘家である。今場所の収穫がもう一つ。新入幕で勝ち越した山本山だ。目方250キロの自称「どんぶり王子」は、ふくよかな容姿で癒し、ほんわか発言で和ませる。懸賞金の使途を聞かれ「しゃぶしゃぶかな。タレはポン酢派」というのがあった。こんな時代にはうれしい存在だ。早く出世し、あの腹で横綱を受け止めてほしい。勝敗が決した後の朝青龍の挙動、山本山のコメントには、食後酒に通じる楽しみがある。酔えるかどうかは好みの問題だが。

2009年1月21日水曜日

この日米の違いは、何だ!!

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(米メリーランド州エッジウッド)

氷点下の米東部地方を走り抜けた「オバマ列車」は、17日熱狂する市民に迎えられ、首都ワシントンに到着した。次期大統領のオバマ氏は敬愛するリンカーン元大統領の旅を再現した。起点は古都フィラデルフィアの南西に位置するデラウェア州ウィルミントン。特別仕立ての列車はスピードを落として走った。旅の途中で、幾度も列車から下りて、群衆に演説で応えた。そのどの演説の内容も、日本の政治家のものとは随分違うことに、驚かされた。演説では、大統領が民衆と共に政治をしたいと、民衆に応えたいと何度も繰り返す次期大統領。方や日本の首相は、夜な夜な高級ホテルのバーに、色んな人を呼び込んでは何を話しているのだろうか。人気取りを目論で居酒屋へ顔を出しては、チンプンカンプンの応答して、若者たちの失笑をかった。スーパーでは、主婦に首相の金銭感覚を馬鹿にされていた。公の場においても、私を悲しませる言辞は止まない。先日の坂本哲志総務政務官の東京・日比谷公園の「年越し派遣村」についての心無い発言は、なんじゃ。お前さんの心根は、腐っているぞ。他人の悲しみや喜びを理解できない、精神の貧困なこの馬鹿者共が!!

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オバマ列車の新聞記事を読んだ後、ファイルしておいた、下の新聞記事を読み直した。これを対比するに、怒りよりも、情けなくなった。その記事は後の方で読んでください。

ここでは、先ずその演説の内容を、090109前後の朝日新聞の記事から抜粋してここに転載させていただいた。口から発せられるどの言葉にも、優しさや人間の温かさが伝わってくる。希望に溢れた、幸せな気分になれる。この気持ち良さを、彼を支持する人たちは思いっきり味わっていることだろう。私も確信をもって、アメリカの明日を信じたい。

*私たちは一日も休まず仕事をする。来月の交通費を心配する親や、汽笛を聞きながらより良い生活を夢見る子供たちのためにーーー

*今、必要なのは、イデオロギーや偏見からの新たな独立宣言だ。米国の革命は今も続いている。

*一緒にこの国を再生させよう。と叫ぶと人々は、イエス・ウイ・キャン、と繰り返した。

黒人解放の父と言われた、公民権運動指導者のキング牧師が

*私には、夢がある。I have a dream

*この国(アメリカ)は肌の色ではなく人格で評価される国。

の演説をしたリンカーン記念堂のリンカーン像前での就任前演説でも、

*私は、皆さんの声とともに、ここにやってきました。

*変化を求める無数の声を妨げることのできる障害など何もない。

就任前日、秒刻みのスケジュールの合間に、ボランティア イベントに出かけて行って、10代のホームレスの人たち用のシェルターの室内の壁のペンキ塗りの手伝いをした。ミシェル夫人は米兵らへの慰問物資の荷造りをした。バイデン次期副大統領は大工仕事に精を出した。実際の仕事の量はそんなには捗(はかど)らなかったことは当然だろうが、その志(こころざし)が、私の胸を高鳴らせる。ここでは、今日は多くを語りません、明日にとっておきたい、などと語っていた。そこで、就任演説の内容が楽しみだ。

かって、リンカーン元大統領は

*人民の、人民により、人民のための政治。

ケネディの演説は高校の英語の授業で、辞書を片手に感動した。

*国が皆さんのために何をできるのかを問うのではなく、皆さんが国のために何をできるのかを問おう。

アメリカ国民ならずとも全世界の人々が、私もオバマ氏の大統領就任演説を楽しみにしている。

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(ワシントンのリンカーン記念堂前)

