2016年1月12日火曜日

糞! 俺は馬鹿者か!!!


こんなことでくたばっていて、何かいいことでも在るのか?よ!!

さりとて、2度目の日誌をつけることにする。
1誌目は工事用の事故で意識朦朧となり未来永劫なくなったと諦めていた。
が、担当医は真面目な人だった!!
 
病院は横浜市麻生区にある?病院だったが、その後は神奈川区の病院に転院した。

お父さんほど気長で気高い糞親父はいないよと、叫ぶ息子と娘たち。

貴方ほどのイジョウブさを見せたのは、、、、、、永く付き合ってきた妻の嘆言。

今までのジジイの迫力には、バックレそうになったぞ!と、孫たちの逸言。

転院して,意識は少しは戻り、やっとのことで、その当該事件が何処で、どのように発生したのか? 何もかもが解からないでは、済まされめ!七夕の翌日になって、妻からジャッカン聞いてみたので、ここにその原稿を利用した。

自分が勤めている会社や自宅から、大きく離れた処で生活することになったら、この俺様はいったい?どうなっちゃうのかな?ICUに入っていた時は、手足が余計な動きをしないように、鍵のようなもので締め付けられた。流動の食事も与えられることはなかった。

運動は禁物なので、体重は減るに減った、70キロ近くあった体重が56キロまで減って仕舞った。
何につけても口五月蠅(うるさ)い私は、医師の言われることに対して、何でもかんでも、口答えしたようだ。
五月蠅いお客だったせいか、病院からの規制は大きかった。

見舞いに来てくれた娘婿には、身に包まれた金具さえ取ってくれと叫んだようだ。
その叫び声の激しさに婿は参ってしまった。見舞いにはその後来てくれなくなった。
苦しさの余り、歯で布団のシーツを噛み砕いた。



☆2014 6月22日の夜。

療養中の病院の管理職の人が、私と何らかの当該工事の関係がある人の所へ深夜挨拶に行った。その何らかの関係というその何らかが私には解からない。

翌日、その病院関係者から、あの人には何らかのことをしなくてはいかんなあ!と話しかけられた。一体全体!何が、あったというのだ!

その人は、毎日2回は口ズサミをしてくるそうなので、何かをプレゼントしてあげなくてはいかんな、なんて話していた。
もしかして、私にだって、孤老の身の生活だってあるのだ?その時には懸命に生きて見せるぞ。

もしか、後方(こうしゃ)に何か(悪事)が発生すれば、先方にこそ何か怨みがありそうなのだ。その際には裁判が必要になるのだろう


☆6月25日

看護婦さんから、「山岡さん、早朝にあなたの生体検査と尿の検査をしたいのよ。ブラジルW杯の連戦をTVで観たいでしょ? サッカーフ ア ンの山岡さんらしくないのが、不思議だわ?と声が聞こえてきた。

私の大学4年間、その後、その後のことを知っているから、俺のサッカー一途を笑っているのか?

それから、数日後に転院した。

ところで、今お世話になっている病院とは、どんな病院なのか、病院内に置かれてあったパンフレットから選んで書いてみた。
新横浜リハビリテーション病院
〒221-0864
神奈川県横浜市神奈川区菅田町2628-4
電話 045-474-5511
この病棟のご案内というパンフレットからその病棟を紹介する。

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病院めぐり?

ところで、今回の私の事故は20140515の何時のことだったのだろうか?
退院して新たな病院に転院すれば、まずそいつを確認したい。

どのような事故が起こったのか。ICU機能が完備されている病室に10日間ほどお世話になっていたので、さどかし具体は悪かったようなのだ。救急車が来て、警察までもが参加して、この病院に決まったらしいのだ。

そんなことを考えながら、転院先の病院で、長山靖生(ながやま・やすお)氏の著作した「日本人の老後」(発行所・新潮社)読んでいて、今後の私にとって重要なことになりそうな文面を見つけたので、ここに付けておこう。

20年ほど前に、いつかやってくる私の老後のために、必要になるだろうと思って、買いこんだようなのだ。

井原西鶴(1642~93)は「世間胸算用」のなかで「五十の分別ざかりに家を納め、惣領に万事をわたし、六十の前年より楽隠居して」という生活設計を、もっとも安定的で賢明なものとして取り上げていただいた。

貴方のような方を、病室内だけの行動のみに規制するのではなく、キッチンを中心にした広場を勝手に動き回っても良いよと指示がでた。
初めての吉報を知らされた。この宇野って人はいい奴だ。