2009年10月16日金曜日

広島長崎五輪、こりゃ大義大ありだ

2016年夏季五輪の開催地に、ブラジルのリオデジャネイロが決まった。盛り上がらないままの東京が落選したのは、当然至極のことだと受け留めた。リオが南米大陸で初めての開催地になった。ブラジルの国民、リオ市民の喜びはいかばかりか。大いに腕を揮(ふる)って立派な大会が行われることを祈りたい。私も経済的、業務的に余裕が出来れば、行ってみたいと思っている。

東京の招致活動は、石原慎太郎東京都知事の味噌をつけた発言で幕を閉じた。落選した腹いせだった。招致を競い合った相手国に対して、記者会見で裏取引があったようなニュアンスの発言をした。不愉快にさせた。スポーツマンらしくなく、潔くなかった。

盛り上がらない招致活動に、150億円を投じた。そのことにも、馬鹿知事は「余剰分で夢を見ようと思ってやったのは間違いではなかった」とどこまでも、低次元で悪びれない。余剰金だと言ったって誰の金だと思っているのだろうか。極秘に開かれた反省会では、招致活動で一番重要なのは、IOC関係者との人間関係で、スポーツ、語学、外交の術に秀でた人材を育てることだ、と結んだと聞いている。解ってない。人材を豊かにすることには、異論はないが、でも落選の理由は、そんなもんではない。本当の原因は、皆が白けていることの理由を分析してみれば、答えはいとも簡単だ。市民レベルでは、ドッ白けていて、参加意識が希薄なままだった。何故か。それは、誘致することの大義が整っていなかったからだ。

そうして数日後、今度は広島の秋葉忠利市長が、2020年の夏季五輪招致を広島と長崎を中心になって目指すと日本オリンピック委員会に申し出た。このことを聞いた瞬間、東京招致のくだらなさに滅入っていた私は、俄然元気を取り戻した。これは、楽しいことになりそうだと予想する。広島市長は「より多くの世界中の人に被爆の実相を知ってもらう機会にもなる」と、田上富久長崎市長は「核廃絶の国際世論を加速させる可能性がある。核廃絶を達成するためにできることがあるならやってみたい」と口を揃えた。

朝日新聞の天声人語氏もこの企画に期待して、「ヒロシマとナガサキが人々の胸に刻まれば刻まれるほど、核廃絶の潮流が強まっていくと信じたい」と述べている。朝日新聞はすかさず社説でも、両市にエールを送った。後ろの方に転載させてもらった。

五輪招致は、核廃絶の世論をさらに高める重要なプロセスだと信じたい。

ただ、五輪憲章では立候補できるのは1カ国1都市で、両市が目指す共催という形は現時点では認められていない。かって東京オリンピックでは、主会場は東京でもヨットは藤沢で行われた経緯がある。

11月3日にはオバマ米大統領が日本に来る。多くの日本人はオバマ大統領に広島と長崎を訪れて欲しいと思っているけれども、アメリカの保守勢力のニラミが厳しく、訪問は無理なようだ。それほど、アメリカの保守層は、原子爆弾を二つの市に落下させたことを、アメリカの正義と理解しているようだ。

だが、オバマ大統領は、この世で初めて原子爆弾を使用した国の大統領として、アメリカには同義的責任があると発言した。そして、今後のオバマ大統領の核廃絶への取り組み、国連中心主義への回帰、覇権主義をとらない、単独主義で突出しない、話し合い外交を続ける等々の活躍を期待してノーベル平和賞を受賞した。

この招致には難しい課題が山積だ。両市の発意の源になる大義を、共有できる人たちをどれだけたくさん取り込めることができるかが、成否に懸っているように思う。願っている。ネットを通じたり、勝手連的であったり、兎に角若者達が招致の前線に立って活動できるようになれば、ハッピーだが。そのような形態が望ましい。ヒロシマやナガサキこそ、次代に引き継がれなければならない。これは、今度こそ、私は応援したい。この招致活動を実らすためには、IOCが今回、招致活動の反省会で出た、人材養成もここへきて、必要になるのだろう。

JOCは、両市の案を日本の案として取り上げて欲しい。そして、日本国としても物資両面において最大の協力をして欲しいと願う。

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☆学習/大義=①人がなすべき道。とくに、国家、主君に対して臣民が踏み行うべき道。②おおよその意味  (日本語大辞典・講談社)

☆学習/味噌をつける=失敗して恥をかかされたり信用を失ったりする。(慣用句ことわざ辞典・三省堂)

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091014

朝日朝刊・社説

広島長崎五輪

共感呼ぶ夢の実現に

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大変な難題であることは承知の決断だろう。

2020年の夏季五輪をいっしょに開こうと、広島市と長崎市がそろって名乗りを上げた。

人類史上でただ二つ、原子爆弾を投下された都市が手を携えて共同開催の道を求め、検討委員会をつくって招致の可能性をさぐる。

両市を中心に国内外3千以上の都市が加盟する国際NGO「平和市長会議」は、20年までの核兵器廃絶をめざす。来年の核不拡散条約(NPT)の再検討会議で、その目標までの道筋を定めた「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を採択しようと呼びかけている。

「核兵器のない世界」を追求するオバマ米大統領に、ノーベル平和賞が贈られることが決まったばかりだ。世界の人々が注視する大イベントである五輪を被爆地で、と提唱することで、国際世論を核兵器廃絶に向けて大きく動かしたい。そんな思いが読みとれる招致声明である。「平和の祭典として出発した五輪は、核兵器廃絶の実現にふさわしいイベント」という訴えは多くの人々の共感を得るだろう。

とはいえ、立ちはだかる壁はあまりにも厚く、そして高い。

まず財政面だ。一般会計の大きさを16年五輪の招致をめざした東京都と比べると、広島市は10分の1以下、長崎市はさらにその半分以下だ。広島市は1994年のアジア大会を開いたが、参加したのは42カ国・地域だった。近年の五輪は200を超す国や地域が参加する。基盤整備や招致、運営にかかる多額の資金をどう調達するのか。

「志を共有する複数都市」にも仲間に加わるよう呼びかけ、ネット献金も募るというが、容易ではなかろう。

五輪憲章は「1都市開催」を原則にしている。例のない共同開催は、日本オリンピック委員会(JOC)や国際オリンピック委員会(IOC)が受け入れ難いのではないか。

ほかにも、ホテルの客室数の確保や二つの都市間の移動、五輪後の競技施設の活用、さらには招致に失敗した東京都のかね合いーー。解決しなければならない課題は多い。

今回の提案を実らせるには、五輪の姿を一変させる必要がある。

大型公共工事で都市基盤や豪華な競技施設をつくり、招致にも多額の費用をかける。そんな国威発揚や経済振興と結びついた五輪では、限られた大都市でしか開けない。そうではなく既存施設を利用することで、あまり金をかけない五輪を生み出せないものか。

広島、長崎両市は、JOCやIOC、さらには政府や国民に、自らが描く「これまでとは違う五輪」の姿を提案してみたらどうだろう。

そうでないと、二つの被爆地の市民の納得も得られまい。