2019年12月7日土曜日

面白かったぜ、12月3日(火)は!!

今日は私の休暇日。

雲一つない青空。

「いいお天気ですよ」、病気を抱えながらも苦にしない妻の元気な声が居間に響く。
来年1月の初めに横浜の立派な病院に入院予定だ。
今日はいいことだらケ、ウッハッハ、ゲーラゲラそんなことの多い日になりそうだ。
下記にて掲載させていただいた写真は、私が撮った以外は全てネットからいただきました。


今日の2万5千歩の散歩は和むぜ!!

好いお天気に感謝しながらやらなくてならないのはイの一番、2万5千歩の散歩だ。
休日は2万5千歩、勤務日は2万歩、これが常日頃の与えられたノルマの一つだ。
俺だってサボってはいられない、予定はしていたものの、そういう言葉を聴いてしまうと、矢庭に私の心は逸(はや)りだす。
2万5千歩の散歩なんて、義務だとか責務だとか苦肉を命じられた! そんな堅苦(かたぐる)しいものではない、私の生活の習性になってしまった。

「いいお天気ですよ」と何度も繰り返す、余程彼女は気分が好いのだろう。
「富士山と富士山の後ろの空が、私には神々(こうごう)しく見えるのですよ、今日の散歩は気分好いですよ」。
洗濯物を干す彼女の働き具合まで快活で、私を何処かに放り出したいのかと思われた。
無精者の俺だって、そりゃ、気分が好くなってきたモンダ。
東の空は朝焼けで、西方の低空には静かに白い月。

体が和(なご)むのだ。
お前、2万歩も歩いて心体が和むなんてそんなことってあるの? そんなことってないだらうと他人は思うかも知れないが、この和むという気分はまさしく私の個人的な感慨だ。
体がこの2万歩の快楽を憶えてしまった。
実にモノの見事に和むのだ。
健康な人には解ってもらえないかもしれないが、体を動かすことによってのみ、強靭な気楽さが生まれるのだ。
強制されたり、その言われたことを全うして得られる和みとはちょっと違う、静かな微笑の心までいただける不思議な和みなのだ。

自宅・権太坂ー旧東海道ー平戸町―上柏尾ー不動坂ー柏尾町ー元町ー戸塚駅
戸塚駅-JR横須賀線・東海道線の上りー阿久和川ー上矢部ー秋葉町ー前田町ー東戸塚ー権太坂・自宅
午後には愛しの畑・イーハトーブへの大根収穫、往還で2万6千歩。


女子高校生がカラスに襲われた。
画像
カラス

気持よく今日の2万5千歩を楽しもうと、7時半、自宅を出て500メートルほど進んだときのこと。
バス路には通勤通学の人たちが、これからの1日を覚悟しているような何食わぬ顔をして歩いていた。
私だって、他人の顔や仕種を気にしたことはない、いつものような光景なんだろう。
今日は火曜日なので、境木小学校と境木中学校の前を通り、境木地蔵尊の前に来たとき。
歩いている私の後ろから自転車が近づいて来た、乗り手が女性だろうと見向きもしないで感じていた。
私は私のこれからの散歩道、どこからどこを廻って帰って来れば、なんとか2万5千歩はクリアーできそうだと胸勘定、道先だけを想像していた。

そしたら、若い女の子が、大きな冷たい声で「ヒィアーアーー」と声を出したので、私は瞬間的に振り向いた。
彼女は自転車から降り、頭に乱れはないかと真剣に手で触っていた。
上空にはカラスが大きく羽を広げて、こちらを見ながら遠くへ飛んで行った。
人間どものバ~カたち、と言いたそうな顔立ちに見えた。
この高校生の頭には、長髪だからか、頭上の一番高い所に真ん丸く髪を纏めていて、そのボールのようなチンチクリンにカラスが興味を持って、突っついてきたのだ。
そのチンチクリンを赤いリビンで結んでいたのだろうか。
彼女は笑って、何もないように過ぎ去ってくれたから、私だって何もなかったように歩調を速めた。

半年前、私にだってよく似た経験はある。
出勤時、私たちの会社の側にある横浜ビジネスパークの空地を歩いている時、私の着ていた夏用のセーターの胸の部分の赤い柄に興味を持って、電信柱から私を目指してカラスが飛んできた。
私は私のできる範囲内で、怖い顔をしておっ放(ぱな)した。
噂でこのようなことは聞いてはいたが、自分がそのような標的になるとは想像もしなかった。
正直に話す、一瞬怖かった。



