2011年3月18日金曜日

買いだめ、浅ましいぞ

20110314日の朝、出勤のために車で、会社に向かっていた。片側2車線の道路の左側の車線が異常に車の列が長く続いているので、よく見るとその列の先がガソリンスタンドで、ガソリンを給油するために並んでいるのだと、やっとのことで気づいた。2車線のうち1車線だけが通常の通行に使われていて、当然、道路は大混雑に陥っていた。

後日、歌手の泉谷しげる氏が「いっつも車に乗らない奴がガソリン入れて、このバカヤロー」と叫んでいたと聞いた。その通りだ。

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20110318の朝日新聞朝刊より

「ガソリン完売となりました」と書かれた紙を持ち、車列の最後尾に立つガソリンスタンド店員=16日午後、横浜市西区

そして夕方。スーパーマーケットやコンビニでは、品物がなくなっていますよ、と誰からとなく耳にしたので、働いているスタッフを尻目に、晩飯にウドンでもと思いつき、近所の生協の店に出かけた。

2階に上がって吃驚仰天。商品の陳列棚から品物がすっかり姿を消していたのです。18:00。麺類、パン、小麦粉、米、水、牛乳、缶詰類、豆腐、納豆は完全に姿を消していた。突然、立っている場所が、店ではなく倉庫にでもいるような錯覚をおこした。何か、寒々しい気分になった。そして、馬鹿馬鹿しくなって、厭(あ)きれてしまって、ついには、無性に悲しくなってしまった。

その状況を会社に帰って、スタッフに話しかけても、関心を示して肉迫してくる者はいなかった。まさか?とでも思われていたのだろう。

パンは冷凍しておくといいんですよ、なんて会話が漏れ聞こえる。被災地でもないのに、冷蔵庫をいっぱいにして、食糧も食料も何でもかんでもため込んで、そのためこんだ物をどうする心算なんですか。

被災地こそ、食料や燃料、医薬品、暖房器具、寝具を今すぐにでも必要としている。その窮状を思うに、居ても立ってもいられない思いだ。

私は、今、経済人としては特別な状況に置かれている立場なので、何とも歯痒く、どうにも身動きできないのが残念だ。

我が社の経営責任者・中さんが夜中に電話をしてきた。その内容は、ヤマオカさん、うちの会社の3階にベッドだって30台位は並べられます。いっときの食事ぐらいは用意できます。親を失った子ども達の面倒ぐらいはみられます。今、テレビを観ていたら、何もやってあげられない、何もできない自分がもどかしくって、、、、、と一通り嘆いて、元気なく電話を切った。俺も同感だよ。

そして今日20110318は、私の大学時代の友人・西が福島いわき市から原発避難民としてやって来た。子ども水泳教室の仕事に忙殺されて?、止むを得ず?、独り身のままだ。40年前、彼の母は、私たちに自分の息子のことを東京ルンペンなんて言っていた。水球の元日本代表選手だったが、今じゃ丘の上の河童だ。

私の家族の誰もが、この地震が起こったとき、いの一番に彼の安否を気づかった。やっと電話が通じて、返ってきた言葉は、今、寿司屋で飯食ってんだ、といかにも彼らしく、あきれながらも、無事だったことに家族全員ほっとした。

被災地や被災された人々に対して、一人ひとりの力は、ささやかだけれど、できることをすることだろう。

被災地でもないのに、買いだめとは浅ましいぞ。