2007年11月13日火曜日

復刻(朝日新聞) 中日 日本一。

私は、根っからの中日ファンではございません。でも、男、落合が好きです。中村紀洋(のりひろ)が、オリックスを昨季自由契約になり、育成枠とかで入団した中日で、かくも頑張ったことに感動した。ケライマックスシリーズに入ってから、私は俄然、中日のことがイヤに気になりだしたのです。巨人などには目もくれない、落合が好きなのです。今シーズンは、今までとは違う雰囲気を体感したのです。これあ、見逃すわけにはいかないぞ、と覚悟した。そしたら、あれよあれよのうちに、勝ち進んだ。見れば、見るほど個性的な選手がいることに興が沸き、私もペナントレースに乗っかってしまったのです。岩瀬、山井、谷繁、森野、山本昌、井端、荒木、ウッズ、平田、李炳圭がいて、故障中の福留がいる。感心を持てば持つほど、個性的な選手ばかりだ。

2007 11 2日の朝日新聞の朝刊の1面から2,18、19,20面の中日ドラゴンズの記事をできるだけ多く転載しましたので、あの時のあの場面を思い出したくなったら、読み返していただきたい。

先ずは1面から

中日 日本一 

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53年ぶり  シリーズ初、継投で「完全試合」

プロ野球の日本シリーズは昨年と同じ顔合わせで1日、第5戦がナゴヤドームであり、中日が日本ハムを1-0で破り、対戦成績を4勝1敗として53年ぶり2回目の日本一を果たした。日本ハムの2連覇はならなかった。

中日の先発、山井大介投手(29)は立ち上がりから得意のスライダーがさえた。ボールを低い目めに集めて凡打を打たせる投球に徹した。2回には中村紀洋三塁手(34)、4回には荒木雅博二塁手(30)の攻守など、野手も山井投手を盛り上げ、日本ハムに攻略のきっかけを与えなかった。

山井投手は8回まで走者一人も許さない完全な内容。58回目を迎えた日本シリーズ史上、初の完全試合を期待させる投球ぶりだったが、落合博満監督(53)が9回からリリーフエースの岩瀬仁紀(ひとき 32)を投入。その岩瀬投手も打者3人で抑えた。日本シリーズ史上、一人も走者を出さなかったのは初めて。

中日は今季、セ・リーグ2位だったが、新しく導入したクライマックスシリーズの第1ステージ(対 阪神)、第2ステージ(対 巨人)をともに全勝の5連勝で勝ち上がり、日本シリーズへ進出。第1戦(札幌ドーム)は落としたが、その後は投打がかみあって、4連勝で一気に優勝を決めた。リーグ優勝しなかったチームが日本一になるのは初めて。

最高殊勲選手(MVP)にはオリックスを自由契約になり今季、中日にテスト入団、育成選手を経てレギュラーを獲得した中村紀選手が選ばれた。

2面から

ひ と    53年ぶりに日本一になった中日ドラゴンズの監督

 落合博満さん(53)     文・加藤真太郎  写真・小川 智

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一人の走者も許さなかった先発の山井大介投手を代え、9回から抑えの岩瀬仁紀投手を送り込む。日本一への思いが伝わる采配で日本ハムに雪辱した。

史上一人しかいない3度の三冠王。でも、今や「名将」と呼ぶ方がふさわしい。就任してから4年間、毎年優勝争いに絡み、、リーグ優勝2度。今年は2位に終わったが、セ・リーグ初導入のクライマックスシリーズを5連勝で突破した。

「勝利が一番のファンサービス」。様々な集客作戦を繰り広げる今の風潮を嫌う。1月の少年野球教室も、1万円の福袋を買う「有料」を条件に腰を上げた。

グラウンドから離れると人間くさい。今季通算200勝をめざした山本昌投手の登板前には、「これを食べないと勝てないやつがいるからなあ」。42歳左腕が登板前に験担ぎで食べるカレーライスを自らも口に運んだ。遠征先では宿舎にわざわざ取り寄せてまで食べた。

