2010年1月4日月曜日

新年を大宴会で祝う

そら、と関係者 013

大晦日の21:00、次女の婿・竹さんと寒川神社に歩いて向かう。初詣です。私の家人、次女と孫に,頑張って! と見送られる。今回は往復、歩き通す心算でスタートした。今年一年の健康、商売繁盛、家内安全、交通安全、出産に住宅建築、などの祈願に行くのだから、苦労して行かなくてはイカンのではないかと考えた。その願い事も、参拝する二人だけの家族だけではない、社員やその家族、仕事でお世話になっている人たちのことも考えれば、尚更のことだ。

夜空の中天には、満月と星、星。二人の影は濃かった。

昨年は、戸塚の下倉田に住んでいる出さんが参加したので、今はもうない西友戸塚店の前で合流、そのまま長後街道を進んだのですが、今回は不参加だったので、権太坂に住んでいる二人は、権太坂から東戸塚駅、川上団地の横を通って名瀬街道に出た。栄橋から通称チロリン峠、瀬谷柏尾道路に出た。阿久和川に沿って、岡津、レストラン藍屋から瀬谷柏尾道路をはずれて国際親善病院、弥生台駅前を過ぎて、かまくらみちを横切って、泉警察署を左に見て進行方向のまま進む。ここでは、濃紺の夜空に、富士山の山容が薄っすらと浮き出ていた。富士山にも頭(こうべ)を垂れた。泉区役所、いずみ中央駅に出て右折、長後街道をまっしぐら。上飯田を過ぎると、そこからは藤沢市。境川を跨いで、高倉バイパス,467号線を横切って小田急江ノ島線の線下、戸谷、下土棚、東山田、宮腰、用田に。用田からは直角に曲がって45号線をひたすら、一直線。寒川神社を2キロ程を前に、竹さんの携帯電話によるナビで、畑の中、民家の路地、農業用水路を跨ぎ、また畑の中から、神社を目指す。車が多くなってきた。初詣帰りの若いカップルや家族連れが目につきだした。有料駐車場になんとか駐車させようと必死で赤いライトの点いた棒を振り回していた。そうして寒川神社に目出度く、無事に着きました。

二人が首に巻いているのは、大阪の北陽高校が15年程前に正月の高校サッカー選手権に出場した時、千葉であった試合に応援に行って私と息子の草がもらった記念のマフラーだ。先生は、中学3年生だった草に、何処にも行くところがなかったら、北陽高校においで、入れてやるから、と言っていた。北陽高校の野先生は、大阪の金ちゃんと一緒にイタリアのW杯に行ったときに知り合いになったのです。野先生の風貌から、草は恐れをなしたのだろう。絶対、北陽高校には行きたくないと決心したようだ。北陽高校は、早大卒の岡田彰布、のちの阪神の元監督を輩出した、名門校なのに。2日に福島喜多方からやってきた塚さんは、ヤマオカ、今年のラッキーカラーは、えんじ色だよ。そのマフラーもジャンパーも初詣にはピッタリやったな、と喜んでくれた。

到着01:40。所要時間4時間40分、休憩なし。竹さんの足に異常発生。先日、あざみの駅から徒歩での帰途で膝を痛めたようだ。それに、3日前にスキーに行ってきてダメージを深めたようだ。私には、決して弱音を吐かない竹さんだが、余程痛かったようで、到着後、私に訴えた。臨機応変、心配するなと慰めた。神前で、家族、社員、友人、取り引き会社の人たちの顔を思い巡らして、昨年一年を無事で過ごせたことに感謝し、今年も健康で過ごせるようにと祈った。お休みどころで、私は日本酒3本(200cc*3)、おでん、もつの煮込みを食って、バスで海老名、相鉄線で横浜へ。東戸塚の自宅に戻ったのは、07:00頃でした。帰途、境木地蔵さんにもお参りしておいた。

