2009年8月1日土曜日

佐藤友哉(ゆうや)さん新作「デンデラ」

MX-3500FN_20090803_122514_002

私は毎日、朝夕と配達される新聞を楽しみにしている。

政治・経済・社会の動きの報道と、家庭や文化欄、どの紙面にも目は通すけれど、その記事の中には、額に苦渋の油が浮かんでくるもの、眉間に皺を寄せて悩むもの、冷や汗がバケツ一杯もの、怒りで血管破裂寸前で読む記事もあれば、心が洗われるような、オハヨウ、爽やかさんってな気分で読める記事もある。かって投書欄は読まなかったのに、この頃は真剣に読むようになった。家人の影響かもしれません。趣向を凝らした企画モノも、私には嬉しいモノばかりだ。

そんな新聞の構成のなかで、秘かな楽しみにしているのが書評なのです。この3年間新刊の本を買ったことは無いのですが、新しく発刊される本の広告だけは、どんな時にも、どこでも、どうしても時間を割(さ)いて、読んでしまう習性になっているようだ。新聞、雑誌から、本屋さんでも、街頭の看板でも。それにしても、新刊本の価額が高いのは、イカンです。ズバリ、高過ぎる。誇り高い日本の文化レベル向上のためには、もう少し安くないと、イカンですよ。

でも、新聞を読んでいる時こそ、書評を読むのには一番ふさわしい時間帯なのです。新聞を読むのは、大抵、朝食の前か朝食をとりながらか、朝風呂に入りながらなので、一日の中でも比較的心穏やかな時間帯なのです。紹介される本ごとに枠組みされていて、その枠の中に、私好みのものを直感で、興味が湧きそうなタイトルのものを、まずそいつから喰らいつく。そして瞬時に目についた文字で、全体のイメージを膨らませる。読み出すと、他の行から文字が飛び込んできて、もう少し自分流に想像を拡げる。そして、読み進めるのです。限られた字数の文章から、自分なりに本全体をイメージしてみるのです。これが楽しいのです。

評者は、作者の本を書こうとした作意と狙い、苦心と工夫、技巧そして物語の展開を、主観をまじえて上手に著してくれる。

そして、今回(20090722)の朝日新聞の読書欄での書評のことだ。

佐藤友哉さんの新作「デンデラ」は、小山内伸さんによる書評だけで充分読者を楽しませてくれるものだった。深沢七郎の「楢山節考」の姥(うば)を捨てた場所から一山なのか一谷なのかを越えた所に捨てられた老人たちの共同体としての世界があって、そこで繰り広げられる騒動を描いた。面白そうなのです。唐十郎氏やつかこうへい氏がこの原作から脚本をおこして芝居を演出しようものなら、きっとこの本のように思いつくのだろうが。それを小説に仕上げたのは、読本としてはいい企画だなあ、と感心した。今は、可処分資金が枯渇していて本を買えないが、この書評で大いに楽しんでおきたい。

そんなことで、この書評だけで一つの読み物として仕上がっているように思ったので、ここに転載させていただいた。

後は、本を買ってのお楽しみ、というところだろうが。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

老女50人のサバイバル

佐藤友哉(ゆうや)さん新作、「デンデラ」

小山内伸

ーーーーー

「姥捨て」された老女たちが」共同体をなしてしぶとく生き残るーー。佐藤友哉さんが、深沢七郎の「楢山節考」の後日談ともいえる設定の長編小説「デンデラ」(新潮社)を発表した。過酷な環境におかれた人々の絶望的な闘いを描きながら、疾走感がほとばしる。「快作」だ。

「村」には70歳を迎えた老人は「お山」に参る因習がある。山に入った主人公の斉藤カユは極楽浄土に赴くことを願っていた。だが、「お山」の反対側では、100歳の三ツ屋メイを頭とする老女49人が共同体「デンデラ」を形成して生き延びており、カユは図らずも救出され、そこで生活することになる。

佐藤さんは「学生時代に映画『楢山節考』を見た時、実人生とは関係ない話なので、しんき臭くつまらないと感じた。でも、姥捨て伝説をテーマに、エンターティンメントから純文学の要素までひっくるめた物語にしたら、すごい化学反応が起きるのでは、と構想したんです」と語る。

「デンデラ」では食糧不足に加え、熊の襲撃、疫病の流行が起こり、老女たちはバタバタと死んでゆく。それでも老女たちは果敢に生き残りに賭ける。

「サバイバルものを書いてみたかった。老女なので生活力も体力も乏しいが、そこで苦しい、さもしいだけを描いたら、つまらない映画と同じになる。読者に喜んでもらうには、破れかぶれかもしれないが異常にテンションの高い生き方を描いてみたんです」

老女たちの間では、自分たちを捨てた村に報復しようとする襲撃派と、生活の安定を望む穏健派とが対立している。

「『楢山節考』では、村から捨てられた老女がなぜ腹を立てないのかわからない。怒るのが自然の感情であって、人数がそろったら冗談でも襲撃を考える人たちがいておかしくない。村を襲うのは体制への異議申し立てです」

佐藤さんは就職氷河期に北海道の高校を卒業、これまでも格差社会で疎外された若者を描いてきた。

「でも、現代の社会を投影しようというつもりはまったくなかったんです。今の日本の若者は怒り方がわからないのでは。少なくとも僕はわかるというふうには書けない」

主人公カユは両派の間で優柔不断な立場を取りながら、結末まで生き残り、一矢を報いる捨て身の戦法に出る。

「カユは成長する。70歳からの青春小説でもある」