2007年6月6日水曜日

落語「大山詣り」

伊勢原桜台で当社がマンション分譲を開始する。

5月28日(月)、その販売会議を社内で行っていたら、小見取締役が、販売が順調に終了するように、大山阿夫利神社に祈願に行こう、と言い出した。販売用のチラシには、大山の紹介もしている。小見家の初詣の定番は、大山さんらしい。そうだな、役員三人揃って行こう、ということにして、会議は終了した。

その日、自宅に戻っていつものように、朝日新聞の夕刊を読み出した。酒が入っているので、小さい字を読む気力は失せていた。そんな時に、大きな文字で、落語の「大山詣り」が今月の一席なんて、記事が載っているではないか。

忙しさに追い立てられ、季節を感じる暇もないまま毎日をすごしていませんか?月ごとに一席噺(はなし)をセレクトして、人情溢れる人々の生き方から日本の「旬(しゅん)」を楽しんでください、という企画らしい。その記事を一部書き換えたり、割愛しながら、転載させていただくことにしました。

あらすじと、大山詣りの当時の様子を楽しもうではないですか。

あらすじ

談話・三遊亭竜楽

恒例の大山詣りの季節になったが、毎年、道中でけんかになるため、、乱暴者の熊五郎はメンバーから外されてしまう。どうしても行きたい熊五郎は先達(せんだつ・旅行のリーダー)に頼み込み、けんかしたら坊主頭になることを条件に一行に加わる。結局は、酔いつぶれ仲間を殴り、寝ている間に坊主頭にされてしまった熊五郎は、怒りにまかせ、一足先に長屋に帰り「船が事故に遭い、自分以外は死んだ」と嘘をつき、かみさん連中に「頭を丸めて亭主を弔え」と、坊主頭にしてしまう。帰ってきた連中は激怒するが、先達が一言。「お山は晴天、うちに帰りゃみんなお怪我(お毛が)なくっておめでたい」

「大山詣り」のオチに見る、おおらかな江戸人気質

「大山」は神奈川県伊勢原市と厚木市の境にある標高1252メートルの山。古くから山岳信仰の対象となり、その信仰登山の歴史は約250年前にさかのぼる。別名を「阿夫利山」といい、「雨降り」とかけて農耕民にとっての雨乞いの神様でもあった。江戸時代では、これが大いにもてはやされ、毎年、5月末から6月にかけて多くの人が参詣に訪れたという。

「大山詣り」はもともと上方落語の「百人坊主」という噺をアレンジして江戸落語にしたものだが、その違いはそれぞれの噺のオチにある。[百人坊主」ではみんな坊主になった後に、外を見ると「あれ、一人毛のあるやつがいるぞ」となり、よくよく見れば寺のお坊さんだった、というオチ。これが「大山詣り」になると、大ゲンカになりそうな険悪な雰囲気を「怪我(毛が)なくてよかった」ときれいに場の空気をまとめている。

「『大山詣り』は大らかな江戸人の心が汲み取れるオチになっています。些細なことでいさかいが起こる殺伐とした世の中、笑いを潤滑油にする心の豊かさを学ぶべきです」

当時は坊主頭になることは大変なことで、出家もしていないのに頭を丸めるのは、たいていが罪人だったという。そこをシャレで治めてしまうところが落語の面白さだ。

「現代でも仕事や勉強でミスして『坊主にします』という人がいますが、そんな江戸時代の風習が残っているのかも。シャレのわかる上司や先生には「でも、お前は三日坊主だからな」と切り返されるところですが」

江戸時代から大山参詣のルートは諸説あるが、神奈川宿に泊まったのは確かで、その帰りは神奈川・藤沢でどんちゃん騒ぎ、人によっては江ノ島や鎌倉などを見物して帰るという大レジャー旅行であったという。

「寄り道も旅の魅力のひとつ。参詣を口実に遊びに行く人もいたようです。遊興に夢中になり無一文の果てに現地解散。最大の難所は借金のヤマだった、なんて笑えない話もあったそうで~」

また富士参詣の「富士講」やお伊勢参りの「伊勢講」に代表されるように、江戸時代は、「講」という組合を地域で作り、積み立てをして旅行していた。「講」には「先達」と呼ばれる旅のナビゲート役が存在し、現代でいうツアーコンダクターのような役目を果たしていたという。

「当時の旅行は、かって知ったる仲間で出かけることが多かったといいます。また、治安などの理由により主に男性の楽しみであったようです。女性も亭主の世話から解放されリフレッシュできたでしょうが。今は奥さん同士が連れ立って旅行に行き、亭主はうちでさびしく留守番、というご時世です。立場が逆転しましたね(笑い)」

2007年GWの旅行動向(JTB調べ)を見てみると、海外に出かけた日本人は、54,8万人で、旅行者の内訳もリタイア後の夫婦や母娘での旅行が増加。日本人の旅行は時の経過とともにその範囲を大きく広げ、様変わりしている。

[江戸に住む人の多くは、箱根の山を越えることなく人生を終えたといいますから、今の環境は恵まれていますよね。お金と暇があればどこでも行ける。とはいえ、旅が人生の娯楽であるのは今も昔も変わりません。江戸人のようにおおらかな心で旅を楽しみたいものですね。