2014年5月6日火曜日

”14 GW休日 3日目

20140505 こどもの日(端午の節句)

昨夜は権太坂に泊まったので、出発地点は権太坂。

横浜横須賀道路をつかって、最短距離に最短所要時間。朝、横浜市金沢区の「海の公園」に7時には着いていた。曇り空ではあったが、ライバルよりも少しでも早く良い漁場(りょうば)を確保することを前夜から、言い出しっぺの次女・花は固い決意をみなぎらせていた。

メンバーは次女夫婦に息子(私の目に入れても痛くない孫・晴)、私、孫の友人・ショとその母・明日子さんと娘・ミ、孫と孫の友人の共通の友人・想ら、一行は8人だ。

一行は駐車場に着くやいなや、砂場を波打ち際に向かってまっしぐら。小雨が時折降ったが、とりあえず各人が各様に想定している漁獲高までは頑張ると決めてかかっていた、多少の雨なんか気にしない、一心不乱の勢い。それもその筈、今夕のバーベキュの食材に「このアサリ」が予定されていたのだ。アサリ飯にアサリの酒蒸し、アサリ入りのスパゲッティらしい。

私は、今朝の新聞で、潮干狩りに大勢の人出があったことを報道していたので、その大勢の人が漁(あさ)った後をいくら漁っても大した量は収穫できないのではないか、と漏らしてみたが、誰もその場では聞き耳を立てなかった。が、自宅でのバーベキュの際に、次女は、その私の発言に、テンションを下げるようなことをジジイは言いやがると腹に据えかねていたと非難した。

私の発言通り、最初のうちはなかなか採れなかった。9時近くなって潮が引き、沖に少し進んでから少しづつ採れだして、10時過ぎに次女の夫・竹ちゃんが、穴場を見つけた。竹ちゃんの目が色めき立った。この辺りが、本日のターニングポイントだった。

穴場と言っても、周囲2メートルぐらいの狭い範囲内だが、格子状のポリボックスを一掬(ひとすく)いすると、アサリが幾つも入っていた。それも数回。やがて、その場所を採り尽くして、移動を始めたが、採れる量は確実に増えてきた。

腰痛持ちの私は、彼らが掬ってきた空のアサリと生きているアサリの混じりを、仕分けする作業に専任した。今晩のバーベキュのネタになると思えば、大事な仕事だ。

二枚の貝殻は合わさっていても、生きているアサリかどうかを、当初は両手で貝殻を開けようとしてチェックしていたが、そのうちに、見ただけでもわかるようになった。それは、空のアサリは貝殻に生彩が薄いのだ。大きいアサリは重さで判断できた。空は軽く、生きているアサリは重い。

小さな女の子のミと想は、ワカメを集めていたが、そのうちアサリが採れだしてからは、採ったアサリをバケツに運んでくれた。

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採り手としての主役は竹ちゃんと、孫の友人の母・明日子さんだった。いつも頑張る明日子さんは、やはり今日も千両役者ぶり。胸元から豊満なおっぱいのほんの一部がちらっ、人妻ならではの妖艶ぶり。昔、観たイタリア映画で、田舎の農婦がなりふり構わずに作業に励むその姿を思い出した。不謹慎だったか!! 演じる女優の骨格から肉づきは健康そのもの、逞しく、太陽と畑と額の汗、緑の葉と真っ赤なトマトが印象的だった。

収穫高は、大きなバケツの8分目ほど。駐車場まで運ぼうと思って下げてみたが、重さが腰にずき~んときて竹ちゃんにたのんだ。

夕方、雨が降ってきたので権太坂の三女の家の駐車場でバーベキュ。想の父母も加わった。アサリ飯にアサリの味噌汁、アサリ入りのスパゲティには、アサリがたっぷり、過ぎるほど多い目。明日子さんが買ってきてくれた立派な肉を頬張り、野菜をたっぷりいただき、私は早い目に風呂に入って寝かせていただきました。

 

☆ 公益法人財団・緑の協会のホームページに施設利用についての知らせを見つけたので、ここに引用させていただいた。

海の公園でのアサリの大量採取を禁止します。海の公園では下記行為を規制します。ルールを守って楽しい潮干狩りにご協力ください。

  1. 幅15センチメートルを超える貝採り器具の使用を禁止する
  2. 2センチメートル以下の稚貝の採取を禁止する
  3. 一人が一度に採る貝の量は2キログラム以内とする

