2016年1月31日日曜日

突発兵 浅野琢磨がやるう!!

Uー23選手権決勝 日本ー韓国 3-2








     昨夜、予定していた時間に観ずに、寝過ごしてしまったのかと、半分不安半分危惧しながらテレビを点けたら、試合内容は前半は1-0で韓国に負けたままだった。このままでは駄目じゃないか、と叫んでいた。後半に入ったものの今後の成り行きは解らない。
      後半早々に1点入れられて、2-0。
        これでは、どうしょうもないじゃないか?悩みは幾らでもふくらみ、破裂寸前にあった。そうしたら、22分にその浅見琢磨が入れて2-1。そして23分に矢島慎也、36分に浅野が決勝点を入れた。
          私の心と体は沸騰したまま。どうしても、このまま眠るわけにはいかなかった。廉い焼酎にお湯を入れて、2杯、3杯と飲んだ。明日は明日の仕事があるんだ、何とか眠れるように、眠れるようにと苦労した。隣の部屋で寝ている妻と祖母は、俺のはしゃぎ様を、どのように思っていたのだろうか?

手倉森監督は、「やっと点が取れました。慎也くんが自分を見てくれていると信じていたし、今までゴールを取れずにチームを苦しめてしまった。こういう大舞台でゴールが取れて、チームの勝利に貢献できて良かったです」

試合後に浅野は汗を輝かせながらこう語った。50メートルを5秒台で駆け抜ける圧倒的なスピードが、アジアの頂点を決める舞台で輝いた。0-2で迎えた後半22分、MF矢島慎也(岡山)のスルーパスに快足を飛ばした。最後は相手GKと入れ替わるような格好で、今大会初ゴールをマーク。この1点が、個人技に優れる韓国に劣勢を強いられていたチームを見事に蘇生させ、1分後には浅野のゴールをお膳立てした矢島が同点弾を叩き込んだ。

そして、昨季のJ1王者広島でも猛威を振るったジョーカーの真骨頂と言えるシーンが、後半36分に訪れる。

自陣からのカウンターが、敵陣で一度韓国DFによって跳ね返されるが、浮いたクリアボールの落下地点にMF中島翔哉(FC東京)が走り込んだ瞬間、半身になって前線で待ち構えていた浅野が予備動作をスタートさせる。中島がこのボールをワンタッチで縦に入れると、浅野は相手DFを巧みにブロックしながら足下に収めて鋭く反転。最後はGKとの1対1を冷静に制し、決勝点を決めた。
昨季のJ1で示した神通力
両手でジャガーをかたどる独特のパフォーマンスを披露しながら、ベンチで待つ仲間の下へと走り、歓喜を爆発させた。

「日本の皆さんを待たせていたので、この舞台でジャガーポーズができて良かったです。あれをやると気持ちが落ち着くので、しっかり自分はできると信じて試合に入りました。家族も待たせていたので、いい報告ができます」

昨季のJ1では途中出場から最多8ゴールを奪い、広島も浅野が得点を決めればリーグ戦で7戦全勝。そんなジョーカーとしての”神通力”が、宿敵との頂上決戦でも発揮され、手倉森ジャパンをアジア王者へと導いた。



2016年1月24日日曜日

最後の審判の日

最後の審判の日



ミケランジェロ画 「最後の審判」




20160316 14:00~ 水曜日は弊社の定休日。

私にとっては、切っても切れない東京演劇アンサンブルに芝居を観に行ってきた。
何が?切っても切れないのかって?
その原因には、極極難しいことがある。

私が育った生家での育てられ方が、このアンサンブルの運営方法と、何処か? 何故か?似ているような気がしてならないのだ。
都会の、どこの家にもないモノ、私の不思議な気概か?

