トリノ・エジプト博物館の彫像ギャラリー
090801から東京・上野美術館で、トリノのエジプト博物館が所蔵する優れた美術品の展示が始まったとの開催告知広告が、朝日新聞に、案内と解説とともに展示品の写真も掲載されていた。東京まで行く心と費用に余裕の無い今の私には、この記事を保存させてもらうだけで楽しもうと思う。「少年王」ツタンカーメンとアメン神の彫像の写真が載っていて、これはパクらせてもらうしかないと決心した。一度パクらせていただければ、私のファイルの中でなら、何度でも楽しめるではないか。また、この期間中、再度この展示会に関する告知広告が出る筈で、その時にも必ず違った美術品の写真を載せてくる。その時をとらえて、その写真もパクらせてもらうようにしよう。ちょっと罪っぽい、生来の収集癖です。
エジプト美術がなぜ、イタリアなんだという疑問にもこの記事では答えてくれている。先ずはそこのところから転載を始めましょう。
死者の書
トリノはイタリア北西部に位置するピエモンテ州の州都で同国第4の人口を抱える。古くはサボイア家の作ったサルデーニャ王国の都として栄え、1861年から3年余り、イタリア統一後初の首都が置かれた。エジプト博物館は、トリノの旧市街の中心部にある。
骨格が築かれたのは19世紀にさかのぼる。当時は欧州各地でエジピト美術の収集が盛んだった。サボイア家も、ナポレオンのエジプト遠征に従軍し、後にフランス総領事になったベルナルディーノ・ドロベッチィが集めた美術品を購入した。現在の所蔵数は3万点を超える。古代エジプトの研究者にとって、エジプト博物館は必ず立ち寄らざるを得ない場所だった。
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歴史から消し去られた少年王
西村令奈
090731 朝日新聞
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1920年代、黄金のマスクをはじめとする豪華な副葬品が納められた王墓が発見されるまで、存在を歴史から抹殺されていたツタンカーメン王ーーー。約3300年前のエジプトに生きた王の姿を表した彫像は世界でも数少なく、トリノ・エジプト博物館は門外不出としてツタンカーメン王の石像を守り続けてきた。その彫像が日本で初公開される。
高さ2メートルの石灰岩でできた大型彫像で、向かって右側に小さく表されたのがツタンカーメン王、左側がアメン神だ。ツタンカーメン王がアメン神の肩に手を回している。紀元前1300年ごろの像でありながら、顔にほとんど損傷がなく、身体の線や細かに刻まれた衣装のひだが美しく、当時のままに残されている。
「少年王」ツタンカーメンは、多神教から一神教(アテン神)への宗教界改革を起こした父アクエンアテン王の後に若くして王位を継いだ。即位当初はアテン神を信仰したが、後に旧来の多神教を取り戻した。神々のなかでも当時強大な力を持っていたアメン神への忠誠を示すためにツタンカーメンが小さく表現されているという。
ツタンカーメンら宗教改革に関与したとされる王たちはその後、彫像などの名前を書きかえられ、歴史から消された。この彫像も別の王の名前が示されているが、顔の特徴などからツタンカーメンであることは明らかとされている。
展覧会の監修者で、早稲田大学文学学術院の近藤二郎教授は、「ツタンカーメン王を表した大型彫像が完全な姿で残っているのは珍しい。王の信仰を示す重要な彫像だったのではないか」と話す。
アメン神とツタンカーメン王の像