2009年5月2日土曜日

結婚披露宴、謝辞

今日、5月2日、私の息子が結婚します。披露宴で、私が初めての親族代表として挨拶するその謝辞の下書きです。

遠 003

当日の様子です

新郎山岡草太の父、山岡保です。

隣にいるのが私の妻で、また草太が「お母さん、お母さん」と何万回と呼びかけてきた、草太の母親です。

こちらのお二人は、元子さんが「お父さん、お母さん」と、これまた、何万回、何十万回と話しかけてきた、元子さんのお父さんとお母さんです。

私が、両家を代表して、挨拶をさせていただきます。

本日は、お忙しいなか、息子の草太と元子さんの結婚披露宴に出席していただき、ありがとうございました。遠路はるばるよくぞ来ていただき感謝しています。ゴールデンウィークの貴重な初日、自由にのんびり過ごしたい、と思っておられた方々もいらっしゃったのではないでしょうか。

先ほどから、草太や元子さんの諸先輩や、友人から温かい励ましの言葉や、披露宴を楽しい企画で和ませていただき、本人たちは、さどかし嬉しかったことでしょう。本人になり代わって、感謝申し上げます。

二人の結婚式が行われた内容については、先ほど草太から報告させていただいた通りです。厳かに、行われました。

草太は我々夫婦の4人の子供のたった一人の男の子として2番目生まれてきました。生まれてきた子供の名前を「草太」と決めたとき、その名付作業にかこつけて、私は子育ての最初の仕掛けを試みたのです。

「草(くさ)」という文字と言葉の持つ意味を理解できる子供になって欲しかったのです。私が子供の頃、身近にあったものは、オモチャでも絵本でもなく、澄んだ空気と土と水と木と草だったのです。草は、手厚い世話がなくても、勝手に逞しく生育する。田んぼのあぜ道でも、野原でも川原でも、草同士は実に仲良く相手のことを気遣って生きている。踏まれても折られても、めげずに、元のままに戻る。強く生きる草太になって欲しかったのです。

私の望む通り草太は逞しく育ってくれました。

マサカツ、マサチカ!ありがとう(注=このフレーズは、披露宴が終わって、5日後に書き入れました)

中学校の頃、サッカーの試合に行った先から、相性の合わない監督から逃げるように自宅に帰ってきた。その監督が悪かったのか、草太自身が悪かったのかは、神のみぞ知るところでありますが、未熟な草太の、自我の最初の目覚めだったのでしょう。草太の本性が、行動として表した最初の出来事でした。

オダコウヘイ!頑張ろう。

高校生の頃も、草太はサッカー仲間に恵まれました。私が仕事中、夏の暑い日、偶然自宅に立ち寄ったとき、合宿中の昼休みだったのでしょう、自宅の狭いリビングに、汚れたユニホームで、仲間がゴロゴロ、丸太のように横たわっていたことを思い出します。(その丸太は、ガッチャンであり、リョウスケであり、一星だった、他にも数人いました)。河野(かわの)先生との交流。川島家の人々とクロの御両親とも親しくなった。一星のオヤジの人となりを知った。

ヒデ、チワタ、アライ、ヒライワ!頑張ろう。

大学時代、アルバイトをしていたラーメン屋さんで、学友と酒を呑んだときも楽しかった。このように、草太はどこでも、友人に恵まれ、私の望む生き方を実行していった。

ユウジ、キンさん、タクショウ、ウッチィー、コヤノ、カズマ、カワノ!頑張ろう。

そしてオーストラリア時代だ。私と、私の父と草太の親子三代でのシドニー珍道中は、面白かった。耳が遠くなったオジイチャンに、食事時になると、「オジイチャン、何食おう」、この大声は道行く人たちをびっくりさせました。草太の言うことは、何でも嬉しそうにニコニコ聞いていました。そして、ウーロンゴン大学の卒業式、私の妻とオバアチャンである妻の母と妹の苑子が出席しました。妻とオバアチャンの二人の着物姿は珍しかったようで、地元の新聞の記事になりました。

アダム!元気か。

そして日揮だ。日揮は、世界屈指の石油の採油精製のエンジニアリングコンストラクターだ。その会社のサッカー部の連中とも酒杯を交わせる暇(いとま)をつくってくれた、サッカー部の友人に感謝する。昨年は私の母校の老トルサッカーチームと日揮のサッカーチームが、御殿場で試合をした。これも私を大いに喜ばしてくれました。当然、当方はコテンパに負けました。

マツキヨ、イヨダ、スズケン、タノウエ、ケンタ、シンタロウ、キダ、ヨシノ、フジワラさん!よろしく。

それから、重要なのはこれからだ。

会社の仕事のことについては私はよく解らないが、苦しいとき、困ったことやトラブルが起こったとき、そんなときにこそ頼りにされる男になるのだ。我ら山岡家のDNAには、スーパースターを目指す遺伝子はない。でもだ、この結婚をきっかけに、もっと強くて、柔軟性があって、情熱的で、意欲的で、誠実で優しい、そして深みのある大人になるのだ。夫として、父親として、そして立派な社会人になるのだ。

私達にとっても平田家とのお付き合いは始まったばかりです。両家を代表してのご挨拶の心算だったのに、草太のことばかり喋ってすみませんでした。子供達を介してのお付き合いから、これからは、一段と進んだ交流をしたいと思っています。

元子さんのお父さんの詳しい紹介が、最後になった失礼をお詫びします。元子さんのお父さんは、五島列島の宇久島で、神島(こうじま)神社の宮司をなされています。その神社の創建は1187年ですから、今年で822年になります。いい国作ろう鎌倉幕府の1192年は、源頼朝が鎌倉幕府を開いた年ですから、鎌倉幕府の始まる前に作られたことになります。歴史のある神社です。平田家の直系33代目の宮司さんです。34代目の息子さんは、只今、福岡県で修業中です。

夢の島、五島列島の宇久島に、大挙してお邪魔しようと企画を練っている者もいるようです。

妻になった元子さんの、役割も重大です。真面目だけれども、ちょっとおかしな草太と、笑顔の絶えない家庭を作って欲しいと切に望んでいます。

ご列席していただいた皆さん、お願いがあります。まだまだ未熟な二人です。二人を支えてやってください。相談にのってやってください。温かく見守ってください。アホなことをしたときには、厳しくお叱りください。皆さん、草太をよろしくお願いいたします。

本日は、有難う御座いました。