東京遠征で都内の自宅に戻ると、20歳の一人息子、福嗣さんと野球ゲームに興じる。「ここでは何を投げればいい?」「巨人の小笠原か。ここはインコースだ」。本業の血が騒ぎ出し、福嗣さんは「母ちゃん、嫌になっちゃうよ。本当の攻め方を教えるんだよ」。横で信子夫人がほほえむ。

「52年の厚い壁にはねかえされた」。札幌での屈辱から1年。53年続いた負の歴史に「オレ流」が終止符を打った。

18面より

4連勝竜一気

新生ノリ 感謝・涙のMVP

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どん底からのシーズンを、最高の結果で締めくくった。中日の中村紀がシリーズ最高殊勲選手(MVP)に輝いた。昨季、オリックスを自由契約となり、2軍戦のみ出場が可能な育成選手として中日に入団。地道な努力でチャンスをつかみ、シリーズでは再三の好打で打率4割4分4厘、4打点。チームを53年ぶりの日本一に押し上げた。「今年はいろんなことがあった。本当はほっとしている」。試合後のインタービュー、涙で声にならない。「ありがとうございます」

日米で通算16年プレー。豪快なスイングで本塁打王1度、打点王2度獲得した。しかし、昨季オフ、オリックスとの契約交渉がこじれ、トレードも不調。行き先がなくなった。中日が救いの手を差し伸べたのは、2月25日。年俸は昨季の50分の1の400万円、背番号「2005」からのスタートだった。

3月に支配下選手登録され、1軍出場が可能になったが、それでも年俸600万円。背番号「99」。「お金の問題じゃない。感謝の気持ちでいっぱい」。妻の浩子さん(35)が「野球小僧」と言うほどの情熱家が意気に感じた。

今季終盤は腰を痛め、コルセットをつけてプレーした。この日もドームの駐車場に着いた時は、ぎこちない歩き方だった。試合が始まれば、けがを感じさせない。2回、先制点につながる二塁打を放った。

「一度リストラされたたが、自分を信じてやってきた。そういう人たちの励みになれば」。かって金色に染め上げていた長髪は、初心を忘れないよ高校球児のように短く刈り込んだ。そんな謙虚さは1年を通じて変わらなかった。生まれ変わった「ノリ」に、野球の神様もほほ笑んだ。

ダル奪投11K実らず

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悲運の右腕はベンチで腕組みして唇をかみ、落合監督の胴上げを目に焼き付けた。「先に点を与えてしまった。全力を尽くし

たが、負けたのは自分の責任」。たった1点で日本一を逃したダルビュッシュは潔かった。唯一の失点は2回。無死一塁で中村紀を追い込んでからのウイニングショットが甘かった。高めスライダーを右中間にはじき返され、二、三塁。勝負するのか外すのか、中途半端なコースにいった。平田の右犠打が決勝点になった。

中4日の疲れのため150キロは投げられない。それでも第1戦の13個に続き、7回で11奪三振。「体力的にきつく、降板したらもう1球も投げられなかった」というが、2試合16回で適時打はついに許さなかった。

今季、ヒルマン監督に2年連続の日本一を誓った。新人の春季キャンプで喫煙問題を起こしたときから温かく見守ってくれた。「自分が今あるのは監督のおかげ。この人のために頑張らなければ、とやってきた」

最後だけ有言実行とはいかず、ヒルマン監督とはお別れとなる。

「監督の最後の試合になったのは悔いが残る。(監督との3年間は)自分のことを成長させてくれた。これからも練習します」。高校時代は練習嫌いでプロ入りした男が、その大切さを教えてくれた恩人に感謝の言葉を贈った。

選手信じた5年間

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ラストゲームは、一人の走者も出せなかった。ヒルマン監督は「投打の力を出せなかったが、選手を最後まで信じた。選手には恥じることも悔いることもないと話した」と語った。