相変わらず、独りでは観に行けない私のこと。
今回は、大学時代からの友人のマサカツが、パートナーだ。
此奴も切っても切れない友人。

彼とは、大学時代 同じサッカー部のほんの少しばかりの同輩。
二人とも、プレーヤーとしては大したことがなかった。
それでも、やっとの思いで、何とか、やり繰りしていたのが実情だ。

彼の出身は兵庫県赤穂郡。私は京都府綴喜郡の宇治田原町、宇治市と滋賀県の大津市石山の間にある、恥かしい程みじめな山村だ。

彼のことを紹介したい。
大学時代に入部してきたマサカツに、お前は何処のなんちゅう学校から来たんや、と尋ねた。
返ってきた答えは、生まれは兵庫県赤穂郡 赤穂御崎の近所。学校はヤマオカさん、これは非常に恥かしいから誰にも言わないで、前言の後、出てきた学校名は●▲■高等学校だった。
余りにも優等校の名前に、驚き一発、笑ってしまった。

ヤマオカさん、笑わないでくださいね、私の時代は10人程東京大学に入ったのですが、今は1人が精一杯。学校側は頭を冷やして、やり直しを決意、火が点いているようですよ。

彼との付き合いは激しく、濃密で麗しいものだった。
大学に在籍中は、目まぐるしいほどの交流だった。

貧乏人の私に、よくもここまで付き合ってくれたものだと、感謝している。
銭湯からの帰り道、金もないのに、食いたがっている私の胃袋を察し、買って、私に恵んでくれた。ハイカラな奴だった!!

そして、卒業後、幾たびかの困難を乗り越え、ソニー製品に使う部品を作る会社の社長の娘っ子に、養子に入った。
このお嫁さんとも、長い付き合いになった。
この会社は、誰もが知る旧称・東京通信工業だ。奥さんの父母と祖父母が社員として、お世話になったことがある、、、、、、その付き合いは並みのものではない。

もう少し、極端なことを言おう。
創業者である井深、盛田さんが会社を始めた時だったから、従業員は10~20人。
大島?だったか? 社員旅行での記念写真を見せてもらったことがある。

この東京演劇アンサンブルの団体名称は、ブレフィストの芝居小屋と言われ、団体の個性なのか、あばら骨というのか、不思議な劇団だった。

時には優しいお姉さんのようであったり、時にはヤクザ者のようでもある。
お付き合いさせてもらって、最早、40年以上は過ぎた。

約50年前に知り合った脚本家の牛さんの紹介で、その後、付き合いはドンド~ン深くなった。
牛さんの日頃の生活から、命の終わりまでのちょっとヤヤコシイことに関して、私にできることはやるように努力した。

今は2名の社長さんでやり繰りされているが、いつ行っても、お構いなしに付き合ってもらえる。弊社が多少なりとも景気が良かったときに、個人的に、細やかな寄付をさせてもらった、結果、私はいつ行っても、入場料は只にしてもらえる。
その代り、有料の人物を連れていくーーーーーこれを私の常識にしている。

社長の息子(長男)さんとも、付き合いが長くなった。
彼は、今、闘病中で、元気が戻ってくるのを只管(ひたすら)待っている。
長女のお姉ちゃんとも、付き合いが長い。




作・エデン・フオン・ホルヴァート

訳・大塚 直

演出・公家 義徳


音楽・長久真実子(チェンバロ)
舞台美術・香坂 奈菜
照明・大鷲 良一
衣装・稲村 朋子
音響・島猛(ステージオフィス)
振付・菊地尚子
宣伝美術・Heather Hermit
舞台監督・冨山小枝)
制作・小森 明子  太田 昭



とある田舎町。この駅、大きな町を結ぶ線路上にあるが、急行・準急列車も停まらない。
駅長のフーデツは、合理化の煽りを受け、たった一人でこの駅を切り盛りしている。
駅長のフーデツは働き者で村人からの信頼も篤い。

ひっきりなしに通り過ぎていく急行や準急のために、ポイントを切り替えたり信号を変えたりーーーー。
実直で温厚な彼は町の人たちの信頼も篤い人気者だが、この頃めっきり外に出なくなり、
彼の13歳年上の妻が嫉妬深いため、フーテツは外出もままならないのだと人々に噂される。

ヒステリーな悪妻という評判で、不仲が噂されている。

ある日、この駅に停まる各駅停車は、いつものように四十五分も遅れて来た。
許嫁を送りに来たアンナは、列車を見送ったあとフーデツに話しかけ、さんだん絡んだ挙句にキスをした。
直後に準急列車が貨物列車と正面衝突した。

この間にフーデツは準急列車の信号を出し損ない、直後に貨物列車と衝突、18人の死者が出る、、、、、。






何故 列車事故は起こったのか?
誰に罪があるのか?

