含蓄のある記事を見つけてしまった。モノの見方が甘い私には、朝日新聞は、何もかも教えてくれる教本です。
前の文で、教本なんて文字を選んでしまった、その瞬間に、あるシーンを思い出した。本題は、ちょっと後回しにして、その思い出したシ-ンについて書かせてもらうことにする。
私の息子のことです。
息子は、正月休みが終わって、再度オマーンに戻る。石油プラントを建設するために向う旅支度中、私は、息子が大型カバンに入れている2冊の本に目が留まった。2冊とも高校の化学の教科書であった。多分自分で高校時代に使っていたと思われる古びた教科書と、今回の帰省時に買い求めたと思われる新品の教科書だった。
大学時代は、土木学科だったので、物理だ、土だ、水だと言っていた。大学院時代は環境だ、と言っていた。入社した会社は、石油プラント建築を専業にしている。遊びにやってくる友人に「仕事は、物理じゃないんだよ、化学なんだよ」と言っているのをよく耳にした。足りない化学の勉強のために、息子は努力しているのだ、と感心させられた。父に似ず、学習意欲の強い、いい奴だ。
これから本題に入ります。
勝者は何もとらない 2007年1月10日 朝日(夕 )
ヘミングウェーには、「勝者には何もやるな」という短編集がある。「Winner take nothing」というその原題を直訳すれば、「勝者は何もとらない」か。
7日、高校ラグビーの決勝を見ながら、ふとそのフレーズが頭をかすめた。
勝負の行方が見えた試合終了直前、19点をリードした東海大仰星は左ウイングに足を引きずった選手を入れた。
準々決勝で右足首脱臼骨折の重傷を負ったこの選手のために、勝ち進んで最後の1分間でもピッチに立たせてやりたい。チームはその思いで一丸になった。
「勝負や相手には失礼かもしれないが、教育の一環として出してあげたかった」。監督はそう言った。
気持ちはわかる。しかし、と思う。
東福岡は、歩くのもままならない選手にぎょっとしたに違いない。彼をかばって仰星の守りが左側に偏った隙間から、この日唯一のトライをあげた。これを、最後まで試合をあきらめなかった証として、東福岡は素直に受け止められたろうか。
この選手がもし密集に巻き込まれたらというけがへの心配も、決勝を貫いていた透明な緊張感に水を差した。選手交代に、相手チームへの視線は感じ取れなかった。
仰星は今季の公式戦を無敗で終えた。敗者の誇りや競技への敬意をどう考えるか。それはけがの選手を最後に登場させる以上に教育的な題材になったはずだ。
勝者は勝利だけ。それ以外のものまでとってはいけないのだ。