2010年10月7日木曜日

さらば、朝青龍

今年1月の初場所限りで引退した大相撲の元横綱朝青龍(30)、本名=ドルゴルスレン・ダグワドルジの引退断髪式が20101003、東京国技館で行なわれた。

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(はさみを入れた後の白鳳)

その断髪式後、土俵に分かれのキスをする元横綱の写真が新聞に載っていた。彼らしい行為に、相撲関係者はどう感じたのだろうか、と脳裏を過(よ)ぎった。現役中ならば、関係者から横綱の品格を問われることになったかもしれない。相手に勝って土俵の下と言えども、万歳と両手を広げて観衆にアピールした。ガッツポーズもあった。それらが、横綱の品格を汚したと物議を醸したのだ。私は、個人的には決して朝青龍の挙措(きょそ)が横綱の品格を汚したとは思っていなかったが、なんだか私の想像以上に風当たりは凄かった。

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(土俵に別れのキスをする)

相撲が国技と言うが、誰がどのようにしていつ国技になったのか、私は知らない。相撲と同じように日本人に愛されている格技に柔道や剣道がある。どちらの競技にも、礼儀の正しさは求められるが、相手を倒した時、相手に勝った時、その勝利の喜びを自由に表現している。当然、倒した相手に対しては、礼儀を重んじることは言うまでもない。1964年、東京オリンピックでの柔道無差別級で、オランダのアントレ・ヘーシンクは日本代表の神永昭夫を袈裟固一本で金メダルを獲得した。勝負が決まった直後、歓喜のオランダのスタッフがベンチから勝者のヘーシンクに駆け寄ろうとした。試合を行なった畳の上で抱き合って喜びたかったのだろう、それを外国人のヘーシンクは手で制した。敗者に対する敬意を表したのだ。その流石さに、関係者は納得した。

07年の夏巡業を腰痛などの理由で休みながら、モンゴルでサッカーに興じていたときのビデオが、テレビで放映された。中田英寿もその試合に加わっていたことで、話題が盛り上がった。大層批判を受けた。サッカーを多少なりとも専門的にやってきた私には、朝青龍のサッカープレーの身のこなしに驚嘆した。

決定的には今年の初場所中、泥酔して暴行事件を起し、横綱審議会から引退を勧告された。この稿は、20101004の朝日新聞の記事を素にに文章をまとめた。

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20101004

朝日朝刊

天声人語

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朝青龍と白鳳が東西の横綱を占めたのは16場所、その間、本割りでの対戦は11回にとどまる。やんちゃと優等生の対比が鮮烈なためか、青白(しょうはく)時代はもっと長かった印象だ。「青」絡みの騒動が絶えなかったこともある。

「白」の連勝が称賛される中、朝青龍がまげを落とした。〈自業自得〉と銘打った引退興行。稀代のマルチタレントは「次の人生に夢をかける」と、土俵に分かれのキスをした。相撲取りを天職というより、自己表現の一つだったのだろう。

東大でモンゴル語を教える木村理子(あやこ)さんは、青白をそれぞれ授業に招いている。白鳳は日本語で話し始めて先生を慌てさせたが、朝青龍はほぼ母国語で通したという。木村さんは二人の行き方の違いを見た。

近著『朝青龍 よく似た顔の異邦人』(朝日新聞)にある。「モンゴル人として祖国で祖国のために活躍したいと願う朝青龍と、ゆくゆくは日本に帰化して親方になるであろう白鳳。人生の目標は別の方向を向いている」。

白鳳は「すごいスポーツ選手でした」と、先輩を巧みに評価する。正統あっての異端。7連覇の頃は暴れん坊が歴史を作るのかと心穏やかではなかったが、今は愛すべき人間味が懐かしい。世界を視野に、英語を磨きたいと語る姿は、白鳳とは別の意味で不世出に違いない。

長い取材者は「強いけど悪い、悪いけど憎めないーーー横綱としては許せなかったが、気がつけば人として魅力を感じていた」と好意的だ(横野レイコ『朝青龍との3000日戦争』(文芸春秋)。30歳の再出発を見守りたい。