遠藤周作 「深い河」
黒人霊歌『深い河』の歌詞に登場するヨルダン川(Jordan River)は、洗礼者ヨハネがイエス・キリストに洗礼を授けた場所として新約聖書に記述されている神聖な川。
イスラエル、レバノン、シリアの国境が接するゴラン高原やアンチレバノン山脈周辺を水源とし、北から南へ流れ、イスラエル北部のガリラヤ湖を経て死海へ注ぐ。総延長425km。( ネットより)
この数年、遠藤周作の本をめまぐるしく読んだ。晩生(おくて)の遠藤周作ファンだ。「沈黙」を読んだのは、10年前。それから、先月に読み終えた「深い河」。10年前から先月までの間に、「海と毒薬」、「悲しみの歌」、「イエスの生涯」、それ以外にもいっぱい読んだ。そんなことを言うけれど、テレビに映しだされた彼の余りにも剽軽なお喋りや仕種が嫌で、他人様に彼の本の醍醐味を話さなかった。
だが、そんな私に、いろんな中古本を安く買わせてくれるお店がアッチにもコッチにも出没した。その店らを、この私は見逃さなかった。今回の「寒い河」は、以前に読んだ「海と毒薬」、「悲しみの歌」の読後の感想が尾を引いたのだろう。本音の本音を漏らそう、昨年の事故以来、しっかり仕事らしいことができなくて、読書で気を紛らせていたのだろう!!
★下の文章は、ネットで得たものです~~~。誰の文章なのか解らないまま採用させていただきました。私の文章ではない。「深い河」は1993年の作品。毎日芸術賞を受け、映画化もされており、氏の作品群の中では「沈黙」とともに知名度の高い作品である。舞台になっているインドのベナレスを、私も以前訪れたことがあって、読み始めると、当時のことを思い出し、目の前に懐かしい情景が広がってくる。
この本が発売になった時と、その後にも読んでいたが、今回もう一度読みたくなった。折に触れ、読み返したくなる本は、やはり心に深く残るものがある証である。
実をいうと、私は若い頃、三島由紀夫の「豊饒の海」四部作の中の「暁の寺」に出て来るインドの描写を読んで以来、その混沌としたインド世界に妙に惹かれていて、いつかインドへ行って、三島が「神聖が極まると共に汚穢も極まった町」とか「華麗なほど醜い一枚の絨毯」と表現したベナレスの地が、本当にそうなのかどうか確かめたいと思っていた。
その後サタジット・レイのインド映画「大地のうた」三部作をみる機会があり、インドが醸し出す精神的な世界、風土に魅せられ、その思いは強まっていった。第二部「大河のうた」に映し出される、ベナレスの川岸の沐浴場の傘の風景を、食い入るように見つめていた記憶がある。
心で長く思い続けていることは、いつかは回りまわって実現するものらしい。漠然と遠いインドを思った日から年月が流れ、私の身辺にもいろいろのことはあったが、気がつくと、多くのものを捨て、孤独に一人旅をするめぐり合わせになっていた。そして密かに思い続けていたベナレスにも、貧しいさすらい人として滞在した。引き寄せられるように、三度ほどベナレスを訪れ、それぞれの季節の情景の中で、河を見つめて日を過ごした。
帰国後、何年かたって生活が落ち着いてみると、インドでのそういう漂泊の日々を懐かしく思うようになった。ある日、ふと目に入った「深い河」を手にとって読み出すと、もう止まらなくなり、夢中になってページを繰っていた。
でも最後まで読み終えたとき、遠藤氏には大変失礼で申し訳ない言い方だと思うのだが、非常に優れた作品とは感じるものの、インドの部分があまり表現されていないような印象を持った。
特にベナレスの描き方は、私にはどこかもの足りないものがあった。タイトルから受けるイメージは、ベナレスやガンジス河のことが多く入っている小説かと、読み手に大きな期待を抱かせるが、読んでみると、実際のインドの部分は、全体の分量に対してその比重が少なく、あくまで背景としてのインド、舞台装置としてのインドにとどまっているような気がしてならなかった。
