2019年12月16日月曜日

官邸の力が強くなり過ぎた

20191213の夕方のことだ。

日本酒の種類
ネットから写真をお借りしました。

この30年近くも仕事やその他でお世話になった方が弊社に来られて、一杯飲むことになった。
それはそれは楽しい酒盛りだった。
我が陣営は老頭児(ろーとる)の私と建装担当の若武者、みんなで3人の肩肘(かたひじ)詰めての宴会でした。
思い出話(ばなし)から始まって、現業についての今の状態と今後の見通しやら、話題はアッチ行きコッチ行き、その内容は種々雑多、痛快丸(まる)被(かぶ)りだった。
東京オリンピックが我々の仕事にどのように影響するのだろうか。
前回の東京オリンピックが開催された日は、1964(昭和39)年の10月10日、私が高校生1年生だった。
「有色人種」国家における史上初のオリンピックと言われた。
閉会してからの数年間は、決して楽な商売をさせて貰えなかった。

そのささやかな宴会で話題になったのは、自民党内において、議案から法案立法等についてもっと論争があってもいいのではないか、人事問題でももっとアレヤコレヤと騒ぎ立てるほどの騒ぎがあってもいいのではないか。
ところが、自民党内は静寂平静安穏安楽、野党だって何をどう攻めていっていいのやら、策がない。
問題は「桜を観る会」疑惑だって、何が何やらさっぱり分らない状態で終わろうとしているのだろうか。

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宴もたけなわ、お世話になった人が仰るには、自民党が変なのは「菅義偉(すがよしひで)内閣官房長官のせいですよ、彼が何もかも滅茶苦茶にしちゃったんですよ」だった。
そう言われてみると、私は頭の整理がつかなくなって、こりゃ、明日にでもしっかり調べなくちゃイカンわ、そして、それを調べているのが今だ。

どうしても官邸特に総理総裁の力が強過ぎて面白くなく感じていた折、11月23日投函されたこの新聞を、すっぱりゴミ箱に捨てられなく、今まで残して置いたことを思い出した。
「内閣人事局」の暴走・爆走のことが書いてあった。
私が青年だった頃まで、自民党だって派閥抗争たけなわだったのに。
その派閥ごとの論争の成り行きが、私には面白かったと言えば叱られるだろうか。

この新聞記事のテーマは「題名は官邸の力が強くなり過ぎた」ことだった。
そこには、竹下内閣から村山内閣までの7内閣で内閣官房副長官を務めた石原信雄(いしはらのぶと)氏が、内閣人事局」が総理総裁を中心に人事権を強く握り過ぎてしまったとあった。
新聞記事の★2で内閣人事局と、小選挙区制が権限の一極集中化を、
ネット記事の★1で内閣人事局と菅内閣官房長官の行為を、
この2つで官邸が異常に強い力が発揮できるようになったことが解った。

お世話になった方は、よくぞ色々とお考えなのだ。

★1
「これまで官僚主導で行われてきた幹部の人事権を内閣人事局に一元化し、官邸主導で審議官級以上、約600名の人事を決定することになった。
何故か? それは、政権の意に沿わない官僚を、要職からパージできるフリーハンドを官邸が握るためだったのだ。
安倍官邸の方針に従った政策をする人物しか幹部に登用しないということを、霞が関に叩き込むためのものだ」(自民党ベテラン秘書)

内閣人事局の初代局長ポストをめぐっても、一波乱があった。
当初内定していた警察庁出身の杉田和博官房副長官(66年入庁)の人事が直前に撤回され、同じく官房副長官で政務担当の加藤勝信氏(旧大蔵省出身、当選4回)が抜擢されたのだ。
「杉田氏は周囲に『俺がなる』と吹聴していましたから、内定は間違いありません。
それをひっくり返したのは、菅義偉官房長官です。
お世話になった人が仰っているのは、これこそが、このような仕事を成し遂げた菅官房長官の仕事っぷりのことだろう。
官僚トップの杉田氏が霞が関の人事改革を担うのは、印象が悪い。
そこで、安倍総理の了承を得た上で、加藤氏の起用を決め、その結果、緒戦から『政治主導』を鮮烈に印象づけることに成功しました」 (官邸関係者)

ワッハッハと安倍首相、菅官房長官はバカ笑いしていたのでしょう。

安倍官邸が霞が関の聖域に手を突っ込んでくることを、官僚たちが手をこまねいて見ているはずがない。
財務省はすでに鉄壁の防御を張り巡らせている。


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20191123(土)の朝日新聞朝刊に出ていた記事をそのまま掲載させていただいた。

★2 官邸の力強くなりすぎた
    
元内閣官房副長官

石原信雄(いしはらのぶと)氏
1926年生まれ。
旧自治省事務次官を経て、87年に官僚トップの内閣官房副長官に就任。
竹下内閣から村山内閣まで7内閣で務めた。

今の内閣が長期にわたって安定しているのは、与党はもちろん国会、経済界も含めて色々な分野のニーズをバランスよく取り上げて実行しているからだ。

7年3ヶ月の官房副長官の経験を踏まえれば、内閣人事局ができ、内閣の指導力が強化されたことが要因として大きいだろう。

私が官房副長官ををしていた頃は、内閣の方針に各省を従わせることに大変苦労した。
幹部の人事権を各省が持っていたから、各省は自己主張し、官邸は報告を受ける立場だ。
自民党の族議員と同じ歩調を取り、公然と内閣の方針に反対する幹部も結構いた。

官房副長官を退任し、橋本龍太郎内閣の行政改革会議の時に「もう少し内閣の権限を強化すべきではないか」と意見した。
しかし、決まった形は私の想定以上に首相官邸の力が強くなった。
各省の幹部人事を官邸が掌握し、政策面も官邸の方針が通りやすくなったのは間違いない。

さはさりながら、総理総裁が長く続けられるかは、自民党内の力関係の影響が大きい。
かって政治が不安定だった理由は、自民党が割れていたから。
衆院は中選挙区制で派閥により考え方も違った。
(注)然(さ)は列(さ)り乍(なが)ら=意味は、それはそうだが

小選挙区制になると、選挙の公認権を持つ総理総裁や党幹事長の力が圧倒的に強くなり、派閥が力を持つ余地が少なくなった。
権限の一極集中は選挙制度の帰結。
現に党内で、「総理総裁を代えないといけない」という強烈な動きが起きていない。
官邸の中枢にいる安倍晋三首相と菅義偉官房長官のコンビで、大きな不満を生じないようにと、特定の利権に偏らないよう配慮していることもある。

官邸の力が非常に強くなると、一つの心配は、政権のやり方に不満を持つ国民の声が政権中枢に伝わりにくくなることだ。

政治家は、選挙を通じて国民の声を把握するが、全ての声が投票に反映されるかといえばそうとは限らない。
各省は、法律や政令を実行する実施部隊として国民と接触する。
行政の現場で国民のニーズを把握し、それが内閣に伝えられればいい。
でも、内閣の方針と違う意見だとどうしても伝えにくい。
「内閣が気を悪くするようなことは言わない方が無難」となり、忖度が起こる。

強い立場にある内閣がよほど胸襟を開こうとしないと、人事権を握られた役人はびびってしまう。
長期政権であるほど、そうならないように努力が必要だ。
内閣の方針と違った意見を言ったら人事でデメリットを受けるようなことはやっちゃいかん。

マスコミは批判すべきはするのが仕事。
官邸は聞く耳を持ってもらいたい。
問答無用になってはいかんということだ。
社会情勢の変化を把握し、現場の声をくみ上げる努力を常に心掛けて」もらいたい。

(聞き手・松山尚幹)