シーズン前、主力が抜けたため下馬評は低かったが、若手が台頭した。投手力と堅守に加え、犠打と足を絡めた攻撃で接戦をものにしてきた。

2年連続の日本一は逃したが、米国人監督としては初のリーグ連覇と、北海道に野球文化を根付かせた実績は色あせない。「5年間、たくさんの素晴らしい思い出がある。また札幌に帰って試合がしたかった」。来季から大リーグ・ロイヤルズで指揮をとる44歳は寂しそうに言った。

19面より

夢半世紀歓喜

山井快投8回完全

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日本シリーズ第5戦は1日、中日が平田の犠打で挙げた1点を守りきり、53年間抱き続けた悲願を達成した。セ・リーグのチームが日本一になるのは5年ぶり。

中日先発の山井は直球、変化球ともにさえ、8回を終わって一人も走者を許さない投球を見せた。連覇を狙った日本ハムだが、丁寧に低めを突く山井を終始打ちあぐねた。不振を極める打線のなかで、唯一好調を維持していたセギノールも抑え込まれ、攻略の糸口をつかめなかった。中4日で先発したダルビュッシュは2試合連続の2ケタ奪三振と力投した。しかし打線は9回から代わった岩瀬にも3人で仕留められ、完璧に封じられた。

壮絶な投手戦を中日が「完全試合リレー」で制した。中日は2回先頭のウッズがダルビュッシュのシュート回転の球を左前へ。続く中村紀がスライダーを狙って右中間二塁打。1死二、三塁から平田が外角高めの直球に食らいつき、右犠飛を放った。ダルビュッシュはこの1点だけで7回まで11奪三振の力投。

しかし、山井のスライダーとカーブを巧みに使った投球はそれを上回った。荒木の美技などもあり、8回まで一人の走者も出さず、岩瀬にバトンを渡した。

「本人が言うから」交代劇

中日1-0日本ハム 

9回表を迎えるナゴヤドームに「ヤマイ ヤマイ」の大歓声がとどろく。だが、その直後、場内アナウンスに、3万8118人の観客の誰もが耳を疑った。

「ピッチャー山井に代わり~岩瀬」。中日の山井は8回まで打者24人を一人も塁に出さない完全投球。球数はまだ86球。「体力的には限界ではなかった。」と山井。でも「個人記録はどうでもいい。頑張ってきた岩瀬さんに投げて欲しいと思った」。指揮官は9回を岩瀬に託した。

継投について聞かれた落合監督はさらりと言った。「山井がいっぱいいっぱいと言うから」

3勝1敗と王手をかけ、地元での胴上げがかかった大事なマウンド。川上を前倒しで送る手もあったが、落合監督は迷わず山井を送り出した。

投げ合う相手はダルビュッシュ。でも、ひるまない。「初回から感じがよかった」。鋭く曲がり落ちるスライダーがさえまくる。「後半は一発を警戒した」と丁寧に低めを突いた。低調な日本ハム打線はほんろうされるしかなかった。

バックももり立てた。4回。先頭森本の強いゴロに荒木が飛び込み、素早く一塁へ。続く田中賢の場面では、谷繁が中村紀にセーフティバントを警戒を指示。読みとおりのファウルフライを中村紀が難なく捕った。山井を中心にチームは一つになり、最後はバトンを受けた岩瀬が3人で締めた。

「山井が完璧」だったんじゃないですか」。山井に最高の賛辞を送った落合監督。中日がシリーズ史上初の継投による完全試合を達成し、53年ぶりの頂に立った。

最大の重圧 耐えて締め  抑え・岩瀬

感情が爆発すると、人間の体は想定外の挙動をするものらしい。歓喜の瞬間、岩瀬はガニ股。中途半端に拳を突き上げた。「どうやって喜ぶか、いろいろ考えてたんですけど、すべて吹っ飛んでしまいました」。ラジオ体操のようなガッツポーズに、守備神も苦笑いだ。