そら、と関係者 014

帰宅後、3時間寝た。

1日、元旦。午後は、山岡フアミリーの大宴会だ。この日だけは水入らずに、山岡家の血族だけによる宴会に決めていたようだ。

ホスト役は、私、家人、苑、ポン太、翼。お客さんは、お隣の竹さん家族(竹、花、晴)、草家族(草、元、ソ)、森さん家族(哲、実、楓)。大人9人、子供2人、赤ちゃん1人、犬2頭。仕事があった花は遅れて参加。この集まりの中で、やはり一番もてもてなのは、去年11月に生まれた草夫婦の長女ソだった。我々のしょっちゅう行う宴会に初めての参加者だ。

生まれた時は、2448グラムで、今までの我々の感覚では小さくて、退院後もお乳の関係で2400グラムまで下がって、そのときはみんなで気を揉んだものだが、今は3500グラムまで育ち、動きも活発で、あくびをしたり、くしゃみをしたり、顔もシッカリしていて、成長は順調で安心している。そのソをみんなで、抱き廻し、ホッペをつまんだり、唇触ったり舐めたり、笑ったといっては、みんなで喜び合った。

今年は、森さん宅にも第2子が6月に誕生予定で、長女が幼稚園に入園する。自宅は6月に完成予定だ。忙しい年になりそうだ。家のことは、弊社の桜と設計士の関口がきちんとやってくれそうだが、子供のことについては、私には協力してやりたくてもどうしょうもない、問題だ。

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正月2日目

09:40、箱根駅伝往路、権太坂を早稲田大学が2位で通過した。先頭は、明治大学だ。

軽くお酒を一杯あおった後、隣の竹さんを誘って、犬のポン太と翼をつれて出かけたのです。沿道の応援に駆けつけた人は、例年より多いように思えた。私はこの地に住みついて約30年、沿道に出て必ず声援を送り続けてきた。この不況時、自宅、親類宅など近場で過ごしている人も多いのだろう。どのチームにも手が痛くなるほど拍手して、ガンバレ、ガンバレと走者に向かって声を掛けた。とりわけ、母校には、はっきり走者に聞き取れるように、母校の名を、両手をラッパにして連呼した。早稲田大学には、やはり特別の思いがある。母校の名を連呼する度に、私の、いつもは静かに潜んでいるワセダの虫が、急に体中を駆け巡るのです。いつになったら、この虫は鎮まるのでしょうか。薄毛の翼は寒くて帰途早足、ポン太は歩けば歩くほど糞をした。

東京・大手町の読売新聞社の本社前をスタートして箱根の芦ノ湖畔がゴールになるのですが、何とこの距離が、往路は108キロメートルと聞いて、昨夜の除夜の鐘を叩く回数も、ひょっとして108回ではなかったかと思いついた。復路は109,9キロメートル。どこかで一部コースが変わるのだろう。そこで、除夜の鐘を広辞苑で調べてみたら=除夜の夜半(正十二時)、に諸方の寺てらで、百八煩悩を除去する意を寓して撞く百八回の鐘の音とある。選手達は何も百八の煩悩を除去する為に走っているわけではないだろう。偶然の一致を見つけただけだろうと、思い込もうとしているのですが、何かその「ココロ」を見つけた人は、私にそっと教えてくださいな。

自宅に戻って、箱根駅伝のテレビ中継に首ったけ。酒を飲みながらの観戦はきつかった。

16:00.本日の宴会のメンバーは、大学の先輩、福島喜多方の塚さんと葉山の田さん、福島いわきのスイミングクラブに勤務している同輩の西だ。

塚さんの奥さんの実家は大和市内にあって、奥さんは数年前から主人の家業である魚屋を辞めて、元はMRIの検査技師だったので、その腕を買われて病院勤めを始めたのです。夫が正月の最後の仕事をしているのに目もくれず、先に実家の大和に来てしまったので、塚原さんは、一人猛吹雪の中で魚屋の後片付けを終えてから、やってきた。磐越西線は、ダイヤより大幅に遅れていた。田舎の魚屋は大変だ。10年程前に、近所にイトーヨーカドーができてからさっぱりや、と嘆きだしてから久しい。そろそろ、商売を止めようと思うんだ、と以前も今回も口走っていた。私の住んでいる近所の商店街を見ても、彼の店の様子は想像がつく。私の今年の運勢は強運だよ、頑張れば難局を抜け出せるよ、勇気をもってがんばれよ、と励ましてくれた。

