2007年11月30日金曜日

いのちの食べかた。

映画「いのちの食べかた」(our daily bread)を観てきた。

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渋谷[シアター] イメージフォーラム   11月14日〈水) 

私のベジタリアンの友人が、肉を食えなくなった理由を話してくれたことがあった。友人は猫をこよなく愛している。猫を可愛がる延長線上で、動物を愛するあまり殺すことを嫌悪しだした。いくら食用だからといって、動物を殺すなんて、絶対許せないと言い出した。私は愛犬家の一人です。愛犬ゴンが死んだときは、悲しくて狂ったように泣いた。そのゴンに誰かいたずらでもしようものなら、私はその相手を、牙をむいて何の躊躇いなく噛み付いたことでしょう。「動物を殺すなんて絶対許せない」と言う友人の言葉を、私は自然にナルホドとうなづけるようになった。

今まで何の抵抗もなく肉を食ってきた私にとって、全く口にしないわけにはいかないが、食する量は極端に減った。また私の女房は肉が好きじゃないので、元々家庭での食卓には、肉料理は少なかった。子供が大きくなってからは、もっと少なくなった。

又、盲導犬や介助犬のことを、人間の犬に対する虐待だというのです。犬にも犬の独立した権利が認められているのではないのか。人間さまに都合がいいからといって、犬をそのように馴らして、酷使するのは許されることではない~と。私には、まだ納得できないところがあるのだが、友人の主張に迷いがない。

それから~                                               

最近、宮沢賢治の童話集に影響を受け続けている。年末の忘年会を「銀河鉄道の夜」の観劇会にしたので、再び「銀河鉄道の夜」を読み直した。その続きに童話集も読み直した。どの童話にも、雲、星、風、草や樹木が脇役に登場するのですが、そのどれもが、命をもっているように登場するのです。意思や感情をもっているのです。人間が、宇宙が、動物が、植物が、世の中に存在する全てのモノが、物語のなかで役が与えられていて、その役を演じているのです。繰り広げられるお話は、万物が静かに平和な世界を希求しながら進んでいく。今の私たちの暮らしに非常に勉強になることが多い。示唆されっ放しだ。世の中の何もかもが、悪い方向に進んでいる今こそ、宮沢賢治に習おう。以前に読んだときには感じなかったことが、今私にはみずみずしく、感得、理解できるのです。

昨今、環境問題についての議論は活発だが、ずうっと以前に宮沢賢治さんは自分の作品のなかで環境の問題を取り上げていたことになる。動植物についての食物連鎖については、学校で教えてもらった記憶があるが、環境を座視して、人間をも含めた動植物のより良い関係なんて、誰も指摘する人はいなかった。動物は、飼育されて殺されて、食材になる。生あるものが、そんなにバサバサ殺されていいのか?と私は疑問を持ち始め出した矢先に、今回の映画の広告を見付けたのです。

そして、この映画に~

映画の中身を紹介しようとしたのですが、ドキュメントなので、内容を紹介するには、全てを詳細に表さなくてはならないと思った瞬間、文字を書き続けることを断念してしまった。以下、簡単な紹介です。

食材の提供者は、食べる人にとって、美味しいと感じるように、味わい、舌触り、風味の精度をあげる。飼育は、管理しやすい方法を極める。そしてできるだけコストを下げて、安く大量に製品化して市場に出し、多額の利益を狙う。徹底的に機械化された生産現場の映像は、見る者を圧倒した。映像と、現場で発生する音を最大限ビートを効かして、私の五臓六腑を抉る。見終わった時、疲労がどっと寄せた。

鶏、牛、豚、魚をベルトコンベヤーで次から次へと解体されていくのです。オートメーション化されていて、作業員は決められた仕事を淡々とこなしていく。牛にとどめを刺すのは人間だった。バケツ10杯程の鮮血が滝のように流れ出したのには肝を冷やした。

とうもろこし、麦、ひまわり、オリーブ、ピーマン、トマトの消毒や殺虫の薬剤散布は飛行機を使って大規模に行われる。薬漬けだ。種まきから収穫まで全て機械化されていた。農耕というイメージは全然ない。ピーマンの根は、海綿状の土壌もどきに根付いていて、その海綿状のものに水や栄養分が補給されるのだろう。土を耕しているよりも効率がいいのだろう。花巻農学校の宮沢賢治先生がこの映画をご覧になられたら、きっとびっくりされることでしょう。嘆かれるかもしれない。いや、怒り出されるかも。

映画の広告文より。  

今、誰もが気になっている食品偽装問題。でも本当は、私たちも良く知らない。「食べ物がどうやって作られているのか?」を。

これは、私たちが普段食べている食べ物が、食卓に並ぶまでの、驚くべき旅。徹底的に機械化された生産現場に圧倒され、そこで誇りを持って働く人々を想像する。

劇場でしか体験できない食の真実。きっと、食べることがもっと愛おしくなる。「いただきます」と心から言えるようになる。