緊張感が並じゃなかった。何せ8回までパーフェクトの山井の後を託されたのだ。リードは1点。負ければ名古屋での胴上げはなくなる。「人生初めてでしたね。こんなにプレッシャーがかかったのは」

異様な雰囲気のドームの真ん中で、腹をくくった。「やるべきことをやる」。三振、左飛、二ゴロ。13球で、53年ぶりの日本一を手に入れた。「あの状況でも僕に任せてくれた。その期待にこたえたかった。絶対に」 (篠原大輔)

横っ飛び荒木美技

中日の二塁手、荒木の好守が、山井の快投を支えた。4回、日本ハムの先頭は1番の森本。中堅方向への鋭い当たりを、横っ飛びで好捕した。「体がかってに動いてくれた」。試合後、満面の笑みでそう振り返った。

去年のシリーズでは本来の力を出せなかった。「何とか借りを返したかった」。資料だけではなく、DVDもじっくり見て、相手投手陣の癖を完全に盗んだ。「盗塁は裏づけがあってのもの」。走攻守、持てる力を振り絞って、日本ハムを苦しめた。堂々の優秀選手賞獲得だった。

中日・森野 日本一を語る

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ぶっ通しのノック、力に

昨年、日本シリーズで負けた夜、札幌の街に出ると、お祭りムード一色ですごく肩身の狭い思いをした。今年はリーグ優勝も逃し、一度死んでいる。ここで一泡吹かせてやろうと。だから、日本一は本当にうれしい。

2月のキャンプで急きょ同じ三塁の中村紀さんが加わった。でも、競争しなきゃという心境にならなかった。三塁しかできなければ別だけど、違うところもやっていたから。逆に、監督の信頼がないのかなと考えて発奮した。今年は、内野、外野、一塁とグラブを三つ持ち歩きました。

結局、バッテリー以外、七つの位置を守った。どこでも守れるのは誇り。その方が試合もでられるし、昨年はレギュラーを奪ったといっても、数字的にも周囲の信頼もまだまだだったので、今年はみんなの信頼を得られるように強い気持ちで臨んだ。年間6失策だったけれど、ここ一番で変なミスがなかった。

04年から落合監督になって、練習をすれば実力がつくことに気づかされた。それまで守備は「普通にできればいいや」程度しか思っていなかった。監督のノック?当然つらいし、正直つらいし、正直受けたくないですよ。特に05年秋のキャンプでは放心状態になった。何時間ぶっ通しで浴びたかわからないけど、思い出したくない。監督は僕にとって「野球の先生」ですね。

打撃では。今年は「二度と打てない」といういい当たりが多かった。「ミスター3ラン」と言われました。8本の3点本塁打はすべていい場面。シーズンでは主に5番を打ったけれど、今年は4番のタイロン(ウッズ)が歩かされても、気負いなく打てました。

僕にとって、福留さんが抜けた穴は大きかった。途中で気づいたんです。福留さんの打席で、左打者にどんな球を投げられるかを見ていた。中村紀さんが3番に入り、1番から4番まで右打者。試合の流れを見ているのに、投手の攻め方がつかめず、調子を崩した。1番のつもりで積極的に行くことで克服しました。今年の目標は3割、20本塁打、100打点でした。結果は、2割9分4厘、18本、97打点。本塁打数のわりに打点はよく行ったと思う。初めて球宴に出たし、北京五輪予選はすべての持ち味を出せるように準備するつもり。そして来年は、もっと成績を上げたい。3割と言って届かなかったので、3割6厘と言おうかな。楽しみにしてください。

もりの・まさひこ

横浜市生まれ。神奈川・東海大相模高時代では1年生から活躍。96年、ドラフト2位で中日入団。06年、立浪から正三塁手を奪い、10年目で初の規定打席に到着。今年は七つのポジションをこなし、主に左翼手として日本一に貢献した。妻と一男一女の4人家族。29歳。