2009年8月29日土曜日

立候補者よ、今からでも遅くない

先日、かってお世話になった先輩から、君の選挙区で自民党大会があるので会社の仲間を2,3人連れて出席してくれないか、と頼まれ、仕事仲間に頭を下げて同行を願った。仕事を終えてからの、楽しくも無い私の頼みごとに、嫌な顔一つしなかったことが、かえって私を苦しめた。某公会堂だった。神奈川県の全選挙区の候補者、もしくはその代理人がステージに並んで、司会者の案内に従って、自己をアピールした。ピールしたといっても、何も主義主張らしきものは聞こえてこず、頑張ります、ガンバリマスの掛け声だけで、約1時間の大会は終わった。それから、万歳だ。今の、アレはなんじゃ、私はこう、こう、このように考えているので、あなたの清き1票を私に投票してください、こんな言辞は一言もなかった。この場に及んでは、情に訴えるしかない、と考えた果ての行動だったのだろう。

そんなことを友人に話したら、友人は友人で、自民党ではない党の大会に出た時のことを話してくれた。自分の党のマニフェストの説明よりも、他党をけなすことばかりの演説で、もうウンザリだった、というではないか。理屈抜きの中傷ばかりだった、と言っていた。力を入れているのは、目先のこまごました話だけ。

オバマとクリントン、マケインが競ったアメリカの大統領選とは、随分違うもんだ、と痛感させられた。大統領選挙と日本の国会議員の選挙の違いはあるが、アメリカの大統領選には感動した。選挙運動中においての数々の言葉や行動に心を揺さぶられた。最強国アメリカを導いて行こうとする者の気概が、連日、アメリカ全土を熱くした。国民が、候補者の言葉を一言も漏らすまいと聞き入り、行動の一挙手一投足に熱い視線を向けた。判定を真剣に見極めていたのだ。だが、そんなアメリカとは打って代わって、日本の今回の衆院選には、いつも通り失望した。

そんな折、朝日新聞に私の頭がシャッキっとしないことの裏づけのような記事が出ていたので、ここでその抜粋をさせてももらった。一部私が加筆したところがあります。

候補者の皆さん、今からでも遅くない、我々に、感動の伝わる一言をお願いしたい。その一言で、私は明日の一票を決めようと思っています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

20090827

朝日・朝刊

渡辺 靖(慶応大学教授・文化人類学)

ダイジェストさせてもらいました。

ーーーー

日本の政治には理念や哲学がなおざりになっている。政党が作った「マニフェスト」と称する詳細な冊子はありますが、これは「選挙公約」と表現すれば足りる内容で、仮に外国語に訳しても、国際的にインパクトを与えられるとは、とうてい思えません。細かな政策論議も大切ですが、単なる選挙公約を超えた、樹木で言えば「幹」となるべき「理念」や「哲学」こそ聞きたい。でも、実は、政治家は「理念」や「哲学」を語るだけでは十分ではない。

昨年のアメリカの大統領選で、オバマと争った共和党のマケインは、ベトナム戦争で捕虜収容所に5年半もいた際、仲間を置いて自分だけ釈放されることを固辞したという武勇伝を持つ。オバマも、ハーバードのロースクールを卒業後、高収入と出世への道を自ら絶って公民権専門の弁護士という地味な職を選び、貧困層の救済に尽力しました。だからこそ、二人が描く「アメリカ」には強い説得力がある。「友愛」や「とてつもない日本」とは、語っている重みが全く違います。

衆院選は終盤を迎えたが、これまでの選挙戦の中で、私たちは各党の党首や幹部、候補者から人間としてあるいは指導者としての、資質に富んだ言葉や行動をどれだけ見聞きできたでしょうか。

大統領選では、自分の昼食代を削ってまで5ドルを候補者に寄付した学生も少なくない。友人の教師の中には半年休職してまで選挙ボランティアに打ち込んだ人もいます。政治家が若い世代の心を揺さぶる存在になっているかが問われています。

日本の選挙戦を見ていると、依然、心を揺さぶるのは「情」に訴えることしかないのか。朝、駅前に立って演説すれば票をとれる、自転車で走り回って手を振れば、握手して回れば支持が得られるーーー、何を訴えているのでしょうか、有権者は本当にこれでいいのでしょうか。

オバマは大統領になるまで、クリントンとは22回、マケインとは3回、公開ディベートを行っている。司会はジャーナリストがおこなった。厳しいものでした。これが、「オバマ大統領」を作ったのです。

オバマの大統領当選直後の演説では、極めて抑制的で、共和党批判は一切しませんでした。そして、「私を支持しなかった皆さんの票は得られなかったが、声は聞こえています。皆さんの助けが必要です。私は皆さんの大統領にもなるつもりです」と呼びかけた。民主主義は多数決と同じではありません。むしろ勝者(多数派)が敗者(少数派)にどれだけ耳を傾け、信頼と共感を勝ち得ていくかによって真価が問われます。

勝った側の党首は、国際社会(国内にも)に向けて明確なメッセージを発して欲しい。日本の次の首相になる政治家には「これからの世界をどうしたいか」を語って欲しい。内向きのメッセージしか発しないようでは、失望を繰り返すだけだ。