”14 GW休日 2日目

20140504 みどりの日

朝、5時半から、アパートのある弥生台から相鉄いずみ線の「ゆめが丘」駅まで歩いてきた。

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道中、富士山が裾野までよく見えた。車の行き交う道路からそれて、畑の中の道を進んだ。畑には色んな作物が栽培中で、田舎育ちの百姓の仔倅(こせがれ)には興味が尽きない。市民農園も多い。牛舎から、懐かしい牛のウンコの匂いがする。どこからか逃げてきたのか、鶏が一羽、こいつものんびり散歩していた。この辺り一帯は、かって山野だったところを、戦後、農耕地の区画整理事業で今のような畑が作くられた。

和泉川沿いの桜並木は、緑の葉の色が濃い。葉が幾重にも重なって、朝の日差しをさえぎっていた。犬を連れて散歩している人を多く見かけた。テニスコートの隣の広場では、昼間は鯉のぼり大会が行われているのだろう、沢山の鯉のぼりが繋がれたまま地面に寝かされていた。売店も閉じたままだ。昼間は大勢の親子連れで賑わうのだろう。お母さんと二人の小さな息子が、その広場を駆け回っていた。

いずみ中央駅を過ぎた辺りでは水際に草が生えていて、大きな鯉が、その草むらや川底の石に向かって、北国で見る鮭の産卵のときのように、あっちこっちで体をぶつけていた。また、鯉同士でもぶつかり合っていた。水温(ぬる)む、産卵でなければ、恋の季節か?

鯉には罪はないが、これほど大きな鯉が大量に群遊していれば、小魚や小さな虫たちにはさぞかし住み辛い環境だろう。鯉の大きな口に吸い込まれてしまったのだろう、小魚の姿が見えない。鯉さんよ、ちょっとずうずうし過ぎるぞ。それとも、大きくなるのが分かっているのに、これほど多くを放流した人を、小魚や小さな虫になりかわって、私が恨(うら)む。

道路っ端(どうろっぱた)や畑の畔(あぜ)道には、色んな花が咲いていた。今、はばをきかせているのは、ツツジ?サツキ? どちらか分からないが、赤、白、紫の花が目立った。

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帰りに利用した休日のゆめが丘駅のホームは、地上よりも10メートル以上高いところにあって、周囲には高い建物どころか視線をさえぎる物は何もない。駅の付近にコンビにでもあれば、温かいコーヒーでも飲みたいと考えていたのだが、甘かった。お店も民家も何もないところに、ぽつ~んと駅舎だけがあるだけだ。将来を見越しての投資なんだろう。

利用客の姿は、私がホームに居る間に出会ったのは、2人だけ。日当たりがよく、見晴らしが絶好の休憩場所だった。富士山を背に、ベンチで1時間近く持ってきた新聞を読んだ。目が疲れて、横にゴロンとしたかったが、酔っ払いと間違えられそうだったのでやめた。

午後は、孫と映画だ!!

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20140426の朝日新聞/牛にほおずりする小学生時代の知美さん

 

20140504の午後、横浜市中区のシネマ・ジャック&ベティで、映画・「夢は牛のお医者さん」を孫の晴と観に行ってきた。
この映画の紹介記事が20140426の朝日新聞・第2神奈川版にあった。ゴールデンウイークの貴重な休日を孫と一緒に、何をして過ごそうかと思案中だったので、記事を見つけた瞬間、これだと決めて孫の母親に相談した。

「将来は獣医さんになりたい」。そう言っていた新潟県の少女が夢をかなえ、獣医者として働く様子を25年間にわたって追ったドキュメンタリー映画だ。

今年のゴールデンウイークの孫との貴重な企画だ。

解説
 

「夢は牛のお医者さん」の画像2

20140426の朝日新聞/子牛の散歩をする小学生時代の知美さん=いずれも「夢は牛のお医者さん」から。TeNY

 

20140426の朝日新聞の記事を抜粋させてもらった。

宮嶋加菜子

新潟県のローカルテレビ局・テレビ新潟の報道デイレクター、時田美昭さん(53)が撮りためた映像を編集したものだ。

1987年、新潟県松代町(現・十日町市)。新潟の山間にある全校児童9人の小さな小学校に3頭の子牛がやってくる。記者として時田さんは取材に訪れ、その後も足しげく小学校に通うことになる。病気がちな子牛を必死で世話し、出荷時には涙を流す子供たち。当時、小学3年生だった少女・高橋(旧姓)知美さん(35)が「牛のお医者さん」になる夢を抱く。この映画の主人公だ。子牛をいとおしそうにほおずりしたり、牛と一緒に昼寝をしたりする姿が印象的だった。

