2006年11月6日月曜日

つたない経営者よ、荒野をめざせ

つたない経営者、私の大きな悩み    

 

(注)この文章は社内用に作成したものだが、弊社の求人募集に応じてくれる方々が多くいることも念頭において、社外の人にも弊社の経営方針の一部でも知ってもらったほうがいいと判断して公開した。



 

 

27期(平成17 9/1~ 18 8/31)が終わって、申告を先日の10月31日に行った。同日に納税も済ませた。急成長期突入の故、決算内容はよかったけれど、まだまだ流動資金が足りなくて、納税資金を調達するのに、大変だった。経理事務所からは、後2~3期は大変な思いをしなくちゃならないでしょう、とのこと。


決算内容を詳細にチェックしたが、細かい数字についてはよく解らないのが実感だけれども、なんだか、私は、不思議な精神状態に陥ってしまった。


この不思議な感覚は、何んや? 何故? どういうことなのだろうか?


このことが、この文章を綴る動機になった。



 

 

この不思議な感覚は、「会社は誰のもの?」について考えると、はっきりしてくるのではないかと思いついた。


「会社は誰のもの?」について、経営者(役員)、社員、株主、関係者等は同一の認識を共有しなければならない、と考えている。


私以外の者がどのように考えようが、金輪際、お構いなしに、私流に考証を巡らしてみる。



 

 

決算が真っ赤、火達磨状態の時に、社員に対して「会社は誰のもの?」と聞いたら皆はどのように応えるだろうか。


「私は会社のスタッフの一人です。会社あっての私ですから、会社が存在するかぎり、死にもの狂いで頑張ります」と応える者は、まあ、余程、達観している奴でないかぎり、言いきれないだろう。


でも、普通の経営者だった私、の会社には、地獄のどん底をさ迷っていたとき、会社と運命を共にと、艱難辛苦、無我夢中で頑張ってくれた社員がいた。今のN村専務だ。稀有な、奇特な人物だ。彼の良さは、苦しいことも、あたかも楽しい事を行うが如くこなしてみせた。


こんな社員ばかりなら、何も、この課題の考証を進めることもない。



 

 

*社員は、働き手としての権利・義務、そして所属する会社との取り組み、関わり方を、経営者に対して明確に意思表示すべきだ。


*経営者は、社員に対して、労働の対価を、何を、どれだけ、どのようにして、用意してあげられるかを精一杯、考えることだ。



 

 

そこで、今回の決算〆で、私が感じたことを露骨に話す。「会社は誰のもの?」。こんなことは、つたない経営者と言えども、私は、基礎素養として、既に当たり前のように身につけている。


が、しかし、会社は社員のものでもあるんだ、ということに、なかなか気が行き届かなかったのが正直なところだ。今回の決算に記載されている数字は、全てのスタッフの日常活動の、よかれ悪かれの成果なのだ。多くの社員は当然社員として、社長、専務も役員として、社員として働いた。その社員等が一年間頑張った成果が年次の決算書で、その一年一年の積み重ねが、直近の決算書の累計(資産の部)であり、(負債・純資産の部)である。



 

 

私は、我が社は、『(会社は社員のものでもあるんだ)改革』の手始めに、先ず,後記の事をトライしてみたい。



 

 

早速、取り込んでみたいと思っているのが、社員に株を持ってもらうことです。社長や専務が、独占していてもしょうがないのではないか。社員に褒賞として、分け与えていくべきではないか。


そうすることで、会社は社員のものでもあるんだ、ということになるのではないか。会社が良くなれば、良くなるだけ、社員も経営者も、もっと良くしたいと思うのではないだろうか。社員も株主として、業務の励みになれば、こんなにいいことはない。


役員の両名とよく相談して、できるだけ早い時期に、この案を実行したい。



 

 

前の方で書いた、不思議な感覚とは、実は我が社の将来に対する恐怖や不安が入り混じった感覚だったのだ。会社がよくなれば、よくなるだけ、会社の存在の重要性が増してくる。内外に対しての責任が重くなる。


もっと正直に言えば、決算書を見ていて怖くなってきたのです。二人っきりの株主で、役員が三人だけで、経理・経営に不慣れな監査役では心配三昧だ。


こんな状態で、今後の我が社の飛躍的な発展はあるのか?


もう、停まる(留まる、止まる)わけにはいかないのです。縮小するわけにもいかないのです。


今こそ、社内の体制、組織、を見直して、自由で闊達で、生き生きした組織に、あらためて脱皮したいものです。労使?がお互いの壁を破った組織をイメージしている。


親・女房・子供に、我が社を取り巻く誰に対しても、誇れる会社にしたい。


お客さんには、いい商品を提供して喜ばれたい。




そして、不思議な感覚に陥らないようになりたいものです。