不穏な社会の中、苛立つ人間たちによる”愛”をめぐる物語。

どうせお前は信じちゃくれない
この物語は1936年のオーストリアで描かれた。
1938年にナチスによってウイーンが陥落することになる、その前夜に。

ファシズムにも コミュニズムにもポピュリズムにも乗らず、ただひとりの、不完全な人間としての生き方を模索するホルブアートの生前最後に上演された戯曲。

流行や常識は、時として恐ろしいものに成り得る。
宗教だって。

しかし僕たちは一刻も止まることもなく進んでいく時間とともに、大きな時代のうねりに巻き込まれながら生きている。

魅惑的なキスから始まる物語。
『最後の審判の日』。疑いもなくそこにあると信じていた日常がある時 逆さまになってしまう前に。  (公家義徳)





  
     



2016年1月21日木曜日

この冬は、暖冬か?

10月の初めごろ、出勤路として通過する神奈川県立横浜公園で、水仙(スイセン)の花を見かけた。

小学校時代、校庭の隅っこによく咲いていて、馴染みの花だ。
こんな所で、思いもつかぬ花を観つけて嬉しかった。

今稿は、何年か前に花のことを書いておいたなあと、思いついて、調べてみた。
そこに、しっかり携えなく保存されていたのが、この原稿だ。

文章が上手くなく、未だ未だ、他人様に見せられるものではないと、公開を諦めたようだ。

ところで、花と言えば、祖母が好きだった菊。
母が好きだったハイビスカス! 
どの花も玄関周りの庭の一部に花々と咲き誇った。

オバアチャン、何是、こんな花を咲かせるの?と聞いたとき、祖母は、この花たちは私が死んだら、私を花に盛らせて天国に連れて行ってくれるんだよ、と話した。

花好きの私ではないが、このスイセンについては、多いに馴染みがあった。
子供の頃には先記の校庭の端々だけではなく、家の周りや野原、とくに畔に多く咲き誇っていた。
田舎育ちの私とは仲睦まじく生きてきた。
私は、タンポポを集めてそれを遊具に、何時までも遊んだ。
草はクローバーだった。

ネットより、「スイセン」を知る。、、、、、ヒガンバナ科 学名:用途・鉢植え 露地植え  難易度・バー (ふつう)   耐寒性・バー (つよい) 耐寒性の秋植え球根で1本の茎に1つの花をつけるタイプや、房咲きになるタイプなどがあります。

ニホンスイセンと呼ばれるものは房咲きのタイプになります。

人里に生育し、田畑の周辺や堤防や墓地などに見られることが多い。
特に田畑の縁に沿って列をなすときには、見事な景観をなす。
湿った場所を好み、時に水で洗われて球根が露出するのが見られる。

なお、山間部の森林内でも見られる場合があるが、これはむしろそのような場所がかつては人里であった可能性を示す。
田畑の縁に沿って列をなすときには見事な景観をなす。
湿った場所を好み、時に水で洗われて球根が露出するのが見られる




次は牡丹(ボタン)だ!!

小さな樹木なのに、花の数は多かった。

これもネットより「牡丹」を知る。、、、、、、牡丹は、ボタン科ボタン属の落葉小低木。





ところがこの12月、小奇麗な住宅の庭で、背は低いが真赤な花をここぞとばかりに咲き誇る花を観つけた。
その花が牡丹だった。
花や仕種が穏やかなのに、今まで、その花が牡丹だったとは知らなかった。
前のスイセンでは、恰も花好きのように書いたが、このボタンについては、0点だった。


またこれも、ネットで得た情報をここにキープさせてもらう。

昔から美しい女性のことを、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」といいますす。なぜこれらの花が選ばれたのか。その理由から、美人の本質をさぐってみましょう。


【立てば芍薬】
芍薬(しゃくやく)は、すらりと伸びた茎の先端に美しい花を咲かせます。その香りもたおやかで、フランスではしなやかで爽やかな香りのするワインを、「芍薬のような香り」と言うそう。姿も香りも、まさにすらっとした美しい女性そのものです。

【座れば牡丹】
芍薬も牡丹も同じボタン科なので、花自体はよく似ています。しかし、芍薬は草で牡丹は木。その違いから、牡丹は枝分かれした横向きの枝に花をつけるため、まるで座っているかのように見え、観賞するときも座って観賞したほうがきれいに見えます。中国では花の王と呼ばれ、華やかさの象徴です。