知美さんはその後、上越市の高校に入学。下宿生活を送りながら「3年間はテレビは見ない」と猛勉強する姿を見た時田さんは「知美さんの夢を一緒に追いかけたい」とカメラを回し続けた。

知美さんは岩手大学農学部獣医学科に進学、獣医師の国家試験に合格し、今は上越市の家畜診療所で働く。2004年の中越地震では、ボランティアとして山古志村(現・長岡市)に牛の救出にも向かった。結婚して子育てをしながら仕事を続ける現在の様子も撮影した。

映画では新潟の豊かな自然の中で、夢の実現を支えてきた家族や地域の人たちの姿も描かれている。

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監督  
坂上明和
アシスタントプロデューサー
吉田和祉
編集
金子哲也
音響効果
    渡辺真衣
キャスト
    丸山知美
 

私も、子供のころ学校から帰って夕飯までに、父に頼まれて牛の散歩をよくした。兄たちは草を刈ってきた。だから、牛の性格や扱い方はよく知っている。

映画に戻る。それにしても、その年度には入学生が一人もいなかったからといって、3頭の牛を、よくぞ、新入生として迎えたものだ。発案者が誰だったのだろうか、発案者は相当の人格者で、先生や児童を導く能力や、過重な仕事を厭(いと)わない精神、教育者としての熱情をどれほど強く持っていた人だったのだろう?

そのような激しい人物は映像には現れず、ひたすら、牛と子供たち、それを見守る住民たちがアップされ、先生たちの姿は少ししか映らなかった。

牛たちが予定の体重に達したので市場で売られることになる。そのお別れ会が牛の卒業式で、在校生が卒業牛君に送辞を読み、答辞は卒業牛さんに代わって子供たちが読んだ。

子供たちは涙、涙、別れを惜しんだ。牛たちは、翌日、トラックに乗せられて里を後にした。

それからも、先生たちが偉いんだ。子供たちを牛の競り市に立ち会わせている。卒業牛は一番高く競り落とされた。子供たちからは拍手喝采。3頭一緒に同じ人に競り落として欲しいと言われていたので、結局高くついたけれど、子供たちのことを考えると、それに応えるしかありませんでしたと、競落した人は述懐していた。

そして、この映画の主人公の知美さんが、勉強して、子供の頃の夢を実現させた。獣医になってからは、この競り落とした人の牛も診ている。成長した知美獣医のことを頼りにしていますと酪農家は仰っていた。

この映画から得たことはもう一つ。子供は親の背中を見て育つというが、知美さんには二人の妹がいて、三人ともよく学び、よく働く娘さんたちだった。お父さん、お母さんの日常の頑張りから学んだのだろう。

この一家からも学ぶことは多かった。

 

 

2014年5月3日土曜日

”14 GW休日 1日目

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20140503 私のゴールデンウイーク1日目だ。

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早朝05:30には、イーハトーブに居た。

昨日ホームセンターで買った地這(じば)え胡瓜(キュウリ)2株を植えて、枝豆と小松菜の種を直播(じかま)きした。畑は、冬の間に落ち葉や馬糞を混ぜて何度も耕した。その甲斐あって、この3年間で粘土質の土壌は幾分、野菜栽培が可能になってきた。以前は、ねばねばで泥んこだった。

アスパラとリーフレタス、蕗を収穫してきた。アスパラにしても蕗にしても、毎年、突然にょきっと顔を出す。私のことをお忘れではないでしょうね、と言いたげだ。リーフレタスには、小さなナメクジがくっついていたが、見たところ葉を食べた形跡はない。この小さなナメクジは、私には気づかない小さな何かを食って大きくなり、やがて葉っぱをバリバリ食って大ナメクジになるのだろう。ナメクジに食われる前に食わなくっちゃ。ナメクジを変換すると、こんな難しい「蛞蝓」になる。憶えられないが、形だけでも見ておこう。

大きくなって、芯が丸くなりかけてきたキャベツに、恐れていた虫がついたようだ。葉っぱに穴がいくつも見られる。葉の裏表に虫を探したが見つからない。日本語では甘藍、虫たちにとっては甘いご馳走なんだろうが、せっかく、ここまで成長したのだから、丸まった、成長したキャベツが見たい。

