今夜は、ゴンと過ごす最後の夜だ
10日 朝、ゴンは逝った。そして、今夜(12日)がゴンと過ごす最後の夜だ。2月28日で13歳になる予定だった。できるだけ長く一緒に居たいと思って、火葬を可能な限り延ばしたが、ついに明日になった。
ゴンとお付き合いのあった人たちが、弔問に引っ切り無しに来て頂いている。ゴンが安置されている周りには、頂いた花束であふれている。ゴンが如何に、たくさんの人たちに可愛がられていたかが,大いに偲ばれる。
幸いにも、大病を患うことがなかったせいか、亡き骸だけを見ると、毛並みは綺麗に乱れることなし、年老いて死んだなんて、どうしても見えない。若々しく、今にも立ち上がるのではないか、と錯覚するぐらいだ。
生来の腸の弱さはあったが、そんなことは用心次第で、へっちゃらだった。が、近所の猫好きの姉さん(通称・猫ニャンおばさん)が、この俺様の目を盗んで、不思議なモノをあげてくれることだけは、時々俺様の頭を悩ました。人に吼えない犬だったけれど、この猫ニャンおばさんだけには、吼えた。言っておきますが、私は、猫ニャンおばさんのことを、とっても好きなのですよ、誤解のないように。
今朝、ツバサとポンタの散歩のために、二階から下りてきたら、一階の居間にゴンが安置されている、その傍に、三女のSがゴンに添い寝をしていた。
Sはゴンとの今生の別れを惜しんでいるのだろう。死に顔を見ているうちに、そのまま眠りについたのだろう。寒い冬の夜、彼女は、ゴンと過ごした楽しい思い出の数々を夢見ていたのだ。末っ子のSはゴンのことを弟のように、思っていたのだろう。
私が、夜遅く酔っ払って帰ったとき、暗い部屋の中で、ゴンと子供が会話していることに出くわしたことがよくあった。
子供達は、どの子も多感な年頃で、先生に話せないこと、親にも話せないことをいっぱい背負っていたのだろう。相談者は長女のときもあったし、長男のときも、次女のときも、三女のときも。私も愚痴を聞いてもらった。企業戦士の端くれ者(私)の発狂寸前の神経衰弱症をも癒してくれた。
話しかけられたゴンは、いつも真剣に聞き役を任じてくれた。聞き役のゴンの目は、マザーテレサのような慈しみ深い眼差しでした。どんな苦悩も、全て包み込んでしまいそうな、底知れない深さをもった目でした。
今、その目は、深く閉じられ、最期のときからどんどん落ち込んでいる。この世からの、旅立ちが始まったようです。
思い出は尽きない。あらためて、ゴンの紹介をさせて頂きたい
今夜は、ゴンと過ごす最後の夜だ。
明日は、火葬だ。
ゴン ありがとう。 感謝。
ゴンより~
ワン ワン 献花やお供え、ありがとうございました。
ゴンは、ワン みんなに可愛がられて、とっても幸せでした。
でも、もう少しは、ワン ワン みんなと遊びたかった ワン。
ヤマト一家,ダナ一家、カエデ一家、ユカちゃん、チョビ一家、和泉さん、小見さん、浅田君、溝呂木さん、コットンテールさん、田中君、ミッチャン一家、ヨシズさんのおばさんとお孫さん、松山のおばあちゃん、アツミちゃん、モモちゃん、ラブちゃん
名前も知らないおじいちゃん(毎日、見舞いに来て頂いた、ワン 優しいおじいちゃん。ワン さようなら。おじいちゃん。体に気をつけて、ワン 長生きしてください。 ワン)
たくさんの小学生たち!ゴンは、君たちが、とっても、ワン 好きだった。みんな、優しかった。ワン 楽しかった ワン。
逝って、ほぼ一ヵ月後の昨日(02 07)
マー君と保護者が遺骨に花を供えにきてくれた。マー君はゴンだけには甘えることができた。マーは、ゴンちゃんが居なくなって、淋しいそうです、と保護者は言っておられた。
(02 10)シュンが、今日はゴンちゃんの月命日だと言って、花を供えにきてくれた。中2のシュンが月命日なんて、オッサンくさいぞ、と言って笑った。
遺骨の前には、花が絶えない。どんどん増えていっている。