2018年7月12日木曜日

高次脳機能障害って、治らないのか?

高次脳機能障害とは
脳卒中や交通事故などによる脳の損傷が原因で、脳の機能のうち、言語や記憶、注意、情緒といった認知機能に起こる障害を高次脳機能障害と言います。注意が散漫になる、怒りっぽくなる、記憶が悪くなる、段取りが悪くなる、などの症状があり、全国に50万人くらいと推定されています。
高次脳機能障害の発症の原因は、8割が脳卒中(脳梗塞、脳出血、くも膜下出血などの脳血管障害)、1割が交通事故などの脳外傷によるものです。その他にも 脳炎、窒息や心筋梗塞から起こる低酸素脳症、脳腫瘍、てんかん、正常圧水頭症、パーキンソン病などによる脳の損傷で発症することもあります。
高次脳機能障害は外見からはわかりにくく、病院や診察室では気づかれずに、実際の生活や社会に戻って初めて問題が顕在化することが少なくなく、「見えない障害、隠れた障害」などとも言われます。
高次脳機能障害の診断は、症状の確認、それを説明できる頭部MRIやCTなどの画像所見、障害を裏付ける神経心理学的検査の結果などによって行われます。


7月10日(火) 10:00から
樹木からの落下事故後に入院した新百合ヶ丘総合病院で、定期検査を受けた。
事故後4年以上は経つのだが、この定期検査については、妻や子供が熱心に受けるように勧めるので、私自身も真剣に取り組んでいる。
この定期検査は3か月毎だ。
巻頭の文章が、私が今苦しんでいる高次脳機能障害って奴だ。
スカッと治らないものだから、頭のモヤモヤはいつまでも優(すぐ)れない。
感謝ーーー、妻が大いに面倒くさがらなく、車で連れて行ってくれる。

でも、検査そのもので、医師と私は余り大した話はしないのだが、妻は私の家庭内での振舞いついて、事細かく話していた。
医者は私の顔など見ないで、妻とばかり話していた。
今日の医者は代わり替わり、4人目。
最初の医者から、この山岡さんはちょっと自分勝手な話しばかりしかしない人なので、本人以外の人と会話をするように、と指示が出ていたのだろうか。

家族の誰もに対する私の言動が傷つけ易いことや、小さな物音に対しても異常に気にすること、どうでもいいような事に対して行う私の反応のあれこれ。
流石に、嫌な奴だとは言わなかったけれど、随分迷惑を掛けているようだ。

妻と医師のやりとりに嫌気がさした私は、「山岡さん、あなたの頭はこれ以上は治りにくいんですよ。ソロソロ諦められたらどうですか?」とでも言って欲しかった。
だが、医師が言ったことは、「山岡さん、この高次脳機能障害は、そんな簡単には治らないのです。まして、貴方のような強度の落下事故の場合は、多少しょうがないことなんです。」だった。

13日は定休日。
14日に経営責任者の中さんに、定期検査のことを、私のアタマの一抹の不安も交えて話した。
3か月毎の定期検査のことを、割と大層に、でも心配させないように話した。
障害が良くも悪くもならないことに対する不満が知らず知らずに高まっている。
私自身に対する不信までも、気が廻る。
そんなことをモタモタ言って、でもそんなに面倒ではないので、今後も行き続けることを話した。

そこで、中さんが言うには、山岡さん、担当したお医者さんだって、来てくれただけでも、チェックが行き届いていることになる訳で、問題が無い限り、行ってくださいよ。

そうして貰えれば、私は何かと安心です、と私を諭(さと)してくれた。

2018年7月5日木曜日

日本チームのロッカー室が!!

日本代表ロッカールームが試合後、片付けられていたことにFIFAのスタッフが感銘を受けている(写真はイメージです)【写真:Getty Images】

7月2日(日本時間3日の03:00~)
ロストフ・ナ・ドヌのロストフ・アリーナで2018FIFAワールドカップロシアの16強対決でベルギーと対戦。
前半は0-0、後半48分に原口、52分に乾のシュートが決まって、ここで2-0とリードしたが、その後ベルギーに3点入れられ、敗退した。
最後の最後でベルギーに逆転を許した。

史上初のベスト8まであと一歩のところまで迫ったが、優勝候補と言われていたベルギーに互角の戦いをした。ベスト16で大会を去ることになった。

ところが、これから書きだすことが大変なことなのだ。

日本はベルギーに惜しくも敗れたが、試合直後のロッカールームが、日本チームが使う前よりも綺麗に清掃されていることに、FIFAのジェネラルディレクターを務めるプリシラ・ジェンセンズさんが気づき、その綺麗に清掃された室内の写真をツイッターに投稿した。
床にだってゴミ一つない。
日本代表は、闘いに敗れたとしても、対戦相手と握手をし、涙をのみ込んだ。
テーブルにはロシア語で「ありがとう」とメッセージが残されていた。
そのメッセージには折り鶴が添えられていた。
これは日本人の感謝の気持ちを表したのだろう。
競技場では、ファンがゴミ拾いをした。そのことについても称賛していた。
ある国のサッカー協会からは「全てのチームのお手本」だとも言われた。

このゴミ拾いは何も競技場だけの話だけではない。
東京の渋谷では夜の暗みが薄れ、朝あけになりかけた頃、若いファン達が大いに騒いだ。試合内容が悔しいことや辛いことを、見知らぬ人同士でハイタッチなどで交流を深めた。
それからのこと。
皆がゴミ拾いを始めたのだ。
お巡りさんもマスコミの人たちも、この作業に驚いていた。





(20180704の天声人語)

江戸の昔、日本が世界を驚かせたことがある。
街路のゴミの少なさだ。
スペインの総督や英国の外交官が清潔で手入れの行き届いた街路に感嘆した。

とはいえ江戸庶民が格別にきれい好きだったというわけでもなさそうだ。
将軍や外交使節が通る町々には「街路を掃け」「水を打て」とお触れが出たという〈伊藤好一著『江戸の夢の島〉。
町の美化は細かな「しつけ」のたまものだったようである。