午後は、母校のサッカーの公式試合の観戦に行った。関東大学サッカーリーグ戦、対戦相手は明治大学だ。13:50キックオフ、会場は東京都調布市西町にある味の素スタジアム西競技場。

スタジアムの最寄り駅が京王線の「飛田給」駅。この飛田給という駅名は、飛と田と給の3文字の不思議な取り合わせ、それが気になって頭から外れない。

自宅に戻ってネットで調べたら、それらしき答えがあったので、ここに引用させてもらう。ウィキペディアより=荘園制度が盛んであった頃、この地は「飛田某(とびたなにがし)」という荘園領主から給された「給田地」であったという地名から、「飛田給」と名付けられる。また別の伝承では武蔵国悲田院の給田地であったことから、悲田給(ひでんきゅう)という地名になり、それが転じて飛田給となり、さらに読み方が現在の「とびたきゅう」となったという説がある。

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試合は明大に完敗だった。ボールの保有は明治が6割強、当校は全てのプレーで負けていた。シュート数においても、母校は前半3本後半2本程度で、明治には圧倒的に負けた。その結果のスコアーが2:1。母校は後半から出た中山のシュート1本だけ。

得点がないのに不用意なPKを2本も。相手校与えてしまった。そのうち1本は、GK松崎の攻守で阻止できたけれど、それにしても、2本もPKを相手に与えるというのは、余りにも、守備が甘過ぎる。中山のシュートは後半のロスタイムに決まったが、追いつき挽回するほどの時間はなかった。

終了後、古賀監督が選手を集めて、反省点を指摘していたけれど、次回もこの程度の出来栄えでは、慶応さんに苦杯を嘗めさせられることになる。慶応だけには、恥ずかしい負け方をしたくないもんだ。

 

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一皮むけた!! アウベス

20140427、スペインリーグでのビリャレアル&バルセロナ戦でのできごとだ。

CKの際に、バルセロナ・DFアウベスに向けて観客からバナナが投げ込まれた。黒人選手に対して「サル」と呼んだりバナナを投げたりするのは典型的な人種差別行為だ。

ところがこのアウベス、ピッチに落ちたバナナを拾って、皮をむいて、食って、CKを蹴り、次のプレーに加わった。あたかも、何事もなかったかのように。

試合後、記者の質問にアウベスは、ポジティブに行動したまでだ、と言い放った。この発言にブラジル代表のFW・ネイマールは「俺たちは皆サルだ。皆、同じ。人種差別にNOを!」とツイッターで呼びかけ、バナナを手にした写真を掲載した。 世界のスター選手らが次々と呼応、人種差別に反対する意思表示としてバナナを手にした画像をインターネット上に掲載している。

こんな内容をテレビとネットで知った。

そして、今朝、テレビのニュース番組で、元ブラジル代表で主将を務め、Jリーグ・鹿島で活躍、その後は日本代表監督も務めたジーコがネットに投稿した映像を観て、私は思わずニタっとした。そして、この稿を起こすことにした。

ジーコがバナナを食う様子をアップで映し、そしてペナルティキックマーク付近からボールを蹴り、ゴール右上隅に吊らされたバナナを見事命中、人種差別の象徴のバナナを叩き落とした。さすが、技ありのジーコ風の人種差別抗議だ。

先日には、日本でも浦和レッズの私設の応援団がジャパニーズ オンリーと英語で書いた横断幕を掲げて強い批判を受けた。後で知ったのだが、このジャパニーズ オンリーという言葉は、日本のいたる所で多く見られるそうだ。差別蔑視の深さに今更ながらに驚いている。

 

ーーーーー、こんな文章を綴っていた翌日の20140503、名文の誉れ高い朝日・天声人語さんも同じ内容に触れたた。こちらは、さすがに、人種差別から憲法に及んだ。今日は憲法記念日だ。

 

20140503 

朝日・天声人語

「バナナの輪」が世界に広がっている。先月末、サッカー・スペインリーグの試合で、観客がブラジル人選手に向けてバナナを投げ込んだ。サル扱いを意味する侮辱であり、人種差別である。