 

090109 朝日・朝刊

人の痛みと政治

窓・論説委員室から

《恵村順一郎》

「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まっているのか」。坂本哲志総務政務官が、東京・日比谷公園の「年越し派遣村」について語った発言が波紋を広げている。そういえば、麻生首相の次の言葉が浮かんだ。

「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分のカネ(医療費)をなんで私が払うんだ」

いくら健康に気を配っている人でも、病気になることはある。「たらたら飲んで、食べ」たことだけが病気の原因ではない。だからこそ保険料で支える健康保険制度があることを、首相はどこまで肌身で感じているのだろう。

なであんなに多くの人々が派遣村で年を越さざるを得なかったのか、この冬、世界を襲った経済危機のためである。

どんなに働きたくても、いや応なしにクビを切られ、仕事と住まいを失った人たちがいる。個人の努力や真面目さではどうにもならない現実があることを、坂本氏はどれほど理解しているのだろう。

首相にはこんな発言もあった。

「自分が病院を経営しているから言うわけじゃないけれど(医師の確保は)大変ですよ。(医師は)社会的常識がかなり欠落している人が多い」

人手不足で過酷な勤務に耐えながら、日夜働く続ける医師はたくさんいる。医療崩壊を招いた政治の責任を、首相はどう感じているのだろう。

人の痛みや苦しみを受け止める想像力がない政治は、悲しい。

 

090120朝日・朝刊・政治

政態拝見/政治家の魅力・「オバマ流」生かせるか(ダイジェスト)

《星浩(編集委員)》

15日に都内で開かれたシンポジュウム「オバマの米国 世界どう変わるか」(東京新聞主催)での谷内正太郎・前外務事務次官の話だ。谷内氏は大統領選のある光景に注目する。集会でオバマ氏は、米国のイラク戦争を「間違った戦いだ」と非難した。すると、会場の女性が手をあげて「私の息子はイラクで戦死した。間違った戦争で犬死したのですか?」と質問。オバマ氏はすぐに壇上から駆け下りて、その女性を抱きしめ、語りかけた。「息子さんは米国のために命をささげた。私は息子さんを尊敬する」。会場からは大きな拍手がやまなかったという。「自分の気持ちを大衆に伝えるコミュニケーション能力という点で、オバマ氏は抜きん出ている。パニックにならず、冷静に対応する。残念ながら日本ではいまのところ、そういう政治家は見当たらない」というのが、谷内氏の結論だった。

渡辺善美元行革担当相は、官僚の天下りや定額給付金問題を独特の語り口で発信し、自民党を離れた。「けしからん男だ」(金子一義国交相)などと切り捨てずに、堂々と論争をすればよかった。どちらの理屈が国民の理解を得られるのか。競い合う姿が見たかった。麻生首相は「給付金を受取る高額所得者はさもしい」と言ったかと思うと、今度は「給付金を含めて盛大に使って欲しい」と軌道修正した。なのに、率直な説明がない。政治家としての魅力が感じられない理由がある。

2009年1月13日火曜日

1月5日は寒川神社へ初詣

1月5日は、我が社の仕事初めでした。毎年恒例の寒川神社に男性社員全員でお参りしてきた。社員は8時に会社に集まって、三々五々車に分乗して、神社で9時集合した。

暮れに、私は川出さんと長谷部に歩いて行ってみないか、と提案した。二人は、そりゃ面白い企画ですね、いいじゃないですか、と二もなく賛同してくれた。それで、長谷部は私の権太坂の自宅に深夜2時までに来るように、そこからスタートして3時には戸塚の元西友の跡地で川出さんと合流しましょう、ということになった。当日、長谷部は私の自宅まで、自転車でやってきた。南区吉野町からだ。思ったより遠かったです、と息をフウフウしてやってきた。この青年は、私の会社に入社するまでは飲食関係の仕事をしていた。入社して、不動産の仕事が面白くて堪りませんと言い切る。学ばなくてならないことがいっぱいあって、その一つ一つが法律や条例で決められていて、知れば知るほど、好奇心が湧いてくるのです。成長盛りの好青年だ。必ず会社の重要な位置を占めるスタッフに育って欲しいと思っている。