【歩く姿は百合の花】
百合は、しなやかな茎の先にややうつむき加減に花が咲きます。そして、風をうけて揺れる様子は、まるで女性が優美に歩いているように見えるでしょう。甘い香りは香水としても人気があり、こうした花のイメージから、女性の名前にもよく用いられています。

2016年1月17日日曜日

クラブに勉強!好きや

昨年の4月の作業中の事故で、一人前に仕事ができなくなってしまった。

だからと言って、ぐじゅぐじゃ文句ばかり言って、自らを蔑(さげす)んでばかりいるわけにはいかない。これ!!、常識人の常識。働けるうちは働くんだ。

そんな私が、身のため心のためにやれることを、やろうと気付いたことは、何てことはない。自宅から会社までの徒歩による出社だ。
退院後、翌日から始めた。9000歩から1万歩。直線距離にすると、9キロメートルから10キロメートル。
悲しいことだけではない。歩きながらだって、楽しみはいっぱいある。

今日は、いつもは気づきながら、何も話さなかったことを文面に著したい。

朝晩、自宅から会社のある相模鉄道の「天王町駅」まで歩くのが、実に快いってことだ。
何がそんなに快いのか? 
社会人はマアマア余所とは変わり映えしないが、子供たちの身振り手振り、話し言葉が全然違う。
これや~ 学校での生活も丸で違うと思われる。
それほどまでに感じた。私も、4人の子どもを育ててきた。結構、気をもんだこともあった。

歩く道の界隈の学校は以下の通りだ。
境木中学校、境木小学校、権太坂小学校、保土ヶ谷養護学校、光陵高校、初音ヶ丘小学校、岩崎中学校、岩崎小学校、桜台小学校、仏向小学校、桜ヶ丘高校、保土ヶ谷小学校、帷子小学校、星川小学校、このどれもがしっかり整備されていて、厭らしい生徒は見ない。
制服を何だかんだと弄って、その恰好を喜ぶなあ~んて奴は見たことがない。

日本は自然を貴(とおと)ぶ人民だ。
草木や花々、小さな魚や虫、川の流れや空の色、星や月、多彩な生きものたちの暮らし、山海と神々の祭り。
一年の時の移ろいを、四季折々の歌に織り込み、個人の感性を磨いてきた。

ところが、ドッコイ。
これからが今回の文章のキーだ。

桜ヶ丘高校と広陵高校の両校については、真面目、真面目、それしかない真面目!!参考書を読みながらや、友人と勉強の話をしながらの徒歩については、頭が上がらない。

息子の友人がイヤーホーンをつけながら歩いているのを見かけて、息子に告げたら、息子が言うには、お父さんあれは英語のヒヤリングをしているんだよ、と言われて、嫌な想いをしたもんだ。このイヤリングも我が家に遊びに来てくれた。

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令息はサッカー部員だった。
仕事の合間に家に帰って客間に入ったところが、そこには10人近くの部員が、我が家の冷蔵庫の中に入っている飲み物を全部たいらげ、辛苦に身を任せて、あっちこっちに寝そべっていた。主人である私でさえ、大きな声を出すことさえできなかった。
素晴らしい青春だと、感服した。

そして、この学年の大半は、どいつもこいつも立派な学校に入った。一人は、筑波大学の医科に推薦入学した。天晴(あっぱ)れ天晴れだ。

仲間たち同士、自らの性格と美しさは相容れないものではある。
自らの内面がそのまま容姿に反映されているようで、その姿は互いに、銀の金の踊る天使に見えたのではないだろうか、こんなことを考えるのは私だけだろうか。

どの学校もクラブ活動が活発だ。
朝から夕方遅くまで、熱心に練習している。
そのさまは、私が恥かしくなるほどのものだ。

サッカー、野球、テニス、卓球、バスケットボール、ハンドボール、ソフトボール、どの種目もゲットゴーだ。
正直な話、どの種目がどの程度の成績をおさめたかなんて、俺は知っちゃいない。
取り敢えず、どの種目も熱心に練習していることが、傍を通る人間には、嬉しいのだ。

市から県大会へ、そして全日本大会へ。詳しく話したくないのだが、全国大会で優勝、それに近い成績をおさめていることが、多う多うにあるのが、嬉しい。

街道筋の学校のどのクラブがどれだけ強くて、尚、勉強もどれだけ優秀かなんてことは知らない。
だけれども、早朝練習、午後の練習にどれだけ身を裂いているかぐらいは、学校の前、後ろの道を歩いているだけでよく解る。
男も女も、眉目秀麗とは言わないが、顏はしっかりと意志を持ち。
背筋が気丈夫さを表している。
足取りからは意志の強さを感じた。