サッカーW杯ロシア大会でも、日本から駆けつけたサポーターたちの「ゴミ拾い」が海外メディアを驚かせた。
現地で取材中の同僚に聞くと、日本式の後片付けは絶賛調で報じられ、会場でも触発されてゴミ拾いを手伝う地元ロシア人の姿が見られたそうだ。

英BBCなどは手放しでほめた。
「日本では各種スポーツ大会の後、観客がごく自然に後片付けをする」。
なぜなら「日本では幼いころから家と学校で掃除や整頓を教え込む。国民性の一つ」と文化論を展開した。

さすがに面はゆくなる。
1964年の東京五輪の直前、東京の街にはゴミがあふれていた。
プラスチック製のふた付きバケツを導入。
ゴミを出せる日を制限することで、何とか体裁を取りつくろうた。
ハレの舞台になると清掃に励むというのが実態のような気がする。

さて評価のされ方が大仰であるものの、今回のW杯で日本のサポーターのふるまいが世界の注目を集めたことは素直に誇らしい。
日本代表の健闘も光ったが、日本式ゴミ拾いも堂々たる足跡を残した。

2018W杯ロシアは終わった


【日本2-3ベルギー】

得点者/日本=原口(48分)、乾(52分) ベルギー=ヴェルトンゲン(69分)、フェライニ(74分)、シャドリ(90+4分)


ワールドカップロシア大会は、2日(日本時間3日)03:00~
日本(世界ランキング61位)は、決勝トーナメント1回戦でベルギー(世界ランキング3位)と対戦し、2-3で逆転負けした。

史上初のベスト8進出はならなかった。
ネットにあった記事をそのまま転載させてもらった。

【採点&寸評】
【日本2-3ベルギー|採点&寸評】最後の最後でカウンターを許したのは痛恨。ただ、乾のゴールは今大会のハイライトのひとつだ

【戦評】
【ベルギー戦|戦評】これが日本の限界。褒めるべきはベルギーの底力

【試合レポート】
ロストフの悲劇… 日本、残り1分でベルギーに勝ち越しを許す! 初の8強入りを逃す

【解説者の見解】
セルジオ越後
【セルジオ越後】「惜敗」はなんの慰めにもならない。そこに差があることを認識しないと

●金田喜稔
金田喜稔がベルギー戦を斬る!「悔しいけど認めなければいけない。まだ足りない部分があることを」

●釜本邦茂
【釜本邦茂】ベルギー戦は未来の指針になるゲーム! 日本も190センチ級の代表FWは作れるはず

●松木安太郎
【松木安太郎】2点リードという未知の世界に、日本代表は冷静さを失った

●岩政大樹
【岩政大樹】怯まず挑んだベルギー戦。「日本らしいサッカー」は輪郭を見せ始めた

【Pick up PLAYERS】
長谷部誠
キャプテン長谷部誠の目に涙… ベルギー戦を振り返ろうとするも「言葉を選ぶのが難しい」

日本は強くなったのか? 3大会連続で主将を務めた長谷部誠が感じる8年前との違い

長谷部誠が感じた8年前との違いと8強の壁「良いチャレンジをしただけに…」

原口元気
先制点の原口は涙を堪え切れず「もっとこのチームで前に進みたかった」

「進むべき道を示せた」「惜しいじゃダメ」原口元気が抱く二つの相反する想い

●香川真司
香川真司が悔しさを噛み殺してW杯を総括「この結果を受け止めるしかない」「壁は大きかった」

●大迫勇也
衝撃の敗戦に大迫勇也が強烈な後悔「相手の思うツボでミスからピンチを招いた」

●長友佑都
物議を醸した発言、突然の金髪… 長友佑都は「自分にできることはすべてやった」

“闘将”長友佑都。魂溢れる言動の一つひとつに心を鷲掴みされた

「感謝しかない」。長友佑都からの“ハリルへのメッセージ”

長友があの分岐点で感じたのはいわゆる“恐怖”だった

●川島永嗣
ベルギー戦の苦い経験が未来に続く――。川島永嗣が残した言葉は次世代への想い

勝負の分かれ目になった69分の失点、GK川島永嗣の対応は正解だったのか?

●本田圭佑
本田圭佑、ロシアが「最後のW杯」と語るも、大会直後の“代表引退”は明言せず

本田が明かした究極の想い「プロになるのも、欧州で活躍するのもW杯のためだった」

本田圭佑は「W杯優勝」の夢を後輩たちに託す

●柴崎岳
「ベスト16という壁を打ち破りたい」衝撃の敗戦で柴崎岳に生まれた"さらなる欲"

●酒井宏樹
酒井宏樹が世代交代とベテランの存在感に言及「批判や責任を受け止めてくれた…」

【指揮官の思考】
涙目の西野監督が約10秒をかけて絞り出した言葉は「ワールドカップの怖いところ」「追い詰めましたが…」

「日本は完璧な試合をした」と称賛のベルギー監督、ドンピシャ采配を語る

西野監督が肌で感じた世界との差は「あとわずか」か、もしくは「分厚い壁」か

【各国メディアの評価】
「戦士の気概を示した!」「心から同情する…」ベルギーに惜敗の日本代表を英メディアが称賛

「隠れた宝石!」「世界はイヌイを知った」英紙が大ブレイクの乾貴士をベタ褒め!

「カガワは偉大!」仏誌が日本vsベルギー戦を採点! 香川と乾に最高点の「7」

「自己過信が招いた結末」「カガワは模範」仏メディアが日本代表のW杯を総括!

「日本の呪いは続く」「勇ましいサムライ」伊メディアが惜敗の西野ジャパンを批評

「ベルギーの弱点を攻略した」「西野監督のミスだ」韓国メディアは賛否両論!ポーランド戦の"時間稼ぎ"が尾を引いたとの声も

「凄まじい進歩だ!」「品格ある去り方」 ベルギー戦惜敗の西野ジャパンを仏メディアが手放し称賛​​​​​​​

「日本はアジアの希望だ」「彼らから学べ!」西野ジャパンの快進撃をアジア圏メディアが大いに称える

【サポーターの声】
「感動ありがとう!」「俺たちの誇り」「顔上げていい」劇的敗退にも日本全土が興奮!

