2007年7月27日金曜日

私は、街のデリ・チラ マン。

アーバンビルドは、今、伊勢原桜台で、マンションの新築分譲を行っている。マンション名は、伊勢原・桜台 ツインテラスです。

丹沢の山々をバックに桜の丘に凛と建つのです。ダイナアミックなフォルムと、溢れるばかりの光と風を取り込んだ構造は、特に若い世代の人に好評です。各階2住戸・全戸角部屋で、3面採光、2面のテラスは、もうこれ以上ない贅沢を実現。お客さんのライフスタイルに合わせて間取り、カラーを選べるセレクトが可能なのも、喜ばれています。

洗練されたデザイン、構造、間取り、立地は申し分のないマンションです。工事現場は、現在基礎工事が終わって、1階の壁部分の鉄筋の立ち上げをおこなっている状態です。日に日に工事が進んでいます。構造部分については、施工してしまえば、見ることができなくなるので、ちょっとでも早期に、ちょっとでも多くの人に見ていただきたいと考えて、その告知のチラシを各家庭の郵便ポストに投げ込んでいるのです。社員が総出で手分けして、エリアを分けて、雨の日も、炎天の日も、投げこみをしています。有難いことに反響は大いにあって、営業的には、随分助かっています。

そこで、このチラシの投げ込みのことを、私は、デリバリー・チラシといっているのです。略してデリ・チラ。なかなか、ハイカラ、今ようの表現でしょう。私は気に入っているのです。

中央大学でラグビーをやっていたオジサンが社長をしている、?+*商事という不動産屋があって、その社長さんが、大学は違うものの、同じく体育会出身の私を何事につけて、気をつかってくれる。その社長の会社名は、やわらかい、ふわふわ、したイメージを文字にしてもらえれば、ピンポン、分かることでしょう。町田市は成瀬駅前だ。その社長が、何故、ヤマオカさんが、チラシを撒くの?。社長は、そんなことをするもんじゃないよ、おぬかしになる。このオヤジに、反論したって、何も得るものはないので、話は進めます。

そんな、個人的な見解の相違を、愚だ愚ざ言って居てもしょうがないことは、前の文章と重複する。チラシを投げ込むついでに、町を観察するのです。自ずから、町の様子が目に入ってくる。不動産学部人文科学科というとこか。この町を歩くことで、この町のいろんなことが看取、聴取、面白いことが次から次に発見できる。そのいくつかを雑感を込めて、少し綴ってみたいと思った。

伊勢原には、アパートなどの賃貸住宅が多いこと、多いこと。伊勢原から厚木にかけての工業団地に、金の卵たちが全国からやってきたのだろう、その住まいの受け皿として、あっちこっちにアパートの乱立ができたのだ。田んぼの真ん中に、米や野菜を作る代わりに、ぼこぼこアパートが建った。汗を流して土を耕すより、労少なくして得られる賃貸収入の方を選んだのだ。私よりも、少し先輩にあたる人たちが、まず集まった。その人たち用に用意された住宅は、もう老朽化が激しい。次の世代の人たちもやって来た、住んだ、そして何処かへ行ってしまった。さて、残されたアパートは如何に?農協が自分たちの組合員であるお百姓さんに、うまいこと言って、アパートを次から次に建てさせた。アパートを建てた住宅メーカーは利益を上げ、農協は百姓に金を貸して金利を稼ぎ、また住宅メーカーからは紹介料を貰い、農協は不動産会社を作り、管理費だと言って家賃の一部をピンハネして、みんなで、お百姓さんを食い物にした、結果だ。長いローンが終わったころには、もう建物は使えない。俺は、なんの為にアパートなんか建てたのだろう、と嘆きの声が聞こえる。農協と住宅メーカーと金融資本は、耕作地を荒らし、農民の精神まで、荒廃させてしまったのだ。

そして、大工場は外国に移設され、働き手は解雇され、次の職場を探して引っ越して行った。工場は人気なく荒涼、アパートは、ゴミとホコリの吹き溜まり、そして猫の棲家となった。空き室が増えたアパートに、大家さんは愛情が薄れ、管理にも身が入らない。放(ほ)ったらかし状態だ。この崩壊した賃貸住宅対策を考えるのも、ビジネスのネタかもしれない。困ったことの裏には、我々の出番があるように思われる。

伊勢原農協がやっているお店に行った。店内には、早朝に採れたと思われる野菜が、行儀よく並べらていた。野菜には、生産者の名前が付せられていて、その名前を読みながら、このお百姓さんはどのような人で、どんな手入れをして、どんなに工夫をこらされたのだろうか、種を蒔いて、肥料をやって、虫、病気に気を配って、葉の色、茎の成長、根は大丈夫かと、生産者の苦労が偲ばれる。私の野菜が、一番美味いよと、どの名前も主張している。私も、百姓のこせがれだ。百姓の大変さは十分に理解できる。同じ種類の野菜でも、生産者によって個性が違うのが、微笑ましい。人参一つとっても、太り気味でまとめてあるもの、スマートなものでまとめてあるもの、購入者が考えている料理メニューでどちらかを選ぶことができる。芋類も、大きなものの袋詰め、小粒で数多くを袋詰めにしたもの、選んで買えるのが便利だ。玉葱が名産なのだろうか、多かった。6月には、筍(竹の子)を買った。私にとって、馴染みの太短い筍ではなく、細く伸びた笹竹風のものだったので、早速買った。レジのネーさんに、料理方法を習った。太短い筍と違って、アク抜きはしなくても平気です、そのままテンプラなどで食べられます、と言われてその通りにしてもらった。が、結果アクが強くエグかった。