090105 02:00二人は権太坂をスタートした。境木地蔵、東戸塚駅で西口に渡った、横浜新道に沿って、料金所の横を通って、富士橋、戸塚へ。この間、私と長谷部は、これからの道程のことをあれこれ、各自予想を立てた。あのな、自宅から東戸塚までは2キロなんだよ、そこを30分近くかかっているとすると、1時間では4キロしか歩けない。そうなると全行程が30キロとすると、30割る4で7時間半かかることになる。2時にスタートしたから、9時半に着くことになる。長谷部は私の自宅まで自転車で急いで来たものだから、はじめのうちは体はほっかほかだったが、歩いても発熱を吹っ飛ばす寒気に、体は冷えていく一方だった。心なしか、元気がなさそうに見える。それに、東戸塚から戸塚への距離が、二人とも頭の中で考えていたよりも、実際には遠くて、この先のことが思いやられた。長谷部は無口になった。ときどき、ウとかアとか言っている。彼に、不安が襲ってきたのだろうか。新聞配達のバイクが走っている。あの灯りの辺りが戸塚だよ、と言って気晴らしを仕掛けたのだが、その灯りに近づいても、戸塚はもっと先の方だった。がっかり。長谷部の顔がスッキリしない。腹が空いてきた。立場の近くに牛丼屋さんがあるので、そこでメシを食うことにしょう。「ハイ!!」と、長谷部の声だけはいつもの元気印だった。

戸塚の元西友の跡地で川出さんと合流したのは、03:30だった。川出さんと、新年の挨拶をした後、リーダーを川出さんになってもらい、川出、長谷部、私と前後に並んで歩き出した。川出さんの歩くスピードが早いので、「川出さん、このスピードで歩かなくちゃ、いかんのですか」と聞いてみたら、川出さんは今回の徒歩初詣のために、30日に自宅のある下倉田から大船まで歩いて学習した結果、当日歩くスピードを時速4キロに決めていたのです、と我々に宣言した。だからこれから、4キロを1時間で歩くことを守ります。そうしないと予定の9時までには着かないのです、とのことだった。この話を聞いた途端、私と長谷部は、先ほどまでの何の当てもなく無闇に歩いていた不安が雲散して、二人はこれからは川出さんの言う通りに従うしかないと、顔を見合して納得した。ほっとした。さすが、調査の川出さんだ。川出さんは、仕事上でも調査専門なのです。

長後街道を長後に向かって歩いた。矢沢、踊場、白百合、葛の口、中田。04:10、立場の手前で待望の牛丼を食った。調査の川出さんは、用意してきた地図を拡げてこれからの予定を話してくれた。2万分の1の地図だ。1キロ毎にマークが点けられていて、立場からは15~6キロだと思われるので、今までのスピードは時速4キロですから、休憩しながらでも、楽に9時には着きますよ。

戸塚までの間は、長谷部と私の間には重っ苦しい雰囲気があったのですが、川出さんが加わってくれたお陰で、気分は楽になった。ここで、私は又一つ学び取った。二人で顔突き合わして苦しい思いでどうにもならなくなったときにも、新しい人が参加することによって、雰囲気がガラット変えられることが可能だということを。仕事でもかくアリランじゃ。

長後街道を中和田、和泉、泉区役所、上飯田、高鎌橋、ここまでは横浜でした。長後街道を外れて横浜伊勢原線に移動した。ここからは藤沢市の高倉、谷戸、下土棚、上土棚、葛原。いすず自動車の工場前で、05:45、小休止。いつもならこの時間、私は毎朝の犬の散歩を終えたころだ。年末にいすず自動車の工場で働いていた派遣社員が全員契約解除になって、職場を追われることになって労使が大モメにもめていた。藤沢市の市長は契約解除になって、職場とともに寮まで立ち退きを求められた派遣社員に、市の空き部屋を提供すると名乗りを挙げた。国の最高立法府である国会では、その対策に何の手立てもできない無能ぶり。地方自治体のことの重大性の確かな認識と、それに対処しようとした市長に拍手。その話題のいすず自動車工場の前で、自動販売機のホットコーヒー缶を、川出キャップテンは奢(おご)ってくれた。主人に手袋を忘れられた両手を、缶コーヒーで暖めた。

