先日20100309の朝日新聞・朝刊・横浜版に、「帷子川にギバチ戻る」という題字の記事を見つけた。
(以下細い字は新聞記事のままです)
環境省レッドリストで絶滅危惧種に指定されているナマズの仲間ギバチが、横浜市旭区の帷子川で見つかった。水質汚染と河川改修で長く姿を消していたが、生息が確認された。「汚い川の代名詞」だった帷子川の水質は下水道普及にともない、ここ十数年で急速に改善。アユの遡上も確認されたことから、流域で魚道づくりも進められている。(佐藤善一)
天王町にある弊社のすぐ近くには、相模鉄道が走っていて、その線路と平行して帷子川が流れている。この帷子川の源流は旭区の若葉台団地付近だそうだ、そこから旭区、保土ヶ谷区、西区を通って、みなとみらい地区の横浜湾にそそがれる。今年も、そろそろ桜の季節が間近に近づいてきた。川岸には桜の花が咲き誇りその見事さは東京の上野や横浜の野毛などと対決しても、見劣りしない、と思っているのは私だけかもしれないが。今日、この地区の染井吉野は一分咲きだった。来週中には満開、この一週間前後は見ものだ。また、端午の節句、子供の日の頃になると、自治会の年間行事なのでしょう、川を跨いで張られたロープに付けられた緋、青、黒、大小の鯉幟(こいのぼり)が、いくつも、いくつも風になびくのです。この光景は私のみならず、通り過ぎる人の目を楽しませてくれるのです。そんな帷子川の川岸の、天王町から星川、和田町の範囲内は、私の日ごろの散歩道でもあるのです。買い物や区役所、図書館への行き帰り、その川面を眺めながら歩くのです。亀が甲羅を干している。子供たちが網をもって、石の周りをじゃぶじゃぶ、虫や魚を探していることもあります。鷺のような鳥も飛来する。今日は鴨がつがいで泳いでいた。ボラが群れをなして泳いでいる。犬と散歩を楽しむ人も多い。ベンチに腰掛けて読書を楽しんでいる人もいる。その帷子川の水質が、年々よくなっているという、喜ばしいお知らせだ。
帷子を「カタビラ」と、35~6年前に横浜で仕事をするようになってから、この字の読み方を知った。広辞苑〈新村出編〉(昭和40年1月10日発売、第一版第十五刷)によると、帷子=(かたびら)は、①中古、几帳(きちょう)、張(とばり)などに掛けてへだてとした布帛。夏は生絹(すずし)を、冬は練絹を用いる。②裏をつけぬ衣服、ひとえもの、暑衣。広辞苑のこんな説明では、几帳、張、布帛、生絹、練絹、暑衣を又も辞書で調べなくてはならないではないか、ここは、そうもしていられないので、イメージを膨(ふく)らまして納得しましょ。なぜ、その名が帷子なのかと言うと、天王町付近では片方は山で、片方が田畑があったため昔の人はカタビラと呼んだそうだ。これはネットによる知恵だ、諸説ある筈だから丸呑みは危険です。今の天王町付近までは、かって海岸が迫っていたようです。20年程前までは、よく氾濫した。弊社のビルの地下にも水が浸入したときに、自動的に稼動する排水ポンプが備えられている。天王町駅前の城南信用金庫の地下にも、川から溢れた大量の水が流れ込み、大きな話題になったことがある。その後護岸工事が進められたのです。
その帷子川の都岡橋付近の水中に沈んだ鉄パイプの中から、約12センチのギバチが見つかった。ギバチはナマズ目ギギ科の淡水魚。1960年代まで、県内でも上中流域で数多く見られたそうだ。2007年には、保土ヶ谷区和田付近で、孵化してまもないアユの仔魚も確認された。遡上できるように、段差がある流域の4箇所で魚道を作っている。
(アユの遡上が見つかり、作られた魚道。旭区白根1丁目)
そのギバチという魚は、今まで見たことも聞いたこともなかった。今回初めて知った。相鉄線鶴ヶ峰駅隣接の旭区市民活動支援センター「みなくる」に展示してあるので見に行って来た。下の写真が張本人です。水槽に入れられ、木のかけらと石の間でじっとしていたのです。全体の姿をカメラにおさめようとしたのですが、私の意を理解してくれなかった。形は、一見、山椒魚のようで、鯰(ナマズ)のようでした。
水槽に入れられて展示されていたのですが、そこに説明文があったので、写し書きをしてきました。
