郷里の田原川の上流風景を、ネットからいただいた
ちょっと一言。我思う故に我あり。我ありとは、あらゆる存在については疑うことができるが、そう考えている自己の存在だけは疑うことができないということらしい。私は、今、私自身の生き方について、大いに疑問を持っている。その大きな原因は、高次脳機能障害って奴だ。
今年の6月から、我が家で女房の母親と一緒に暮らすことになった。これで、家族の総動員?は3人になった。我が家は新築して5年。夫婦二人っきりでは、余りにも寂し過ぎると思っていたところ、京都に居る女房の妹が、山岡さんちには母を迎えられる余裕がありますか?と質問があった。その質問に、女房は即オッケーと応え私も喜んで同意した。我が家には、エネルギーの核になる御仁(ごじん)が必要なんだ。母が暮らしている京都の家は、娘や息子その家族たちが住んでいて、足の不具合等で苦労している義母は、この際、この話に乗るべきだと思ったようだ。
私たちが結婚したのが、今からほぼ40年前のことだから、私は27歳位だったのだろう。現在、私は67歳で義母は88歳。義父は35,6年前に亡くした。義母には今まで、お金から何から何まで大変な苦労を掛けてしまった。それでも不満の一言も漏らさずよ~く付き合ってくれた。感謝しかない。
私は京都の南部、京都府綴喜郡宇治田原町の専業農家で育った。兄が二人いて、長男は実家の跡取り、次男は近所でサラリーマンをしていた。私は、早稲田大学でサッカーをやるのが唯一の希望で、その通り、4年生の時には、全日大学サッカー選手権でも関東大学サッカー選手権でも、日本一になれた。女房は東京の女子体育大学に入学した。そこで、二人は知り合った。二人が結婚して、東京で暮らすことは、彼女にしてみれば、老いゆく母のことが気になってしょうがない。
ところが、義母を迎えてから初めて気付いたことなんだが、足腰の不自由さが私が考えていた以上に痛度が深いのだ。一緒に暮らしていなかったから、義母の体の調子まで解らなかった。この義母を前にして、私たち夫婦は意を決した。一所懸命付き合って、ちょっとでも長生き、ちょっとでも良くなってもらうこと、足腰の不自由の至らなさをカバーしよう、、、と。
その生き甲斐が叶ったのか、見知らぬ神仏様の影響か、義母の調子がいいのだ!! 訂正。調子がいいたって歩きが楽になったとゆうわけではない、気分が晴れ晴れしてお腹の調子もよく、食事がすこぶるいい!! それにリハビリについても張り切って応じているってことだ。