【OTHERS】
「イヌイのゴールが凄い!」「日本じゃなくて良かった…」ベルギー戦の死闘をあの大物コンビが激賞!

【緊急提言】西野監督を続投させるべきか?

「日本人の心臓を打ち抜いた」ベルギーの大逆転勝利はなんと48年ぶりの快挙!

「私なら首根っこを掴んで怒鳴ってる」名将カペッロ、逆転弾を呼び込んだ本田圭佑に苦言!

「日本は試合巧者ではなかった」ベルギーから金星を逃した理由

「国民にこのゴールを捧げたい!」AT弾を決めたベルギー代表MFが日本撃破に歓喜

日本代表は強国ベルギーをいかにして追い詰めたのか。データが示す圧巻のパフォーマンス

「日本は戦術的に素晴らしかった」ベルギー守護神が西野ジャパンの緻密さを絶賛!

2018年7月1日日曜日

はやぶさ2 リュウグウに到着

何年前だったか?「イトカワ」の試料を持ち帰った探査機「はやぶさ」の事を報じた朝日新聞の記事をそのまま、私のこのブログに転載させてもらったことがる。

その「はやぶさ」の後継機である「はやぶさ2」が又、私のような天体、宇宙のことを全く知らない脳を吃驚させた。




今日使わせてもらうのは今月27日の朝日新聞・夕刊この記事です。


はやぶさ2とリュウグウのイメージ=池下章裕さん提供







26日午後0時50分、はやぶさ2がリュウグウから約20キロで撮影した画像
=JAXAなど提供

リュウグウ
地球と火星の軌道付近を回る直径約900メートルの小惑星。
コマのような形で、表面に複雑な凸凹や最大約200メートルのクレーターがある。
太陽系が誕生した46億年前ごろにできたと考えられ、内部には当時の状態を保った砂や有機物が含まれている可能性がある。


30億キロの旅 リュウグウに到着
はやぶさ2 内部の砂採取に挑む
小惑星探査機 出発3年半

宇宙航空研究開発機構(JAXA)は27日、探査機「はやぶさ2」が地球から約3億キロ離れた小惑星「リュウグウ」に到着したと発表した。
今後1年半滞在し、3回着陸して生命の元となる有機物が含まれていると見らる小惑星内の砂の採取に挑む。
2020年に地球に帰還する予定。

はやぶさ2は、小惑星「イトカワ」の試料を持ち帰った探査機「はやぶさ」の後継機。
トラブルや故障が相次いだ前回の経験を踏まえ、イオンエンジンや通信機器などが改良されている。
14年12月に種子島宇宙センター(鹿児島県)から打ち上げ後、地球の引力を使って軌道を変え、太陽の周りを回りながら約30億キロ飛行して、リュウグウに近づいていた。

JAXAの運用チームは同日午前、宇宙科学研究所(相模原市)の管制室で、徐々に速度を落としていたはやぶさ2が、午前9時35分にリュウグウから20キロの距離で並走していることを確認した。はやぶさ2の機体は正常だという。

はやぶさ2は今後、約1年半リュウグウに滞在し、3回の着陸を試みる。
周囲を回って地形や重力などを詳しく調べた後、秋に初めて着陸して表面の砂を採取。
来春にはリュウグウの地表に金属片を高速で撃ち込んで穴を開け、史上初となる翔惑星内部の砂の採取を目指す。

ミッションマネージヤーの吉川真准教授は「ほっとしたのが正直なところだが、これからがミッション。緊張感がある」と語った。

(浜田祥太郎)




接近・着陸 難関はこれから

2010年に世界で初めて小惑星「イトカワ」から試料を持ち帰った「はやぶさ」の道のりは、故障やトラブルの連続だった。はやぶさ2が今回、リュウグウまで順調にたどり着けたのは、先代の教訓を生かして機器の信頼性を向上させ、運用チームも練度を高めたことが大きい。

だがこの先は、複雑な小惑星表面への接近や着陸、砂の採取など、難関が待ち受けている。
特に、人工クレーターを作って内部の砂を採取するため、銅の塊を爆薬で小惑星にぶつける試みは、先代も経験していない初めてのものとなる。

日本の探査機は「はやぶさ」だけでなく、火星を目指した「のぞみ」や金星探査機「あかつき」も故障を繰り返してきた。
16年には国際共同の天文衛星「ひとみ」を単純ミスで失う事故もあった。
はやぶさ2は、日本の科学探査の信頼回復という重責も負う。
新たな歴史を作ることができるか。日本だけでなく、世界も注目している。

(東山正宜)







2018年6月23日土曜日

蛍(ほたる)の光!! 田舎が懐かしい

6月21日の朝日新聞・天声人語で、幾星霜(いくせいそう)、長い年月(としつき)は悲喜こもごもに過ぎ去ったものの、幼年期の好い気分を再び味わうことができた。
その天声人語の一つ一つの文節・文言が、私の貴重な歴史でもあった。

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天声人語
遠く高くゆったり光るゲンジボタル、水辺でせわしなく明滅するヘイケボタルーーー。
先週、金沢市郊外の田上町にある群舞を楽しんだ。

見学の人たちに順路を教え、手作りの説明資料を配っていたのは地元の農業、亀田輝之さん(74)。
十数年前、金沢大から頼まれ大学の敷地内にあった休耕田を復活させたところ、数年後ホタルが戻った。
石を運び、あぜを築き、小さな田を20面まで増やした。

ホタルの世話の担い手は亀田さんも属する「大学門前町ホタルの会」。
水路を引き、えさのカワニナを増やした。
幼虫を放流し、小学校では毎年、ホタルの育て方を教える。

「サナギが光るのは何のためか。なぜ毎夜同じ時刻に光り出すのか。昆虫学者じゃないので謎だらけですが、愛情を注げば増える。育てがいがあります」と亀田さん。
口コミで見学者は増え、昨年は1200人に達したそうだ。

