2010年3月7日日曜日

狂気 ハ・ジン

本の題名=狂気

著者=ハ・ジン

訳者=立石光子

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面白い本に出くわした。今回、この本を見つけたのは何とかオフの105円コーナーではないのです、ポンポン何とか船の名前をつけた古本チェーン店、天王町店の店頭100円コーナーでした。

下の文章は、この本(早川書房)の裏表紙に書かれた物語の紹介文が前の方5分の1、残りはそれを下地にして私が書き加えたものです。

真の幸福はどこにあるのか?

何が人を高潔にするのか?

人生の意味を問う感動作。

山寧(シャンニン)大学の楊(ヤン)教授が、脳卒中で倒れた。夫人はチベットに赴任中、娘の梅梅(メイメイ)は北京で医学院受験に追われている。愛弟子で梅梅の婚約者でもあるぼくは、学部を取り仕切る彭(ボン)書記から教授の付き添いを命じられた。病床で教授は、正気で話すときもあるが、時として狂ったようにうわ言を口走り、高潔で尊敬を集める人とは思えぬその言葉にぼくは驚く。どうやら経費の問題、教え子との不倫の疑い、何者かにゆすられている節もあった。意識の混濁する教授に翻弄され、迫る大学院入試の準備もできず、ぼくの苛立ちは募る。聞かされる先生のうわ言に、ぼくはどうしても純真に反応してしまう。

婚約者からは、受験の励ましの手紙がくる。是非、北京の大学院に受かって博士号をめざして欲しいと。婚約者の望みは、北京で自分は医者として、未来の夫には父のように詩を学ぶ学者になって、二人して北京で暮らすことだった。

うわ言=「この国では、学者は事務屋としてしか生きられない。われわれはみな魂のないロボットだ。きみも手遅れにならないうちに出て行った方がいいぞ。閉じ込められたらお終いだ」。どんなに学問を究めても役人より格下でしかないと、学者の人生を悔いる教授の激しい憎悪と惨めな姿を目にするうちに、ぼくは自分の進路に疑問を抱く。学者としての生き方以外に、どのようなことが可能なのだろうか。

婚約者からは受験勉強に勤(いそ)しむようにと、手紙がくる。ぼくは悩んだ果てに北京の大学院への受験を断念したことを告げた。強い意志で決心した。

楊先生の容態が悪化した。最期に、梅梅のことを頼むと言い、それから「いいか、この恨みを晴らしてくれ、--やつらを一人たりとも逃がすな。みーー皆殺しにしろーー」先生の目が不意にかっと見開き、猛々しい光を放ったかと思うと、まぶたは閉じられたーー永久に。亡くなったのだ。この先生の最期の言葉が理解できなくて、ぼくは苦しんだ。

自分の魂を救えないままなくなった先生は、復讐にとり付かれ、昇天が果たせないまま、この世のよどんだ泥沼に沈んだままだ。この先生の死はぼくを骨の髄まで揺さぶった。ぼくは、まず生き方を変えなければならない。人生の終わりに際して、一つの仕事、あるいは一つの旅をやり終えたときのような充足感や満足が味わえる一生を送りたかった。

大学院への受験を諦め、書記には政策研究室に志願することにしたと伝えた。先生から学者は俎板の上の魚で、切られるままなのだ。お前は高級官僚になって、包丁で不正腐敗をブッ切るんだと言われたように感じ、そのようにできればと思って政策研究室を目指すことにした、

中国では、今月5日に始まった全国人民代表大会でも、温家宝首相が政府活動の柱の一つに「不正腐敗防止」を掲げた。中国において、贈収賄、背任、公金の横領乱用など、この不正腐敗の歴史は長く粛清されていなかった。現在でさえもこの状態なのだから天安門事件(1989年)が起こった頃は、その腐敗振りは相当なものだったのだろう。

だが、この政策研究室の受験には、共産党員か入党間近の者でないと資格がないのだと知らされた。梅梅は、この頃既にぼくを見切って、副学長の息子といい仲になっていた。着実に北京での暮らしに近づいていた。書記はぼくを梅梅から遠ざけるための片棒を担いでいたのだろう。資格もない政策研究室への受験を進め、嬉々として大学院入試の取り下げを行なったのだ。

折りしも北京では自由を求める学生が続々と天安門広場に集まっていた。すべてを失ったぼくは北京へ天安門に同じ大学の仲間と向かった。ぼくには、大それた目的も民主や自由の夢もなかった。祖国の危急に際する気概もなかった。動機は自暴自棄、怒り、狂気、愚かさだった。自分が閉じ込められてしまった繭にナイフを突き立てる、その場所は祖国の病める心臓、北京こそふさわしいのだ。梅梅がいる、北京だ。

天安門には学生、市民が多くなかなか行き着けなかった。その混雑の中で、ジープから降りてきた大佐は無言のまま拳銃を引き抜くなり学生の頭を撃ち抜いた。それから「前進、じゃまする者は遠慮なく撃て」と命じた。それから大々的な射撃が始まった。一帯は阿鼻叫喚の地獄絵図の様子。

無事に帰って来たぼくは、寮のベッドでぶっ通しで寝た。一緒に行った仲間からは死者が出た。大怪我をした者もいた。ラジオからは、BBCの記者が、約5千人の市民が殺され、多くの学生が戦車や装甲車に轢き殺されたと報じていた。

友人が、寝ているぼくに、公安が君を逮捕しにくるので、今すぐに逃げるようにと言ってきた。書記が公安に電話をしているのを友人は聞いたと言うのだ。学生を煽った、という疑いだ。書記は、ぼくを徹底的に排除したかったのだろう。ぼくが、この大学に残れば、梅梅と副学長の息子の関係にも、何か悪いことが起こりかねないと、そんなことを怖れたのだろう。

ぼくは、長い髪を切り、名前を変えて、香港をめざした。

 

 

 

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著者紹介=ハ・ジン

1956年、中国遼寧省生まれ。人民解放軍に6年間在役。1985年に渡米、ブランダイス大学で英米文学の博士号を取得。ボストン大学でも創作を学び、英語で書くようになって10年あまりで書いた「待ち暮らし」で1999年の全米図書賞、2000年のPEN/フォークナー賞に輝くという快挙を遂げ、同書は世界的ベストセラーになった。

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全米図書賞

アメリカで最も権威ある文学賞

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PEN/フォークナー賞

その年に出版されたアメリカ現代小説のなかから、最も優れた作品に与えられる文学賞。名称は自らのノーベル賞の賞金を若い作家のための賞に寄贈したウィリアム・フォークナーに由来する。