20190602の朝日新聞・朝刊/総合3の記事を下の方に転載させてもらった。
難しい問題を提示・提起、掘り下げている訳ではないが、新聞記事になるだけあって、真剣に考えなくてはならないことだ。
土・風・水が清々(すがすが)しく、野花や樹木が大いに気持ち良く育っている郷里で生まれ育った私には、この記事の内容を心身併せて理解できる。
日曜に想う
編集委員・福島申二
小さな命の警笛 聞こえるか
人知れず進行している異変が、小さなできごとによって表に現れてくることがある。
水俣病は、ある漁村の住民がネズミの急増に困って市役所に駆除を申し込んだ、と地元紙に報じられたのが世に知られるきっかけになった。
漁村にいたネコが原因の分らぬまま相次いで死に、はびこるネズミの被害に手を焼いて陳情に至ったのだった。
あとになって振り返れば、ネコは、死をもって危急を告げる炭坑のカナリアのような存在だったかと思われてならない。
ひるがえってこちらは、地球規模の危機を知らせるカナリアかもしれない。
オーストラリア北部沖の小島に生息していたネズミの固有種が絶滅したと、同国政府が2月に発表した。
ブランブルケイ・メロミスという種で、その島にだけ生息していた。
なぜ「カナリア」なのかというと、地球温暖化の影響で絶滅した初の哺乳類とみられているからだ。
サンゴ礁の島は4~5ヘクタールで海抜は3メートルに満たない。
温暖化による海面上昇で浸水して生息域を奪われたとみられ、10年前に確認されたのが最後になった。
日本ではあまりニュースにならなかったようだが、小ネズミの受難に耳をすませば、地球の悲鳴が低い声となって聞こえてこないだろうか。
温暖化ばかりではない。
新参者のホモ・サピエンスが手荒く君臨するこの星で、何か取り返しのつかないことが進行しているのではないかという不安が、胸をよぎっていく。
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80億人に迫ろうという人間をのせて地球は回る。
自分もその一員ながら、さぞ重かろうと案じずにはいられない。
自然の負荷は増すばかりだろう。
世界の科学者が参加する国際組織(IPBES)が先ごろ、生物多様性と生態系の現状についての報告をまとめた。
生物多様性と聞けば難しいが、いわば地球上の「命のにぎわい」である。
報告には、それらが人間によって侵されている深刻な状況が示されている。
たとえば、いまや陸地の75%は大きく改変された。
海域の66%で環境が悪化し湿地の85%は消滅した。
地球上に約800万種とされる動植物のうち100万種が絶滅の危機に瀕しているという。
膨大な種の生き物は、それぞれが人知を超えて結びつき、作用し合って、ゆたかな生態系をつくっている。
その恩恵を存分に受けながら、我々はかってないペースで多くを絶滅に追いつめている。
大抵は名も知られない種で、トキのように美しくも、ニホンカワウソのような愛嬌者でもない。
ほとんどが人知れずに、ひっそりと消滅しているのである。
かってニューヨークの動物園に「世界一危険な動物」という展示があった。
檻の中には鏡があって見物する当人が映った。
檻には「他の動物を絶滅させたことのある唯一の動物」という説明もついていた。
そんな話を苦く思い出す。
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去る5月22日は「国連生物多様性の日」だった。
1992年にリオデジャネイロで開かれた地球サミットに先立ち、多様な生物を守っていくための条約が採択された日にちなむものだ。
そのサミットで、何より記憶に残ったのは、当時12歳だったカナダの少女が世界に訴えたスピーチだった。
「オゾン層にあいた穴をどうふさぐのか、あなたは知らないでしょう。絶滅した動物をどう生き返らせるのか、あなたは知らないでしょう。どう直すのか分らないものを、壊し続けるのはやめてください」。
言葉は大勢の胸を突いた。
未来について知ったふうな悲観は言うまいと思う。
しかし、滅びの危機というのは我が世の春のなかで不気味に育ち、気がつけばぬっと隣に立っているものだろう。
茨木のり子さんに次の詩がある。
人類は
もうどうしょうもない老いぼれでしょうか
それとも
まだとびきりの若さでしょうか
誰にも
答えられそうにない
問い
ものすべて始まりがあれば終わりがある
わたしたちは
いまいったいどのあたり?
答えられない。
しかしその「問い」を発する賢さが、人間にはある。