近年、あちこちで「ホタルの里」復活の報を聞く。
一時期はどこも宅地開発や農薬・洗剤の普及で川や用水が汚れ、ホタルの姿が減った。
しかしその後、住民や農家の努力で水辺の環境が整うと、ホタルが再び生息するようになった。
観察できる期間は短いものの、「ホタル」を核に街おこしを図る自治体も少なくない。

〈蛍飛ぶこのたまゆらの刻惜しむ〉高島静。
今日は夏至、一年で最も夜の時間が短い。亀田さんの棚田ではまさに今週来週が光の乱舞の最盛期だ。
闇を縫って夜ごとホタルと人が行き交う。
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「田植えの仕方」の画像検索結果
ネットで拝借した。

先週の火曜日の昼過ぎ、伊勢原の桜台にある我が社の商品=中古住宅のハウス・ステージングを終えて、電車で自宅に戻った。
伊勢原駅から海老名駅までの、車窓からみえる田植え上がりの水田が、私の幼年期に積み重ねたアルバムとがっちり重なった。
水面から5センチほどの苗は、規則正しく植えられている。
その水田が青空に映えている。
梅雨の真っ最中、その日は意外に明るい日だった。

生家の田植えはゴールデンウイークに行った。
学校が休みの日に私たち子供も応援した。
流石に苗を植えることはできなかったが、苗が足りなくなった人が大きな声で呼びかけてくる。
その人に向かって、畦道から苗の束を投げた。それが私の仕事だ。菜
昼ご飯は、水田用の疏水で集めてきた蜆(しじみ)入りの味噌汁付きに、菜(おかず)は、鰹(かつお)の煮つけとお漬物。
ご飯は当たり前のことだが、この水田から収穫したものだ。
田植えのお手伝いができるようになるまでは、どうしょうもない、我がままな子どもだった。

当時、深さ5センチほどの疎水で泳いでいたメダカ、蜆、泥鰌(どじょう)、ハヤ(うぐい、おいかわ)、ゲンゴロウ、トンボのヤゴ、オタマジャクシを手づかみした。
小さな鮒(ふな)が、ぴち♯ぴち♭ ラ~ンランラン、藻(も)掻(が)き苦しみながら泳いでいた。
今の若者たちに話しても、まさか?と言われるだろうが、それほど私は豊かな子どもワールドを満喫した。
この畦道にしても疎水にしても、私にとっては楽園だった。
畦だって、田植えの前には綺麗に雑草は刈り取られ、疎水は何故か?田植え時に百姓に鋭くチェックされる。
疎水を利用する人たちが水利組合を作って管理者を決め、利用者みんなが公平に使えるように、利用方法に間違いがないかをチェックする。
水が不足している時には、悪い奴、小ずるい奴が現れて、深夜に自分の田圃(たんぼ)だけには水の入りを大きくする。
他の人たちの田圃なんかには目もくれない。
この畦道には、色んな昆虫以外に蛇が時々現れる。
この動物だけはどうしても好きになれなくて、見つけた日の夜は、なかなか眠れなかった。
初夏には、蕗(ふき)、蕨(わらび)、秋には、タマムシ、カマキリムシ、バッタ。




それから、不思議で不思議でどうしようもなく心がときめくのが、蛍(ほたる)だ。
19歳以降、蛍の季節に帰郷したことはないので、今、蛍たちの生活はどうなっているのだろう? 私の田舎の蛍たち。
私が高校生の時代には、農薬、殺虫剤の影響だったのか、水田の近くでは見つけることは少なかった。
水田以外の場所でも、蛍は出現したのだろうが、そちらには縁がなかった。
でも高校時代、サッカーの練習からの帰り、宇治川に落下してくる小さな滝3箇所に蛍の光が嵐のように群舞していた。
ホンダのカブで走り抜けるのだが、ウア~、オ~、夢見心地になった。
学校や自宅のみんなに見せてやりたかった。
私が見てきた蛍はゲンジボタルだったのか? ヘイケボタルだったのか。
兄たちは、私の興味とは裏腹、そんなことには何の面白味を感じなかったようだ。

蛍が発光するのは、敵を脅かすため、食べるとまずいことを警告する警戒色、交尾のため発光能力を獲得した、など諸説があることをネットで知った。

ちっちゃな子ども時代、蛍を捕まえて蚊帳の中に持ち込み、祖母は私と同じように面白がってくれた。
二人は同じ蒲団で、蚊帳の網目を這っていく蛍をいつまでもいつまでも眺めていた。そして知らないうちに、眠って仕舞った。








ホーム・ステージングとは。
リホームを掛けた住宅の各室を、よりよくアピールするために? 住宅に観覧に来てくれたお客さんに、住むことに対してもっとイメージを高めてもらうと、お膳立てをするのです。
ダイニングテーブルに食器類を並べる。ナイフやスプーン、ホーク、飲み物のグラス。
花や、ときにはローソクと燭台。
キッチンには調理器具。
室のあっちこっちに花瓶にいれた花々を備える。
和卓とお茶のセット。トイレには踏みタオルと手洗い用のタオル。
バスルームには、洗い用品の数々
お膳立てとはこんなもんだ。
衣装替えや間取り変更のことを、我が社ではリフォームと言わないで、リホームと呼んできた。

今回セットした用品は、平塚・岡崎の現場から運んできた。
軽自動車と普通自動車に載せてきた。
私は今、午前中だけの勤務になっているので、この程度の仕事なら楽なものだ。

このように、物件が売れたら、売れた物件の生活用品を、リホームが終わってこれから販売を仕掛ける物件に移動した。

仕事を終えて、私は伊勢原から自宅に向かった。
小田急線で伊勢原駅から海老名駅まで、相鉄線で海老名駅から横浜駅まで。そこからJRで東戸塚駅まで、なんてかったるい事なんてやってられない。
海老名駅から二俣川駅まで乗って、二俣川駅で降りた。
それから1時間、今井町のイーハトーブ(畑)まで歩いて、畑をウォッチング。
不思議なんだ、作物の成長を毎日、ちょこっと見るだけで、嬉しいのだ。
自宅まで歩いて、1時間半。
人並みのスピードで歩けないから、この所要時間はしょうがない。
これも、足のため、腰のための修行ざ。



2018年6月21日木曜日

袴田巌さん再審取消し!! どういうこっちゃ?


