私の次女は、元気者だ。小学生の時はチャキチャキで、中学生の時は強烈で、中学から高校にかけては極度に私をキリキリ舞いをさせてくれた。学校から、何度呼び出されたことだろう。お陰で、教育を受ける側、教育をする側の悩み事を理解できるようになった。高校を卒業してからは、独り立ちするといって、我が家を出て行ったのはいいけれど、彼方此方から聞こえる風の噂には神経をビリビリさせられた。勝手に入籍、出産、そして離婚。実家に戻ってきたと思いきや、即、アパート暮らし、新たなパートナーとの同棲。私たち夫婦にとって、気が緩められない日々の連続だった。でも、仕事はいつも真剣だった。老人の訪問介護の仕事に精を出して頑張っている。この仕事に、働く意味を見つけたようだ。同居人は電気工事の会社に10年近く勤めている。主に私鉄の関係の工事が多いらしい。
それから数年が経った。
私共の会社で中古の一戸建を、私の自宅の道路を隔てた向かい側に保有していた。できるものならば、売却して少しでも流動資金を得たいと思っていた。でも、この時点では、老夫婦が賃借人として住んでいた。売却するにしても、購入してくれる人は、賃貸収入を当て込む投資家か、賃借人に出て行ってもらって、自己使用を考える人ぐらいしか考えられない。弊社の売主希望価額で購入しても投資利回りが悪すぎる。又、賃借人に出て行ってもらう交渉は骨が折れる。そんなこんなで、購入してくれる人は著しく限定される。
この物件の売却情報を公開する前に、私にはしなくてはならないことがあった、腹案があったのです。先ずは次女に購入する意志があるかどうかを確かめようと思った。
次女には4歳の息子がいて、共稼ぎのため保育園に通わせている。私にとっては、可愛い孫です。同棲している男性は、次女の息子に対しては、自分のことをお父さんと呼ばせて、一丁前の父親を自認している。実際、よく子供の面倒をみてくれている。この問題は、我が家でも早くはっきりさせなくちゃいかん問題だった。以前に彼に会った際、きちんと今の三人の生活をしていれば、我が家のみんなも、きっと君の理解者になる筈だから、時間をかけて頑張ってくれ、と言ってあった。
次女は、この住宅の話を聞いて、そりゃお父さん、私にはもってのほか、いい話です。即、購入したいと結論を出した。
住宅のことを云々(ウンヌン)する前に、解決しなければならない問題があるではないか。同居人との、いい加減な関係の整理だよ。そこで、私の長男が、次女の同居人に会って話を聞きたいと言い出した。歳も同じ30歳同士や、彼がどんな人物で、今後のことをどのように考えているのか、よく聞いてみるよ。アイツ(次女のこと)の息子のことが一番心配なんだ。長男は次女の息子を、非常に可愛がっているのです。俺は、割といい奴だよ、とは言っておいた。それから二人は、横浜の居酒屋で痛飲のうえ意気投合してしまった。数日後、あの人はエエ人やから大丈夫や、と言ったまま、その後この件に関しては、もうどうでもいいような言い草だった。
購入したいと言ったって、彼女に銀行が果たして資金を貸してくれるものなのだろうか。そんなことを心配していてもしょうがないよ、と友人は住宅ローンの申し込みを早速試みてくれた。敷地が狭小であること、建物が違反建築であることで、スンナリとはいかなかった。銀行をあっちこっち変えて、何度もやり直しを繰り返したが、ついにオッケーを出してくれた銀行が見つかったのです。老人介護の仕事を約5年程続けながら、子育てしていることが、高く評価されたようだ。
私以外二人いる取締役に声を掛けて緊急動議、審議に諮(はか)った。売却の可否、売却額について審議した。売却できるものならば、売却したいというのが三人の共通した意見だった。提案した価額が、時価というか、現在の相場ならばいいのではないか、と取締役会で議決した。議事録も作成した。
そして昨年の年末に、私と次女は賃借人である伊さん夫婦に今回、借りていただいているこの家の所有者が変わったことを知らせに伺った。伊さんは高齢だし、伊さんにとっては急な話なので、急がなくても結構ですのでゆっくり考えてください、でも、できたら2年後には、この次女の子供が小学生になるので、その時ぐらいには明け渡して頂けると、とっても有り難いのですが、とお願いした。
そして年が明けて早速、伊さんから「あなたの娘さんの事情も分かったし、私どもも今の家賃では家計のやり繰りが大変なので、近いうちにもっと安い家賃の所に引越しすることに決めますのでーーー」、と話は次女にとってハッピーな方向に進むことになった。
同居人の人柄は、長男からの報告を聞いて、家族のみんなは安心した。我が家のみんなからも祝福を受け、次女と同居人は念願の夫婦(めおと)の契りを結ぶことになり、入籍を終えて、同居人は堂々の夫になった。
それから伊さんは、知人を頼ったり、役所の老人用の住宅相談に出かけては、懸命に家探しに取り組んでくれた。