路傍で、カブトムシを拾った。若い奴だ。この世に生まれて,余り日が経っていないようだ。捕まえた私の手を、カブト君は手と足で、掻いて逃れようとする。カブト君の足は、ノコギリ状態になっていて、人間の肌には結構、痛い。私は、カブト君に嫌な思いをさせないように、両手で柔らかく包んだ。さて、このカブト君をどうするか。子供の頃は何匹も捕まえたが、この頃は、お店で高い値段で売られていると聞くではないか。どこかに、子供は居ないかと考えた。昨今、特にこの暑い炎天下では、子供と言えども、外で遊んでいる子はさすが少ない。ようし、子供を見つけるぞ、と意気込んでみたものの、どうするか。子供の衣服の洗濯物が干してある家には、子供がいるのだろう。子供用の自転車が玄関周りに放置されていれば、その家には子供がいるのだろう。それと、おぼしき家をピンポーンして回った。私の両の手は、カブト君に預けたままだから、できるだけ早く贈り先を決めないと、仕事はいつまでもできないのです。苦労の甲斐あって、少年がみつかった。少年とその母は、すごく喜んでくれました。私も、仕事にやっとのことで戻りました。ただ、それだけのことです。

子供を探すために、洗濯干し場の子供服を探して歩いている私の様子は、少し怪しげでもあったのではないだろうか、見方によっては不審者か変質者と何一つ変わっていないのだから。子供の服を見ると、ほのぼのとして、温かい気持ちになるのは、私だけだろうか。靴下を見ては、そこにおさまっていたちっちゃな、ふっくらとした足を思い描いてしまう。ちっちゃいズボンは、柔らかなお尻をすっぽり包んでいたのだろう。白いズボンにはすり傷の汚れが一部が残っている。白いシャツには、絵の具らしい汚れが残ったままだ。腕白な少年なのだろう。

が、大人物の洗濯物はいかん、楽しくありません。怖いのは女物の洗濯です。女物などが干してあると、私は瞬時に目をそらすようにするのです。だって、女物を見ている私を、誰かが見ているかと思うと、羞恥心で、やりきれないのです。どうか、下着などは、何かで隠すか、室内で干すように配慮してください。

無人野菜売り場があちこちにある。店主によって、同じ野菜でも値段や量が全然違うのがいい。代金の支払い方法にそれぞれ工夫されているのが面白い。野放図なやりかた、無警戒、なもの。自分の家より30メートル程高いところを走っている道路脇に置かれた店舗から、店舗のコイン入れに入れたお金は、塩ビのパイプの中を、ジェットコースターのように流れて、めでたくご入金になる。やるやんケと、うなってしまった。

団地の階段を駆け上る。集合ポストには入れないで、玄関扉の郵便受けに入れるように指示しているのです。集合ポストには玉石混淆の情報が入り混じっていて、我が方の質のいい情報はできるだけお茶の間に近いところまで届けるようにしているのです。階段を一段一段上るのは、大変な労苦を伴う。汗は次から次に出てくる。息は荒くなる。動悸が激しい。その配っているのを見つけて、他人様はいろんなことを言ってくる。アルバイトか、本業か知らんけど、大変だね。それ一枚配ったら、幾ら貰えるの。その犬、狂犬病持ちだから、近づかない方がいいよ。今、参議院選挙の最中だからか、運動員と間違えられた。あんた、何党?とくる。選挙じゃないんです、マンションなんです、と答えると、相手はニッコリ。

このデリ・チラ活動で、私には、ハッピーで、思わぬ副効果が生まれたのも事実です。それは、我が社に入社して数ヶ月経った者でも、仕事に馴染めなかったり、人間関係が変わったことでスムーズに業務に入れない者もいるのです。頑張りたいけど、うまくいかない。期待に応えたいと思えば思うほど、行動がギクシャクして、相手を困らせ、自分も追い込まれて行くのです。そんな筈ではない筈だ、と。鬱鬱と悩んでいた君が、うっとうしい事務所を離れて、肉体を意の赴くまま自由に振舞った結果、彼の筋肉はほぐされ、精神は解かれたのです。

筋肉をほぐし、精神を解かれた君が、会社に戻ってとった行動は、目を瞠るものがあった。仕事が実にスムーズに進められるようになった。上司に対する報告が緻密。社外の人との交渉にも力が入っている。社内でも、大きな声を出して、行っていることが全て快感風。かくして、君は、かってのイジケ気味の君ではなくて、もうさっぱり、すっかり我が社の重要なスタッフになってくれました、という幸せな話です。以前の君は、遅刻して会社の前まで来てみたけれども、気持ちが挫けて、社内まで入ることができずに帰ってしまったことがあった。今は、寝坊して遅れてきても、大きな声で、遅れました、すみません、と胸を張って入ってくるようになった。よかった。