当の選手はこともなげに拾って皮をむき、一口ほおばって競技を続ける。そのクールな態度が称賛を呼んだ。ブラジル人のスター、ネイマール選手はバナナを手にした自分の画像をネットに掲げ「俺たちは皆サルだ」と書いて抗議の意思を示した。

元日本代表監督のジーコさんやインテル・ミラノの長友佑都(ゆうと)選手も輪に加わった。誰に指図されたのでもないだろう。差別反対を訴えるうねりの、あっという間の広がり方は爽快ですらある。この世界にはまだ希望があると感じさせる。

最近の我が世相を顧みる。サッカー競技場に「日本人のみ」の横断幕が出現した。四国の遍路道でも外国人排斥の張り紙が現れた。ヘイトスピーチの当事者は、憲法が保障する表現の自由を盾に正当性を主張する。

もとより差別は自由を奪う。例えばナチスの記憶を受け継ぐドイツは、自由の敵には自由を与えない。ヘイトスピーチは法で罰せられる。不寛容を許さない姿勢は、「たたかう民主制」と呼ばれる。

ただ、そこには、誰が敵かを権力が恣意的に決める危険性も潜む。だから、日本国憲法は自由の敵を初めから排除はしていない。この場合、敵にまず立ち向かわなければならないのは社会であり、個々人ということになる。そう、あのバナナの輪のように。

2014年5月2日金曜日

”14 G・W ハブ ア ナイスデイ だ

20140503、4、5、6日の4日間を丸々休むことを宣言する。

私の65年の生涯で、ゴールデンウイークをこのような形で完全休養するのは、初めてのことだ。但し、いい話が勃発するとか、緊急な事態が発生した際には、いつでも出動するサカイに、気兼ねなく言ってくれと頼んである。

3日は、母校の公式試合の観戦。対戦相手は明大 13:50 味の素スタジアム西競技場。

4日は、孫と映画鑑賞。「夢は牛のお医者さん」

5日は、葉山の海辺での、潮干狩りかバーベQ。

6日は、母校の公式試合の観戦。対戦相手は慶大。 13:50 味の素スタジアム西競技場。

さて、どのような結果になるでしょうか?

2014年4月27日日曜日

承継効とは

20140423の水曜日、09:50~15:45、宅地建物取扱主任者証の更新のための法定講習を神奈川県不動産会館5階のホールで受けた。

この5、6年は、リーマンショックで受けたダメージから、何とか脱却するために東奔西走、落ち着いて宅建業に関係する色んな法律の改正などを詳細に確認することなど怠(おこた)った。私の能力では、あれも、これもとはいかないのだ。今回の講習で、その勉強不足を痛感した。

最近の法律改正に伴う重要事項説明事項の追加や変更になったものは、改正に伴って宅建業法施行令第3条も改正された。この第3条は法令上の制限についての規定条項だ。

平成25年度の港湾法施行令の一部改正や災害基本法等の一部改正、平成24年度の都市の低炭素の促進に関する法律施行令、都市再生特別措置法の一部改正、平成23年度の津波防災地域づくりに関する法律の施行などに伴う宅建業法施行令第3条改正について、詳しく説明を受けた。

そこで、前の方の改正された法律以外にもいくつか改正されたが、この改正の教本での説明文のなかに、初めて見て聞いたのが「承継効」だった。改正の内容よりも、文字好きの私は、この言葉に釘づけになった。不動産に関する六法については、条文はしっかり憶えていないにしても、割と人並以上に法令や政令、条例を把握していると自賛しているこの私が、承継効って奴に初にお目にかかった。今まで知らなかった。聞いたこともなかった。

承継効とは、「一団におけるその協定については、協定後に新たに一団に加入した者に対しても効力を有する」ということのようだ。

そして翌々日、会社で、承継効を知っていますかと、スタッフに尋ねても誰も知らなかった。

ところが、経営責任者の中さんには、承継効を知ってるか?と聞こうとして、間違えて「継承効」って知ってる?と尋ねてしまった。彼は、初めて聞いた言葉ですがとか言いながら、早速インターネットで調べて、継承効はですね、「土地や物件などを売買や相続、譲渡などで承継した者が、それについている権利義務関係を引き継ぐこと」だそうですよと答えた。

う~ん、えー?、成る程、承継効があれば継承効があっても可笑しくはない。承継する人がいれば、継承する人だって必ずいるわけだから、二つの言葉があっても当然!なのだった!!

