去年の年の瀬に、今年2月のバンクーバー冬季五輪に向けたスピードスケートの代表選考会が、長野市のエムウエーブで開催された。
今回は、ビッグな三人が注目された。清水、岡崎、高木の三名です。
この三人の誰もが強烈な印象を我々に与えた。そのことを報じた朝日新聞の12月29、30、31日の朝刊の記事から抜粋させてもらった。こんな大事な記事こそ、古新聞の回収前に私のファイルにしまい込まないといけないのに、年末年始の宴会続きでサボっていた。
その一人は☆岡崎朋美(38)=富士急
38歳、朋美スマイル集大成へ。
女子500メートルで2位に入り、5大会連続の五輪出場を決めた。冬季五輪への5回の出場は日本女子史上最多となる。0秒05差で銅メダルを逃したトリノ五輪から4年。スケート人生28年の集大成に向かう。
女子500メートルで2位になった。
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もう一人は、☆清水宏保(35)=コジマ
完全燃焼のラストランだった。
小さな巨人がリンクを去って行く。
1998年長野五輪で日本のスピードスケート史上初の金メダルを獲得、世界記録も4度塗り替えた選手だ。今大会では、500メートルで7位、1000メートルで9位に終わり、代表落ちは確実になった。続けてもバンクーバーまでと以前から発言していたから、第一線から去ることになろう。ラストラン。この日の1000メートルを滑り終わった清水は、観客席の母を見つめた。母の津江子さん(71)が投げ込んだ花束を拾って、穏やか笑顔で滑った。
津江子さんは、「長い間、感動をいただき、感謝しているし、長野五輪を見た時も、今日のレースも、もらった感動は同じ。こんな幸せな親はいません」。目を潤ませながら見守った。
男子1000メートルで9位に終わった。
軌跡
1989、白樺学園入学
1992、日大に入学
1993、W杯に18歳で初出場し、初優勝
世界スプリント選手権に初出場で総合3位
1996、W杯500メートルで35秒39の世界新
1997、W杯500メートルで1995年に続いて2度目の総合優勝
1998、長野五輪500メートルで金メダル、1000メートルで銅メダル
1998、世界種目別選手権500メートルで1回目に35秒36、2回目には34秒82の世界新
日本スピードスケート界初のプロ宣言
2001、世界種目別選手権500メートルで34秒32の世界新
2002、ソルトレーク五輪500メートルで銀メダル
2006、トリノ五輪500メートル18位
2007、腰を手術
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最後の一人は、☆高木美帆(北海道・札内中)
速い15歳、実力で大舞台
高木Ⅴ「びっくりしすぎです」
15歳の中学3年生がまたも快挙を達成した。前日まで2種目で3位だったが、今度は1000メートルで優勝した。高木と同じオールラウンドの大先輩、橋本聖子・日本連盟会長は「コーナリングは世界の一流選手に近い。遠心力をもらってコーナーの出口で加速する理想の滑りができている」と絶賛する。
163センチ、57キロの均整のとれた体。
中学3年生の高木は2014年のソチ五輪の星だったはず。3000メートルで3位に入っても、「実感がわかない」と夢心地だった。安定したラップを刻み、五輪参加標準記録の4分15秒00を大きく上回った。高木の4分13秒90を、その後に滑った名取、大津、石野のW杯組は超えられなかった。
30日には1500メートルでも1分59秒47で優勝した。
幼稚園でスケート、小学2年でサッカーとヒップポップダンスを始めた。ずっと”二束のわらじ”で、中学のサッカー部ではFWとして男子に交じって練習し、スケートは冬限定。全日本ジュニア選手権で3種目制覇し、世界ジュニア選手権では総合4位に入り、「スーパー中学生」と呼ばれた。でも「そんなんじゃないのに」と肩をすくめ、どこかひとごとだった。
女子の代表枠は計10人。3000メートルの出場枠は「3」あり、他種目の結果と合わせて総合的に判断される。ただ、日本スケート連盟の橋本聖子会長は「個人的には、ソチ五輪を考えるとここで経験しておいたほうがいいと思う。伸び盛りだし」と推す。(金島淑華)
バンクーバー五輪では、1000メートル、1500メートル、団体追い抜きの3種目に出る。
女子1000メートルで優勝