朝、中学校と高校の生徒が、私に向かってくる。
これからの練習の打ち合わせをしているのは、クラブ一本筋の私にはよく解る。
中学生は7時10分、高校生は7時に学校に着くようだ。

勉強を終えて、午後の練習。練習を終えて、学校を離れる時間は決められているようで、薄闇が迫ってきた頃、生徒が黒い塊になって校門を出てくる。
その姿も、私には嬉しくて、しょうがない。

私の息子の学校のことを述べたが、中学校も小学校もかわらない。
市の大会の報告、そして県大会への望みを述べたボードが張られていて、私の心は弾む。










2016年1月12日火曜日

深く眠るために

小学校の高学年の頃から、自宅に運び込まれる朝日新聞を読み続けてきた。

京都新聞や読売新聞を読んでいる人も割りと多かったが、なぜか?朝日新聞のことが気にいっていた。
狭い郷里だけに宅配されている新聞もあった。実は、この新聞も面白かった。
今日は、今年最後の日。来年、明日のために、吉凶、よく噛み砕いで過ごしたい。

社説は難しかったので、読み出すのは、難しい問題の際の新聞社としての気概の耽った記事が、気にいった。
何故か?向きになった記事を読んで、私には面白いことが、世の中には多過ぎた。


20151231の朝日の社説をここに掲載させてもらった。

2015-2016 深く眠るために

世界はどうやってできたか。
アメリカ先住民のアコマヴィには、こんな神話があるという。
雲が固まってコヨーテになり、、霞が凝縮してギンギツネとなる。
ギンギツネは熱心に仕事をして、陸地をつくり、木や岩をつくる。コヨーテはその間、ただ眠っているだけ。
コヨーテは眠ることでギンギツネの創造に協力しているのだーーー。(河合隼雄)「神話の心理学」

何もせず何の役にも立っていないコヨーテがどうして、世界をつくっていることになるのだろう? この、ちょっとおかしな創世神話は、夢をみたり、理想を語ったり、目には見えないものに思いをはせたりする力が、実際に現実を動かす力と同等に、世界を成り立たせるには必要なのだということを暗示しているのかもしれない。

2015年が終わる。眠りの浅い、1年だった。


私たちの「値札」

重機がうなり、ダンプカーが土ぼこりを巻き上げる。
東九州自動車道の北九州市からに宮崎市までを結ぶ約320キロのうち、最後の1区画7・2キロの工事が、来春開通を目指して急ピッチで進んでいる。
完成すれば約10分早く行き来できる

当初予定から1年遅れ、ミカン圏を営む岡本栄一さん(69)が用地買収に応じなかったためだが、今年9月、福岡県による強制収用が完了した。
道路でミカン圏は分断された。

だが岡本さんはいまも、約1億7千万円の補償金の受け取りを拒んでいる。
もらえば、反対してきた16年間が「なかったこと」になってしまう。とはいえ、収容された倉庫などは新設せねばならず出費はかさむ。妙な袋小路に追い込まれている。

「今年のは見栄えが悪くて、出荷の日。岡本さんに手渡されたミカンの皮には黒い斑点が」ある。強制収用のごたごたで手入れが行き届かなかった。
味は変わらない。でも、見栄えがよければメートル単位/10キロ2500円、悪いと1200円という。

中身より見かけ。この世界はいま、そんな風にできている。
「おやじの代からの土地を守ってミカンを作り続けたい」。悪いが素朴であるほど、信じるのが難しくなるものだ。
どうせお金なんでしょ。

もっと巧くやればいいのに。
しかし、巧くやるとはどういうことか。思いをさっさと数字に変えて、できるだけ多額の補償金を手にすることだろうか。巧く立ち回って億のお金を手にしたら、岡本さんの「値」は上がるのか下がるのか。

10分の便利を喜ぶ私たちには、いったいいくらの値札がぶら下がっているのだろう。
ミカンを口に放り込む。
甘い。そして酸っぱい。
ーーーーーーーーーー

「魂の飢餓感」

8月に閣議決定された、戦後70年の安倍首相談話は、とても巧く書かれていた。
「植民地支配」 「侵略」 「痛切な反省」 「心からのおわび」。焦点だったキーワードはすべて盛り込み、結果、中国や韓国の反応は抑制的だった。