先月、映画「獄友」を観て、感じたことを映画館でもらったパンフレットなどを材にブログを発した。
石川一雄さんの「狭山事件」については、高校時代に知って、検証した本からそれなりのことは解っていた。
が、今回、話題にした「袴田事件」については、20年程前に知った。
当然、内容など知る由はなかった。そして、映画「獄友」で袴田巌さんを知り、極めて彼に興味をもった。

この映画「獄友」で、叱られそうな言い方かもしれないが、狭山事件の石川一雄さんとこの袴田事件の袴田巌さんのことが気がかりになった。



写真・図版
東京高裁の決定を前に、弁護士会館に入る袴田巌さんの姉・秀子さん(右)。
2018年6月11日、午前11時44分 東京霞ヶ席
(林 紗記撮影)



石川さんのことは幾本か読んで解っていたが、この袴田さん、御本人のことは、この映画を観るまでは余り知らなかった。
1966年 静岡県清水市(現・静岡市)で、一家4人が殺害された事件で死刑が確定した。
元プロボクサーの袴田巌(82)について、静岡地裁が2014年、DNA型鑑定などを根拠に再審開始を認めた。
袴田さんを釈放する異例の決定を出した。

ところが東京高裁は2018年6月11日、再審請求を認めない決定をした。
弁護側は高裁決定を不服として、最高裁に特別抗告する方針。


2018 6月12日の朝日新聞を転載させてもらう。


1面
袴田さん再審取り消し
死刑停止・釈放は維持
「DNA鑑定 地裁の評価誤り」

東京高裁
1966年に静岡県清水市(現・静岡市)で一家4人が殺害された事件で、死刑が確定した元プロボクサーの袴田巌さん(82)=浜松市=について、東京高裁は11日、再審請求を認めない決定をした。
大島隆明裁判長は、4年前に再審開始を認めた静岡地裁決定の最大の根拠となったDNA型鑑定について「手法に疑問があり、結果も信用できない」と判断。
「証拠の評価を誤った」として地裁決定を取り消した。

地裁は決定で袴田さんの死刑の執行停止と釈放も認めていた。
高裁はこの点について「(袴田さんの)年齢や健康状態などに照らすと、再審請求棄却の確定前に取り消すのは相当とは言い難い」と述べ、取り消さなかった。
これにより、袴田さんの異例の釈放は当面、維持される見通し。
弁護団は高裁決定を不服として、最高裁に特別抗告する方針だ。

袴田さんは被害者らが経営に携わるみそ工場の従業員だった。
確定判決では、事件の1年2か月後に工場内のみそタンクから発見された5点の衣類が「犯行時の着衣」と認定された。
再審請求では、このうちのシャツにあった血痕から、「袴田さんと別人のDNA型が検出された」という本田克也・筑波大教授による鑑定の評価が争われた。

地裁はこの鑑定結果の信用性を認めたが、高裁は本田教授が試料を集めるために使った方法にについて、「布に付着したDNAを抽出することは困難」と疑問を示した複数の専門家の意見書などを重視。
「科学的原理・知見の信頼性が十分ではない」と指摘した。
本田教授が実験のデータやノートなどを「消去した」と説明したことも「あまりに不自然だと述べ、「鑑定結果の信用性は乏しく、地裁は評価にあたって慎重さを欠いた」と判断した。

弁護側はみそタンクに漬ける再現実験の結果から「衣類の色合いが不自然」と主張。
地裁決定はこの主張も認め、捜査機関による証拠の捏造の可能性にも言及したが、高裁は「実験で使われたみその色は、正確に再現されたものではない」などと指摘。
さらに、5点の衣類が発見されるまで検察が別の衣類を「犯行時の着衣」と主張していたことも踏まえ、「捜査機関が捏造する動機は見いだしがたい」とした。

(杉浦幹冶)

  

再審開始決定取り消しを支援者から聞かされる袴田巌さん
11日午後、浜松市、代表撮影



東京高検の曽木徹也次席検事の話
法と証拠に照らし、適正かつ妥当な判断だ。


東京高裁決定の骨子
●「犯行時の着衣」の血痕から袴田巌さんと別人のDNA型が検出されたという鑑定結果は信用できない。静岡地裁は鑑定の評価について慎重さを欠き、判断を誤った。

●捜査機関がこの衣類を捏造した証拠はなく、犯行時の着衣であり、袴田さんのものだという確定判決の認定に合理的な疑いは生じていない。

●袴田さんの年齢や健康状態を考慮し、死刑と拘置の執行停止は取り消さない。


視/点
正反対の判断
審理に不信も
死刑が確定した袴田巌さんの再審請求に対する判断は、地裁と高裁で大きく分かれた。

事件から既に半世紀以上が経過し、証拠も古くなっている。
そんななか、弁護側が推薦した鑑定人は前例のない鑑定を試みた。
地裁はその結果を高く評価したが、高裁は「確定された方法ではない」などとして信用性を否定した。

だが、高裁決定に多く登場するのは、4年にわたる審理の大半を費やした鑑定の検証や鑑定人尋問の結果よりもむしろ、審理の最終盤に検察側が追加提出した、鑑定手法に懐疑的な専門家らの意見書の内容だ。

「審理の意味がなく、結論ありきの決定だ」という弁論側の反発には、再審請求の審理ルールが明確ではなく、裁判官の裁量が通常の公判と比べても大きいことへの不信も影響している。

静岡地裁は決定で「証拠捏造の疑い」とまで言及した。
再審で公開の法廷が開かれれば、捜査全体の検証にもつながった可能性があるが、このままではその機会も失われる。
異例づくしの再審請求の経緯は、現行の司法制度のあり方にも深い疑問を投げかけている。

(高橋淳)



2面
袴田さん 重い再審の壁
鑑定の信用性 覆った評価

いったん開いた「再審の扉」が、再び閉じられた。
52年前に静岡県で起きた一家4人殺害事件をめぐり、静岡地裁と東京高裁の判断を分けたのは、DNA型鑑定の信用性への評価だった。
一方、死刑確定後も再審請求を続けてきた袴田巌さん(82)の釈放は引き続き認められた。
異例の経過をたどってきた審理の舞台は、最高裁に移る。