富士山の巻きです。


「富士山」の画像検索結果
上の写真は私のカメラで撮ったもの、感度が悪すぎて申し訳ない。
下はネットからいただいたもの。

そして、今度は名峰富士山だ。
静岡県と山梨県に跨(またが)る活火山、標高3776、24メートル。

妻の「いいお天気ですよ」の言葉通り、我が家の小さな庭から富士山が碧い空をバックに白い巨峰を見せていた。
我々が、夏に歩き出す10合目辺りからの冠雪、その姿が、それこそ日本代表の雄姿を見せてくれた。
2万5千歩の途中に東戸塚駅の界隈で、もっと裾野まで見られたら写真にでも収めようと、レベルの低いカメラをポケットに絞まった。
旧東海道をいつものように普通の顔をして歩いた。
だって、私に向って歩いてくる人たちは通勤通学生らで、そんな人たちに向って失礼な振る舞いはできません。
今日は12月3日、こんなに雪がたっつぷりの状態でも、テント泊で登りきった凄腕はいる。
11月中旬以降の富士山は、他の山の厳冬期に相当する。
氷化した斜面に強烈な烈風が吹き、滑落の危険はある、今年も何日か前に滑落した人が出て、その人の死体を発見していた。

私の大好きな太宰治が「富獄百景」で、「富士山には月見草が似合う」なんて気障(きざ)なことを言っていた。
これは太宰が29歳のときの生活を綴った私小説だ。
20代前半に華々しく文壇デビューしたものの、当時の太宰は私生活や作品づくりに問題を抱え、幼馴染の女性「初代さん」との自殺未遂の末、断筆に入ってしまった。
そんな中、浮上のきっかけを掴むべく恩師である井伏鱒二を頼って、山梨県の御坂峠にある天下茶屋を訪ねた。
その間に、石原美知子さんと見合いをしたそうだ。

ヤマオカさんよ、お前のブログで富士山のことを紡(つむ)ぐのはいいけれど、何でそこまで太宰治の話を書き込まなくてはならないだ、、、、、、。
それに対しては「スマン、これはしょうがないんだ」、、、、それだけだった。
それは私だけの問題ではなく、日本国全ての人に関心のある富士山なのだ



歌舞伎道祖神碑




国道一号線バイパス、保土ヶ谷区常盤台を起点に戸塚区上矢部町を終点とした通称横浜バイパス(横浜新道)。
私の休暇日の2万5千歩の通過路地はこのバイパスの横道を3千歩は歩くことになる。
横浜に45年前に自宅を構え仕事の根城にしてから、このバイパスを何回通ったことか。
通行料金も年々廉くなり、ついには無料になるでしょうと楽しみにしていたが、その夢は儚く消え、立派な有料道路として頑張っている。
何年か前に普通車が100円だったのが、タダではなく倍額200円になった。

私のブログではお得意の場外話(ばなし)になって申し訳ないが、このバイパスのことを吉田バイパスって言わなかったヶ。
吉田茂が東京から大磯の自宅に帰るには、従来の道では余りにも時間がかかり過ぎて、我が道用にこの道を作ることにしたと大磯の漁師から聞いたような気がするのですが、本当でしょうか。

そのバイパスの戸塚料金所の少し戸塚に寄った西側の旧道に面した崖にこの碑はあった。
何度も何度も、この旧道を歩いているのに、こんな碑があるなんて知らなかった。
大きな樹木と草の陰にあるので、気付かなかったのだ。
或る日、歩き疲れて前でも後ろでもなく、ふらっと横に聳える崖を見て気づいた。
そこにあった横浜観光協会が作った碑に書かれた文章は下に書き足したけれど、その内容がよく分らない。

上の碑に書かれていた文章を読み易いように書き換えた。
歌舞伎道祖神碑
寛政6年(1794)正月の建立、もとは付近の小丘の上に置かれていたが、横浜バイパスの建設にともなって丘が崩され、現在の場所に移されたものである。
柔らかな線で刻まれた双神像(浮彫り)碑が、宝輪を具えた大きな石室のなかに安置されている。
横浜市内でも稀れな堂々とした石造物である。
横浜観光協会

先ずは、双神像とは?
確かに神像は二つ作られていて肩を並べて座っていた。
浮き彫りとは、何もかもを同じ石一つから作り上げる彫法の一つなのだろう。
双神とは男と女、父と娘なのか母と息子なのか、その表情は安らかだった。
道祖神は、路傍の神である。
集落の境や村の中心、村内の村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されている。
宝輪とは像室の一番上の石で作られたもので、私にはこの像を守っているように見えたが、皆さんは如何かな?

