オシム監督が脳梗塞で倒れてから、10日ほど経つのかな。病状は依然、深刻な事態のままだ。是非、日本A代表の指揮をとってくれることを願っているのですが、病状を見ながら、サッカー協会では後任人事を進めているようだ。監督の仕事はハードで過酷だ。オシム監督の口から発せられるいくつかの名言は、なかなか含蓄があって、サッカーファンのみならず多数の人々を魅了させてきた。赤鬼のようで、仁王さんのようで、時には阿修羅のようなオシムおじさんを、私のサッカーの知らない友人は、「ただの、オッサンやんけ」とぬかしよる。「違うんだよ、あのおやじは。俺は尊敬しているし、期待しているんだよ。凄いオヤジさんなんだよ」。東京五輪での善戦、メキシコ五輪で銅メダルをとれるまでに指導してくれたデッドマール・クラマーさんと並び賞される外国人指導者だと私は思っている。サッカーを愛する者たちにとって、感謝しなきゃいかん貴重な御両仁なのだ。
クラマーさんは「日本サッカーの父」と呼ばれ、「サッカーは生活の鏡である」と生活面にも厳しい指導を課したコーチだったそうだ。
昨日(11月28日)、少し反応がでてきたと報道があったが、まだまだ気が抜けない状態のようだ。一刻も早い回復を願うばかりだ。
オシム監督が倒れたことを知った瞬間、私はオシム監督の後任には岡田武史氏になるだろうと確信した。サッカー協会の会長である川淵さんが最終の決裁者なんだから、「岡田で決まりや」と女房に断言した。「何でや?」と聞かれたが、ここは、岡田しかいないのです。ワールドカップのアジア地区の3次予選が近づいていることを考えると、後任者は急がなくてなならない。そんな状況下で、信頼できて、それなりのリーダーシップをとれるのは、岡田しかいない。岡田は、川淵さんにとって身内同然だ。今日の新聞なんかでは、岡田に決まりそうだという内容になっている。
こんなところで先輩風を吹かせてもしょうがないのですが、岡田は私の後輩、川淵さんは大先輩だ。岡田っ!、ここらで一発気合入れて頑張って欲しいのです。オシム監督が求めていたサッカーを君は一番近くにいて、一番理解していると思うのです。それに、君独特の戦法を加えて欲しい。
そんな日々のなか、3日前ぐらいだと思うのですが、天声人語にオシム監督のことが書いてあったので、早速切り抜いて転記させていただいた。
天声人語(朝日朝刊)
サッカー日本代表のオシム監督(66)は、祖国ユーゴスラビアの解体やボスニア内戦といった辛酸をなめてきた。それゆえだろうか。口をつく言葉は奥が深い。民衆の悲劇が、名将の人生に、深深とした陰影を刻んでいるように見える。動じない精神力と、異文化への広い心が持ち味である。それを戦争体験から学んだのかと聞かれ、「(影響は)受けていないと言った方がいい」と答えたそうだ。「そういうものから学べたとするのなら、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が~」(木村元彦『オシムの言葉』)
内戦の死者は20万を数え、サラエボの街は破壊された。街の一角に、監督が生まれ育った地区がある。そこで起きた悲劇を描く映画「サラエボの花」が、近く東京の岩波ホールで上映される。内戦下の組織的レイプを見据えて、内容は重い。この映画に、脳梗塞で倒れる直前のオシム氏が文章を寄せている。愛してやまない故郷を、「すべての者が共存し、サッカーをし、音楽を奏で、愛を語らえる場所だった」と誇らしげに思い起こしている。
その故郷を、「人類のモラルと良心がかき消された、世界史上に類のない場所になってしまった」と言い切るのは、辛かっただろう。燃えるような郷愁と、戦争への憎悪が渦を巻く、切ない一文である。オシム氏の容体は予断を許さないと聞く。現役時代の氏は、ハンカチ一枚の隙間があれば、3人に囲まれても突破したそうだ。危機を突破して、新たな言葉を聞かせてくれるよう願う。