再審 4年経て一転 
袴田さん姉「50年戦った。頑張る」



事件をめぐる主な経緯
1966年6月 
静岡県清水市(当時)のみそ会社専務家から、殺害された一家4人が 見つかる。
11月
袴田さんが初公判で起訴内容を全面否定。

1967年8月
工場のみそタンクから血の付いた「5点の衣類」が見つかる。

1968年9月
静岡地裁が死刑判決。

1980年11月
最高裁が上告を棄却。

2008年4月
静岡地裁に第2次再審請求。

2014年3月
静岡地裁が再審開始と袴田さんの釈放を決定。
検察側は東京高裁に即時抗告。

2018年6月
東京高裁が検察側の即時抗告を認め、再審開始決定を取り消す。




再審開始と釈放を決めた4年前の静岡地裁の決定から一転、東京高裁は袴田巌さん(82)の再審開始決定を取り消した。
死刑囚としての再収監は免れたものの、袴田さんを支持する人たちからは、怒りや戸惑いの声が上がった。


憤る弁護団「偏見で判断」
「大変残念な結果です」。
弁護団と記者会見に臨んだ巌さんの姉の秀子さん(85)は、「身柄の拘束はしないと書いてあるので、ひと安心しています」と、言葉を続けた。

巌さんは2014年3月に静岡地裁の再審開始決定で48年ぶりに釈放されたが、長い拘禁生活で精神を痛み、会話もままならない。
秀子さんは弟を故郷・浜松市の自宅に迎えて身の回りを支えながら、4年間暮らしてきた。

この日の決定で、巌さんを釈放し続けるかどうかの判断は最高裁に委ねられた。
今後の生活を問われた秀子さんは「再審開始になって、皆さんに『おめでとう』と言ってもらえると信じて、余分なことは言わないで暮らしていく」。
「今までも50年戦ってきた。これからも頑張っていきます」と会見の発言を締めくくった。

一方、弁護団からは怒りの声が漏れた。

決定では、地裁が再審開始決定の主な根拠とした筑波大学の本田克也教授(法医学)の鑑定を「信用性は乏しい」と全面的に退けた。
本田氏の鑑定は「犯行時の着衣」とされる衣類に残る血痕と袴田さんのDNA型は「一致しない」としたもので、この鑑定をめぐって審理は長期化。
弁護団は本田鑑定の再現実験を行ったが、本田氏の指導と監督により行われたことなどを理由に、高裁は信用性を否定した。

弁護団事務局長の小川秀世弁護士は、弁護側の主張のほとんどを退けた高裁決定を「非常に薄っぺら。
強い偏見によって判断している」と批判。
西嶋勝彦弁護団長は、最高裁に特別抗告する意向を示し、「なるべく迅速に最高裁の結論を得て、一日も早く巌さんの無事を明らかにしたい」と語った。

(増山祐史、矢吹孝文)
 




高裁決定を聞いたのち、神社で手を合わせる袴田巌さン=浜松市浜北区、代表撮影





高裁決定に沈黙「そんなのウソ」

巌さんは11日、浜松市内の自宅で過ごした。
支援者によると、巌さんはいつも通り午前6時ごろ起床。
午前9時ごろに、支援者が上京の意思を尋ねると「行かない」と答えたという。

巌さんは、市内を数時間歩くことを日課にしている。
この日の午後は、支援者の車で近くの岩水寺へ。
午後2時前、本堂に向かう途中で支援者から「決定が出た」と聞くと、「あ、そう」と答えた。
支援者が「不当決定を許すことはできない」と伝えると「どうもどうも」と応じたという。

代表取材の記者が、再審を認めない決定が出たことについて尋ねると、しばらく沈黙した後、巌さんは「そんなのウソなんだよ。ウソ言っているだけだよ」と言い、せき込んだ。

静岡市清水区の事故現場近くに住み、被害者と親交があったという60代の男性は「亡くなった人や遺族の気持ちを思うと、喜ぶことも悲しむこともできない」と複雑な胸中を明かした。



「幸せ」釈放後初めて記す 袴田さん
袴田さんは現在、故郷の浜松市で姉の袴田秀子さん(85)と暮す。
JR浜松駅周辺を歩くのが日課で、「応援しとるで」と声をかけられることもある。

48年に及んだ拘禁生活の影響で袴田さんは精神を病み、意味が通じない発言も多い。
自分のことを「神」や「最高権力者」と語ることもある。
秀子さんによると、自身と敵対する存在を思い浮かべてか、「ばい菌」や「ゴミ」という言葉を口にすることも多い。

5月には、支援者らがメッセージや意見を書き込める「袴田巌さんの壁」が静岡市内で除幕され、袴田さんも「幸せの花」と書き込んだ。秀子さんによると、袴田さん「幸せ」という言葉を使ったのは、釈放後初めて。「今は幸せだと、多少でも思ってくれると本当にありがたい。裁判の決定で、巌をいつまでも幸せにしてほしい」と話した。

(矢吹孝文、宮川純一)




静岡県警・地検 コメントせず
東京高裁決定を受け、静岡県警の柏木孝敏刑事企画課長は11日、報道陣に対し、「決定は確定したものでない。
審理内容にかかわるため、県警としてはコメントを差し控える」と述べた。
再審開始を認めた静岡地裁決定が「捜査機関が証拠を捏造した疑いがある」と指摘した点について、高裁決定は「抽象的な可能性に過ぎない」との判断を示した。
柏木課長はこの点も「審理の内容にかかわる」とした。
静岡地検は同日、取材に「一切コメントするものはありません」と回答した。

(宮廻潤子、佐々木凌)


日弁連も批判
日本弁護士連合会の菊地裕太郎会長は11日、高裁の決定を批判する声明を出し、「再審無罪を勝ち取るまで、引き続き全力で支援していく」と表明した。
「声明は、科学的証拠であるDNA型鑑定に対する判断を誤った。
『疑わしい時は被害人の利益に』と明言した過去の決定を骨抜きにしている」と指摘した。