舞台地がインドであり、背景がベナレスである後半、本当にこの地と遠藤氏が、心の底で深く切り結んでいたのだろうかと疑問を感じた。テーマから言えば、ベナレスでなくても、他の地でもこの小説が成立するような気もしてくる。
あえてインドの地というなら、むしろマザー・テレサの活動拠点のあるカルカッタ、あるいはボンベイやデリーの中の、汚れ切った路上が舞台地であるほうが、大津の最後に取った行動などの点から、より自然であるような気がしてくるのだった。
それでもこの作品が、大層秀でたものであるということに、変わりはないと思うし、晩年の氏のこの作品に対する並々でない気迫や集中力、筆力には終始圧倒され続け、また随所には心に染み通るものがあった。
氏の筆に触発されたのだろうか、私もインドのことを作品にしてみよう、と非力をも省みず思い始め、そして属している同人誌に、分割して発表するという形で、書き進めていくことになった。
回を重ねていくうちに、私の中のインド体験が、時を経ても鮮明に蘇ってくるのを感じ、それは稚拙ながら具体的な言葉になって次々押し寄せてきた。そしてそれまでにもインドについて何かを書いてみたいと願い、綴りかけては停滞していたものに、一挙に形を与えてくれた。
何はともあれ、私が自分なりにインドを描こうと試みる直接の動機になったのが、この「深い河」という作品であった。書きたい気持ちはあったのに、なかなか踏み出せないでいた時、背中を押して頂いたという、そういう意味でも感慨深いものがある。
氏はこの作品を執筆時、既に腎臓病や糖尿病などで、体調が相当悪化していたらしい。病苦と闘いながら、最後の気力を振り絞り、心血を注ぎ込んだ作品であるということを、後になって知った。そういう点も踏まえ、内容をみていきたいと思う。
あらすじ
インドの仏跡を巡るツアーに参加した人たちの、それぞれの人生の陰影が描き出されるという形をとっている。
主人公は美津子。彼女は学生の頃、大津という不器用で純朴な青年を誘惑し、捨てた。大津はフランスの神学校に去り、美津子は別の人と愛のない結婚をした。新婚旅行先で修道院にいる大津を訪ねていくが、ニヒルな無神論者である美津子と、美津子に捨てられて惨めであったときに、始めて神のコーリング(召命)の声を聞いたと告白する大津の話は噛み合わない。美津子は帰国後程なく離婚し、「愛の真似ごと」で病院のボランティアをするが、大津がベナレスの修道院にいると聞き知ってツアーに申し込む。
磯辺はがんを患った妻が、死の直前に言い残した言葉に手繰り寄せられて、インドツアーに参加した。妻の看護をしてくれていた、ボランティアの美津子とは顔見知りであった。妻は「必ず生まれ変わるから、私を探して」と彼に遺言し、彼は外国の文献で知った、ベナレス郊外の村に住むという、前世の記憶を持つ少女が、妻なのではないかと期待を持った。
童話作家の沼田は、動物や鳥に強い愛着を持っている。それは孤独な少年時代の記憶に基づいている。言葉を介さないゆえに、深く心と心で結びついたと感じられる小動物との交流が、彼を内面から支えているのだった。手術を受けている時に死んだ九官鳥を、自分の身代わりになってくれたと信じている。
木口はビルマ戦線で、死線をさまよった過酷な経験を持つ。倒れた木口に部下が勧める肉は、死んだ戦友のものだった。それを食すことによって生き延びた部下は、その悪夢と自責の念から逃れられず、アルコールに溺れ、体を壊して自滅していった。罪の意識に苦しむ木口は、慰霊の旅をしようとインドに来る。
インドに深く通暁している添乗員の江波は、寺院にツアー客を案内して、醜く萎んだ病苦に苦しむ姿で、なお人間に乳を与え続けるチャームンダー女神を熱っぽく紹介し、客たちの心に共感と感銘を与える。
