2009年8月16日日曜日

「恥辱」、本の題名にどっきり

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何となく、本の題名の奇抜さに、どっきりして、手にとって最初の2ページと中ほど2ページを読むと、これが面白そうだったのです。何やら、楽しませてくれそうな予感がした。早速買った。あっと言う間に読了。読み終えてから、読書好きな友人に、この本の内容を紹介しだした途端、友人の視線が急に輝いてきた。読書好きの友人に、面白い本を紹介して相手を悔しがらせるのが、楽しみの一つでもあったのです。まさか、ヤマオカ、それって、君の大好きなナントカ オフの105円コーナーで買ったのか? ときた。ニンマリそうだと答えた。

友人はその本を、かって買いたくて買いたくて、手に入れるために四苦八苦したことを話した。友人は古本は買わない主義だった。インターネットで買えることは知っていても、仕事の関係上受け取る方法が面倒くさいとのことで、本屋さんで買うしかなかったのですが、兎に角手に入るまでは、大変苦労したそうなのだ。

ナントカ オフの105円コーナーは面白い。その店に行ったときには、1000冊ぐらいの本のタイトルと著者をバアーと一通り見回す。その都度気になった本を取り出して、数ページ読んでみたり、ストーリーやら著者の後書きなどを読んで、自分の関心の深度の加減から5冊ぐらいに絞って、それから最終選考に入ります。関心の深度順もあるのですが、やはり最終的な選考基準は懐具合です。今日の昼飯のこと、今夕の立ち飲みのことを考慮して、購入する本の冊数を決めるのです。

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「恥辱」

J・Mクッツエー/訳=鴻巣友季子

〈ブッカー賞〉

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52歳のケープタウン大学教授デヴィッド・ラウリーは、二度の離婚をし、その後は、週に一度は娼婦を買いに行き、その女が田舎へ帰って、手持ち無沙汰にしている頃に教え子の女学生をたぶらかして、関係を持つ。だが、その教え子との関係を持った時から事態はすっかり変わった。そのうちその学生から関係を強要されたと告発される。教授の職を辞任に追い込まれてしまったのだ。教え子からは、その目に唾を吐きかけるてやる、とまで恨まれてしまった。

仕事も友人も失った父デヴィッドは、娘ルーシーが切り盛りする田舎の農場へ転がり込む。ルーシーは、近所の犬を預かり、羊を飼って、花を育てて市で売っていた。ルーシーは親の許を離れてから、ヒッピーになり、女一人では危険千万なこの地で、同性愛者になったりしながらも、実に立派な農婦になっていた。誰からも見捨てられた彼を受け入れてくれるルーシーの温かさ、自立した生き方に触れることで恥辱を忘れ、粉砕されたプライドを取り戻そうとする。

こんなラウリーの今までの生活こそが恥辱だったのか。

恥辱とは=はじ。はずかしめ。不名誉(日本語大辞典)。英語では、disgrase。

ラウリーがお世話になって間もなく、ルーシーは黒人3人組に襲われた。アパルトヘイト時代とは、逆になっている、黒人が白人を襲うのだ。家財は盗まれ、3人にレイプされた。ラウリーは殴られ部屋に閉じ込められ、ルーシーを助けてあげることはできなかった。

傷ついたルーシーは、ぼんやりとしてベッドに横たわったまま、ラウリーが声を掛けても、生返事だった。前の妻、ルーシーの母がいるオランダに、少しの時間だけでも気分転換に行ってみないかと進めるが、強情にもこの地を離れたくないと言う。ラウリーは犬の処分に精をだしていた。犬にこの世の最後の注射を打つ動物クリニックのお姉さんともエッチをする。

隣地にルーシーの農場を虎視眈々と狙っているペトラスがいた。ルーシーを襲った仲間のなかに、若造がいたのですが、この若造がペトラスの親戚だという。そして、ルーシーが襲われレイプされた時に妊娠してしまったようだ。それも、その若造の子どもらしいのだ。

この辺りから、話が混乱してくるのです。

ペトラスは「あの悪ガキとルーシーは結婚する。だが、まだ若すぎる。たぶんいつかはルーシーと結婚するが、いまはだめだ。おれが結婚する」と言う。可笑しな話だ。「ここは、あまりにも危険だ。おれと結婚すべきだ」と続けた。これは結婚ではない。狙っているのはルーシーではなく、農園なのだ。

ルーシーのお腹は日に日に目だって大きくなってきた。望まぬ子ども。心配する父、ラウリー。再三再四、オランダ行きを勧めるが、その気はさらさらない。

話は、どんどん究極の迷路に突入する。

ルーシーは次のように父ラウリーに話した。私は彼の保護を受ける。支配下に入る。私たちの関係についてどんな筋立てを世間に公表しようと構わない。三人目の妻としてでも、構わない。愛人でも同じことよ。子どもは家族の一員になる。土地については、家屋が自分の物として残れば、土地の譲渡にサインする。だが、家は私の所有だ。この家には私の許可なしには誰も入れない。ペトラスも入れない。犬舎も手放さない。

落ち着きを取り戻したルーシーは良き母になってみせる、善き人になってみせると、父に宣言する。そしてあなたも善き人になって、と父に諭す。父も、不器用ながら、再生を試みる。ラウリーは、自腹でトラックを買った。そのトラックで、動物クリニックで、殺されていく犬の亡骸を黒ビニール袋に詰めて、焼き場に運ぶ作業に明け暮れる。

ルーシーは花に囲まれ、野良仕事に勤(いそ)しむ。立派な百姓だ。彼女の体内からは新たな存在が生まれてくる。

話の結末は、どうもスッキリしない状態のままだ。これで終わっちゃっうなんてーーーーー。

読者の私は、ぽつっうんと、一人置いてきぼりにされたような気分になった。

不条理な強盗レイプ事件に対しても、めげずに強く生きるルーシー。犬の亡骸を運ぶラウリー。犬のように生きていくんだ、と。その生き方が恥辱とはーーー、そんなことはないはずだ。

*「不条理」を辞書で調べたら、以下のように書かれていたので、挿入した。(本来は理性や良識に反するばかげたこと、の意)実存主義のことば。カミュによれば、不条理から目をそらさず、最後まで不条理と闘い、反抗しながら生きることに、人間の尊厳や自由があるとした。

それとも、国が社会が恥辱なのかーーそんなこともない。

 

★「恥辱」は、南アフリカ共和国の作家J・Mクッツェーの小説。ブッカー賞を受賞。200年には、ノーベル文学賞を受賞している。

★訳者あとがき=『恥辱』では、アパルトヘイト撤廃後の新生南アフリカの不穏な情勢を背景に、まさしくあらゆるものの価値観が揺れ動く。ひとの栄辱 とはなにか。魂のよりどころはどこにあるのか(そもそも魂はあるのか? )。頻発するレイプ、強盗事件、失業、人種間の対立、動物の生存権。ひとりの男が味わう苦境には、現在の南アの社会的、政治的、経済的諸問題が映し出されている。