あれから4ヶ月。いま、あの談話から最も強く伝わってきたことは何かと問われたら、どう答える人が多いだろう。自然とは不思議なものだ。

思いに裏打ちされていなければ、ほどなく雲散霧消する。「歴史的にも現在においても沖縄県民は自由、平等、人権、自己決定権をないがしろにされて参りました。私はこのことを「魂の飢餓感」と表現しております」

沖縄県の翁長雄志知事は12月、米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐり国と争う裁判で、こう訴えた。「魂の飢餓感」への理解がなければ、政府との課題の解決は困難なのだ、と。
キーワードを組み合わせて巧みに言葉を操ってみせた人は、この陳述どう聞いただろう。

人には「魂」としか言いようのないものがあることを知っただろうか。技巧では、その飢えや渇きは満たせないことに、思いを致しただろうか。

12月。7年前に過労自殺した女性の両親が、ワタミなどを訴えた裁判は、ワタミ側が1億3千万超の損害賠償を支払うことなどで和解した。
26歳。手帳に書き残された「どうか助けてください」。

享受してきた「安さ」の裏に何があるのか、私たちは考えてきただろうか。目には見えないものへの感受性がもっと豊かな世界だったら、彼女はいま、来年の抱負を新しい手帳に書きつけているかもしれない。
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それでも考え続ける

深くねむるために 世界はあり/ねむりの深さが 世界の意味だ ( 「かたつむり」 )
7月に没した哲学者の鶴見俊輔さんは、こんな詩を残した。

あなたが、私たちが、深く眠るために。世界がそうあるためにはーーー。答えは出ないかもしれない。それでも、考え続けるしかない。私たちはこの世界に関わっているから。いや応もなく、どうしょうもなく。

早稲田アはやっぱり強い!!

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2015年 第64回全日本大学サッカー選手権大会 準々決勝 vs国士舘大学

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20151223(天皇誕生日)、東京演劇アンサンブルの「銀河鉄道の夜」を観に行った際、余った時間を利用してサッカー部同期の工藤に会った。

彼とは43~5年の付き合い。
工藤幸一さんは、早稲田のサッカーだけではなく、広く日本のサッカーを築きあげてくれた、サッカー界の大親分、キングだった。
友人の工藤はキングの息子だ。

彼が、矢面(やおもて)に話してくれたのは、今期、早稲田大学サッカー部が17年ぶりに優勝したことだった。
三浦か練馬の大根か?原子爆弾並みに私を喜ばしてくれた。

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2015年 日韓4大学サッカー交流大会

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写真は、すべてア式蹴球部のホームページのものを利用させてもらった。


これからが今稿の大舞台に入る。

工藤から、突然話題にされたのが、我々の大学サッカー部が17年ぶりに優勝したことだった。今まで、上位の順位をなんとか頑張ってきたのだが、優勝はなかった。

監督のことを、形見には、それなりに評価していたのだが、よくぞ、この早稲田が優勝するまで頑張ってくれたもんだ。
何是なんだ?工藤、こりゃどう言うこっちゃと聞いたところの返答ではっきりした。

ヤマオカ、今のチームには、君は部員としては居られないよ。
入部を希望する奴は誰でも入れることは入れる、だが、それからが大変なんだ。

入部後1ヶ月は普通に練習に参加できる。
但し、2、3週間ごとに課される特別のキャリアをクリアーしないことには、在籍が許されないんだ。
そのキャリアと言うのが、ヤマオカならばそう簡単にクリアーできないだろう、、、、、、と俺は思うヨ。

そのキャリアというのは、、、、、、
部員は全て同じ練習を終えると、一定のレベルに達してない者は、グラウンドに残される。
それから、タッチラインからタッチラインまでを、16秒で走り抜け、そして、1分間で帰ってきて次のスタートを待つ。
今度も同じように16秒で走り抜けて1分間で戻る。
それを10回か?20回、それから、監督が命じる次の科目を待つ。
次の科目と言ったって、その日によって厳しさ、激しさ、苦しさは変わる。

私には、自慢じゃないが、何もかも人並みにはできなかった。
サッカー失格者だった。







糞! 俺は馬鹿者か!!!


こんなことでくたばっていて、何かいいことでも在るのか?よ!!

