2011年3月7日月曜日

何故、人間は食事をするのか

何故、人間は食事をするのか

一人暮らしを始めて、最初の壁にぶつかったのが食事だ。

食事は一日の生活の中では、ありふれた作業の一つだけれども、抜くわけにはいかない。だって食わないと体は弱り果て、どこかに不具合が発生し、最期は死んでしまうことになりかねない。私の場合はと言えば、体が弱る前に精神の狂乱が顕著に表出するだろう。食うことが絶対的な生活習慣になっている。食事はありふれた作業なのに、誰にとっても生活していく上で最優先重要課題だ。だから、食事に関わる全てのことに楽しく取り組みたいと思っている。

汚れ物を洗濯して乾してしまい込む、そして奇麗に畳んで収納する、私にとってこれは一番困難で苦手なのですが、洗濯を暫くしなくたって、当面死に至る程の危険に晒されることはない。掃除についても然りだ。今はその件についてはちょっと横に置いて、食事のことを話そう。

食事は楽しくなければならない。そうでないと毎日が続かない。高級なレストランでは、照明や装飾が豪華に施され、サービスが行き届き、立派な食器が用意され、気の利いた音楽が流れ、贅を尽くしたメニューがテーブルいっぱい並べられる。一流のシェフ。厳選、吟味された食材。世界各地から取り寄せた名品揃いのドリンク類。このようなレストランでは、内容も演出も完璧に整っている。たまには、こういう所での食事も必要だ。全ては食事を深く楽しむために。そして、楽しい人間ドラマの開幕のベルが鳴る。

何も高級レストランでなくても、粋な店主の人柄が地元で支持され、充分に食事を楽しませてくれる食堂も結構あるものだ。私は、この類の店をいくつも知っている。このような店では、店主との会話が重要な要素になることもある。店主は、オッサンのときもあれば、オバちゃんのときもある。決して高価な食材は使われていないが、家庭的な雰囲気で、ザックバランで、肩肘張らない、行儀は二の次、寛いだ状態で食事を楽しめる。大声、哄笑、へっちゃらだ。量販の飲み物でさえ、このような店では、何故か美味(おい)しく味わえる。

料理の前に、先ずは何をどのように作るか、出来上がりをイメージして算段する。肝腎なことは、今、俺が何を食いたいのかをハッキリさせることだ。肉なのか魚なのか、野菜なのか。肉なら何の肉か、魚ならどの魚を食いたいのか、緑黄野菜は足りているか、旬の物も当然添えなくてはイカン。

それから、栄養のバランス、消化がし易いのかし難(にく)いのか、主菜は動物性なのか植物性なのか、農薬などの薬品の残留はどうなっているか、防腐剤、着色や添加物に危険性のあるものが含まれていないか、そんなことも考える必要があるだろう。

そうこうしていると、毎日の朝昼晩の食事のことが頭から離れなくなってしまった。変化が起こっている。確実に次の食事の準備の体制を知らず知らずのうちに整えている。

何故? 食事のことが、これ程までに比重がかかってきたのか?と思いを巡らせてみたが、よく解らない。生きるために食うという本能のなせる仕業(しわざ)だけなのだろうか。科学的な根拠を知りたいと思っても、これ以上の考察は自力では進まない。

そんな折、20110306の早朝(06:00前後)のNHKで、この私の行き詰った疑問に対する答えのような放送があった。私は貧しくも楽しい食事中だった。そこでオーソリティーの話のダイジェストを試みた。

何故、人間は食事をして、食べ物を摂取するのか?

栄養素の中でたんぱく質は保存ができないそうなのです。学校で学んだことを思い出してみよう。栄養の五大要素とは、たんぱく質、脂質、無機質(ミネラル)、炭水化物、ビタミンの5種類のことをいう。たんぱく質は、アミノ酸が多数連結してできた高分子化合物。たんぱく質は血液や筋肉、臓器の主要な構成成分であり、また酵素、抗体、ホルモンの原料にもなる。その五大栄養素の中で、たんぱく質だけは保存が利(き)かないのです、と何度もオーソリティーは話されていた。

たんぱく質以外の栄養素は保存、貯蔵が利く。よって、太って体重が増えたり、腹の周りに脂肪がつくのはこのためだ。偏食による弊害もこのことで発生するのだろう。

たんぱく質の細胞は、長く生きるのではなく、細胞が生まれては死ぬ、また死ぬことによって新しい細胞の生成が促される、とのことだった。この発言を裏付けようと、なんだかんだと調べてみたのですが、このことに触れている情報は身近には見つけられなかった。

だから、大怪我や病気になって食事ができないと、病院などでは直ぐに点滴をする。流動食を摂らせる、口から摂取できない時は喉を切開してまで流動食を流し込む。そこまですることはないんじゃないの?昨日までは満足に食事をとっていたのだから、ストックはあると思うのですが、やはり、どうしても食事をしなくてはならない理由が、この辺りにあるようなのだ。納得した。

たんぱく質は保存が利かない、だから、生きるためには食事がどうしても必要なのだ。そのために食事を迷わずに、楽しく頂ける(なんチュウ、適切な感謝の言葉よ。天から頂いている、そんな気持ちが込められている)ように知恵と技巧を駆使しながら料理をすすめる。その作業こそが、人間の生きる喜びにつながり、生きていく力の源泉になるのだろう。

食わないと死ぬのではなくて、死なないために、食うようだ。