2007年6月26日火曜日

23日は「沖縄慰霊の日」

アーバンビルドが、沖縄で、ホテルを建築することになった関係で、沖縄を訪れる回数が多くなった。その度に、うれしく感動する沖縄の自然のすばらしさ、とりわけ、海と空の青さと、そら恐ろしく感じる基地の大きさだ。

詳しい数値は毎度のごとく忘れてしまったけれども、概略数値は諳(そら)んじている。沖縄県の広さは日本国土全体の確か1%?、その沖縄にある基地の面積は、日本にある全体の基地面積の75%?も占めるらしい。詳細な数値は、ご自分でご確認ください。

沖縄に友人ができ、仕事仲間ができ、泡盛をいただき、ユタさんにお世話になり、もうすっかり、沖縄が好きになりました。だからこそ、沖縄の出来事に、沖縄の事情に気になることには、積極的にかかわりたい。できたら徹底的に納得したいのです。でも、納得できないことは、納得できません。

かっての私には、「慰霊の日」とか「本土復帰35周年」、「集団自決」なんて、関心の外のできごとだった。

今年の5月15日。沖縄本土復帰35周年。日本国憲法が施行されて、まだ35年しか経っていない。憲法ができて25年間の空白がある沖縄では、まだまだ憲法の理念が生かされていない。基地を沖縄に押し付けておいて、沖縄の人々の気持ちを逆撫でするようなことばかり。今回の「集団自決」問題もそうだ。集団自衛権の行使まで、正当化できる手立てを模索し続ける、政府・与党。先ずは、沖縄県民にこそ、憲法、防衛、人権について、政府・与党は話合いを持つべきではないのだろうか。

沖縄県民に納得させられないものは、私も、絶対、納得しないことを宣言する。

23日は「慰霊の日」。

62年前の沖縄戦で、日本軍の組織的抵抗が終わった日だ。

日本軍や住民が追い詰められた本島南部の糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では、県が「沖縄全戦没者追悼式」を開いた。この戦争の最中に起きた住民の「集団自決」を巡り、日本軍の強制を示す記述が、教科書検定で削られたことに、沖縄が強く反発するなかで迎えた。

県平和祈念資料館では、「集団自決」ではなく、「強制による集団死」という言葉を使って展示している。資料館の設立理念の文言も一部変更された。資料館は、「集団死」の経緯と背景について、こう説明している。日本軍は、住民と同居し、陣地づくりなどに動員した。住民の口から機密が漏れるのを防ぐため、米軍に投降することを許さなかった。迫りくる米軍を前に「軍民共生共死」の指導方針をとったため、戦場では命令や強制、誘導により親子、親類、知人同士が殺しあう集団死が各地で発生した。その背景には、「天皇のために死ぬ」という国をあげての軍国主義の教育があった。

沖縄県議会では、22日、全会一致で可決した意見書は、「集団自決は、日本軍による関与なしに起こりえなかった」ことで、文部科学省の検定意見「軍が命令したかどうかは明らかと言えない」の撤回と、削除された記述の回復を求めている。すでに沖縄の9割の市町村議会も同様の意見書を可決した。

2007 6 23  朝日の社説を転載させていただく。

沖縄慰霊の日  集団自決に見る軍の非情

沖縄は23日、「慰霊の日」を迎えた。太平洋戦争末期の沖縄戦で、日本軍の組織的な抵抗が終わった日である。今年の慰霊の日は、昨年までとは趣が異なる。沖縄戦で犠牲になった人たちをとむらうことにとどまらない。沖縄戦とは何だったのかを改めて考えようという動きが広がっているのだ。

きっかけは、「集団自決」についての教科書検定である。文部科学省が「日本軍に強いられた」という趣旨の記述を削られた。軍の強制を否定する資料が出てきたというのだ。

沖縄では一斉に反発が起きた。各地の市町村議会に続き、県議会でも検定の撤回を求める意見書が全会一致で可決された。意見書は「日本軍の関与なしに起こり得なかった」と主張する。

保守、革新を問わず、憤ったのはなぜか。集団自決が日本軍に強いられたものであることは、沖縄では疑いようのない事実とされてきたからだろう。

集団自決が主に起きたのは、米軍が最初に上陸した慶良間(けらま)諸島だ。慶良間諸島だけで犠牲者は700人にのぼる。

多くの悲惨な証言がある。例えば、元沖縄キリスト教短大学長の金城重明さん(78)は集団自決の現場で、手投げ弾は自分にまで回ってこず、母と弟妹を自ら手にかけて殺した。『手投げ弾は自決命令を現実化したものだ」と語る。

集団自決に直接かかわった人たちだけではない。沖縄の人たちが「集団自決は日本軍に強いられたものだ」と口をそろえるには理由がある。

沖縄の日本軍は1944年11月、「軍官民共生共死の一体化」の方針を出した。足腰さえ立てば住民を一人残らず動員し、生死を共にさせようというのだ。

子供から老人まで駆り出された住民は、食料や弾薬の運搬などだけではなく、戦闘員として敵に突入を命じられた。

陣地の構築にも動員されたため、住民は軍事機密である日本軍の配置まで知ることになった。そこで日本軍は住民が捕虜になることを許さず、「敵に投降するものはスパイとみなして射殺する」と警告していった。

一方で、「鬼畜米英」軍に捕らえられたら、女性は辱めを受け、男性は残忍な方法で殺される。日本軍はそう住民に信じ込ませた。

迫りくる「鬼畜」の敵軍。背後には投降を許さない日本軍。そうした異常な状態が集団自決をもたらしたのだ。

沖縄戦の3ヶ月の犠牲者は20万人を超える。本土から来た兵士より住民の犠牲の方が多かった。日本軍の任務は本土決戦の時間をかせぐため、米軍をできるだけ長く沖縄に足止めすることだった。

沖縄の人たちは「捨て石」にされ、根こそぎ動員されて日本軍と一緒に戦い、そこで集団自決が起きた。いまさら「日本軍は無関係」というなら、それは沖縄をもう一度裏切ることになる