さりとて、2度目の日誌をつけることにする。
1誌目は工事用の事故で意識朦朧となり未来永劫なくなったと諦めていた。
が、担当医は真面目な人だった!!
 
病院は横浜市麻生区にある?病院だったが、その後は神奈川区の病院に転院した。

お父さんほど気長で気高い糞親父はいないよと、叫ぶ息子と娘たち。

貴方ほどのイジョウブさを見せたのは、、、、、、永く付き合ってきた妻の嘆言。

今までのジジイの迫力には、バックレそうになったぞ!と、孫たちの逸言。

転院して,意識は少しは戻り、やっとのことで、その当該事件が何処で、どのように発生したのか? 何もかもが解からないでは、済まされめ!七夕の翌日になって、妻からジャッカン聞いてみたので、ここにその原稿を利用した。

自分が勤めている会社や自宅から、大きく離れた処で生活することになったら、この俺様はいったい?どうなっちゃうのかな?ICUに入っていた時は、手足が余計な動きをしないように、鍵のようなもので締め付けられた。流動の食事も与えられることはなかった。

運動は禁物なので、体重は減るに減った、70キロ近くあった体重が56キロまで減って仕舞った。
何につけても口五月蠅(うるさ)い私は、医師の言われることに対して、何でもかんでも、口答えしたようだ。
五月蠅いお客だったせいか、病院からの規制は大きかった。

見舞いに来てくれた娘婿には、身に包まれた金具さえ取ってくれと叫んだようだ。
その叫び声の激しさに婿は参ってしまった。見舞いにはその後来てくれなくなった。
苦しさの余り、歯で布団のシーツを噛み砕いた。



☆2014 6月22日の夜。

療養中の病院の管理職の人が、私と何らかの当該工事の関係がある人の所へ深夜挨拶に行った。その何らかの関係というその何らかが私には解からない。

翌日、その病院関係者から、あの人には何らかのことをしなくてはいかんなあ!と話しかけられた。一体全体!何が、あったというのだ!

その人は、毎日2回は口ズサミをしてくるそうなので、何かをプレゼントしてあげなくてはいかんな、なんて話していた。
もしかして、私にだって、孤老の身の生活だってあるのだ?その時には懸命に生きて見せるぞ。

もしか、後方(こうしゃ)に何か(悪事)が発生すれば、先方にこそ何か怨みがありそうなのだ。その際には裁判が必要になるのだろう


☆6月25日

看護婦さんから、「山岡さん、早朝にあなたの生体検査と尿の検査をしたいのよ。ブラジルW杯の連戦をTVで観たいでしょ? サッカーフ ア ンの山岡さんらしくないのが、不思議だわ?と声が聞こえてきた。

私の大学4年間、その後、その後のことを知っているから、俺のサッカー一途を笑っているのか?

それから、数日後に転院した。

ところで、今お世話になっている病院とは、どんな病院なのか、病院内に置かれてあったパンフレットから選んで書いてみた。
新横浜リハビリテーション病院
〒221-0864
神奈川県横浜市神奈川区菅田町2628-4
電話 045-474-5511
この病棟のご案内というパンフレットからその病棟を紹介する。

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病院めぐり?

ところで、今回の私の事故は20140515の何時のことだったのだろうか?
退院して新たな病院に転院すれば、まずそいつを確認したい。

どのような事故が起こったのか。ICU機能が完備されている病室に10日間ほどお世話になっていたので、さどかし具体は悪かったようなのだ。救急車が来て、警察までもが参加して、この病院に決まったらしいのだ。

そんなことを考えながら、転院先の病院で、長山靖生(ながやま・やすお)氏の著作した「日本人の老後」(発行所・新潮社)読んでいて、今後の私にとって重要なことになりそうな文面を見つけたので、ここに付けておこう。

20年ほど前に、いつかやってくる私の老後のために、必要になるだろうと思って、買いこんだようなのだ。

井原西鶴(1642~93)は「世間胸算用」のなかで「五十の分別ざかりに家を納め、惣領に万事をわたし、六十の前年より楽隠居して」という生活設計を、もっとも安定的で賢明なものとして取り上げていただいた。

貴方のような方を、病室内だけの行動のみに規制するのではなく、キッチンを中心にした広場を勝手に動き回っても良いよと指示がでた。
初めての吉報を知らされた。この宇野って人はいい奴だ。