私が、好んで好んで見つけた訳ではないが、どういう訳かこの3日間、鳥さまに縁のある日だったようだ。
まるで鳥に絆(ほだ)されたみたい。
鳥に取り付かれたようだと言えばいいのか。
飛ぶ鳥は大気や風の象徴であり、蝶や蛍とともに霊魂の似姿とされる。
なかなか、日頃の生活では馴染みのない表現だが、ネットで「似姿」を調べてみたら、かくの如しだった。
似姿とは、似せて作った像や絵。
ある人物の姿、顔形を写した像、または絵。
ざっくばらんに言わしてもらえれば、私の頭が鳥の羽に襲われたと言うことだろう。
(コウノトリ)
6日は、コウノトリ編です。
コウノトリの飼育係として孵化作業に取り込んでいたが、なかなか実現できなかった。
ところが30年前、ソ連から贈られてきたコウノトリの卵から孵化に成功した人の話が6日の朝日新聞の天声人語にあった。
担当したのは松島興治郎(こうじろう)さん。
朝日新聞の天声人語は、私が高校生だった頃から、日々読まなくてはどうにもならなくなってしまった。
それは、高校を卒業したら何処かの大学には入学したいと思っていたが、脳が偏向している私にはサッカーと勉強を振り分けできなかった。
サッカー一辺倒がヤマオカの高校生活の唯一の生き方だった、そんなに秀抜な学校ではなかったのに。
そんな私だから、学校で習うことの勉強、予習、復習は無理だった。
ならば、できることだけをやる、、、、、国語に関しては新聞記事を読むことから全ては始まった。
「基礎力水準法」が私の受験用の憲法だった。
大学入試は、英語と日本史、国語で何とかやり抜きたいが、そのなかで古文、漢文の勉強は省く、現代国語は新聞を読み切る書き切る、最少限の感想文作成、ただそれだけが勉強の全てだった。
天声人語からは、作文の手練手管、文節(連節)の前後の遣り繰り、大中小節、言語(口語、文語)を特に学んだ。
日本史については、どんな問題が出題されようが、95点以上を採る。
英語は単語、熟語、原理原則の文法、日常会話、構文を憶える、それ以外は想像力。
今回の記事については、松島さんの努力について並々ならぬものがあった。
その内容の特集だ。
その詳しい内容については、後ろの天声人語の本文を読んでいただきたい。
★「天声人語」より。
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20羽ほどのコウノトリがエサをついばみ、ゆったりと歩く。
歌舞伎役者の赤いくま取りを思わせる目もとが精悍(せいかん)である。
兵庫県豊岡市の県立コウノトリの郷(さけ)公園を歩いた。
いま兵庫や千葉など国内に推定273羽が生息する。
だが半世紀前はまさに絶滅寸前だった。
当時、豊岡市でただ一人の繁殖担当だった松島興治郎(こうじろう)さん(78)は「教本もなければノウハウもない。何度も投げ出したくなりました」と話す。
意外にも、望んだ職ではなかったという。
高校卒業後は農業とカバン製造の道へ進む。
だが高校時代に羽数調査に加わった縁で、恩師らに口説かれて住み込みの飼育員に。
捕獲したコウノトリは産卵こそすれ、ただの1個も孵化(ふか)しない。
破卵、無精卵、成長中止卵ばかりで途方にくれた。
「早くヒナを」。
周囲の期待がそのまま重圧と化した。
盆も正月も休めず、家族旅行も子どもの運動会もあきらめた。
それでも成果のあがらないまま20年余が過ぎた。
転機は1985年。
旧ソ連から6羽が贈られた。
育ててきた鳥たちと違い、農薬摂取がなく、栄養状態もよかった。
行けると確信した。
夢見た孵化が成功したのは89年、ちょうど30年前のことだ。
気がつけば47歳、元号は昭和から平成に変わっていた。
定年退職した松島さんだが、数年会わなくても鳥たちは羽を振って迎えてくれる。
「苦労が吹き飛びます」。
涙ぐむ姿にこちらの目頭も熱くなる。
この人の忍耐がなかったら、豊岡の空にコウノトリが戻る日はなかっただろう。
★「7日」は、白鳥(ハクチョウ)から。
白鳥(ハクチョウ)
7日(金)のTBSテレビの17時半の報道特集の後半部。
その番組「傷ついた白鳥見守る男性の思い 私は白鳥」を観た。
舞台は、冨山県富山市山本坊津山の田尻池、農業の溜め池だったところに40年ほど前から、その池の冬場に白鳥がやってきた。
その白鳥のなかに、羽を痛めて飛べなくなった1羽を見守り続けた男性のドクメンタリー。
毎年白鳥が来る池として富山市による駐車場やトイレなども整備されている。
高速道路で来るとインターを降りなくても北陸自動車道の呉羽パーキングに駐車したら、パーキングを出てから南方向へ歩いてほんの数分で着ける。
県内ではこの白鳥の飛来が冬の訪れを感じさせる一つの風物詩となっている。
白鳥の生息するシベリアは、9月になると気温が氷点下を下回り冬には最低気温ー30℃以下になるほどの極寒の地となる。
湖が凍ってしまうと、餌が獲れなくなってしまうため、遠路はるばる水面の凍らない北日本地域に越冬しに来る。
何羽もいる白鳥のなかに、足の部分が怪我をして苦しんでいる1羽、これがこの番組の大きな目玉になる。
