2011年2月23日水曜日

川柳でんでん太鼓 田辺聖子

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浪速(なにわ)のおばちゃん文士、田辺聖子さんの「川柳でんでん太鼓」(講談社)を読んだ。

小説現代の昭和58年の10月号から60年の7月号にかけて連載されたものを本にまとめたものだ。約800句ほどの川柳にそれぞれ田辺屋の女大将の解釈が添えられている。

田辺屋の女大将が選んだ川柳はどれも、それは愉快で抱腹絶倒ものから、苦々しくも悲痛、怒り心頭に至るものまでの人間の感性の豊かさが披露されていて、よくぞ皆さんいろいろと、詠ってくれているものだと感心させられた。無粋な私には、どの句も雲上の文学作品に思えて、頭がくらくらするばかりだ。一つ一つを評することは不可能だ。ただ、ただ感服しながら楽しませてもらった。

浪速の美人作家・田辺聖子さんの文章が、実に愉快で、大阪弁で、タナベセイコワールドをイカンなく表現されているのにも、感心、感激させられた。頭の切れる大阪の女子(おなご)はんには、かないませんわ!と言いたいところだ。

遅読で、遅読で、嫌になるほど本を読むのが遅い私が、今回は猛烈なスピ-ドで読んでしまった。どの句も、恥ずかしくなるほど狭量な私の感性の隅っこを、爪楊枝のようなもので擽(くすぐ)られた。気持ちがよかった。

その中から、幾つかを紹介したい。これらは、唯、私にとって面白かったり、痛快だったり、極めて同情したものであって、作品の良し悪し、優劣を言っているわけではない。くれぐれも、繰り返しますが論評できる知識も能力も持ち合わせていない。

女の人に、偽(いつわ)られたり、田辺聖子さんが仰るチメチメとされると、私の感性は異常に反応するようで、選んだその①とその②はその類のものだ。その延長線上に、少し趣(おもむき)は変わるのですが、男女問題においては同じ係累かと、おまけ、その④を追加した。

見事に鈍感な私でも、女性に関することに関しては異常に反応し易くなっているようだ。こんなことにナッチャッタのは、生まれながらの性癖か、成人になってからか、老境に入ったからか、どこで、私はこのようになってしまったのだろうか。

その③は、もうこれは私の「怒りの世界」でもあって、一旦、このような文章を目にしたならばそう易々とは引き下がれない。一生拘ります。そんな訳で、鶴彬(つるあきら)さんコーナーを、たっぷりとらしてもらった。誰もが、この人の作品は一読する必要があると思うのです。

以下、細字は筆立ち名人の女狐か女狸か?田辺のおばちゃんが、本に書いている文章のままです。

 

その①

いじめ甲斐ある人を待つ胡瓜(きゆうり)もみ  (田頭良子)

は、女のおかしさであろう。この「いじめ甲斐」がいいのだが、これは、姑(しゅうとめ)が嫁をいじめると解してはこの句はワヤになる。

無論、女が男をいじめるから、楽しいのである。

その男は人がよく(お人よし、とは少しニュアンスがちがう)少々のことでひがんだり、青筋たてていきまいたり、すねたりしない。何を言われてもニタニタしている。コタえてないのやろか、ともっときつく言葉でチメチメしても、それがかえって彼を面白がらせる。それは双方、お互いに好意をもち合っているからであろう。

好きなんである。

早く言えば。

そういう男にごちそうしようと胡瓜もみを刻んでいる。女の心うれしさというものは、まあ何と言えばよかろう。これは佳句(かく)である。

ついでに言うが、女に言葉でチメチメされて、つい同じように応酬する男はあかんのです。女は男女平等を口で唱えながら、やっぱり男性神話を信じているところがある。男は寛容で度量ひろくて、小事にこせつかず、頼り甲斐あると思いたい。だから女がウソついてもいちいちそれをあばき立てたりせず、チメチメしていじめても、ニタニタと看過していただきたい。よけい図にのっても、よしよしと言っていただきたい。

田辺のおばちゃん、チメチメされてとはなんじゃいなあ。チメチメしていじめる? 田辺先生、見本を見せてください--田辺ファンより。

 

その②

いつわりを庇(かば)うかたちで足袋を履く   (窪田久美子)

足袋を履くときは背を丸め、かがまらないとコハゼがはめられない。ソックスなら、突っ立ったまま、足を曲げてはけるが、足袋は体を曲げねばならぬ。

それを「いつわりを庇う」と表現した手腕は凡ではない。

女がよむと、どことなし、思い当たるというような、ドキッと一閃(いっせん)する鋭さがある。

しかく、女はみな、大なり小なり、いつわりにみちみちている、もっとも善なるいついわりもあれば美しきいつわりもあり、猛毒のいつわりもあれば、毒にも薬にもならぬいつわりもあるが、まあ大体に於いていつわりを持っとらん女は居(お)りませんな。

 

その③は、----。小林多喜二は「蟹工船」で世間によく知られたプロレタリア文学の代表的な作家だが、川柳にもプロレタリア作家がいたことを、私はこの本で初めて知った。

その作家というのが、鶴彬(つるあきら)だ。「飢えた胃袋で直感する」プロレタリア川柳作家だ。彼は一連の作品によって検挙され、獄死する。

小林多喜二ほどに鶴彬の獄死を知っている人は少ないと思われる。それは川柳という分野だったせいだろうか、と田辺聖子先生は仰っている。学校の教科書などで、短歌や俳句と同じ扱いで取り上げられたことなど、聞いたことがあろうか。