 



















2018 6月12日の朝日新聞 声より。
社説

人の命がかかった審理がこのようなものでいいのか。
釈然としない思いがぬぐえない。

52年前に静岡県で4人が殺された事件で死刑が確定した袴田巌さんについて、東京高裁は裁判のやり直しを認めない判断をした。
静岡地裁の再審開始決定を取り消したが、身柄を拘置所に戻す措置はとらなかった。

地裁の段階で6年、高裁でさらに4年の歳月が費やされた。
それだけの時間をかけて納得のゆく検討がされたかといえば、決してそうではない。

結論を分けたのは、犯行の際の着衣とされたシャツなどの血痕のDNA型鑑定だ。
地裁は、弁護側が提出した新鑑定を踏まえ、「犯行時のものではない疑いがあるい」として再審を認めたが、高裁は「鑑定手法には深刻な疑問がある」と退けた。

この決定に至るまでの経緯は一般の市民感覚からすると理解しがたいことばかりだ。

まず、別の専門家に再鑑定を頼むなかで長い議論があった。
実施が決まると、その専門家は1年半の時間をかけた末に、高裁が指定した検証方法を完全には守らず、独自のやり方で弁護側鑑定の信頼性を否定する回答をした。
高裁は結局、地裁とほぼ同じ証拠関係から正反対の結論を導きだした。

身柄を長期拘束された死刑囚の再審として国際的にも注目されている事件が、こんな迷走の果てに一つの区切りを迎えるとは、司法の信頼性を傷つける以外の何ものでもない。
それぞれの立場で省みる点がないか、関係者は点検する必要がある。

こうした事態を生む背景のひとつとして、再審に関する法制度が整っていないことがあげられる。なかでも問題が大きいのは証拠の取り扱いだ。

今回の事件でも、地裁段階で検察側が「ない」と主張してきた問題の衣類の写真のネガが、高裁になって一転開示されるという場面があった。
再審に直接結びつく証拠ではなかったかもしれないが、正義に反する行いとして厳しい非難に値する。

ほかにも、審理の進め方や裁判官の権限などあいまいな点が多く、結果として再審をめざす側の障壁になっている。

11年から14年にかけて、捜査や刑事裁判のあり方を検討した法制審議会の特別会は、再審請求審での証拠開示を「今後の課題」に挙げたが、その後、議論は進んでいない。

疑わしきは被告人の利益に。
この刑事裁判の鉄則は再審にも適用される。
制度も、運用も、意識も、その観点から不断に見直されなければならない。

2018年6月4日月曜日

切磋琢磨の日々です

切磋琢磨とは、前向きさや向上心を表すポジティブな言葉。
技芸や学問に熱心に努めること。
骨は切り、象牙は磋(と)ぎ、玉は琢(う)ち、石は磨く、といった精細な加工を施すこと。
互いに探求、研鑚(けんさん)し合うこと。

今年からの、社内での私の労働時間から休日数までがころっと変わって、多少の嫌な想いもあったが、数年前にやってしまった落下事故以来、一番気がかりなのは気分が晴れないことだ。
この気分が晴れないというのが、頭痛の種。
この事故のことについては、今は話さないで貰いたい。痛みが、増々高じてくるのだ。
事故とは関係なく、大学時代のサッカー部での後遺症として、足腰の痛みに何年かの刻みで襲われる。
頭痛と足腰の痛み、双方の痛みで焼けっ放(ぱな)しにやられている。

休日は日曜日と水曜日、週休2日制だ。働く時間は朝8時から正午まで。
社内の台所で、勝手に昼飯を作って、仕事仲間は知らぬが仏、私流に業務は勝手に終わる。
これだけだと、楽勝!と聞いた人は思うでしょうが、そうでもないのが辛いこと、悲しいことだ。

そこで肝腎なのが、会社に居ないときの時間の過ごし方だ。
私のような気まぐれ男だけではない、ほとんどの人にとって、雨模様もあるし暦の冥利(みようり)もある。
気分がいい人もいれば悪い人もいる。幸運か不運か、気分転換中の人もいる。
まして、曜日ごとにやることを決めてかかるのは無理。
そこで私は自腹を据えかねて、やらなくてはならないこと、種目とノルマを決めた。
何を、どれだけ遣(やれ)るか?ってことだ。


保土ヶ谷プールで、1か月10キロメートルをクロールで泳ぐ。
平泳ぎ、背泳、バタフライは泳げないので、クロールだけで泳ぎきる。
恥かしいんだが、クロールしか泳げないのだ。
学校を出て就職した会社の2年目、西湘では有名な室内プールにおいて、冬の間、水泳教室をやることになって、私は現場の責任者になった。
支配人は早稲田の水泳部、支配人の義弟も早稲田の水泳部で、メルボルン・オリンピックの日本代表者だった。
スポーツと言ったって、サッカーしか充分に練習してなかったから、水泳なんて私の圏外?範疇外だった。
仕事で、水泳教室の先生をやるなんて、考えてもいなかった。
社員がプールにやって来ない間は、当然受講生もいない。
その間に、出来るだけの練習をやった。
他人様に見られても恥ずかしくないように、人知れず練習に励んだ。
此の段に至っては、どの種目よりもクロールが一番都合が良かった。初心者にとって、泳ぎやすく、子供や親たちの目にも良かった。
格好よく見えるのだ。

月曜日と水曜日は必ず行く。もう1日は気分が好くて、保土ヶ谷プールが空いていると思われる日? それは雨の日、豪雨、台風の日なんかは頗るグーだ。
入泳者が少なくて、私には都合がよかった。
年老いたご老人が、自分の力量に合った泳ぎを楽しんでいる。限られた柵の中で、その人たちを抜くわけにはいかなかった。
1回に最低750メートル、多く泳いで1キロ。
そうすると、10キロには10~13回で完泳できる。
1ヶ月に10回以上プールに行けば、充分ノルマはさばける。
1回でのプール使用時間は45分までと決めていた。
いつまでも、ザラザラと練習するのが嫌いなのだ。


