毎日新聞の号外(090516)を、新幹線の北九州は小倉駅の南口でもらった。仕事で小倉に来ていたのです。鳩山氏が勝ったのは予想通りなのだろう。この状況下では、岡田さんが意外に頑張ったのだろうが、もう少し選挙活動の時間に余裕があれば、もっと肉迫、いや逆転だってあったのでは、と思うのは私の岡田贔屓のせいか。毎日新聞の号外の記事をそのまま転載させていただいた。裏面には「鳩山氏の横顔」というタイトルで、彼が今までたどって来た政治家としての経歴がまとめられ、いい資料だと思ったのです。
毎日新聞 号外
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民主党代表選開票結果は
鳩山由紀夫 124
岡田 克也 95
(投票総数220 無効1)
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民主代表に鳩山氏
29票差岡田氏破る
民主党は16日午後、東京都内のホテルで開いた両院議員総会で代表選を行った。党所属国会議員による投票の結果、鳩山由紀夫幹事長(62)が124票を獲得して95票の岡田克也(55)を29票差で破り、新代表に選出された。政権交代を焦点に今年9月までに実施される次期衆院選で、民主党は鳩山氏を首相候補として麻生太郎首相と対決する態勢となった。
今回の代表選は西松建設の違法献金事件による小沢一郎代表(66)の辞任に伴うもの。事前に小沢氏から辞意を伝えられた鳩山氏は、自らのグループと小沢氏の支持グループを中心に早々に支持を固めた。小沢代表のもとで行われた07年参院選で当選した議員を中心に参院での支持が厚く、猛迫する岡田氏を振り切った。世論調査などで高い支持を受けた岡田氏は、選挙を間近に控えた若手衆院議員を中心に支持を広げたが及ばなかった。
選挙中のインタービューなどで鳩山氏は、小沢氏、菅直人代表代行と3人による従来の「トロイカ体制」に岡田氏を加えた「トロイカプラス1」の新体制を打ち出し、党内が一致結束して次期衆院選に臨む態勢を目指す。だが事実上、小沢氏の支持を受けて当選したため、小沢氏辞任の原因となった「政治と金」の問題に民主党が明確なけじめをつけたことになるかどうか、衆院選で改めて問われることになる。
鳩山氏は菅氏らと民主党を結成した創設メンバーで、代表就任は3度目。郵政選挙後の05年9月に前原誠司前代表のもとで幹事長に就任。06年4月に小沢代表就任後も引き続き務めた。衆院北海道9区、当選7回、祖父は鳩山一郎元首相で、吉田茂元首相が祖父の麻生首相と似通う。
裏面
衆院選へ新体制
鳩山氏の横顔
小沢一郎前代表を支えてきた鳩山由紀夫新代表は、小沢氏と同じく自民党旧田中派で政治家人生を始めたが、その後の歩みは必ずしも小沢氏と近いわけではなかった。
93年6月、政治改革路線の違いから武村正義氏らと自民党を離党し、新党さきがけの結成に参加。非自民連立政権の細川内閣で官房副長官を務め、若手のホープとして注目された。96年9月に旧民主党を菅直人氏らとつくり、共同代表に。さきがけの全員参加を目指した武村氏に対し、鳩山氏は「負のイメージをしょい込んだ」と参加を拒否。穏やかな性格だが頑固な面もあり、かたくなな姿勢は、「排除の論理」と呼ばれ流行語にもなった。
97年当時、野党第一党の新進党党首だった小沢氏は、自民党との連立で政権復帰に意欲を示したが、鳩山氏は保・保連合を「改革からほど遠い。時計の針を逆戻りさせる」と厳しく批判し、新進党を離党した羽田孜元首相らと連携を強めた。
98年4月には、旧民主党や民政党などと現在の民主党を結成。国民的な人気があった菅氏に代表を譲り、自身は幹事長代理に就任。だが菅氏の女性問題に加えて党内の保守勢力が、「菅氏では国民の支持の広がりに限界がある」、と鳩山氏の代表就任を画策し、99年9月に選出された。代表としての鳩山氏の評価は必ずしも芳しくなかった。状況にそぐわないとっぴな発言から「宇宙人」と呼ばれたことも。02年9月、決選投票の末に3選されたが、論功行賞と派閥均衡から幹事長に旧民社党出身の中野寛成氏を充てたことに批判が噴出。小沢氏率いる自由党との合併にも賛同が広がらず、12月に代表を辞任した。その後も小沢、鳩山両氏は会合を重ね、両党は03年9月に合併した。
鳩山氏は「保守合同」を実現した鳩山一郎元首相の孫で、父はたもとを分かつ弟の鳩山邦夫総務相の周辺から「いずれ兄弟で新党を結成する」との声もある。