ところで、この歌舞伎とはどういうことか像の傍で草を切っている人に聞くと、この歌舞伎はここよりも戸塚方面の近くに歌舞伎と名の付く村落があって、その地名をそのまま歌舞伎道祖神になったそうだ。
古式豊かなお芝居や舞踊とは関係ないらしい。

ところで寛政とはどんな時代だっけと思い直した。
学校の授業では、老中・松平定信が主導した1787年の「寛政改革」だ。
田沼意次政治と天明の大飢饉による世の中の大混乱に対して行った改革だ。


★メジロの始まり、はじまり。
画像  画像
メジロ             ウグイス

画像
スズメ

5日前の近所の横浜児童公園での散歩中で、不思議な2羽の鳥をみて、これは「ウグイス」だと直感した。
雀(すずめ)の群れのなかに、混ざっていたのだ。
2羽で仲良く遊ぶなんて、仲睦(むつ)まじく、その光景を見続ける私を幸せな気分にさしてくれた。
梅にウグイスと言われている、でもホーホケキョは聞こえてこなかった。
ところが、長く見続けても「ホーホケキョ」と大きな声でさえずらなかった。
この鳴き声を「日本三鳴鳥」と言うらしい、、、そんなことは初耳だ。
山梨県と福岡県の県鳥である。

ところが、今回旧東海道で見たのは7羽が集まりを作って遊んでいたので、ひょっとして、この鳥たちはウグイスではないかもしれんと思い、帰ってコンピューターで調べてみた。
肝心要(かんじんかなめ)の「ホーホケキョ」の鳴き声が聞けなかったからだ。
メジロと梅 筆絵

今回の稿は、「メジロ」とウグイスの違いコーナーだ。
改め、混同コーナーとも言おう。

ウグイスとメジロは、春を告げる鳥として親しまれてきたこともあって、時期的、場所的に重なるので、古くから混同されがちであっった。
今回は秋も終わって冬に入りかけている、そんなシーズンだからか、最初ははウグイスのことは思ったけれどメジロのことは思い浮かばなかった。
実際、この目で見たのはメジロだったようだ。

メジロは梅の花蜜を好み、早春には梅の花を求めて集まってくる。
また比較的警戒心が緩(ゆる)く、姿を観察されやすい。
いっぽう、梅が咲く頃によく通る声で囀(さえず)りはじめるウグイスは警戒心がとても強く、啼き声は聞かれても姿を現すことはあまりなく、藪の中から出ることは稀(まれ)である。
またウグイスは主に虫や木の実などを食べ、花蜜を吸うことはめったにない。

混同するのに「鶯(うぐいす)色」がある。
鶯色と言った際に、ウグイスの灰褐(はいかっ)色(オリーブ色に近い)を想像する人もいれば、メジロの緑色に近い色を想像する人もいる。
上の写真のように、2種の羽根の色には明らかに違いがあった。
私自身だって、最初に見た2羽と今回の7羽の、羽色についての違いを区別できなかった。
同時に観たわけではなかったからだ。
自宅で、ネットを見て読んで、何となく理解できた程度だ。


★大横綱の「大根」さんの始まり、はじまり。

イーハトーブの大根です。

愛しの畑・イーハトーブで午後の4時ごろ大根を収穫した、今日の最終の仕事だ。
私の所有している畑だけれど、一部を隣のオジサンと遠縁にあたるオジサンと私の3人が、一つの畑をなんとか場所を特定して楽しく農作業をしている。

人間が代われば心も当然、栽培する作物も育て方も何もかも変わるものだ。
遠縁のオジサンは畑仕事をかって勉強をしたようで、他の二人よりもレベルが高い。
使う場所を特定しているとは言え、不思議なもので、なんだかんだと自分と比較してしまう。
敗けず嫌いという、他人には言えない私の性分だ。
幾ら相手に知識があろうが、育て方を知っていようが、負けたくないと思ってしまう私の本分、これは繰り返すが私の性根なのだ。

写真の大根は、今回自宅に持ち帰った1本、そのものだ。
妻からは、大根の根っこそのものも有り難いが、葉っぱも楽しみにしているんですよ、と念を押された。
妻は大根を使っての「しらす」を作りたいよう、そのしらすについては後日説明させてもらいたい。
他にも、20本は根・葉とも立派な姿になっている。
遠縁のオジサンちの大根、お隣のオジサンの大根と比べて見て、大根そのものには引けを取らない状態で、それなりに満足している。
このように冷静に陳述はしてはいるが、ライバルなんですよと口が裂けても言えない。
それから、他の作物の様子見をして、隣のオジサンに挨拶して帰ることにした。

大根の根っこと葉っぱの料理については、みなさん、上手く説明すれば悔しくなるでしょうから今回は止めます。

他には、大蒜(にんにく)、春菊、蕪(かぶ)、人参、葱(ねぎ)、etcを耕作中ですが、野菜そのものの生育は順調です。