それから毎日、多い時は2回、少なくても夕方に1回。保土ヶ谷・今井町のイーハトーブでの畑仕事に邁進する。
この2年間は誠に真面目な作業マンだ。
種を蒔いて、芽が出て大きくなっていくサマは、私にとって極めて充実した思いがする。
こんなことが、こんなに嬉しいものなのか!
畑を取り巻く住民の人たちから私の仕事の一つ一つを聞きにくる。
聞いた話に、住民は楽しみですねと返ってくる。

ところで、イーハトーブとは宮沢賢治による造語だ。
ネット『Wikipedia』で、「イーハトーブ」を調べていたら、次のような説明があった。

賢治の心象世界中にある理想郷を指す言葉である。
賢治が生前に出版した唯一の童話集である「イーハトブ」童話 注文の多い料理店』の宣伝用広告ちらしの文章には、「イーハトブ」について以下のような説明がなされている。この広告文自体は無署名だが、内容等から賢治自身によるものと推定されている。

「イーハトヴとは一つの地名である。強て、その地点を求むるならば、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスが辿った鏡の国と同じ世界の中、テパーンタール砂漠の遥かな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。実にこれは、著者の心象中に、この様な状景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県である。

この作業で一番大事なことは、毎日必ず畑に足を運ぶことだった。
畑に着くと、知らず知らずにやってしまうのが、雑草を見つけては引き抜くこと。
朝見て夕方観て、それだけの時間の経過で、野菜の成長に気が付くのですから、このことは大事なこと。
夕方、帰る前に野菜に必ず水をやることだ。隣家の水道から貰うのですが、この水の有難さも大切なものだ。
隣人のオジサンに「この水には宝ものが含まれていて、よく効くんですよ」と言って、喜ばれた。
水を嫌う野菜もあるので、これには注意が必要。
住宅地に囲まれているので殺虫剤は使わない。虫が好む野菜はできるだけ避ける。
害虫と言えども、野菜から摘(つま)み出して、足裏で踏み殺す。こんなことだって、決して気持ちのいいものではない。
今年になって作った野菜は、ほうれん草、小松菜、カリフラワー、ブロッコリー。今制作中なのは、人参、葱、玉ねぎ、枝豆。
柿、数種類の蜜柑類、山椒、ブルーベリー、桃、栗、レモンなどは健在だ。
柿は2本が甘柿で1本は渋柿。この渋柿で干し柿をつくる。


それから、歩くこと。
例えば本日(2018 6 3)の場合は、16、931歩 本日の消費カロリーは688キロカロリー。
久しぶりに朝一番、自宅から戸塚駅まで、と午後自宅から東戸塚駅まで歩いた。
悲しい事故後、人並み以上に歩けなくなった。
戸塚駅までは1時間45分、東戸塚までは30分。
戸塚駅まで2時間近く歩いたのに、帰りはバスでたったの10~15分だった。
戸塚宿は、東海道の日本橋から数えて5番目。距離にして10里半=約42キロの宿場町。
権太坂から戸塚駅までは6~7キロはあったはずだ。
当初、保土ヶ谷宿(程ヶ谷)の次は藤沢宿であったが、通行する人々が増え、戸塚が宿場町になった。
保土ヶ谷との間にある権太坂や品濃坂も同じだ。
今週の日曜日は、東戸塚駅から大船駅まで電車で往って、そこから徒歩で還ってくる。少し距離は長いが、やってみよう。
来年の初詣に、鎌倉八幡宮まで歩いてみたいと思っている。10年前には平気の平左衛門だった。

出勤時は必ず徒歩出社をしている。
歩数は約6、033歩、距離にして5、5キロ。
往復すると、歩数は12、000歩。
所要時間は、事故前は50分、今は1時間。往復で2時間。
歩くスピードは余程鈍(のろ)くなっているようだ。
だから、そういうことで、1日に2万歩は確保したい。

でも、上り坂に下り坂、腰痛で痛みきっている腰には、この坂が実にイイのだ。
自宅や会社を出たときには、腰や足の痛みを感じるが、10分も歩き出せば、すっかりなくなる。
上り坂が、この腰にどのようにイイのか?
下り坂が、どのように腰に都合よく効いているのか?それは解からない。
広大な保土ヶ谷公園の端っこから端っこまで、その間にトイレが2か所あって、事故後の排尿には、随分お世話になった。


私の読書欲を活かしながら、ぼけっとすることなく、頭に残っている本を、もう一度読み返したい。
我が家での娘(三女)夫婦との部屋取りの関係で、2階にあった本箱を1階に移動した。
その際に1万冊あった本を、6千か7千冊にした。友人にあげたり捨てたりした。
大学に入ったのが20才だった。
それから学校の勉強は二の次三の次にして、心の趣くまま読書に励んできた。
大学時代は一連のデカダン・新戯作派たち。
それから、安倍公房や大江健三郎、高橋和巳、野間宏、水上勉、加賀乙彦、三島由紀夫、野坂昭如、遠藤周作、宮沢賢治、本田勝一、渡辺淳一、島尾敏雄、大西巨人。
どの作家もすこぶる私を楽しませてくれた。
そんな私なのに、現在風の作家の本には、どうしても馴染めない。
昔の昔に読んだ本は、今では余り好かれていないようだが、私の脳層は変わっていない。

それから、気を使わなくてはいけないのが、老人の介護だ。
広い世間での問題ではない、先ずは身内の老人の介護だ。
3年前、女房の実家から、母の面倒を看られないか、と女房の妹から電話があった。
私にどんな苦労が遣って来るのか、さっぱり解からないまま、OK返事をした。
それから、義母と一緒に暮らすようになって、私は唯、女房の頑張りに拍手をおくるだけで、何もしてやれないのが、歯痒い。
高齢で、体が不自由、しかし頭の方は、まァ~まぁ!
義母は、何につけても解かっているようだが、共通に分かり合えていないのが、辛い。
そのような高齢者の介護を、何とかこなしたい、と思っている。
偉そうなことをいい加減に言っているわけではない。
私だってこの夏で70歳になる。
時期は兎も角、他人さまのお世話になることは分かりきっている。