田さんは、アクサ生命の営業マンだ。学校を卒業してからも仲間とサッカーを続けている。60歳以上の大会に出場するので、今でも練習は絶やしていない。よく頑張るといつも感心させられている。今年は奥さんが、自分の母親の面倒をみなければいけないので、来られなかった。我が家の催事には必ず来てくれて、酔っ払っては私たちの4人の子供を追い回しては、泣かせていた。彼は、我が家にとって欠けがえのない人なのです。

西は水球部だった。私とは大学同期だった。しかも同じ学部だったのですが、一度も校内で会ったことはなかった。3年生からは全日本の代表選手だった。高校は熊本の済々コウで2、3年では高校チャンピオンになっている。当時、水球をやっていた学校は少なかったけれど、それにしても輝くスポーツ学生だった。今はいわき市でイトマンスイミングで水泳指導やらバスの運転手やら、雑事を受け持っているようだ。来年で定年になるのだが、何をどうすりゃいいのや、と悩んでいた。スイミングクラブ一途でやってきたので、先行き不安なのだろう。そんなことないよ、何でもええやないか、遊びながら何かを楽しめばいいじゃないか、と慰めてみたものの、儚(はかな)い助言だったようだ。私には、西の境遇を羨ましく思うこともある。睡眠薬を飲まないと眠れないという、神経が細かい奴なんだろう。

話題は、大学時代の思い出話、かっての部友の近況をそれぞれ情報を交換して確かめ合った。健康のこと。自分達が取り組んでいる仕事の今後の見通し、家族のこと、いつもと変わらぬ話題ばかりで新鮮味はないが、やはり久しぶりに顔を合わした喜びはひとしおだ。懐かしさがこみ上げてくるのです。いつもはくだらないと思う話でも、この時ばかりは笑いが絶えない。居眠りを始めた田さんを起して、東戸塚まで次女が送ってくれたらしいが、皆は、無事に着いたか心配だったようだ。私は、酔い度が沸点に達し、酔っ払い天国から離脱、布団にもぐり込んだから、後のことは解らないのです。

この仲間に我が家の3人、森さん家族3人、草家族3人、竹さん家族3人が合流した。合計14人。飲んだ飲みました。深夜、尿意を感じて目を覚ましたら、3人が川の字になっていた。狭い部屋に家人が布団を並べておいてくれたのだ。二人の寝顔は、大学時代と全然変わってないなあ、と思った。

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正月3日目。

朝飯の後、塚さんが橋本に住んでいる同期の北さんの所へ行くというので、いわきまで車で帰る西に頼んで、塚さんを送ってもらった。

12:30。我社所有のアパートに住んでいるナイジェリア人・シチを、鶴見のアパートに案内した。ナイジェリア人には何かと相談に乗ってもらっているキリスト教の牧師が付き添った。ワンルームのアパートに夫婦と子供2人が住んでいて、それに奥さんが妊娠中だと聞くと、古くてももう少し広い部屋をあてがってやらなければならない、と思い続けていたのだ。

今日の宴会のメインゲストは河だ。河は私の長男草と高校、大学が一緒だった。その河が、恋人を連れてきたのだ。こりゃ春から縁起がいいね、と家族全員で、このカップルの行く末がハッピーになりますようにと願った。河は、我が家にとっても重要な人物なのです。家族の一員の位置づけです。

酒盛りのツマミは、おせち料理の残り物。そこに、竹さん家族がカレーを作ってきてくれた。竹さんの弟で、昨年結婚したノリさん夫婦も加わった。我が家3人、竹さん家族3人、草家族3人、河とその恋人、合計13人。

私は、連日の深酒のため、19:00降参して寝床直行。

 

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