2019年3月8日金曜日

啓蟄(けいちつ)

3月5日 朝の7時10分頃。
いつものように歩いて会社に行こうと家を出た。
Nihon-akagaeru.JPG
ニホンアカガエル

路上に、蛙(かえる)が、きっと夜中に自動車にでも轢かれたのだろう、体を引っ掻き回されたように、ぐちゃぐちゃになって死んでいた。
事故現場は自宅から200メートルほど離れたところ、長女の家族が住んでいる家の前だ。
これゃ二人の孫娘がこの様子を見てどのように思うか、心配した。
でも、バスの発車する時間が迫っているので、気にはしながらも素通りした。

この蛙は私が田舎でよく見た蛙ではなく、いつの日かアカガエルと言うんだよ、と大学時代の部友に教えられた。
その部友の住んでいる家は横浜市神奈川区高島台の旧居だ。
詳しく話そう。
幕末から明治にかけて活躍した実業家・高嶋嘉右衛門の子孫が代々住んでいた。
今の所有者は、私の友人だ。
横浜の埋め立てやガス灯建設などで功績を残した。
一方、易の達人でもあった。この住宅は明治時代に建てられたもので、父母や祖父母を大事にする彼の意向で、壊すのではなく、弊社で昔に近い状態に改装した。
10年ほど前のこと。
その家には300坪ほどの庭があって、そのなかに50坪ほどの昔からの池がある。
池の水は、量を気にするほど入れなくても、庭からじわじわ引き寄せられていた。
その池に、春、今頃になると、遠くの地からこの池に蛙が戻ってくる。
冬が近づいてくると、部友たち家族が気が付かないうちに、何処かへ居なくなってしまうのだ。
そのことに関して、心配をしないのか?と何回も尋ねたが、不思議なんだよなと返された。
何処かへ去って冬眠して、春先になったら、天気の陽気に嬉々としてやって来る。
昔から、これは変わらないなあ。
彼の住宅の周りはすっかり都市化され、擁壁や路面はすっかり近代化されて、住処(すみか)にするにふさわしい箇所は、私の目に容易に見つからなかった。
その蛙が、今回傷ついた蛙と同じ種類だった。
アカガエルは、外国から帰化した蛙だと聞いているが、随分増えているのか、それとも、何も帰化したものではなく、昔っから日本に居続けていたのか。

いつものように8時には会社に着いた。
翌日、仕事をそっち抜けにして、コンピューターに向かい、ネットで「今日は何の日」を調べてみた。
そしたら、本日から日本でも中国でも啓蟄(けいちつ)です、とあった。
成(な)あ~る程(ほど)。

「啓」は「開く」、「蟄」は「虫などが土中に隠れ閉じこもる」の意。
「啓蟄」で「冬籠りの虫が這い出る」(広辞苑)という意を示す。
春の季語でもある。