藤沢市の宮越、御所見を過ぎて、06:15用田十字路に着いた。空の暗さは変わらないにしても、なんとなく朝の気配がしてきた。年老いたご夫婦が散歩しているのに出会った。往来を行き交う自動車の数が増えてきた。工事現場に向かうと思われるダンプや建設重機を積んだトラックが走る。今日は、仕事初めの職場が多いはずだ。私も、今年の幸多いことを願いに寒川神社に向かっているのです。トラック野郎の兄(にい)さん方にも、幸多い年でありますように、私からもお祈り申し上げます。この辺りから、長谷部の足が重たくなってきた。二本の足が蟹股になってきた。ロボットのようでもあった。そんな長谷部の後姿を写真に収めた。証拠写真だ。私が、学生時代にサッカーの元監督さんから「ヤマオカ、お前なあ、尻(ケツ)に糞でもはさんでいるのか」と言われた、それと同じ恰好で、歩を進めていた。頑張れ、と後ろから発破をかけた。

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(朝明けの雰囲気。長谷部の足が、右外左外に、蟹さん歩きになってきました)

用田から中原街道(丸子中山茅ヶ崎線)に入る。寒川町の看板が目に入った。長谷部君の表情に幾分明るさが見えた。と思いきや、獺郷(おそごう)の地名が出てきて、表情はまたもや暗転。獺郷は藤沢市なので、寒川に近づいたと思って気分好くしていたのが、そうでもなかったのだ。川出キャップテンが便意を催してコンビニに入った。コンビニで熱いお茶を買ってきてくれた。トイレの使用料だ。礼儀正しいキャップテンだ。

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(左上の写真の奥の奥をよくご覧になってください。川出さんが、新春の登りくる朝陽に向かって、ションベンをなさっているのです)

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(俺は、いったい、何でこんな所までやって来て、何をしちょるのだろう?)

07:25、再び寒川町に入って、小休止。私は工事現場の簡易トイレを拝借。川出さんは、さすが人生の大先輩、朝日に向かって野ションベンを発射された。朝陽をバックに記念写真を撮った。

大蔵、小谷、根岸、宮前、最終目的地である寒川神社に到着、08;00。休み時間を余り取っていないので、川出キャップテンの思惑よりも30分ほど早く着いたようだ。神社では参拝者を迎えるための準備中だった。本殿を掃除していた。屋台も準備中。若者が民間の駐車場に車を誘導していた。売り上げを見込んでいるのだろう、何とか駐車させようと必死だ。

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『川出のオッサン(オッサンなんて、つい日常的になってしまった。すまん)、長谷部君、今年もよろしく』

全員集合は09:00だった。

結果から推測すると、我々は時速5キロ位のスピードで歩いたことになるようですね、と川出さん。早く着いたからといって早く団体受付をしたら、皆が到着する前に祈祷が始まってしまうので、会社からの車の到着をただぼんやり待つだけだった。早く着く奴もいれば遅い奴もいて、遅い奴に合わせるしかないと思うと、きっちり指定された時間にやって来た奴にさえも、どうせ来るんだったら、ちょっとぐらい早い目に来い、と思った。これって、よくない考えなんでしょうな。仕事始めの大事な日に、俺は可笑しくなりかけていた。

10:00頃、本殿、寒川大明神の前で、お祓いお清め、ご加護と商売繁盛を祈願した。

寒川神社で「頂いた」「パンフレット」を参考に、寒川神社の紹介をしておこう。神社から頂いたとは、適切な言葉の使い方ではないヨなあ、きっと「御受け賜わり(ま)もうす」か、「下賜された」か。頂き物は「賜物」だ。それにパンフレットって言い方はないヨなあ、もっと神々しい言葉を使わなくては罰が当たりそうだ。

寒川神社は相模国一ノ宮。

相模国を始め、関八州総鎮護の神として、古くから朝野の信仰が殊に厚く、およそ千五百年前、雄略天皇の御代に奉幣のことが記されており、以後御歴代の奉幣、勅祭が行われたとあります。醍醐天皇の御代に制定された延喜式では、相模国唯一の大社と定められ、特に名神大社に列せられました。