大津は美津子に裏切られて打撃を受け、宗教に救いを求めてフランスに渡ったが、本来人間関係を円滑に保てない性格のため、行く先々で周囲との摩擦や軋轢を生み、居場所を無くしていく。
「さまざまな宗教があるが、それらは皆同一の地点に集まり、通じる様々な道である。同じ目的地に到達する限り、我々がそれぞれ異なった道をたどろうとかまわないではないか」
大津の心の底にあるこの根強い考え方は、キリスト教の考え方と根底で相容れないものがあり、彼は異端とみなされて、一旦は帰属した神学校や修道院から追放されていくのだった。
彼はインドに来て、ベナレスの教会で奉仕活動を続けるが、路上に横たわる死体をガンジス河に運んであげたことを知られて、そこにもいられなくなり、ヒンズー教のアシュラム(道場)に身を寄せる。
教会からたとえ非難されようとも、彼は放置された死体や、行き倒れになった瀕死の不可触賤民や、娼館で息絶えた娼婦を負ぶって、彼らが望むガンジス河に連れて行くという行為を止めない。
ツアー客はそれぞれの思いをインドに投影して、自分の旅をした。
磯辺は郊外を探し回るが、結局妻の生まれ代わりという少女に会えず、その存在すら怪しいとわかり、懐疑的になって空しさを抱え込む。沼田は買い求めた九官鳥を、かつての身代わりのお礼に、空に放してやる。木口は急病に倒れるものの、美津子の看護に助けられ、河に向かって慰霊の経を読んだ。美津子は探していた大津と再会し、対話を通して、その無償の行為の底にあるものを感じ取る。
折しもインディラ・ガンジーが暗殺されるという大事件が起こり、治安は悪化していく。騒然とする町で、トラブルに巻き込まれかけた、ツアーの愚かな日本人の若者を庇って、大津は怪我を負う。帰国しようとする直前、美津子は大津の死を知らされる。
あらすじ紹介はいつもより長くなった。多くの登場人物があり、それぞれの視点で、多彩で印象深いエピソードが次々展開されていくためである。
まず主人公である美津子と大津の重く宗教的な対話や、精神的な絡み合いが物語の中心にあるのだが、背景は日本、フランス、インドと移っていき、周囲に幾つもの小さな物語が織り込まれているので、読み手はどれも目が離せない。エピソードはなかなか読み応えがあるし、細部にまでいい表現が工夫されて散りばめられているので、つい引き込まれてしまうのだ。
この作品を読み解く上で参考になると思われるので、氏の死後刊行されたという、日記を引用してみよう。これはこれで氏の作家としての創作の舞台裏やら葛藤がひしひしと読み手に迫ってくる、切なくてある意味では凄い内容なのだが、ここでは主に主題についてみていくことにする。氏はその中でこのように言う。
……書棚からルオーの画集をひきずり出し、頁をめくっていたら、思いがけなく、昔書いた私のルオー論が出てきた。イザヤ書の次の言葉をそのなかで引用してあった。
彼はみにくく威厳もない。みじめでみすぼらしい。
人々は彼をさげすみ、見捨てた
忌み嫌われる者のように、彼は手で顔を覆って人に侮られる
まこと彼は我々の病を負い
我々の悲しみを担った
この詩篇の言葉が、今の私の小説の主題であることはいうまでもない。
(九十二年八月二十六日)
また別の日にはこんな記述もある。
グリーンの「ヒューマン・ファクター」の一節……主人公、カースルの言葉は私の小説のなかで積極的な主題になる。
「おれは基督教の神もヒンズーの神も半分信じる気持ちになった。大事なのは宗教の形ではなく、イエスの愛を他の人間のなかで発見した時だ。イエスはヒンズーのなかにも仏教信者のなかにも無神論のなかにもいる」
(九十二年一月二十六日)