初めて知った言葉に、それから派生して知った言葉、承継効と継承効。

勉強になりました。

2014年4月26日土曜日

日本サッカーの日本語化

各種のスポーツ競技を率いる監督やコーチが、指導する際に選手に向かって使う言葉で、監督の意図が大体読み取れる。監督が求めるチーム作りや試合の采配に対する考え方もよく解る。試合会場に足を運ぶ機会の少ない私にとって、日経新聞の武智幸徳さんが興味ある記事を18日の朝刊で提供してくれた。

私は30余年前に、地元の自治会が作った子供サッカーの指導にかかわった。そのときに、子供に対する言葉の使い方の難しさを体験した。ジャンルは異なるが、優れた芸術作品を前にして、人は言葉を失うことがある。作品に圧倒され、感じたことを何と表現したらいいのか分からない。それとは逆に、的を得ぬ饒舌ほど耳に不愉快なものはない。作家の金井美恵子さんは自らの文章に対して、何が嫌かって、間の抜けた文章で評されるほど嫌なことはないと何かで言っていた。日常でも、人生の大先輩や功成(こうな)り名を遂げた人に、語りかける言葉選びの難しいことを、誰もが経験する。

なのに、子供の試合を観戦に来た父兄のなかに困った奴が時々いる。未熟ながらも健気な子供たちのプレーに、なんとも耐え難い発言を何気にする奴らが、いることが悩みの一つでもあった。奴らに向かって、何度、私が怒り狂ったことか。

決定的にいただけないのが、「何をやっているんだ」だった。こんな破廉恥な言葉を口にする馬鹿タレは、スポーツを、まして子供のプレーなど観戦する資格はない。いいか、憶えておけ、二度と俺の前でこのような発言をしたら、退場してもらう、家に帰ってビール飲んで屁でもこいて寝てろう! だ。このような発言を繰り出す奴は、必ず自分の子供から将来手ひどい復讐を受けることになる、間違いなしだ。

したり顔で、「何をやっているんだ」なんて、これほどスポーツの神髄からほど遠い言葉はない。私には絶対許せない言葉だった。

新聞記事にある言葉についての内容とは大いに異なるけれど、私の積年の思いを吐露させてもらった。

 

20140418 日経・朝刊/スポーツ

アナザービュー・武智幸徳

2016年リオデジャネイロ五輪を目指す21歳以下日本代表の手倉森誠監督(46)は、ちょっと変わった言語感覚の持ち主である。滑ることをまったく恐れない。駄じゃれ好きはつとに知られた話で聞き手をしばしば困惑させるが、サッカー指導で繰り出す言葉の力はかなりいい線いっている気がするのである。

例えば、くさびのパスを受けたFWをサポートする選手に対して発する「潜れ!」。単純に「サポートに入れ」というより隠密行動の匂いがするし、ボールを受けたらゲインラインを必ず突破せよ、という推進力の強調も同時に感じられる。

聞く度にどこか痛い気がする「ボールを握れ」もただの「ポセッション」より迫力がある。手倉森の後、仙台の指揮を執り先日解任されたアーノルド監督は「キープ・ザ・ボールと教えたらしい。それより”握れ!”の方が感じが出るでしょ」と手倉森監督。確かに「死んでも渡すな」というニュアンスはこちらの方が伝わる気がする。

明治維新を境に標準語がまず軍隊で必要になったように、日本サッカーも1990年代半ばから用語の統一と普及に熱心だった。「ターン(turn=フリーだ。前を向け)」や「マノン(man on=気をつけろ。後ろから来てるぞ)」といった外来語がそうである。

日本中のコーチと選手がそうした共通語を使うようになると、地方から代表合宿に参加しても、代表コーチが使う言葉の意味が分からない、というようなことはなくなった。共通語として全国に拡散すれば、地域ごとの指導のばらつきもやがてなくなる。そんな狙いもあったのだろう。

それはそれで意味のあることだったが、「潜る」「握る」など日本人の身体感覚でサッカーを捉え直すかのような”手倉森語”を聞いていると、日本サッカーが次のステップに進むヒントが隠されているような気がしてくる。元日本代表監督のオシムさんは「日本サッカーを日本化する」という名言を残したけれど、その実現には「日本サッカーの日本語化」が必要なのではないか。

実際、「プル・アウェイ」なんかより、不世出のストライカー釜本邦茂さんの「ゴール前で1回消えたらいい」という言葉の方が、よほど含蓄と選手に考えさせる力があるように思う。