生態ーー流れがあり、比較的水質もよい河川の中流域から上流域に生息する。石や岩の下や、石垣の隙間、ヨシの間や倒木の下に潜む。主に、夜間活動し、水生昆虫や小魚などを捕食する。幼魚は農業用水の水路を利用することもある。産卵期は6~8月。
形態ーー体は細長く、体色は茶褐色、黒褐色で鱗はない。上顎(あご)、下顎それぞれ2対づつ合計8本の口ひげ、胸びれ、背びれに1本づつ合計3本の棘を持つ。棘には毒があるとされる。尾ひれの後縁がわずかにくぼむ。幼魚には黄色味を帯びた斑紋がある。
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この稿を起した大きな原因の一つには、これから書くことを主張したいがためでもあったのです。
帷子川の水質が改善されて、しばらく見なかった魚が蘇ってきたという記事は非常に嬉しい。下水道が不整備だったことや、心ない者が工業廃液などを流すのはもっての他だが、私はここで主張したいのは、鯉などの大きくなる魚の放流についも、以前にもこのブログに書き込んだのですが、いとも簡単に放流しないで欲しい、ということなのです。
橋の上から、岸辺から鯉が悠然と泳いでいるのを、何も考えずに、只、見る分にはいいのですが、私は、水中における動植物の生態系、とくに川に生息する小魚、小動物、小さな虫たちのことを考えるのです。相鉄線天王町駅から、松原商店街に向かっていく途中に帷子川にかかっている帷子橋があるのですが、この橋の上から近所の人が鯉のエサに、ポテトチップ、ポップコーンやパンの切れ端を投げるのです。人間でも、これらを食い過ぎるとメタボの赤信号が即、点くのに、鯉には余りにも栄養あり過ぎだ。大きな鯉が、1メートル近い鯉が2~30匹、大きい口を開けて投げられたエサをキャッチしているのです。大きな鯉がますます大きくなる。こんな大きな鯉が、コンクリートで護岸されたところを、我が物顔で占拠している状態は異常です。エサが投げ込まれない時には、川上に向かってじっとしたまま大きな口を広げている。小さな虫や、小魚は否が応でも大きな口に吸い込まれてしまう。かって水質が汚染されていても、耐力のある鯉を放流して、その泳ぐ様で水質が段々と良くなっているのだと偽装したかったのか、たとえ汚くてもせめて耐えて泳ぐ鯉でも眺めての憂さ晴らしだったのか。
昨今、コンクリートで直壁風に作られた岸は見直されているようだが、このようなコンクリートの岸壁では隠れ場所がないのだ。大きな鯉はなりふり構わず、口に入ってくる食べ物は、ゴッツアンっと大いに満足だろうが。大きな鯉だけが、特権的に愛されるというのはちょっとおかしな話でないか。魚には、今回のギバチのように棲む流域は決まっているようだが、大きな鯉が、中流、上流に泳いで行くことだって十分考えられる。魚が憩うヨシや水草におおわれた川岸、隠れ場所も必要だ。望ましい調和のとれた生態系の維持が必要なのではないか。生態系を、鯉が狂わせているのでないか、と私は考えているのです。一体化した川を、棲む魚の種類ごとに区切るというのも無理なことだ。
そこで、短気な私はこの大きな鯉を間引けばいいのではないか、と思いついた。南極海で日本の調査捕鯨船に乗り込んできたシー・シェパードのピーター・ベスーン船長に天王町に来て貰って、このズーズーしい大きな鯉を叩き殺して欲しいと思っているんじゃが、と友人に言ったら、友人は鯉を殺したってしょうがないでしょ、鯉には罪はないのよ。人間が、鯉を放流しないようにすることじゃないの。どうしても放流するときは節度のある放流をして、放たれた鯉には、必要以上に餌をあげないことではないのか。シー・シェパードの船長さんにお願いしなければならないのは、鯉を捕まえるのではなく、無配慮に鯉を放流する奴を捕まえて貰うべきなんだよ。鯉を放つ人間を捕まえて、この事態の認識をさせることじゃないの、ときたもんだ。
異常に鯉が増えたならば、他の魚も安心できるように鯉を間引いて、間引いた鯉を場所を変えて安心した状態で棲めるような環境を作ってやるべきではないの。そのような啓蒙活動こそ必要なんじゃないの。
この友人は、トコトン、生き物を大事に考える御仁なのだ、横顔が天使のように見えた。
このことに賛同していただける人は、声をかけてくれませんか。