ご祭神は寒川比古命(さむかわひこのみこと)と寒川比女命(さむかわひめのみこと)、通常は寒川大明神と奉称しているそうです。相模大明神は相模国を中心に広く関東地方をご開拓になられ、衣食住等人間生活の根源を開発指導せられた関東地方文化の生みの親神であり、生業一切の守護神として敬仰されています。わけても八方除の守護神として、地相、家相、方位、日柄、交通、厄年等に由来するすべての災禍を取り除き、福徳開運をもたらす御霊験あらたかな神様として信仰されています。

2009年1月10日土曜日

岡田ジャパンの目指すスタイルは

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岡田武史監督の目指す、日本サッカージャパンの試合運びのスタイルが見えてきた。選手も実感をともなって共通認識を持ち始めたようだ。大型ストライカーの出現を期待するには無理がありそうだ、がJリーグが培ってきたものや、日本人のもつ俊敏性や生真面目さ、小兵ならではの特性を生かしたチームが確かなイメージで出来上がりつつあるように思う。朝日新聞の記事を参考にしながらまとめてみた。

先ずは、マルキーニョス(32)が、Jリーグ年間表彰式(2008Jリーグアウォーズ)で最優秀賞を受賞したことです。2連覇した鹿島のブラジル人FWで、初受賞で、得点王(21得点)、ベストイレブンと合わせて個人賞3冠に輝いた。このマルキーニョスが何故(なにゆえ)にこの最優秀賞に選ばれたかということだ。FWとして、最高得点をゲットしたことは、言うに及ばないが、それよりも何よりも、彼の守って得点するそのハードワークにある。鹿島の同僚が、口々に評する言葉、岡田ジャパンに定着した内田篤人は「前から激しく球を追って組織プレスのスイッチを入れてくる」、これまた岡田ジャパンの興梠慎三は「あの姿を見ると僕もさぼれない」。彼自身は「FWも献身的に守るのが現代サッカー」。並のFWがここまで守備に力を注げば本分の攻撃まで手は回らないもの。「そこは工夫した。1人でやるのではなく、仲間と協力してゴールに向かおうと」。岡田監督は、このような鹿島を百も承知している。彼の国籍は日本ではないので、岡田ジャパンに招請されることはないが、影響力は大だ。

前記の内容とオーバーラップするのですが、私には印象強く網膜に刻まれた局面と、それについての中村俊輔のコメントを聞いて、これこそ岡田監督が求めるゲーム運びなのでは、と思ったことがある。W杯最終予選の日本とウズベキスタン戦だったかカタール戦だか忘れたのですが、後半の半ばに交代選手としてピッチに入った佐藤寿人が、ボールをキープする相手選手を追いかけて、追いかけて、最後はスライディングして相手のボールコントロールを狂わせた。そのニュートラルになったボールを日本の選手が奪ったのです。このプレーを中村俊輔は「あのようにして、ボールを追いかけて、相手を潰すことが、攻撃のスタートなのです。彼はよく理解しているのです」、こんなコメントを静かに言い切った。岡田監督と、ゲームメーカーである中村俊輔の共通し合った認識なのだろう。前日本代表監督のイビチャ・オシム氏(67)の教え子の巻誠一郎も、前線で必死にボールを追いまわす。

マルキーニョスの頑張りに鹿島のメンバーが応えているように、FWが必死にボールを追いかけると、チームとしての緊張感は否応なしに引き締まる。士気は上がる。また攻められてもコースが絞られてくるので、守備はしやすくなる。守備がしやすくなると、攻撃へのエネルギーは温存されるし、攻撃に対する想像力は生き生きと澄む。

岡田監督が敬意を払い、何かとアドバイスを貰っていたオシム氏の、日本に在住中言い続けていた「走れ」、「真剣に全力で動いて取り組め」の言葉の重要さを、岡田監督はよく理解している。オシム氏の所産は偉大だ。

