2007年7月9日月曜日

盧溝橋事件から70年

日本では、七月七日は七夕の日だ。七夕とは、七月七日の夜、天の川に隔てられた彦星と織姫が、年に一度だけ会うという伝説にちなむ年中行事です。五節句の一つだ。子供の頃、短冊に、将来の夢や、身内の健康を祈った文章を綴り、天にお祈りしたものです。幸せを願ったのです。

だが、中国にとっては、日本軍に盧溝橋事件を皮切りにして、戦争を吹っかけられた日である。過去の戦争を厳しく反省して、新たな日中関係を構築しなければならない。と、私は思っているのだが、昨今の、戦争を知らない政治家が、かって政治的処理された事柄や、極東軍事裁判、サンフランシスコ講和条約で認めた内容に対しても、何とか会を作って、異議を唱え出している国会議員がいる。二世、三世の国会議員が多いのは、なんでや。「南京大虐殺」、「従軍慰安婦問題」だ。沖縄のほとんどの人々が、「集団自殺に、軍の指示があった」と認めているのに、何とか会は、そんな指示を証明するものは無かったのだと、主張する。そんな輩は、どこから、どのように発生したのだろうか。安部首相になってから、特に目立つ。

昨日テレビで、アメリカ制作の南京大虐殺をテーマにした映画が、中国で上映され、映画館から出てきた人々に、インタービューしている風景を映していた。改めて戦争のむごさを再確認したとか、日本を批判するコメントが続々。その後、もう時代が変わったのだ、今の日本は過去の日本ではないのだ、平和に付き合うことが大事だ、と言った人も居た。

私は、ホットしたのです。一部にでも、このようなコメントを述べる人がいてくれて、安心したのです。

映画「蟻の兵隊」では、新兵訓練の仕上げとして、上官の指導のもと、中国人を銃剣で刺した元兵士が、自分を責め、軍を責め、かって自分が処刑をした場所を訪れた。そこで、彼は自分の行為を知っている中国人はいないかと探す。居たのです。その人も、そこで会った中国人は誰もが温かかったのです。

それなのに、この日本では、

もう一歩踏み出す勇気を  

 2007 7 7  朝日社説

ちょうど70年前の1937年7月7日北京郊外の川にかかる橋の近くで発砲事件が起きた。盧溝橋事件である。この争いのきっかけに日中戦争は拡大の一途をたどり、太平洋戦争を経て、日本は敗戦を迎える。

今も盧溝橋は健在だ。建造されたのは12世紀といわれる。当時のものがどこまで残っているのかは分からないが、重厚な石造りや欄干に並ぶ獅子像は長い歴史を思わせる。

そのほとりの村に、抗日戦争記念館がある。事件をはじめ日中戦争の歴史についての展示が並んでいる。先生に連れられた子供たちや人民解放軍の兵士たちが学習に訪れる。時折、日本からの観光客も足を延ばす。

日中戦争の「起点」

「七七事変」。盧溝橋事件を中国ではこう呼ぶ。満州事変が起きた9月18日と並んで、7月7日は民族屈辱の日として記憶されている。その後、45年まで続く悲惨な日中戦争の起点との認識だ。

いま多くの日本人が戦争を振り返るとき、思い浮かべるのは真珠湾攻撃の12月8日であり、敗戦の8月15日だろう。中国人にとって今日という日は、それに匹敵する記憶を呼び起こす。七夕を祝う日本とは大違いだ。

その日に、私たちがこの社説を掲げるのは、この1年が日中両国にとって特別の意味を持つと考えたからだ。

盧溝橋事件から70年、そして南京大虐殺からも70年。中国や米国で最近、南京大虐殺などの映画がいくつも作られている。米議会では、旧日本軍の慰安婦問題をめぐる決議案が本会議でも可決されようとしている。好むと好まざるとにかかわらず、今年は歴史と向き合わざるを得ない年なのだ。

記憶にずれがある

少し、歴史をおさらいしておこう。

日本の中国侵略は、盧溝橋事件の6年前、1931年の満州事変が一つの起点だった。翌年、満州国が建国され、それらが原因となって国際連盟からの脱退につながる。日本は国際的な孤立への道を突き進む。

戦争が本格化したのは、盧溝橋事件の後からだった。日本軍は戦闘を中国各地に拡大していった。さらに日独伊三国同盟を結び、インドシナ半島を南下するなどして、英米などとの対立は極まった。その結果、太平洋戦争に突入し、最後の破局に至る。

日中戦争の歴史は、そのまま中国の近代史に重なる。国家存亡の危機であったのだから当然のことなのだが、一方、日本にとっては米国との戦争、とりわけ広島と長崎への原爆投下といった被害のほうが深く記憶に刻まれがちだ。

この記憶のずれが、友好をうたいつつも、ぎくしゃくしてきた日中関係の根底に影響しているのは間違いない。

抗日戦勝利といっても、被害の大きさは日本とくらべものにならないし、中国が日本を屈服させたわけでもない。戦後、賠償を放棄して「ゆるした」のに、日本はその重みを受け止めていないのではないか。中国は軽んじられている。そんな屈辱感も重なっているのを見逃してはならないだろう。

半日デモの嵐が吹き荒れた一昨年春。デモ参加者の怒りには、さまざまな要因が絡まっていたことだろう。その一つに、江沢民時代に強化された「愛国教育」の影響があると言われた。

揺らぎだした共産党支配の正統性を立て直すために、抗日戦争を学習させ、結果として日本への怒りを再生産することになった、という見方だ。

その面があるのは確かだろう。中国の歴史研究にしても、政治権力から独立して自由に行われているとは言い難い。しかし、だからといって、日本による侵略を自らの近代史の中心テーマと受け止め、記憶し、世代を超えてそれを受け継ごうという中国人の心情を批判することはできない。

今の中国では、知日派の人々でさえ、戦争の歴史の話になると表情を変えることが少なくない。民族感情の渦が代々受け継がれていることを、私たちは意識しておかねばならない。

首相の南京訪問を

残念な世論調査結果がある。米国のピュー・リサーチセンターの今春の調査によると、中国を「かなり嫌い」「どちらかと言えば嫌い」とする人が、日本では67%にのぼった。調査の対象となった47ヶ国・地域で最も高かった。同じように中国人にも日本を嫌う傾向が強い。

今年は、日本と中国が国交を正常化して35周年にもあたる。盧溝橋事件からの70年間の半分は、関係正常化の年月でもあったのだ。それなのに、こんな数字が出てしまうことを私たちは深刻に受け止めなければならまい。

政治の役割は大きい。安部首相になって、両国関係が修復の方向に動き出したのは歓迎すべき動きだが、もう一歩、勇気を持って踏み出せないものか。

例えば、南京大虐殺をめぐる論争を建設的な方向へ押し出す。犠牲者数について中国は30万人と主張するが、いくらなんでも多過ぎないか。一方、あれは虚構だといわれれば、中国側が反発するのは当然だ。両国の歴史共同研究で冷静に検討が進むことを期待したい。

そうした中で、日本の首相が南京を訪れてはどうだろう。小泉前首相や村上元首相は在職中、盧溝橋の抗日戦争記念館を訪れた。論争は専門家に任せ、現地を訪ねて慰霊する。中国からの人々からも、国際社会からも歓迎されるはずだ。

この年を、感情と怒りがぶつかり合う年にしてはならない。