2015年10月16日金曜日

デットマール・クラマーが逝く

誰にも悲しいことはある。社会からいろいろ学ぶが、困苦をよい師友として学ぶことが最も有益である、とミラーは言った。

父母、母、子供や孫など身内に近い人の逝去や隣人、友人、お世話になった恩師が亡くなることほど悲しいことはない。今年、スポーツ界についても、いいこと悲しいことが多く報道された。私などは、天賦の才によって、女性遍歴に身狂いしたわけでもない。苦しいことに、私にだって穏やかに済まされないこともある。

今日は、クラマーさんが亡くなったことを、我がブログで触れたい。

今日は20151015。後2か月過ぎれば今年も終わる。来年のことを考えましょうよ、こんな具合に日が過ぎている。余り言いたくないことだけれど、悲しいこともあった。この稿では、元日本代表コーチ クラマーさんの死去のことを取り上げたい。現在までのサッカーの入り口を、力を込めて作り上げてくれた。日本のサッカーの父。私の中学から高校時代のことだ。

虚ろな頭をジュワジュワいじりながら今年1年を思い出した。スポーツ好きの私にとって、好(い)こと、嬉しいこと、やった!! ことは多い。でも、流石にそれだけでは収まらないのが世の中だ。高校時代、勉強する前に、先ずはクラマーさんのサッカー教本を読んだ。私には難しかったけれど、技術的にはそんなに無茶なことはなかった。基本技術、戦法が多かった。その彼のことだ。サッカー関係者が彼のことを、ナンダ、カンダと敬意をもって語るのに、つられてしまったのかどうか? 私までクラマー信者になっていた。ドイツにはゲルマン魂がある。君たち日本人にも貴重な大和魂があるではないか、と励ました。

以下は、朝日新聞から~(朝日新聞の田中基之氏の記事)=日本のサッカーは今、世界の舞台で戦えるようになった。男子はワールドカップ(W杯)と五輪に2大会連続出場。女子は,2011年の(W杯)で優勝。その始まりはクラマーさんの来日だった。日本代表のコーチになったクラマーさんは基本技術を徹底的に教えた。選手がうんざりするほどインサイドキックを繰り返させた。日本代表の指導では精神性や人間性の大切さも説いた。「大和魂」という言葉を使って選手たちを鼓舞した。

Ryuichi Sugiyama and Dettmar Cramer 1964.jpg

東京五輪でアルゼンチンに勝ち、杉山隆一選手(左)らと喜ぶクラマーさん(右)=1964年10月14日、駒沢競技場 没年月日2015年年9月17日(満90歳没)。

日本代表対ベトナム代表でのクラマー(右側)、左は長沼監督)

1964の東京オリンピックでは、日本代表はアルゼンチン代表を破るなどでベスト8の成績を残した。任期を終えたクラマーは、帰国にあたって5つの提言を残した

  1. 強いチーム同士が戦うリーグ戦創設。
  2. コーチ制度の確立。
  3. 芝生のグラウンドを数多く作り、維持すること。
  4. 国際試合の経験を数多く積むこと。代表チームは1年に1回は欧州遠征を行い、強豪と対戦すること
  5. 高校から日本代表チームまで、それぞれ2名のコーチを置く