又、Jリーグ覇者の鹿島は岡田ジャパンの攻撃のヒントにもなったと思われる攻撃のパターンを確立した。マルキーニョスは、興梠慎三と息を合わせ、2人の縦パスで裏へ出る得意形を築いた。欧州リーグの映像を見返し、複数の連係で攻めるイメージを固めた、とマルキーニョスは言っている。中村俊輔や中村憲剛、長谷部誠、遠藤保仁から、時には大きく展開したり、時には短く、パスで繋いで繋いで、前線(戦)の狭いエリアまでボールを持ち込み、そこでタイミングを外しての、相手守備陣の裏でパスを受け、短い距離からの正確なシュートでゴールを奪うパターンだ。この戦法に合った選手がFW陣を占める。玉田圭司、佐藤寿人、大久保嘉人、田中達也、興絽慎三、香川真司、山瀬功治らだ。前線では守備で走り回り、球を奪えばゴール前へすぐに飛び出す田中達也は、インタービューで答えている。「自分に合う、自分を出せる戦術です」、と。また、ラテン系・田中マルコス闘莉王、オシムの申し子・阿部勇樹と巻誠一郎、野武士・中澤裕二等の個性も活かそうとしている。

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(11月19日のカタール戦の前半19分、内田からのパスに抜け出す田中達也⑧。この後先制ゴールを決める)

昨年の暮れのクラブ杯の準決勝で、優勝したマンチェスター・ユナイテッドにガンバ大阪が挑んだ試合では、ガンバ大阪のパスワークが評判だった、また元マンUのボビー・チャールトンさんは「インテリジェンス」と「平常心」を褒めていた、と朝日新聞は報道している。ボビー・チャールトンさんの、会場提供国としての日本に対する敬意と社交辞令による褒め過ぎ、評価し過ぎの感は否(いな)めないにしても、この場は身を引き締めて拝聴させていただこう。実際のゲームにおいて、マンUは手を抜いたとは言わないが、長旅の疲れもあったのだろうが無理はしなかった。先取点を取ってからの、マンUのゲーム運びには必死さが見えなかった。ところが1点差になると、ルーニーの劇烈なゴールで日本を突き放した。危機に陥っては爆発的に稼動する。この違いは何だ。サッカーの歴史の違いと、どうしても欧州と日本とのフィジカルの違いに行き当たる。この欧州との差を埋めるには、試合を重ね、国際経験を豊かに積み上げるなどの努力が必要で、その必要性は理解できても時間はかかる。弛(たゆ)まぬ不断の努力を続けることだろう。日本の選手は、外国のクラブチームにどんどん移籍して、試合に出ることによって練磨され、視界の広い選手になって欲しい。

岡田監督が、しばしば使う言葉の一つは「Our Team」だ。自分たちのチームだという意識を持たせている。私も、35~40年前大学でサッカー部に在籍していた。当時、私は、部員が宴席や何かと集まる機会に、言い続けていたことがあったのです。それは、人の「縁」のことです。我が大学には、北海道から九州まで、高校時代、名を馳せた名選手もいれば、私のようにレベルの低い選手らがごっちゃ混ぜに集まって来ていた状況の中で、武蔵野のグラウンドでサッカーをする為に集まったのだから、最長4年最短1年間、かけがえの無い制約された期間、実のあるように頑張ろうや、ということでした。人の「縁」を真面目に考えると、人の「絆」が深まるのです。「君と私、その他の仲間、コーチと監督、との邂逅。武蔵野のこのグラウンドで、一緒にサッカーの出来る幸せを徹底的に大事にしようということでした。Jリーグの各チームに所属してそれなりの評価を受けながら、尚、日本代表チームのメンバーとして、もう一段高いレベルのプレーを目指す気概と、日本代表に選ばれた者同士の「絆」と、誇りを持つこと。そのような精神土壌の中で、本気で戦うチームでしか得られない連帯意識を醸成する。そしてチームは一丸となる。そんなチームを岡田監督は構想しているのだと私は思っている。

それと、セットプレーの精度を今以上に上げることだろう。セットプレーは強豪チームにだって泡を吹かせることができるのだ。これは、妙味だ。日本チームの知恵の出しどころだ。

W杯アジア最終予選はこれからが山場だ。産業界は土砂降り状態で、気の休まるときがない。どうか、いい試合を見せ続けて欲しいものです。