毎朝、4時半の目覚めと同時に布団から抜け出し、それから10分以内に家を出るのが、習慣になっている。散歩です。今朝(20110225)の4時半は暗かった。一旦は持ち出した手袋とマフラーを外に停めてある車のボンネットに置いて出かけた。外気は温(ぬる)い。以前は、可愛い犬のお供がいたのですが、今は一人っきりだ。持ち物は、歯ブラシ、タオル、携帯電話。この携帯電話には、歩数を計る機能がついている。
夜半を過ぎて布団に入っても、必ず4時半には目が覚める。アラームのお世話にはならない。前夜、へべれきに酔って布団にもぐり込んだ。まだ脳底には酒精が澱(よど)んでいて、談笑の余韻がまだ残っている。それでも4時半になると、頭がクラクラして、足腰がフラフラして、顔が真っ赤でも、兎に角目が覚めるのです。そして起きる。
体がどんな状態でも、朝の外気は気持ちいい。雨が降っていようが、雪が降っても、冷たい風や強い風が吹きつけても、朝一番、外で吸う空気は気持ちいい。思いっきり空気を吸う。肺腑で酸素を得た血液が、脳細胞を刺激し体の各部を活気づける。
散歩コースがいくつもあって、その日の気分で選択するのです。旧街道、県道、裏道、公園を突きぬけ、店の閉まった商店街、樹木がこもった暗い道、その網の目になった道を、腕を曲げ伸ばし、首や腰を回しながら歩くのです。手を振り、足を上げて。距離を伸ばしたい時、アップダウンを求めたい時、コンビニでの買い物をしたい時、お好みのコースを選ぶのです。
今朝のコースは、天王町から桜ヶ丘高校前の学園通りを過ぎて、保土ヶ谷公園の中を突っ切って戻ってくる。公園の中の早朝の森林浴、薄暗闇の中で梅が満開だった。甘い香に誘われた。
今、寝起きしている場所での最初の頃は、散歩中、必ず「星は何でも知っている」を歌いながら歩いた。この歌は、子供の頃に平尾昌晃が歌って大ヒット、私は完全にマスターしていた。
私が陰日なたなく一生懸命頑張っていること、ちょっとサボったことも、友人や仕事仲間が考えていること、想っていること、そんなものは全て、「星は何でも知っている」んだ。
満天の星です嘘はいえません(作・薮内千代子)
友人に、君の考えていることは、星がみんな知っていて、私にそっと教えてくれているんだよ、と話したら、友人は怪訝な顔をしていた。
そのうち、いつの間にか、口ずさむ歌が「月がとっても青いから」にかわっていた。
月は太陽系の中でも、地球に最も近い自然の天体で、餅を撞(つ)く兎さんや竹取物語として、地球人は昔からこの天体を一番親しんできた。
遠まわりして帰ろうーーー、以前からこの歌詞が気に入っていた。私だって、恋人との散歩なら、どこまでも遠まわりしようと企てたことだろう。この歌も、幼少の頃にマスターしていた。先天的な音痴なので、他人様にはどのように聞こえようが、そんなことお構いなしだ。私はそれなりに上手に歌えていると思っている。
月は自ら発光しているのではなく、太陽の光を反射している。私の目には、白色だったり、黄色、橙(だいだい)色に見えることはあっても、どうしても青色には見えない。この歌の作詞者の意図は、感じ方はどうだったのだろうか。若い2人が月光を浴びながら、夜道を散歩している光景が目に浮かぶのですが、月の光が白でも黄でもなく、青でなくてはならなかったのは、何故か?
月夜の空は、濃紺のビロードのように見えることもあるのですが、月の色が青い?とはねえ。
月は地平線上で見たときとか、満月を、いつもよりは大きく見えるように感じるのですが、その視直径は、当然のことながら同じで、その大きさは腕を伸ばして持つ五円玉の穴の大きさにほぼ等しい、とネットで知った。
今朝の月は半月だった。つい先日、満月だったのに暫く曇り空や雨が続いたので、月を見たのが久しぶりだったのだ。一気(いっき)に欠けたように感じた。
5時半、散歩の最後には歯磨きと洗面のために公園に寄る。公園は住まいの周りにいくつもあるが、今日は、天王町駅前の公園にした。冷たい水が、口腔に、顔に気持ちがいい。でも、今朝の水はさほど冷たく感じない。
駅に向かって、電車に乗る人がばらばら集まってくる。まだ薄暗闇の中なので、俺はそんなに怪しまれてはいないだろう。正真正銘、決して、危険なオジサンではありません。
今日の歩行距離は約5キロちょい。いつもよりは長かった。