21歳、鶴は金沢第七連隊に入営。陸軍記念日(3月10日)に連隊長の訓辞を聞いて質問するという、前代未聞(みもん)のことをやらかす。一叩人(いつこうじん)氏の『反戦川柳人・鶴彬』に「かってみない勇気ある行動」とあるのもおかしいが、命令と服従で成り立っている軍隊で、新兵が連隊長に質問するというのは反軍行動である、重営倉へ収監され、結局4年余りを軍隊にとられた。

今まで幾度か書いてきたが、世間の人の川柳観は、日常卑近の野鄙(やび)な題材を面白おかしくまとめるもの、あるいはポルノまがいの狂句をさすもの、または新聞の時事川柳によくあるニュースを、五七五にしただけの、「はあ、そうですか」というほかない作品、---そんなものが川柳で、下世話(げせわ)にくだけた、ひまつぶしのお遊び、と思っている人も多いようだ。

田辺のおばちゃんは、怒っている。 ヤマ

本に出てくる順に、片っ端から転載させていただくことにした。そうして、句を連ねていくと、長詩のようになった。感動しました。

 

その③

手と足をもいだ丸太にしてかへし

高粱(こうりゃん)の実りへ戦車と靴の鋲(びやう)

屍(しかばね)のゐないニュース映画で勇ましい

出征の門標があってがらんどうの小店

万歳とあげていった手を大陸へおいて来た

胎内の動きを知るころ骨(こつ)がつき

 

タマ除(よ)けを産めよ殖(ふ)やせよ勲章をやらう

稼(かせ)ぎ手を殺してならぬ千人針

ざん壕で読む妹を売る手紙

 

玉の井に模範女工のなれの果て

みな肺で死ぬる女工の募集札

ふるさとは病(やま)ひと一しよに帰るとこ

修身にない孝行で淫売婦

お嫁にゆく晴着(はれぎ)こさへるのに胸くさらせてゐる

ふるさとへ血へど吐きに帰る晴衣(はれぎ)となりました

吸いにゆくーーー姉を殺した綿くずを

売られずにゐるは地主の阿魔(あま)ばかり

 

働けばうづいてならぬ●●●●のあと  注「ごうもん}が該当すると推定される

 

仇(かたき)に着す縮緬(ちりめん)織って散るいのち

日給三十五銭づつ青春の呪(のろ)ひ織り込んで

 

神代から連綿として飢ゑている

これしきの金に主義一つ売り二つ売り

銀座裏残飯(ヅケ)を争う人と犬

 

暁(あかつき)を抱いて闇にゐる蕾(つぼみ)

 

半島の生まれ〈連作〉

半島の生まれでつぶし値の生き埋めとなる

内地人に負けてはならぬ汗で半定歩(筆者注・日本人の賃金の半分)のトロ押す

半定歩だけ働けばなまけるなとどやされる

ヨボと辱(はづか)しめられて怒りこみ上げる朝鮮語となる

鉄板背負う若い人間起重機で曲がる背骨

母国掠(かす)め盗(と)った国の歴史を復習する大声

行きどころのない冬を追っぱらはれる鮮人小屋の群れ

 

しゃもの国綺譚(きたん)〈連作〉

昂奮剤射たれた羽叩(たた)きてしゃもは決闘におくられる

稼ぎ手のをんどりを死なしてならぬめんどりの守り札

賭(か)けられた銀貨を知らぬしゃもの眼に格闘の相手ばかり

決闘の血しぶきにまみれ賭けふやされた銀貨うづ高い

遂にねをあげて斃(たお)れるしゃもにつづく妻どり子どりのくらし

勝鬨(かちどき)あげるしゃもののど笛へすかさず新手(あらて)の蹴爪(けづめ)飛ぶ

最後の一羽がたふれて平和にかへる決闘場

しゃもの国万歳とたふれた屍(しかばね)を蠅(はへ)がむしってゐる

をんどりみんな骨壷となり無精卵ばかり生むめんどり

をんどりのゐない街へ貞操捨て売りに出てあぶれる

骨壷と売れない貞操を抱え淫売どりの狂ふうた

 

おまけ、その④

おまけです。特別に追加したのは、どうしてもこの川柳をこのコーナーに写し置きたいと思ったのです。その真意って? だからって、今度会ったときに私の目の奥を覗き込まないでくださいね。こ、こ、だ、け、の、話、、、、、、だからね。

愛咬(あいこう)やはるかはるかにさくら散る   『時実新子(ときざねしんこ)』

愛咬の美しい歯形はその一つ一つがさくらの花片と化し、まなかいを散りまがう。夢の瘢痕(はんこん)はさくらなのか、さくらは目くらむ恋のうつつの吹雪なのか、裸身におしあてる愛の印判。かぐわしきエロスが匂い立ち、心を振盪(しんとう)させる。そしてまなうらいっぱいにさくらは散る。

田辺のオバチャン、ようそんなに恥ずかしい文章をスラスラ書けるな!感心です。田辺のオバチャンに会いたいと思う。 ヤマ

注 まなかい=(眼、間、目交い) まのあたり

   まがう=(紛う) 入りまじる

   かぐわしい=(芳しい、馨しい、香しい) かおりがいい かんばしい

だだ、ダ、だ~ん、萎(しな)びた男ども、目が醒めたか!!!