この猛暑の夏をこの池で越せるのだろうか、春に仲間や家族と一緒に飛べ立てるだろうか。
4月というのに、飛び立てられない白鳥がいることを、男性は見つけた。
少しは飛び立ったものの、夏を越え9月になり、近くの田んぼへ移動するも再び田尻池に戻ってきた。
10月下旬、越冬のためオオハクチョウがこの地に戻って来た、それは家族や仲間との再会のため、そして生まれ故郷に帰るための準備であろう。
7ヶ月ぶりに、この田尻池に、越冬のために白鳥の群れが戻って来た。
問題の怪我をした白鳥だってそれなりに回復して、池の周りをみんなと飛べるだけになっていた。
が、一緒に仲間と一度飛んでも、長時間飛べる体力はなくなっていた。
怪我がそれほどに回復していなかったのだろうか。
男性には、怪我をした白鳥の親なのか兄弟姉妹なのか、1羽が一緒に飛ぶことがあって、そのシーンに深く感動した。
この男性が田尻池に生え茂った水草を、怪我した白鳥が喜んで呉れるかもしれないと、自ら鎌のような用具を持ってきて、その水草をそれなりに池の外に持ち出した。
ところが、近所の誰かさんから、余計なことをしないで欲しいと告げられた。
この男性は、そんなことに穢れることなく、負けることなく平気でいられた。
男性が、放送局のマイクに言うには、
「私は人間の形をしていますが白鳥です。白鳥が白鳥の世話をしているだけです」
表情は何処までも明るく、我が目と我が脳は白鳥に辿(たど)られた。
★8日は、永谷平戸川での渡り鳥見学。
散歩のノルマは休暇日は2万5千歩、勤務日は2万歩と決めていて、辛い日も楽勝の日があってもなんとか遣り遂げてきた。
8日は日曜日、休日の路程はきめていて自宅から東戸塚駅、戸塚駅、そこから折り返して国道1号線や旧東海道を通って自宅に帰ってくる。
それでぴったり2万歩になる。
残った5千歩は、愛しの畑・イーハトーブの往還でクリアーできる。
横浜新道の裏街道にある歌舞伎道祖神碑を必ず眺めることにしている。
今回もいつものように眺めて、双神像の男と女がいかにも相手を優しく眺め合っていることに感心した。
今日は好いお天気なので、私の心まで気持ち良く騒いでいた。
このコースで一度だけベンチに座って休むところがある。
戸塚駅の近くにあったダイエーは、今は解体され新しいビジネスに取りかかっている。
その現場の前に法事が行われるホールがあって、その玄関口に備えられたベンチで10分間使わせてもらう。
たった10分間なのに、足腰の疲れが不思議な加減でなくなってしまうことを憶えてしまった。
その界隈は、日本の自慢の会社が堂々と屹立していて立派な工業地帯を作っている。
戸塚駅から東海道1号線を自宅に向かって、平戸にやってきた。
いつものように国道を歩くのではなく、今日は川に沿って歩き出した。
通り越した橋には永谷平戸川と欄干に川名の付いた文字板が張られていた。
人かけらがなく、樹木が集まっている場所で、小便をさせてもらった、、、スマン。
散歩道を歩き出すと、遙か300メートルほど先に4人ばかりの群れが、川に視線を向けたままだった。
何についても興味深い私は、何じゃろう?と頭を傾げた。
そうすると、100メートル近くに近づくと、女性たち3人が群れから外れた。
一人のオジサンだけが現場に残り、その視線は微塵もせず、姿かたちも固定したまま。
視線を川面に向けたおじさんに、「渡り鳥がやってくるんですか、長く観ていられるようだが、どうなんですか?」と聞き出した。
「私は仕事をしているので、観に来られるのは日曜だけなんですよ。
だから、日曜日は午前中此処にいますよ。
此処の川にはいろんな人が来ますよ。
プロしか持ってないような、トンネルのような長い望遠鏡付のカメラを持って来る人もいるんですよ」。
このおじさんの横顔を見て、7日に観た田尻池の怪我をした白鳥を人間としてではなく、白鳥の身になって心配し、世話をやく男性のことを想い出していた。
あなたは何処から来たの?と聞かれたので戸塚駅とか何だかんだと言うとややこしくなるので、権太坂ですと応えた。
ああ、あの辺りからも此処にやって来る人は多いんですよ。
私には鳥について知識が無さ過ぎて、このおじさんにあれやこれや聞きそびれた。
しかし、おじさんは幾つかいる鳥の名前をなんだかんだと言ってはくれるが、私の頭には何も残らなかった。
ほんの少しでも知識があればこのおじさんとの会話は楽しかっただろう。
確かに鳥の種類と数の多さは、流石だと自覚した。
どうしたことだろう、この3日間は。
6日は天声人語で「コウノトリ」、7日はテレビの特集番組で「白鳥」、8日は私の散歩道で、名前も知らない数々の渡鳥たち。
自宅に戻って妻に、俺って感性の鈍い奴なんだろうな!
世の中には、こんなに面白いことがいつでもどこでも感じられるのに、この貴重な世の中を、「屁(へ)」みたいにしか思っていない俺は、アホなんだろうな!
そんなに悲観することはないよ、そんなことに気づいたあなたは幸せもんですよ、と返ってきた。
そうなんだろうか!!