私と伊さんとは性格が非常に違うこと、考え方にも大きな違いがあることで私は、過去に何度も嫌な思いをしているので、今後の伊さんとの交渉は我が家の家人と次女に任せることにして、私はこの件からは距離を置いた。
2月に、伊さんから引越し先が見つかりました、と報告があった。それは有り難いことだと喜んだ。賃借人に明け渡しを求めることの難しさを次女らに説明して、伊さんたちには感謝の気持ちを込めて、できる範囲内で協力することを次女等に約束させた。
そして、伊さんの引越しの日がきた。運送屋さんは、作業員3人と2トントラックで来た。こんなトラックでどのように荷物を運ぶのか、と思いながら次女たちが手伝っていたら、伊さんは持って行く物と捨てる物を区別しだした。そしてそのなかから、幾らかをトラックに載せて、トラックは行ってしまった。運送屋さんはそれで終わりだと、伊さんは仰る。
大量に荷物が残った。その積み残された荷物は、伊さんの奥さんが小さな乗用車で運びますわと言う。伊さん夫婦は乗用車で移動する際、夫婦同席が原則にしているようなので、小さな車の後部座席とハッチバックにしか載せられなくて、一回で運べる量は大した量ではない。そんなことを知らされた次女たちは、焦った。前から引越し日を聞かされていたので、自分たちが住んでいるアパートの明け渡し日を大家さんに約束していたのだ。その日までには、自分たちの引越しができないことに気付いた、次女と晴れて夫になった元同居人とその弟たちは、次の行動にでた。その弟の職場の仲間も手伝ってくれた。
伊さんが、持って行きたいと思っている荷物を、自分らで運んでやろう、と思い立ち、即、実行した。運送屋が持って行った荷物の2倍もの荷物をだ。夫は権太坂から港北ニュータウン間を往復3回。そんな好意に対しても伊さんの口から出る言葉は、感謝の言葉ではなく、恰(あたか)も自分たちのペースを乱す邪魔者に向かっての言辞と仕草だった。高齢であること、有難く家を明け渡してくれたことに、謝意と敬意を表して、この場では何も言うまい。
前の方で書いたことなのですが、私も以前に伊さんとはモメた。お金を融通したこと、節税対策を税理士さんにお願いしたこと、今回の住宅を貸したこと、何もかも年老いた伊さんの為になればいいなあ、と思ってやったことがアダになって、喜ばれるどころか、誤解が誤解を生み、恨みに思われてしまって、伊さんに対する不信感が募り、がっかりしたことがあった。
夕方、暗くなり始めた頃、やっとのことで伊さんの荷物は全部運び出された。ゴミや廃棄物も次女の知り合いにお願いして、格安で捨ててもらった。支払い者は何故か、次女側だった。そして翌日自分たちの荷物を入れるために掃除をした。先住民にとっては、退去後の掃除なんて全然考えにはなかったようだ。
夫の弟は、庭師です。この弟は、伸び放題になって日差しを遮(さえぎ)っている樹木を伐り、自分で用意した庭木を、植え揃えてくれた。沈丁花、紫陽花、・・・など。まだまだ新米ですがと謙遜するものの、もう十分立派な職人さんだ。庭用の黒土も用意してくれた。
そして翌日、次女夫婦等は引っ越してきた。作業員は次女夫婦に、夫の弟、夫の職場仲間、その仲間の女友達だ、そして我が家の家人は補助員。家具の搬入、その家具を所定の場所にセット、玄関キーの交換、電気の配線、もうそれはテープの早回しのようだった、と当家の家人から報告を聞いた。一通りの作業の目途がたって、今日の仕事を終わろうとしていた、その時、伊さんから電話がかかってきた。大事にしていた鍋が見つからないのですが、知りませんか、という内容だった。あの鍋は高価な鍋で、手伝いに来ていた少年がクサイと思っている、と言うではないか。なに? クサイと言うことは、あの子が盗んだとでも言うのですか。ちょっと待ってくださいよ(糞ジジイ!!とは、言わなかった)、あの少年と私たちは10年も親戚付き合いの仲なのです、何を言うんですか。老人は警察に届けようと思っています、と言う。年齢を重ねるだけでは、思慮深くなることではないらしい。夫は、まだダンボール箱をみんな開けたわけではないでしょ、よく調べてくださいとご忠告。
こんなアホな会話が、何故、この状況下で交わされるのか、非常に残念だった。よっぽど、次女たちの協力が、追い立てられているように思えて、伊さんは立腹、感情を害されたのだろう。
その二日後、伊さん夫婦は何か忘れ物があったのか、以前に住んでいた家、既に娘夫婦の家の庭の中を何の了解もなしに入っていた。残して行った物は、全部捨ててもいい、と了解を得ていたので、きれいさっぱり捨てて、すっきりしたもんだ状態。次女夫婦に言わせれば、捨ててあげたのだ。何をしているのですか、と尋ねても、失礼しましたの一言もないことに、夫は怒っていた。双方の関係は決定的に、最悪なものになってしまったようだ。
このように、娘一家は自分たちの所有する、新しい自宅での生活が始まったのです。それにしても、若い奴らのパワーには驚嘆するばかりだった。