2019年3月3日日曜日

一丸(いちがん)になる

社内でよく使う語句で「一丸(いちがん)になる」があるが、どういうことだろう、と思った。
大体は解っていても、その答えは正解ではなさそうなのだ。

★ネットで調べたら、
ひとつのまとまりになること。
心ひとつにしたひとかたまり。
複数人が結集し、力を合わせて事に当たるさま。
使い勝手に、「全員一丸になって難局に切り抜ける」とあった。

私は中学生のときはバスケットボール、高校から大学はサッカー。
大学の4年間は東京都保谷市、東伏見駅界隈のみで生息した。
入試に失敗して、素浪人の2年間はドカタ作業に現(うつつ)を抜かした。
大学には自分で稼いだ資金で何とか遣り遂げたいと思っていた。
2年間で稼いだお金、280万円を農業協同組合に入金、貯金通帳は母に渡して、私の気のままにならないようにした。
スポーツに関しては、技術や体力では誰にも負けたが、気力・精神力だけは負けなかった。
正規の練習が終わってからの時間無制限の勝手気儘(きまま)な練習、休みの日でも善福寺、井の頭公園、武蔵関公園、石神井公園まで走って行って、公園で過ごす恋人たちや遊ぶ子どもたちを見て楽しんだ。
年に2度か3度は多摩湖まで、早くなく遅くなく、勝手気ままなスピードで気楽に走った。

そんな人間が「一丸になる」をどう考えたのか。
サッカーに関しては攻守、それぞれチームカラーはあるが「緻密に練り上げた計画」をそれこそ細やかで緻密な動静、テクニックで攻め上げ守り抜いた。

今、会社は順調に業績をあげようとシッチャキになって頑張っている。
そのときに「会社を一丸となって頑張ろう」と言われたら、私はかくのごとく考える。
先ず社長が何かを言ったら、その意図を好く理解する。
逆に、社員が社長に内容を誤解なく話し、話した切っ掛けを好く理解してもらう。
この社長が社員に、社員が社長に話しかける内容が、過激なものであれば尚更、その衝突する勢いは激しくなるのは当たり前。
これこそが、真のコミュニケーション。
そうした、相互の言葉の遣り取りで十分互いが理解できて、隙間が詰まる。
こんなことこそが、一丸になるのだと思っている。
そんな遣り取りが彼方(あっち)でも此方(こっち)でも交わされれば、繰り返すようだが、一丸の輪が大きくなるのでは。

社長と社員が話すとき、その話すときのスピード、互いに理解し合ったときの激しさも原動力になり、この「一丸になる」の爆発力になる。
それと会話する内容だけではなく、方向ベクトルも影響するだろう。
これこそが、一丸の神髄なのではないか。



トカトントン、トカトントン、太宰治の言葉を借りたわけでない。
はてな? 果てなダ?
何是(なんぜ)こんな文章「前章)を綴ってしまったのだろうか?と考える。

それは1週間前に自宅に送られてきた「campus now 2019早春号」だった。その裏表紙に書かれていた「大隈重信のことば」が頭の隅っこに生き残っていたのだ。


共同するには共同の機関が必要である。

組織が必要である。

また人類は共同の性質をもっておる。

規律的に活動する知能をもっておる。

しかし、これを共同させて、
規律的に活動する
中心の機関がなければならぬ。

学校という共同体の中心は講堂である。


前の方で、グジャグジャ言ってしまったのは、この「大隈重信の言葉」のなかの、
共同、共同の機関、規律的な活動、組織、中心の機関が、
何を隠そう「一丸になる」に繋がっていくのだ。

そんなことが、より良い世界、より良い会社を作り上げる歯車なのだ。