おそらくこの辺りを核にして、氏はこの小説を構想したのだろう。キリスト教世界に属しながらも最後にはヒンズー世界に身を投じ、宗教を超えて最も惨めなものに向かってその愛の手を差し出そうとする大津、戦友の悲惨な罪を自分のこととしてわが身に引き受け続け、許しを乞い、霊を慰めるために、川辺で読経する木口、彼らは作者のまさに意図した通り、ヒンズーや仏教世界の象徴的存在として、その宗教世界を体現してみせる人物であるだろう。
大津は宗教の枠を超えて無償の愛を実現する存在として描かれるが、そのプロセスは不遇と挫折と悲哀に満ちている。
妻をひたすら恋い続け、輪廻転生を心の拠り所にして余生を生きようとする磯辺、身代わりになってくれた九官鳥に拘り、インドまでやって来た沼田、彼らは二人とも宗教的に生きてきた人間とはいえないだろうが、愛するものを喪失したことによって、その悲しみの中から宗教により近づいたとはいえるだろう。
彼らもまた人を愛し、生命を愛おしむという、一途でひたむきな姿勢を持った象徴的な人物として描かれている。磯辺にとっての唯一無二の存在は、長年連れ添って自分を支えてくれた妻であったろうし、沼田にとっては、命を代わって自分を救ってくれたと感じられる九官鳥が、それこそ神のようにも思われただろう。彼らのプロフィールは、真の愛とは何かを問いかける、このような聖地行の物語にふさわしい。
そして神の存在をきっぱりと否定し、冷たく虚無的に一人で生きるかにみえる無神論者の美津子でさえも、その内面の意識の深い所では、大津と屈折した係わりを持ったことによって、本当は誰よりも大津を思い、大津を永久に失うことによって、逆に大津への愛に一歩ずつ近づいていくようにも感じられる。
この作品の発表は1993年で、氏は1996年にこの世を去っている。氏にとっての最後の純文学長編となった。氏はこの作品中に、既発表の自作から、愛着の深い懐かしい人物を拾い出してきて、再登場させている。
「木口の場合」の章で病室の患者と苦しみを分かち合おうとする、ボランティアのガストンが出てきたとき、ああ、あの「おバカさん」に出てくる人のいい外人さん、と顔を綻ばせた読者も多かったことだろう。
「私が・捨てた・女」の純朴な森田ミツは、この作品でも、時に大津の顔と二重写しになって、その面影の一端を垣間見せてくれる。
その意味では、まるで寄せ植えの見事な植木鉢をみるようである。物語を彩る新旧複数の登場人物たちは、あちこちから作者の手によって、愛情をこめて移植されてきたのに違いない。このように多くの人物を、美津子と大津の周りにぎっしりと配置する必要が本当にあったのかどうか、よく分からないが、氏はおそらく自分の体調の悪化による不安や、体力の限界を感じたときに、未来に書くつもりの作品用にと取り置いていた、例えば磯辺や木口や沼田などのような登場人物たちを、この際思い切って動員したのではないだろうか。
最後に日記と対談集から少し抜粋しておこう。
心身共に自信を失う。小説についても同様なり。遅々として不進。挫折感しきりなり。(九十二年三月六日)
何という苦しい作業だろう。小説を完成させることは、広大な、余りに広大な石だらけの土地を掘り、耕し、耕作地にする努力。主よ、私は疲れました。もう七十歳に近いのです。七十歳の身にはこんな小説はあまりに辛い労働です。しかし完成させねばならぬ。(七月三十日)
この小説が私の代表作になるかどうか、自信が薄くなってきた。しかし、この小説のなかには私の大部分が挿入されていることは確かだ。
(八月十八日)
「『深い河』創作日記」より
「深い河」という作品は、三本の小さな川が、大きな生命の河に合流する話です。三本の小さな川というのは、自分のやっていることが偽善ではないかとか、偽悪ではないかとか、そうやってこだわっている小さな自分です。そういうものがやがて、大きなものに委ねられていく自分に変わってゆく……。
対談集「『深い河』をさぐる」より